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【笛吹峠の戦い】
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上杉憲顕・宗良親王・諏訪氏とは
先へ進む前に、上杉憲顕・宗良親王・諏訪氏とは一体どんな人物だったのか、軽く確認しておきましょう。
◆上杉憲顕
もともと足利方でしたが、直義についていたため、この頃は尊氏と敵対。
『逃げ上手の若君』ではマッドサイエンティストとして描かれているので、同作を読んだことがある方なら強く印象に残っているのではないでしょうか。
ちなみに彼の子孫がこの後に鎌倉で関東管領を世襲しており、歴史的にも目立つ一族でもあります。
◆宗良親王
父・後醍醐天皇の意向で東国や北陸に渡り、父の死後は異母弟の後村上天皇によって征夷大将軍に任じられていた人です。
各地の南朝方の勢力を強めるために動いていたのですが失敗。
流れ流れて信濃に落ち着き、新田氏などに擁されて鎌倉まで来たとされています。
異母兄弟である護良親王が非業の死を遂げたことを考えると、宗良親王は運がいいといえるでしょう。まぁ、護良親王が際立って不運ともいえますが。

宗良親王/wikipediaより引用
◆諏訪氏
文字通り、信濃の諏訪大社の神職を務めてきた家です。
鎌倉幕府の滅亡直後は北条時行を匿い、【中先代の乱】で主力となった一族でもあります。
乱の敗北時に中核だった諏訪頼重らが自刃し、その後しばらく鳴りを潜めていたのは、家督を譲られた諏訪頼継がまだ幼かったからという理由もあるでしょう。
頼継の生年はわかっていないのですが、笛吹峠の戦い時点では20代半ばになっていたと考えられています。
尊氏の暗殺は誰がやっても失敗する法則
しかし、こうして戦場に味方がやってくるということは、敵軍にも体勢を整える時間があるということ。
義興よりも先にやってきたのが……そう、足利尊氏でした。
すかさず新田軍と足利軍の間で激しい戦闘が始まります。
ノッているときは抜群の統率力を見せ、ダメなときは徹底してダメな尊氏さん、さてこの戦いでは?
……「ノッてる」ときでした!
足利軍の士気は高く、新田・上杉軍を圧倒。
すると、このままでは敗北か……という形勢の中で、新田方に一計を案じる者が現れます。
上杉憲顕の兵のうち、二人が足利方の兵に化け、足利尊氏の首を直接取ろうとしたのです。

広島県尾道市の浄土寺に伝わる足利尊氏肖像画/wikipediaより引用
彼らは首尾よく足利方の陣へ忍び込むことはできました。
が、暗殺は失敗。
刺客二人の顔を見知っている者が足利方にいて、バレてしまったのだとか。
おそらく刺客たちは怪しまれないように顔を隠していなかったのでしょう。
しかし、この話の何が怖いか? って「互いの顔がわかるような者同士で殺し合わなければならない」という、シビアな現実ではありませんか? ああ無情の中世よ……。
なお、彼らの主人である上杉憲顕が関与していたかどうかは不明です。
しかし、日が暮れて彼我の陣地に灯る火の数から戦力差を思い知り、上杉軍は先に撤退してしまったといいます。
笛吹峠 月明かりの下で笛を奏でる
義宗軍もこのままでは分が悪いと考え、義興と合流できないまま越後へ退きました。
ちなみに冒頭で述べた「笛吹峠」は、宗良親王がこの戦いの最中のとある夜、月明かりの下で笛を吹いたことからきているのだそうです。
「月夜に笛を奏でる貴公子」とは、絵物語のような情景ですね。
実際には敗色濃厚で「もののあはれ」を感じている場合じゃない――要は、それを忘れるほど見事な月夜だったのでしょう。
現実には、近年の工事によって大量の人骨が見つかるほどの激戦が繰り広げられていたようで、鎌倉の海岸などでも同様の話がありますけれど、何度聞いてもゾワッとしますね。
「味方が周りでバタバタ死んでる中で笛を吹く親王殿下」と書くと、それはそれで別の意味で寒気がします。

笛吹峠にある石碑
★
結局、この後も高麗原(埼玉県日高市)・入間河原(埼玉県狭山市)、鎌倉などで足利vs新田間の戦闘が勃発。
最終的には足利方が勝利し、関東の大勢が傾いていきます。
さらにもう少し時代が下ると、この鎌倉公方を巡って関東もグダグダして、戦国時代へ突入してしまうんですよね。
身内争いは河内源氏のお家芸みたいなものですけれども、足利氏って「ちょっと落ち着くと身内で殺し合いを始める」のが特に顕著ではありませんか。
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長月 七紀・記
【参考】
亀田俊和『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)』 (→amazon)
鈴木由美『中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢 (中公新書)』(→amazon)