天然理心流

近藤勇(左)と土方歳三/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末最強の剣術は新選組の天然理心流か?荒れ狂う関東で育った殺人剣の真髄

2025/05/20

近藤勇をはじめ、沖田総司や土方歳三など。

その名を聞いて浮かんでくる言葉は圧倒的に【新選組】ですが、もう一歩踏み込んで考えてみたい「共通項」がこちらです。

天然理心流――。

新選組を支えた武の力、その源は「天然理心流」にあると言っても過言ではありません。

この剣術、とにかく強かった。

対抗できるのは薩摩しかないと思われるほどの強靭さを誇った。

ではなぜ、さほどに天然理心流は強力だったのか?

近藤勇/Wikipediaより引用

幕末に至る情勢を見ながら、その強さに迫ってみましょう。

 


幕末は、社会システムが自壊する宿命だった

260年間にわたる江戸の平和な日々は、黒船来航で崩れてしまう――。

よくある幕末の見方であり、2018年大河ドラマ『西郷どん』でもそういった趣旨のナレーションが流れていました。

ペリー来航/wikipediaより引用

しかし、そんなに単純な話でありません。

天災がしばしば襲いかかる日本列島は、社会システムが自壊してしまう宿命を背負っておりました。

江戸幕府もまた例外ではなく、中期以降は全国いずれの地域でも藩政が行き詰まり、改革につぐ改革を実行。

しかし、いかなる名君や家臣が努力しても、その効果は自然の驚異から見れば限定的です。

そこに降り掛かってきたのが19世紀以降の外圧。

異国船という形で姿を見せるようになると、もはや隠し通せるものではなく……。

幕末を迎える前から、人々は社会システムの限界を感じていたのです。

 


絹一揆、老中を殺す

2018年正月時代劇『風雲児たち』では、草刈正雄さんが老中・田沼意次を演じました。

劇中で田沼は、社会システムが揺らいでいることを意識した台詞を述べましたが、これは史実に沿ったもので、18世紀後半、幕府の屋台骨を揺るがすような事件が起きました。

◆郡上一揆:宝暦年間(18世紀半ば、1754年〜1758年)に発生、美濃国郡上藩金森氏改易に繋がった大規模な一揆

◆中山道伝馬騒動:明和元年(1764年)閏12月下旬〜翌明和2年(1765年)年1月にかけて発生。主要街道の一つであった中山道沿いで発生した一揆

◆絹一揆:天明元年(1781年)、絹市に関する課税反対運動

郡上一揆の義民を讃える石碑/photo by のりまき wikipediaより引用

百姓が非武装化された江戸時代以降、一揆が起こらなかったわけではありません。

ただし、この場合のように幕府が鎮圧に手こずり、広範囲まで広がることは異例です。

絹一揆に至っては、恐ろしい結果を残しました。

一揆勢が老中首座・松平輝高が藩主を務める高崎藩に侵入。幕府はやむなく絹への課税を撤回し、しかも松平は心労のあまり急死してしまったのです。

江戸の庶民の間では、こんな噂が広がりました。

「一揆勢が老中を殺しちまったってよ」

「ひえ〜っ!」

一揆といえば、一方的に鎮圧されるものと決まっておりました。

それが一揆勢の要求が通ったばかりではなく、老中の命まで縮めてしまったのですから、その驚きたるや……。

社会変革に取り組まねばいけないと考え、経済政策に力を入れたのが老中・田沼意次でした。

田沼意次/wikipediaより引用

しかも田沼は有能でした。

彼の経済政策は一定の効果をあげ、経済を潤します。

が、その恩恵が庶民にまでは届きません。

田沼政治で潤ったのは、中間搾取する商人ばかりでした。そのため、庶民からすれば、格差が拡大する汚い時代に思えてしまいます。

田沼が賄賂まみれの汚い政治家扱いされたのは、そうした要因もありました。

 

ルール破りの「天保(甲州)騒動」

そんな中、ついにもはや世紀末状態であると思われる事件が、甲州で発生します。

天保7年(1836年)、【天保の大飢饉】の影響を受け、甲州は大変な状態でした。

至るところに餓死者、流行病に罹った患者、行き倒れ、捨て子が溢れ、まさに地獄のような光景。

そんな甲州の郡内で一揆が発生するのですが、この一揆はそれまでのルールを破るものでした。

どういうことか?

