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甲斐の虎が牙を研いで待っていた三方ヶ原のアギト!日本史ブギウギ160話

仮面ライダーシリーズで知られるようになった「アギト」という言葉。

実は「顎門」と書いて「あぎと」と読み、「あご」とか「魚のえら」を意味しており、芥川龍之介の小説『地獄変』で用いられたことで知られる(デジタル大辞泉)。

元亀3年(1573年)12月22日、三方ヶ原に向かった徳川家康はまさに「虎の顎門」へ迷い込んだ気分であったろう。

そこにいたのは戦国最強と謳われた武田信玄

甲斐の虎は、若き狸を呑み込もうと手ぐすね引いて待ち構え、歴史に名高い【三方ヶ原の戦い】が始まろうとしていた――。

というわけでマンガ「日本史ブギウギ」第160話スタート!

※三方ヶ原の戦いについては以下の2つの記事にて考察解説があります。

【入門編】と【詳細編】と分けて記しておりますので、よろしければ併せてご覧ください(記事末にもリンクを掲載しております)。

三方ヶ原の戦い
家康はなぜ信玄に戦いを挑んだ? 三方ヶ原の戦い 謎多き戦場を歩く

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武田軍快進撃

◆軍を3つに分けて織田徳川の領地への進軍を始めた武田軍。

・美濃(秋山虎繁)
・三河(山県昌景)
・遠江(武田信玄)

遠江方面で武田軍の前に立ちはだかったのが二俣城でした。

 


二俣城攻略法

◆二俣城では【井戸】を設置し、天竜川から水を引いておりました。

武田軍は筏をぶつけてこれを破壊。同城を陥落させたと言います。

その櫓が再現されたのが【清龍寺の井戸櫓】ですね(詳しくは以下の画像・記事をご参照ください)。

◆二俣城は堅城だったため陥落まで2ヶ月かかっており、別働隊の山県昌景も合流して落としたとか。

信玄の息子で跡取りだった武田勝頼も活躍してました。

武田勝頼
武田勝頼は最初から詰んでいた?不遇な状況で武田家を継いだ生涯37年

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謎のスルー

◆信玄がやってきたとき信長はどうしていたのか?

というと本願寺勢力や朝倉義景に囲まれ動けませんでした。

そこで佐久間信盛を援軍として派遣させたのですが、これがプレッシャーになったとも……。

佐久間信盛
織田家の重臣・佐久間信盛はなぜ信長に追放された?退き佐久間の最期

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