8月8日は時透無一郎(ときとうむいちろう)の誕生日です。
もちろん劇中の設定ですが、無一郎でまず注目したいのは2020年秋に行われた『鬼滅の刃』人気投票です。
1位 我妻善逸
2位 冨岡義勇
3位 時透無一郎
4位 竈門炭治郎
5位 胡蝶しのぶ
6位 嘴平伊之助
7位 煉獄杏寿郎
8位 伊黒小芭内
9位 不死川実弥
10位 栗花落カナヲ
11位 竈門禰豆子
12位 甘露寺蜜璃
13位 宇髄天元
一位・我妻善逸と二位・冨岡義勇が意外ならば、主役が四位というのも驚き。
そして目を落としがちなのが時透無一郎が三位にランクインしたことです。
このアンケートが実施された時期は、アニメでもまだ顔見せ程度だったのに、なぜこんな上位へ食い込めたのか。
実は彼のキャラクター性には、日本人が昔から大好きだった古典的な特徴が数多く備えられています。
時透無一郎に魅力を感じるのは、日本に生まれた者なら、ある意味当たり前と言ってもいい。
古き魅力がギッシリ詰まりながら、それでいて新鮮な、時透無一郎を分析してみましょう。

『鬼滅の刃』12巻(→amazon)
儚げで強い美少年にうっとり
まるで少女のよう。色白で儚げで美しく、それでいて天才的な強さを誇る――。
ベタな設定と言いたくなる人物像に、日本人は昔から憧れていました。
代表例が源義経です。

源義経/wikipediaより引用
実際には、色白ながら出っ歯で小柄、特徴的な見た目だったんでしょ。
と、そんなツッコミも確かにありますが……義経のあとにも、歴史の表舞台には儚げな美少年が登場し、人々の心を掴んできました。
信長とともに本能寺で散った蘭丸。
新選組の天才剣士・沖田総司。
彼らが日本の老若男女を夢中にさせてきたのです。
儚げな美少年――その条件はこんなところでしょうか。
・史実はさておき、設定上は美形
・中性的でほっそりとしていて小柄
・集団内で弟ポジションあるいは年齢的に若い部類に入る
・弟だけに頼りなく、無邪気なところがある
・天才――体重差も無視して、大男でも軽やかに倒す
・儚げで短命である
・マッチョな武器は見たくない。鈍器でガンガン殴る美少年に需要はありません!
刀を握って二ヶ月で柱まで昇格、最年少の柱にして天才剣士・時透無一郎。
彼はまさしく、そんな儚げな美少年剣士像と一致します。
他の柱が復讐などの自発的な理由で鬼殺隊に加入した中で、彼はわざわざ当主から望まれ、産屋敷あまねが何度も頼み込んで加入したほどです。まさしく天才貴公子ですね。
現在の『鬼滅の刃』ファンが無一郎にウットリするように、読者の祖父母もかつては美少年天才剣士にため息をついていたのでしょう。
なんとなく『るろうに剣心』の瀬田宗次郎を思い出したのならば、宗次郎もフィクションにおける沖田総司がモデルなので当然のことです。
いわば伝統回帰ですね。
マッチョが王道だった時代も
しかし、そんな伝統も下火になった時代がありました。
ハリウッド映画ではシュワルツネッガーやスタローンが流行し、マッチョでムキムキしたヒーローが王道となった1980年代です。
当時人気のあった人気マンガの主人公を思い出してみますと……。
『北斗の拳』
『キン肉マン』
『ドラゴンボール』
『魁‼︎男塾』
主人公はじめ主要キャラのほとんどがマッチョですよね。
連載期間が長い『ジョジョの奇妙な冒険』の場合、1部から3部がマッチョ時代に該当。
4部からだんだんと細くなり、5部ではルネサンス彫刻のような体つきになります。
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かようなマッチョ志向が終焉を迎え、細身のヒーローが出てきた時代――『るろうに剣心』のような作品は「邪道!」「女子に媚びた!」なんて非難もありましたが、時代の要請に応じた結果に過ぎないのでしょう。
2010年代になればむしろマッチョ系は噛ませ犬となり、そのせいで『鬼滅の刃』では岩柱までも「すぐやられるキャラだと思った」と言われるほどでした。
高貴なる血統
無一郎には、他の柱とは異なる特徴があります。
前述の通り、血筋ゆえに加入を望まれている点です。
美少年が、伝説の血を引いている――そこまで話を盛らんでも……と思いたくなるかもしれませんが、これもベタで伝統的な設定です。
例えば源義経。
牛若丸として登場した当初、周囲は彼の父の血統はわかりません。
それが衣川を目指すにあたり、源義朝の子であると判明し、物語はぐいぐいとヒートアップします。
高貴な血を引くものの、故あってひっそりと生きる者。物語としては人気の定番設定です。
【貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)】という言葉もあるほどです(→wikipedia)。
無一郎はその一種で、だからこそあまねが自宅までやってくる。昔のロールプレイングゲームも好きな導入部とでも申しましょうか。
「おお そなたは勇者の血を引いておる!」
そんな始まり方ですね。
現在では死語になりつつある言葉に【ご落胤(ごらくいん)】というものがあります。【落とし胤(だね)】とか【落とし子】とも。
諸事情があって、父親を明確にできないものの、実は高貴な血を引いているという設定です。
歴史上、この【ご落胤】説がある人物は、だいたいが後付けのものです。それが事実であった徳川秀忠の子・保科正之のような例もありますが、ごく稀な例です。

保科正之/wikipediaより引用
現代風に身も蓋もない言い方をしてしまえば“隠し子”ですね。
このご落胤神話は、時代が下るにつれて薄れてゆきました。
特に明治維新以降は、キリスト教文明圏である西欧列強の影響もあり、むしろマイナスイメージが定着。キリスト教では、私生児は恥ずべきものとされ、むしろ差別対象とされてきたのです。
それでも、大多数の日本人にとって【ご落胤】は魅力的なものです。
江戸時代以前が舞台であれば、むしろアリ。
「な、なんだってぇ! あいつ、将軍様のご落胤だっていうのか……」なんて設定は、かつての娯楽時代劇には定番だったものです。
そんな中でも無一郎に近いものをあげてみましょう。
天才美剣士にして徳川吉宗のご落胤・葵新吾を主人公とした『新吾十番勝負』シリーズです。
原作は、1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけて朝日新聞に連載された、川口松太郎の小説でした。
出生の秘密も知らず、山中で暮らす美少年剣士。それが真剣勝負を重ね、愛に悶え苦しみ、道を見出してゆく――。
なんだ、無一郎か。と、なりそうですが違います。
これがご落胤の定番設定で、その時代を代表する美男俳優が繰り返し演じてきた典型例なのです。
今時のお子様も、その親世代も、祖父母世代も、もっと昔まで。ずっとずっと愛され続けた、出生の秘密がある美少年天才剣士。
そんな伝統的な像ですから、無一郎の人気は当たり前とも言えるのですが……。
古典から一捻り! 血筋と外見だけ美しくとも……
では時透無一郎は手垢にまみれた古典的キャラだったのか?
と問われたら答えはNO。
定番の設定をそのまま使わないところにワニ先生の工夫があります。
・ご落胤ではなく「始まりの呼吸」の血統である
→隠し子設定は、現代ではむしろよい話よりも、スキャンダラスなマイナス要素になりかねません(『ゴールデンカムイ』の尾形等)
・主人公ではない
→昔の作品ならば、主人公は炭治郎よりも無一郎になりそうなところで。無一郎が主人公を食っているという指摘もあります
・登場時は冷たく周囲に無関心で、誰からも愛される性格ではない
→記憶を取り戻すまで複雑な経緯があった
・(ネタバレ)血統断絶
→呼吸の祖だけに一番尊いものとされそうで、そうはならない
かつてのフィクションならば、主人公でもおかしくない無一郎。
その流れで行けば炭治郎は脇役、善逸はお笑い枠でした。

『鬼滅の刃』3巻(→amazon)
無一郎の愛の力もあって禰豆子は人間に戻り、そのまま結ばれてハッピーエンド……そうなっていてもおかしくなかったかもしれません。
『鬼滅の刃』は、いわばベタな王道から一線を画しているのです。
最初の頃、彼は感情を捨て去って、合理性で行動しています。
あの”よかった探し”が得意である炭治郎ですら「すごく嫌」「配慮に欠けていて残酷」と苛立ってしまったほど。
こういう配慮がないキャラクターは『鬼滅の刃』では酷い目に遭います。人間だろうが、鬼殺隊だろうがそうでした。
典型例が、那田蜘蛛山に登場した“サイコロステーキ先輩“こと、累に刻まれた剣士です。
彼はその配慮に欠けた合理性をわかりやすく説明してくれました。
「お、丁度いいくらいの鬼がいるじゃねぇか。こんなガキの鬼なら俺でも殺れるぜ。お前はひっこんでろ、俺は安全に出世したいんだよ。出世すりゃあ上から支給される金も多くなるからな。隊は殆ど全滅状態だが、とりあえず俺はそこそこの鬼一匹を倒して下山するぜ」
次の瞬間、彼は切り刻まれてしまいます。
けれども、ネタにする前に考えてみてください。
彼はサイコロステーキとして惨殺されるほど、酷いことをしたのだろうか?