まずは、それまでの一揆のルールを見てみましょう。

・武器携帯の禁止

・百姓らしい、蓑や笠といった衣装を着用すること

・放火や盗みといった違法行為や暴力は行使しない

一揆というよりデモというイメージではないでしょうか。

太平の世である江戸時代の一揆は、戦国時代と異なり、あくまで為政者の慈悲にお願いすることでした。

それが甲州騒動ではまるで違うものとなります。

これまでの一揆とは異なり、甲州騒動は以下の通り過激化します。

・長脇差等の武器を携帯

・百姓らしい衣装ではなく、赤い衣服やカラフルな服を着た「異形」と呼ばれる姿

・放火や盗みといった違法行為・暴力を行い、代官を襲撃、殺害に至る

現代で例えるならば、こんな感じでしょうか。

プラカードを持って、普段着でデモ行進していた一団。

それが、突如、釘バットやショットガンを装備し、モヒカンやレザーマスクを身につけた『北斗の拳』状態に変貌。

「ヒャッハー!」

「フハハハーッ!」

突如、叫びだし、市役所に乱入した……と、そんなことになったら市民生活は脅かされ、恐ろしいことになると思います。

彼らはもはや善良な「一揆勢」ではなく、「悪党」と呼ばれ恐れられました。そして……。

 


全国で次々に起こる蜂起と事件

「悪党」と化し、力で政治を変えること――。

そんな手段があることに、江戸時代を生きる人々は気づいてしまったのです。

「天保騒動」の前後には、暴力による解決を目指した事件が他にも起こっています。

文政4年(1821年)には、南部藩士・下斗米秀之進らが相馬大作事件を起こしました。

これは参勤交代を終えて江戸から帰国の途についていた津軽藩主・津軽寧親を殺害しようとしたものです。

さらには天保8年(1837年)、小学校の教科書でも習う、大塩平八郎の乱が起きております。

大阪町奉行所の元与力・大塩平八郎とその門人が蜂起したものですね。

大塩平八郎/wikipediaより引用

更には天保11年(1840年)の「天保義民事件」。幕府の三方領地替に反対した庄内藩農民が一揆を起こしました。

大きな特徴としては、いずれの乱も、超法規的な解決を目指した事件であり、それまでは考えられないものだったのです。

幕府というシステムに穴があき、そこから何かが漏れ出している――。

当時の人々は徐々に実感するようになりました。

 

関東のお兄さんは、なぜ殺人剣を使えた?

幕末に活躍した人々の出身地といえば、だいたいが藩ごとに偏っています。

薩摩、長州、土佐、佐賀、会津、京都……幕末の政局において、活動していた藩出身者というわけです。

そんな中で例外なのが関東です。

近藤勇、土方歳三、沖田総司ら新選組幹部。

土方歳三/wikipediaより引用

そして「赤報隊」隊長として散った相楽総三。

新選組の幹部たちは、天然理心流を習得していました。

この天然理心流というのが実に恐ろしい殺人剣。

幕末における実践剣で、西の横綱が薩摩の示現流および薬丸自顕流ならば、

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東の横綱が天然理心流です。

スポーツとして洗練された他の流派とは異なり、両派は確実に人を殺傷するものでした。

しかし、よく考えてみると不思議ではありませんか。

彼らは、農民出身のお兄ちゃんたちです。

そんな彼らが、なぜ現在で言うならば特殊部隊戦闘員レベルの殺人剣をマスターして、やたら強かったのでしょうか。

多摩市のコンビニ前にうろつくお兄ちゃんたちが、SWATレベルの戦闘力を持っていたらおかしいですよね。

それには理由があったのです。

 

リアル『北斗の拳』状態だった関東多摩地方

天然理心流は、寛政年間(1789年〜1801年)頃に創設した流派で、日野・八王子地域の千人同心を中心に広まりました。

八王子千人同心の任務は治安維持です。

凶悪な犯人を捕縛する人たちの間に広まったのですから、実践的な捕縛・殺人術であるのはごく自然なことといえます。

ところが、天保年間になると「悪党」が関東地方までやって来て、治安が急激に悪化。

リアル『北斗の拳』状態に陥っていくのです。

そもそもが江戸時代関東の治安システムは厳しいものでした。江戸近郊は大名がおらず、幕領・旗本領・寺社領がモザイク状に展開しております。旗本は江戸屋敷におり、直接統治しておりません。

では、犯罪者が出たらどうすればよいのか?

