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【清原元輔】
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漢籍をひけらかす女は不幸になるんじゃなかったの?
清少納言は、漢籍教養を軽やかに発揮したことで知られています。
『枕草子』にある定子とのこのやりとりは有名です。
ある雪の朝、定子がこう言います。
「香炉峰の雪はどう見るのかな?」
すると清少納言はすかさず簾を掲げました。
白居易の詩をふまえたウイットに富んだやりとりに、周囲は朗らかに笑った。

清少納言/wikipediaより引用
一方、紫式部は納得できない。
周囲から「女が漢字を読むと不幸になるよ」と散々言われてきたのです。隠し通さないとろくなことにならないぞ……そんな鬱屈を感じさせます。
たとえばこんな暗い話を『源氏物語』に書かずにはいられない。
「雨夜の品定め」です。
「式部丞の話」
俺がまだ学生の頃の話っすね。教授の娘とつきあっていたですけど。すげー頭良くて。付き合っている時でも漢文のお話ばっかり。手紙だってひらがなゼロで漢文っすからね。
ま、おかげで俺の漢文スキルもアップしたんですけどね。
でもわっかんねーかな。そういう女ってウザいっていうかさ。
で、あるとき立ち寄ったら、なんか直接会えないんですよ。なんか俺の浮気にイラついてんのかな、じゃあ別れるにはいいかなと。
すると彼女が早口で、風邪のせいでニンニクを服用したっていうんですね。なので口が臭いから会えないって。それを漢文で言うんですよ。そしたらくせーのなんのって。
マジすか。そう思っていたらニオイがなくなったら会いにきてくださいって言うんです。だもんで、マナーとして和歌を返そうとしたら、なんか畳み掛けるように返してくるし。
できすぎる女っていうのもどうしたもんかなー、って思うワケ。
これを聞いた他の貴公子たちは「ありえねーよ!」とツッコんだのでした。
これには含意があります。
当時のニンニクは「蒜」(ひる)と言います。毎晩会っているなら、ヒルだろうと恥ずかしいわけもない。
ヒルのニオイくらいで会えないなら、あなたの心が変わっているんでしょう?
そう遠回しに非難しているとも解釈できます。
ニンニクは、中国料理に欠かせない香辛料ですが、和食ではあまり使いません。
その一因として、禁葷食のタブーも考えられます。
禅宗の寺院には「不許葷酒入山門」(葷酒の山門に入るを許さず)と刻んだ石碑が置かれていることがあります。
酒および硫化アリルを含む野菜であるニンニクなど、五葷(ごうん)と呼ばれる野菜は、修行の妨げになるため寺に入れないという意味です。
仏教による食のタブーが厳しくなっていくと、こうした野菜は寺の外でも避けられるようになっていきます。
そのため、肉食ともども和食ではあまり取り入れられなくなったのでしょう。
こうしたことを踏まえていくと、ニンニク女はどれだけ空気を読めないか。ありえねーと笑い物となる存在であるか。
偉そうに漢文を読む上に、ニンニクに重ねて心変わりをネチネチと責めてくる。
でも今時ニンニクを食べている時点でおかしいって気付けないのかな?
そう、これでもかと言わんばかりに、漢籍女をコケにするようなおそろしいくだりです。
しかも、繰り返しますが、これを書いているのはリアル漢籍女である紫式部です。あまりに自虐的ではありませんか。
紫式部は、リア充清少納言が許せない
藤原道長のスカウトにより彰子サロンに出仕したあと、紫式部は鬱状態になりました。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用
なまじ『源氏物語』を読んだ一条天皇が「この作者は教養があるなあ」と感心したばかりに、
「日本紀の御局」=“教養マウンティング女”
というありがたくないニックネームで呼ばれてしまう始末。
「もう無理……“一”という文字すら読めないフリをするんだ……」
そう追い詰められた紫式部にとって、漢籍教養をひけらかしつつ、リア充ぶっている清少納言へ嫉妬が沸いてもおかしくはないのでしょう。
清少納言の仕えた定子と、紫式部の仕えた彰子では、性格的にも異なりました。
定子サロンの軽やかな受け答えがないと、当時を知るものは愚痴をこぼします。
「あーあ、清少納言は軽やかな受け返しができたのになあ」
そうぼやかれ、紫式部がどれほど苛立ったことか。
父から「お前が男なら」と嘆かれた。
周囲からの「漢文女、まじウゼエ」とうっすらと思われるチクチク状態を察知してしまう紫式部。
その暗い気持ちは想像するとなかなか辛いものがあります。
「漢文でリア充気取りする清少納言って、本当にムカつくわ!」と炸裂してもおかしくはない状態です。
★
『光る君へ』では、フィクションならではのおもしろいアプローチをしていました。
定子に仕え始めたころ、清少納言の父である清原元輔は没していました。そんな父を出すために、第6回ではドラマオリジナルイベントである「漢詩の会」を開催したのです。
そこで清原元輔も出すことで、紫式部と清少納言の家庭環境の違いが見られました。
陽キャな父と娘は、のびのびと教養を披露できる。
一方で、藤原為時とまひろは、初回からずっと暗く、噛み合わない父娘関係を見せていました。
それでもまひろは、その後、娘の大弐三位も間に入って為時との親子仲が落ち着き、清少納言とも戦友かの如く打ち解け、宮中での思い出を語るまでの間柄に。
「そんな展開もあるんだな」とフィクションだからこその楽しさを私達は見ることができました。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
繁田信一『紫式部の父親たち』(→amazon)
井上幸治『平安貴族の仕事と昇進』(→amazon)
橋本義彦『平安貴族』(→amazon)
他