イギリス公使館焼打事件/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや

煙をモクモクあげながら、接近してくる黒船――。

蒸気船には強力な大砲が備わっていて、強引に開国を迫るペリーら外国人たちは非常に威圧的な印象を受けます。

が、実のところ、彼らも日本側に対して、相当気を遣っていました。

例えばペリーは幕臣相手に酒や料理をふるまい、ハグまでしております。

※以下はペリーの関連記事です

ペリー
あのペリーが日本人を接待していた?日米和親条約の交渉で用いたほのぼの作戦

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ペリーのあとに来日した外国人たちも、人種差別感情や高圧的な態度だけを抱いていたわけではありません。

彼らは襲撃に怯えつつ、日本人の価値観を探り、余計な刺激をしないように生活せざるを得なかったのです。

天真爛漫な人々が暮らす、清潔なワンダーランド。

日本人の庶民がそう評価される一方で、彼らは危険極まりない存在も同時に畏怖しておりました。

そうです、SAMURAIです。

【殺すと決めたら必ず実行にうつし、その襲撃を防ぐことは不可能に近い――シゲキ、スルナ――】

外国人が「SAMURAI(サムライ)!」なんて騒いでいると、現代の我々は

『ったく、大げさ連中だな』

なんて思いがちですが、幕末当時の彼らは本気も本気で怖がっていて、もしかしたらその印象が今も残されているのかもしれません。

本稿では、外国人から見た、開国当初の日本を見て参りましょう。

 


興味津々の庶民たちは、天真爛漫だった

幕末に来日した外国人たち。

まず彼らの目を引いたのは、自分たちに対して【興味津々】と言った様子の庶民たちでした。

礼儀正しい彼らは、外国人と見て罵ったり、何かを投げつけたりするようなこともありません。

おとなしく、好奇心にあふれた様子で眺めてくるだけで、敵意を感じさせたりもしない。

むしろ天真爛漫で、幸福そうにすら見えました。

後に攘夷事件の犠牲者となるアメリカ人通訳・ヒュースケンは、日本の民衆が持つ純真さを愛していました。

ヒュースケン
幕末日本を愛したオランダ青年 ヒュースケン殺害事件が悲し過ぎる

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自分たち西洋人が、こうした純真さを壊してしまうのではないかと、気に病んでいたほどなのです。

イギリス人画家ワーグマンの描いた日本の庶民/wikipediaより引用

「ハッピーな人々が暮らす、清潔で秩序溢れる国だなあ」

彼らは、そんな好意的なまなざしで、日本を見ていたのですね。

しかし、スグに気づきます。

この国には、恐ろしい者たちがいるということを。

 


「日本のスパルタ教育」すなわち郷中教育

恐ろしき存在とは、すなわち武士階級のことです。

庶民のような天真爛漫さは皆無で、野獣のように危険極まりない。

武士相手に無用な侮辱をしたら、彼らは即座に殺しにかかってきてもおかしくない――。

そんな警告が、外国人たちの間で共有され始めます。

ロシア人は、薩摩藩士についてこう書き残しています。

「幼い時から完全なスパルタ教育を受け(中略)、犬の屍肉を喰らったり、必要もないのに自分の体を傷つけたりする」


※映画『300』より、アゴギ=スパルタ教育の場面

確かにスパルタ教育と郷中教育には共通点があります。

少年を組み分けして、苛烈なまでに厳しく接する点もそうです。

スパルタでは裸足で行動しなければならず、郷中でも冬場での防寒具禁止です。

郷中教育
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ともかく理不尽なまでに自らを痛めつけるその姿を見て

「スパルタ教育がこんなところにあったとは……」

と驚かれたとしても、まったく不思議はありません。

それでも藩に所属しているだけマシで、浪人こそ最も警戒すべきものという認識がありました。

尊皇攘夷をふりかざし、名をあげるために襲撃してくる浪士たち。

彼らこそ最も危険な存在とみなされておりました。

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