ただ調子こいて大口叩いただけなのに、おもしろいあだ名とネタになるほど悪人だろうか?
ネタとして面白がるだけでなく、そこは本作のテーマを考えたいところです。
最終回まで終始一貫して貫かれていることは「最愛の仲間たち」同士が協力し理解しあう強さです。
このことをふまえると、無一郎がほんとうに“無”のままであれば、作品のテーマに反する存在として、どこかで消えてしまってもおかしくなかったのでしょう。
しかし、悲しい過去の記憶と共に思いやりにあふれた心を取り戻し、情が有る存在になったからこそ、無一郎は立派な柱として務めを果たせたのです。
無一郎は美少年であり、血統も素晴らしい。
けれども、それだけでよいのか?
周囲を思いやる心と感情を取り戻したからこそ尊く、人として昇華されていったのでしょう。
感情を取り戻し、深い人生を生きる
『鬼滅の刃』における“悪”は、鬼だけではありません。
“感情”を失った、思いやりに欠ける人間もそうだと示されています。前述のサイコロステーキ先輩もこの一人としまして。
生きるために感情を捨てようとした時透有一郎。
忍として感情を捨て去った宇髄天元の父と弟。
欲望を満たすためだけに感情を捨て去っていた、伊黒小芭内の家族。
響凱が書いた原稿を否定した誰か。
こういう配慮に欠けて残酷な存在は、否定されます。その頂点が鬼舞辻無惨ですね。

『鬼滅の刃』22巻(→amazon)
一方で、鬼であっても感情を取り戻した者は、満ち足りた表情で消えてゆきます。
響凱は原稿を踏まない炭治郎に心打たれてしてしまう。
累も親の愛に気づき、やっと親子の心が通い合う。
猗窩座は愛した彼女の思いを取り戻し、満足げに散ってゆきます。
こういう鬼がいる一方で、心を取り戻せそうにない鬼は、誰にも惜しまれず、ただただ消えてゆきます。
心がそもそも空っぽの童磨は罵倒され続け、やっと心が芽生えたところでしのぶがダメ出しをします。
「とっととくたばれ糞野郎」
人の心をわからない。配慮しないことそのものが悪である。そういうテーマを、本作は貫く。
この世界に存在するものの善悪を分けるものとは、血筋ではなく、相手に配慮できるかどうか。
鬼であるか? 人であるか? 答えはそこにありません。
鬼であろうと、禰豆子と珠世には人を守りたい気持ちがある。
愈史郎は嫉妬深く、かつ配慮に欠けており、炭治郎らに邪険にしますが、その都度珠世にたしなめられている。
ゆえに彼らは悪とはみなされないのです。
そんな作品を貫くテーマが、兄弟揃って名前にまで反映されているからこそ、無一郎は重要かつ魅力的、ときに主人公を上回ることすらあるのでしょう。
幸せの深さ
幸せは長さではない
見て欲しい 私のこの
幸せの深さを
『鬼滅の刃』第205話『幾星霜を煌めく命』
大正時代を時代背景とする本作には家父長制の影がさしています。
仲間の散り際に「その死を無駄にしない」と誓う様が、自己犠牲の美化ではないかという解釈もなされます。
◆ 「鬼滅の刃」で考えるナショナリズム 煉獄杏寿郎の教え:朝日新聞デジタル(→link)
炭治郎はじめ、主人公たちが鬼の死を優しく見送るところが甘っちょろい、お涙頂戴だという批判もある。
◆ 鬼滅ハラスメント問題 作品に苦言呈す“逆キメハラ”も?|NEWSポストセブン(→link)
前述の通り、炭治郎ですら見捨てる鬼もいるし、歩み寄ろうとした童磨に容赦ないダメ出しをしたしのぶのような人物もいるわけですが。
『鬼滅』の大ファンだという都内在住の20代女性が語る。
「一緒に住んでいる父が、映画でブームになってから気になったのか、リビングに置いてある漫画を勝手に読み始めたんです。そして聞いてもいないのに感想を言ってきて、『なんで主人公(竈門炭治郎)は鬼に家族を殺されて復讐しているはずなのに、死に際の鬼に同情したりするんだ』とか言ってくるんです……。鬼になってしまった側の心情も描かれているところがいいんだと説明しても、『俺には理解できない』『すぐトドメを刺せばいいじゃないか』の一点張りで。“それなら読むなよ”って思って、すごく腹が立ちました」
『鬼滅の刃』は伝統に一捻り加え、しかも2010年代以降のツイストを仕掛けてきています。
そのため、想定読者層ド真ん中の少年少女、あるいは少年漫画黄金期にどっぷり浸かっていない高年齢層の方が芯を見抜きやすい――と考えるのですが、このことは実は珠世のセリフにもヒントがあります。
「うまく隠しているつもりでも、医者として人と関わりを持てば、鬼だと気づかれる時がある。特に子供や年配の方は鋭いのです」
