島津斉興/Wikipediaより引用

幕末・維新

島津斉興(斉彬と久光の父)が藩財政を立て直し 躍進の礎を築く! 69年の生涯

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経済感覚に優れると同時に冷酷な判断も

そんなとき斉興に心強い味方が現れます。

「殿、こん調所笑左衛門がおいもす。共に、こん借財を何とかしていっもそか。殿のためなら、おや鬼にんもんで」

調所広郷――。
彼は、経済感覚に優れると同時に冷酷な判断もいとわない、デキる男でした。

借金帳消しのためならば、鬼と呼ばれてもいとわない本物の忠臣。西郷どんでは、竜雷太さんが演じられておりましたね。

西郷隆盛(西郷吉之助)とは立場が異なるため、なにやら悪い印象で描かれておりましたが現実はさにあらず。

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斉興と調所は、二人三脚による藩政改革を進め、ついに借金は何とかなりました。※詳細は上記の調所広郷記事をご参照ください

しかし、やっと一息つけると思ったら、今度は別の試練に襲われます。

【欧米列強による外圧】です。

 

水戸藩でも外国の脅威を感じていたが

1840年代ともなると、薩摩藩領であった琉球、しまいには鹿児島藩にまで、しばしば外国船が訪れるようになりました。

この時期から外国の脅威を感じていたのは、南に位置する薩摩藩と、海岸線が長いため、その機会が多かった水戸藩です。

幕末で、水戸と薩摩がやたらと目立つのは、早くから外敵にさらされ、改革が進んだためなのですね。

しかし、両者は全く異なる道を歩むから、歴史の不思議がここにあります。

水戸藩では、尊皇攘夷思想が発達。外国をトコトン嫌い、排除する思想が藩政にまでおよびました。

その大本になったのが藤田東湖であり、徳川斉昭です。

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一方薩摩では、斉興と調所が、西洋の技術や学問を取り入れる、富国強兵路線に舵を切ります。

ただし、ここで斉興と嫡子・島津斉彬の政策路線において対立が生じます。

斉興「確かに西洋の技術を学ばなければいけないけれども、財政を悪化させないためにもセーブが必要。セーブしないと、祖父・重豪の代のような借金地獄の再来になる」

斉彬「父上の改革は中途半端で時代遅れ。財政のことなんか気にしていたら駄目だ。金に糸目はつけずに、恐れずにガンガンやるべき」

父子の違いは、たとえばガラス製品の扱いにもあらわれています。

父・斉興はあくまで実用本位。薬品を入れる瓶を作ればいいと考えていたのに対して、子・斉彬は、華美なガラス製品を特産品にしようと考えました。

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質実剛健できまじめな父と、遊び心とアイデアにあふれた子という差ですね。

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