徳川忠長/wikipediaより引用

江戸時代

徳川忠長(三代将軍家光の弟)ワケあって自刃す――ただしそのワケは闇の中

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現在だとしっくりこないかもしれませんが、昔は兄弟の序列がそれこそ命取りの問題になることもありました。

一番の理由は
「さっさと長男を跡継ぎにしておかないと、あれこれケチをつけて次男以下を担ぎ出してくるヤツがいるから」
という極めて現実的なものです。

生まれた順番がひっくり返されるのは、よほど長男の性質がヤバいか、病弱か、あるいは側室生まれだった場合。

わかりやすいのはやっぱり織田信長周辺ですかね。

信長と弟・織田信行の争いは、周りの人が「信長様はマズい」と考えて信行を担ぎ出したのが原因です。
そして信長が勝って無事家督を継いだのですが、実は信長の上にもう一人、織田信広というお兄さんがいました。

信広は側室生まれだったので最初から後継者争いの中には入れず、一度は反乱も起こしたんですがあっさり鎮圧され、弟・信長の臣下になっています。

しかし、信長&信広ブラザーズのように穏便に収束するケースは少なく……。

前置きが長くなりましたが、本日の主役は「穏便で済まなかった」ケースの中でも、自らドツボにはまってしまった人です。

 

幕府からの命令で将軍の弟が自刃

寛永十年(1633年)12月6日、江戸幕府三代将軍・徳川家光の弟である徳川忠長が自刃しました。
28才という、死ぬにはまだまだ早い年齢でのことです。

ですが、ここに至るまでの経緯を見てみると納得できるようなできないような事情があります。

自刃の直接の原因は、
「お前の行動はけしからんから、武士の面目を保って自害せよ」
という幕府からの命令によるものとされています。

しかもこれが『家臣を手打ちにした』など、「いつものテンプレか~い!」とツッコまざるをえない内容でした。

以前ご紹介した松平忠直のようにフォローを入れたいところなのですが、この人に関しては弁護の余地がありません。

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なぜかというと、その前から忠長には「お前それやっちゃまずいだろ」的な行動が多すぎるのです。

 

ドラマなどでは女の争いということになってるが…

忠長や幼名の国松という呼び方を覚えている方にはピンときたかもしれませんね。
事の発端は、家光と忠長二人が元服する前の話にまでさかのぼります。

当時、二代将軍・秀忠とその正室・江は跡取りに悩んでいました。
というのも、家光は幼少時から病弱な上、吃音(きつおん・言葉がすんなり話せず、どもりがちなこと)がしょっちゅうあり、天下を統べる将軍としてふさわしくないのでは?と思われていたからです。

それに比べ、忠長は健康で見目の良い子供だったため、「病弱な子に将軍をやらせるのもかわいそうだし、廃嫡して次男に将軍職を継がせたほうがいいんじゃないか」と考えたのでした。

巷では「春日局が家康に『後継者を家光にするべき』と直訴して家光になった」と言われていますが、果たして彼女にそこまでの権限があったかどうか。

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そもそも家康のいた駿府まで、乳母である春日局が家光をほったらかして単独で行けるとは思えません。
当時の乳母はただ単に母親代わりではなく、教育係も兼ねていましたから余計そうです。

ドラマなどでは、江と春日局という『女の争い』に設定して「春日局が勝った!」という展開になりがちですが、そちらのほうが話が盛り上がって都合よいだけでしょう。

結局、家康が長幼の序列を重んじたことにより、世継ぎは家光になったのでしょう。

 

江戸城で鴨狩りはさすがにマズいです!

しかし、その頃には、ある意味手遅れになっていました。

忠長は世継ぎと決まった兄を敬うどころか、家光の住まいである江戸城西の丸で鴨狩りをやってしまうのです。
しかも黙っていればいいものを、その鴨を秀忠の食事に出させた上「西の丸で私が撃ち取ったんです!鮮度バツグンです!」と自ら白状してしまいました。

これには忠長びいきの秀忠も激怒。

「お前、世継ぎが住んでるトコの真横で鉄砲撃ったとかアホなのかあああああああ!!!」

ブチキレて、完食することなく出て行ってしまったとか。
その後スタッフがおいしくいただいたかどうかは定かではありません。鴨カワイソス。

 

改易から逼塞で親の死に目にも会えず

それでも家光の将軍宣下時に、忠長は【権中納言】という決して低くはない位につきました。
翌年には駿河を中心とした55万石の大大名にもなり、将軍家の一門としては遜色ない身分です。

ちなみに他の家族とはどうだったかというと、江戸の出来過ぎ君こと異母弟の保科正之とはうまくやっていたみたいですね。

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が、忠長は正之に家康の遺品を勝手にあげちゃったり、「お前が弟なのはもうわかってるんだから、松平姓もらってやろうか」など、余計な世話を焼いてしまっています。

何がマズくて正之が別姓を名乗ってるのか――。
その理由もよくわかってなかったんですかねえ。

さらには鴨事件で秀忠に愛想を尽かされてしまったためか、上記の手打ち事件など何かポカをやるたびにあっちこっちへとりなしを頼んでも、完璧なまでにシカトされてしまいます。

そしてせっかくの領地も没収(改易)され罪人扱いになり逼塞(ひっそく・昼間の出入り禁止つきの謹慎)を命じられる始末。
秀忠が亡くなるときでさえ、江戸に入ることを許されませんでした。

当然、死に目にもあっていません。

秀忠を供養するお寺を建てているので、恨んではいなかったのでしょう。
赦免されたいがためのポーズという見方もできますが、そこまでひねくれた人ではない気がします。

 

もはや処分するしか手はない

とにかく、これで困ったのは家光です。

駿河で大人しく大名をやってくれればまだ付き合いようもあったものを、一旦罪人になったからには処分するほか方法がありません。
いつまでもそのままにしていると、忠長が「殺されないってことは、にーちゃんいつか許してくれるかも!?」なんて期待を抱いてしまうかもしれませんし、周りがこっそり逃がして担ぎ上げ、騒動を起こす可能性もゼロではないからです。

実は、忠長が自刃した本当の理由は未だはっきりしていません。

家光が極秘に命令を下したのかもしれませんし、気を利かせた?重臣が「自刃に見せかけて殺ってこい」というように刺客を放った可能性もあるでしょう。
または、誰かが忠長に「上様がアナタをすぐ殺さないのは、ゆっくりいたぶり殺すための手を考えているからだそうですよ……」なんて吹き込んだのかもしれません。

こればっかりはタイムマシンができて現場に乗り込まない限りわかりませんが。
大坂の陣で戦功のあった松平忠直ですら、ほとんどでっちあげに近い方法で処分している江戸幕府ですので…さてさて、真相やいかに。

元はといえば、見た目で世継ぎを決めようとしかけた秀忠夫妻が一番悪いんですよね。
そう考えてみると、忠長自刃の遠因は将軍夫妻の教育失敗ということになります。

なお、 表向きの理由は、

駿府の西丸子山に駿府浅間神社の神獣だとされる野猿が住み、村々に出没して田畑を荒らしたが神の祟りを恐れて誰もが捕獲しないでいた。

忠長は住民が困惑するのを見てこの猿狩をした。

ところがその帰途乗輿の中から舁夫を突きさして殺し、神獣の祟りで発狂したなどといわれた。(国史大辞典

だそうです。これもすごいな。

長月 七紀・記

【参考】
松平忠長/wikipedia

 



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