(第19話「ずっと一緒にいる」)
少年漫画なんだから、きっとベタなヒットの法則、お約束があるはず――マンガ慣れした方たちが無意識にでもそんな思いを持っていると、自身のバイアスや思い込みに陥って見抜けなくなってしまうんですね。
本当に本作は難解です。
実は2010年代以降の新しい流れが取り込まれていて、それは漫画や日本以外の作品を見ていると、非常に実感できるものとなっています。
血統継承の否定
無一郎を死なせてしまい、始まりの呼吸の血統を敢えて断絶させる。
そこには血統継承の否定を感じさせます。
『スター・ウォーズ』サーガは、スカイウォーカーを血統ではなく、別の形で継承する結末でした。
『ゲーム・オブ・スローンズ』は、王位継承権を持つ人物を複数出して揉める展開にする。
その上で彼らが子孫を残せないことにして、血統継承を否定しました。
この手のストーリーは何かと荒れます。
なまじ人気があって長いシリーズだけに「なぜあの血を引く者があんなことになるのか!」となってしまう。
作り直せと怒るファンも続出するほどで、その気持ちはわかります。
高貴な血を引く王子様とお姫様が結婚して、王家がこれからも長く続くというラストこそが、長年の定番でした。
それを全否定され、どうにも引っかかるのでしょう。その類のハッピーエンドを望んだオールドファンにしてみれば、心まで踏まれるような不快感がつきまとうかもしれません。
かつてのハッピーエンドとは、結婚して子を成し、家を存続することでした。
けれども、それ以外に幸せになる道があってもよいのではありませんか?
心を取り戻し、深い人生を生きる
では、それ以外の幸せとは何か?
その一つとして提示されるのが心であり、真の自分を取り戻すことです。
どんなに長く生きても心が空っぽであれば人生は虚しい。深く、心を取り戻すことを追い詰めてゆく。そんな流れが出てきています。
『アナと雪の女王』シリーズでは、エルサが思い悩み冒険をした結果、自分のルーツと力の源を見つけるまでが描かれました。
同作『2』では家族すら捨て、自分らしく生きることを選ぶ。
なんで?
結婚しないの?
もっと家族と和気藹々しようよ! 自分勝手なエルサだな、ぼっちは寂しいよ!
そんな不満をぶつける感想も多かったものですが、心を取り戻し、自由に生きるエルサの姿をディズニーは見せたかったのではありませんか。
それもひとつの生き方です。
ラストで王子と結婚するだけが、女性の人生ではありません。
無一郎と設定が似た少年漫画の主人公に『どろろ』の百鬼丸がいます。
大名・醍醐景光の嫡男でありながら、身体を妖怪に捧げられてしまい、それを取り戻すために戦う少年剣士です。
原作では14歳、無一郎と同年でした。
この百鬼丸は、原作と2019年アニメ版では、基本設定は大きく変わらないものの、受ける印象がかなり異なります。
原作ではまだ若いながらも、兄貴分として頼りがいがあった。
それが2019年版では、心を閉ざし、周囲に無関心ではないかと思える描写が多いのです。
彼は優しさを失ったわけではなく、表現の仕方が不器用であり、誤解されているだけでした。
その心を、仲間との交流を通して取り戻してゆく。百鬼丸は大名になるわけでもありませんが、心と愛を取り戻すまでの過程が丁寧に描かれました。
こうして心を探す過程を描く作品が増えています。
なんじゃこりゃ! 異性といい感じにならんの? 打ち切りか?
作品からそんな印象ばかり受けてしまうのだとすれば、時代の流れに置いていかれているかもしれません。
心を取り戻し、最愛の仲間たちと生きてゆくこと。それができずに自己利益ばかり追い続けてればどうなるか。
そんなことも『鬼滅の刃』には示されています。
「お前はひっこんでろ、俺は安全に出世したいんだよ。 出世すりゃあ上から支給される金も多くなるからな」
「行くな!! 私を置いて行くなアアアア!!」
実力があれば無惨になって、カリスマゆえに人気も集まるかもしれません。
しかし最悪の場合はサイコロステーキ先輩になってしまう。
そうならないためにも、感情を有するものになること。深い人生を生きること。
無一郎たちから、そんなことを学びたいと思う次第です。
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【参考】
『鬼滅の刃』12巻(→amazon)
『鬼滅の刃』アニメ(→amazonプライム・ビデオ)