住民が自力で犯罪者を捕縛、監禁、幕府方の役人が来たら引き渡し、奉行所へ送るシステムです。治安悪化のためか、文化2年(1805年)にはこの役回りに特化した「関東取締出役」、通称「関八州廻り」が新設されております。

要するに、第一段階の逮捕は自力でどうにかせねばならない。実に大変な状態です。

こうなったら、自分たちを鍛錬するしかない。豪農たちはまだ十代の跡取りたちを天然理心流に入門させます。現代人からすれば、異世界もの級の厳しい世界観です。

そんな中に、地域のリーダーであった佐藤彦五郎がいました。

佐藤彦五郎/wikipediaより引用

嘉永2年(1849年)、「染っ火事」と呼ばれた火災の最中に、賊に祖母を斬殺された佐藤は、強さが必要だと痛感。

天然理心流道場の門を叩くだけでなく、自宅を改造してまで、天然理心流の道場を作るのです。

この道場で稽古をしていたのが、近藤勇、佐藤の義弟・土方歳三沖田総司らでした。

幕末関東というリアル『北斗の拳』を生き延びるため、殺人剣で鍛えまくってきた新選組の幹部たち。

平和な時代の武士など、彼らからみたらプロ野球と中学野球ぐらいの違いがあったかもしれません。

幕末期になると、多摩の農民は剣術だけではなく、ゲベール銃による「農兵銃隊」まで組織するほどです。

関東はどんだけ地獄だったんだ……。

しかし、本当の地獄はまだまだこれからでした。

 

「天狗党の乱」

関東の強い豪農出身者といえば、相楽総三がおります。

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西郷隆盛に見いだされるフリーランス草莽の志士時代、彼は関東で決起した乱に何度も参加しています。

政局に大きな影響を与えたわけではないため、あまり重要視されませんが、現地住民にとっては迷惑を通り越して地獄そのものであったことでしょう。

そして、その地獄の極みが【天狗党の乱】でした。

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水戸藩の内部抗争から始まった乱は、周辺の村に襲いかかり、強奪、放火を繰り返しました。

この乱の何が恐ろしいかというと、治安が悪化していた関東の人々のタガを外してしまったことです。

「ヒャッホーッ!」

「ホホホーッ!」

「フヒャハハハハーッ!」

もはや思想は関係ねえ、奪ったもんが勝つんだぜ! とばかりに、本来無関係であった百姓も合流参加。

「俺たちぁ尊皇攘夷を唱えているんだーッ、ありがたく金を出しやがれーッ!」

そんなふうに強奪を開始しました。

おそろしいことに、天狗党も反天狗党も、鎮圧にやってきた幕府軍まで、強奪を繰り返すのです。これを地獄と言わずして何と言うのでしょう。

むろん、やられる側も無力ではありません。

いったん天狗党が劣勢になると、住民たちは猛烈に牙を剥き、逆襲に転じます。彼らは天狗党を追い詰め攻撃し、切腹にまで追いやった例もあります。

天狗党の乱で、幕府崩壊よりも先に、関東の治安が崩壊しました。

もはや権力に頼ることはできず、この地方に暮らす人々は、武器をとって自衛するほかなくなっていたのです。

まさに戦国時代に逆戻りですね。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争の際には、関東各地で世直しが発生。

武装した世直し勢たちは、東に進む新政府軍によって蹴散らされ、関東はようやく鎮まります。

あとに残されたのは、悪夢のような争乱の記憶でした。

 

明治維新は政権交代であり革命にあらず!?

明治維新は、政権交代であり、フランス革命のような農民主体の革命とは異なると言われております。

それは確かにそうですが、では、民の不満がまったく影響を与えなかったのか? というと、100%そうとは言い切れないでしょう。

幕末期、関東地方の豪農出身者が、歴史において名を残しました。

幕府について戦った新選組は、一般的な武士をはるかに凌ぐ戦闘力を持って活躍した戦闘員として活躍します。

相楽総三は、薩摩藩の密命を受け、江戸においてテロを行い、戊辰戦争のキッカケを作りました。

彼らが歴史に名を残した背景には、18世紀後半以来の争乱状態が影響を与えていたのです。

江戸の庶民は、確かに長州と薩摩中心の新政府軍を嫌ってはおりました。

しかし当の幕府も盤石ではなく、自壊を始めていた。

そんな最中に育った天然理心流が最強と称されても何ら不思議のないことでしょう。

そして、そんな新選組の流れが現代の警察制度にも残っているとすればどうでしょう?

流派は不祥とされるものの、天然理心流道場に出入りしていた剣客として、新選組でも屈指の腕前とされた斎藤一がおります。

明治維新のあと、斎藤は藤田五郎と改名し、警視庁に奉職。新選組時代に鍛えた凶悪犯逮捕の腕前を、東京治安のためにも発揮します。

『警視庁草紙』や『るろうに剣心』といったフィクションに登場するためか、藤田五郎巡査は明治時代で最も有名な警察官といえます。

新選組は時代の敗者、徒花であるどころか、日本の治安を考える上で重要な存在ともいえる。これぞ歴史の面白さではないでしょうか。


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【参考文献】
須田努『幕末の世直し万人の戦争状態 (歴史文化ライブラリー)』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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