こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【源高明と安和の変】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
源連の謀反疑惑に連座させられ
安和二年(969年)3月25日のことです。
左馬助・源満仲らが、左兵衛大尉・源連(みなものとつらぬ)の謀反を密告します。
調査のため前相模介・藤原千晴(藤原秀郷の子)らが尋問されると、このとき源高明も謀反に関与していたという疑惑が発覚。
翌日に高明は、太宰府へ左遷されてしまう――そんな怪しさ満点の展開を迎えます。
しかも、高明が抜けた穴を埋める形で、藤原師尹や藤原在衡が要職を押さえたのでした。
藤原千晴は隠岐へ流罪となり、源連には追討令が出され、源満仲は密告の褒美として昇進を果たしています。
密告事件により、これだけ大幅な人事が行われたのに、密告の内容が詳しく記録されていないことからして妙な話。
おそらく高明を中央から、千晴を地元の武蔵から引き離すための陰謀であり、事件自体があやふやなことから記録に残されなかったのでしょう。
後年の災害や火災によって史料が失われた可能性もなくはないですが、あまりにもピンポイント過ぎますしね。
太宰府へ流された源高明は、出家して赦免を願いました。
しかし天禄三年(972年)にお呼びがかかるまで筑紫にとどまり、帰京後も政治復帰は叶わず、天元5年(982年)12月16日にこの世を去っています。
後年になると「高明に責任はなかったのではないか」という見方も出てきて、「悲劇の主人公」とも受け止められるようになりました。
『源氏物語』の序盤に、主人公・光源氏が自ら京を去り須磨へ行く場面がありますが、その様子は高明をモデルにしたのではないか、という説もあるほどです。
光源氏の場合は、兄帝の尚侍である朧月夜と関係していたためですので、高明そのままではありませんが。
ドラマ以前の時代から陰謀まみれだった
血筋的に恵まれた親王の外戚・源高明。
それだけではなく多芸多才となると、いつどんなキッカケで天皇や皇太子に気に入られ、出世するともわかりません。
藤原北家からすると、高明は本当に巨大な政敵だったのでしょう。
源明子は康保二年(975年)生まれですので、高明の帰京後に生まれた娘です。
彼女は叔父・盛明親王の養女になっていましたが、叔父の死後は道長の姉・藤原詮子の庇護を受け、その線から道長の妻になり……という流れをたどりました。
高明を追い込んだのは兼家だけではなくても、眼の前にいる仇の一味として、ドラマの中の源明子も復讐心をたぎらせているのでしょう。
しかし道長の正妻である源倫子は宇多源氏の血を引いてますから、もしも高明が失脚せず勢力を保っていたとしたら、倫子と明子はもっとバチバチに牽制し合う状態になったかもしれません。
まぁ詮子としては、倫子だろうと明子だろうと「高貴な血筋の姫が弟の妻になり、男子に恵まれれば万々歳」という気持ちもあったでしょうけどね。
誰が白とも黒とも言い切れない、なんともモヤッとした気持ちになる安和の変。
『光る君へ』における藤原兼家の暗躍が始まる前から、こうした黒い事件は起きていたのでした。
あわせて読みたい関連記事
源明子は道長の子を6人も産んでいた~高貴な血を引く子供たちは順調に出世できた?
続きを見る
源俊賢(明子の兄)と道長は実際どんな関係だった?四納言に数えられる実力者の生涯
続きを見る
藤原兼家の権力に妄執した生涯62年を史実から振り返る『光る君へ』段田安則
続きを見る
藤原道長は出世の見込み薄い五男だった なのになぜ最強の権力者になれたのか
続きを見る
モヤッとする位階と官位の仕組み 正一位とか従四位ってどんな意味?
続きを見る
藤原詮子(一条天皇の母で道長の姉)政治力抜群だった「国母」の生涯を振り返る
続きを見る
◆配役はこちら→光る君へキャスト
◆視聴率はこちらから→光る君へ全視聴率
◆ドラマレビューはこちらから→光る君へ感想
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
ほか