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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第21回蝦夷桜上野屁音】
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北尾重政、「山東京伝」として戯作者デビューをしていた
駿河屋の親父に階段落ちをさせられ怪我した蔦重を歌麿が手当てしています。
「どうしてそういうときにふざけちまうんだよ」
そう突っ込まれていますが、習い性みてえなもんだそうで、こればかりはどうにもなりません。
と、歌麿が立ち上がるときに、脚が裾からちらっと見えます。
今年の所作特殊性にして、インティマシーコーディネーターの出番はこういうところだと思えますぜ。
江戸時代、着流しで畳の上にいる男性は裾がはだけるんですよ。はだけた脚があらわになりすぎるとまずいので、そこの細かい調整はなかなか大変でないかと思うわけです。
するとそこへ、北尾重政がやってきました。背後には政演がいます。
どうやら不義理を詫びに来たようですが、政演の謝罪がひでえのなんの。
「へへへ、すいやせん! どうも一等になっちまって!」
「なんてぇ謝り方だよ!」
しかし、この政演、古川雄大さんがどれだけ美形だったかを忘れてしまうぐらい、いつもニコニコしてますよね。その上で残された山東京伝の絵を彷彿とさせるのだからすごい。

山東京伝/wikipediaより引用
蔦重は「どこで何を書こうがお前の勝手だ」と前置きして、肝心なことを付け足します。
「けど、戯作書けること黙ってるってなぁ、さすがに水くせえんじゃねえの?」
「いや、俺も書けるたぁ思ってなかったんですよ。けど鶴屋さんのいう通りやったら、何だかできちまって」
「“できちまって”って、なんだそりゃ」
「ここ足せ、ここにうがちを、ここ省けって、言われるとおりやったら、なんとなくコツがつかめるようになっちまってよぉ」
重政がこうまとめます。
「鶴屋の“指図”がうまいってことかい」
「指図?」
蔦重が何やら気にしています。
政演はニヤニヤヘラヘラと、絵師の仕事はこちらでやるとアピールを忘れず、それからささっと走り出して、花を求める蜂のように去ってゆくのでした。
「指図」ができるか、できないか?
重政があいつは随分吉原で遊ばしてもらっていると推察すると、蔦重はモテるから仕方中橋というのもあると返します。とんだ江戸前リア充ですね。
二人のやりとりをジッと聞いていた歌麿は思うところがあったようで、『雛形若菜』と『雛形若葉』を両方持ち出し、重政に見せてきます。
色の出が全然違う。
その差はどこにあるのか。
絵の具か、紙か、それとも摺り師か?
「一番はこれも“指図”の差かね。絵師と本屋が摺師にきちんと指図を出せるかどうかで、仕上がりはまったく変わっちまうんだ。これがまぁ、錦絵の西村屋って言われる所以(ゆえん)だね」
ここでハッとする蔦重。
「やっぱりすげえんですね、西村屋って」
歌麿も感じ入っていて、蔦重にしてみれば辛いですね。テメエのせいでかわいい歌の絵を売り損ねちまったんだもん。
そしてこの「指図」こそ、現状の蔦重の弱点でもありますし、実際そうだったのだろうと頷けます。

朋誠堂喜三二(平沢常富)/wikipediaより引用450
町人の出である北尾政演改め、戯作者の山東京伝が出てくることは一つの事件でした。
読書をこなす武士階級から、教養面でやや劣る町人にまで、戯作者の層が広まったことを示しているといえる。
背景には、キッチリと指図を出せる敏腕編集者・鶴屋がいた。その図式が見えてきます。
ちょっと先を踏まえますと、山東京伝は蔦重のもとで作品を出します。
ただ、路線変更に失敗したこともあります。軽いノリと時事ネタを織り込んだ作品が禁じられたこともあり、日本版アレンジ『水滸伝』を書かせたのです。
しかしどうにもこれが合わないのか、結果的に売れませんでした。
山東京伝に教えを乞い、蔦重の元にも出入りした曲亭馬琴の見解を踏まえると、この理由が見えてきます。

曲亭馬琴(滝沢馬琴)/国立国会図書館蔵
馬琴は自尊心の塊で、自分以外のものは全て無教養だと切り捨てるような傾向があるのでそれを差し引くにせよ、馬琴からすれば蔦重も京伝も教養不足になります。
そんなコンビで漢籍教養が求められるアレンジ『水滸伝』なんかできるわけがないだろう。そうなるわけです。
一方で曲亭馬琴こそ、日本版アレンジ『水滸伝』最高峰である『南総里見八犬伝』でヒットを飛ばします。
馬琴は本作における恋川春町よりもずっと癖が強く独自路線を貫く。そんな頑固な作風も、自身の膨大なインプットと武家由来の教養ありきだという自負があることでしょう。
てなわけで、蔦重の教養不足、「指図」をするときの失敗傾向は、のちのちまで響く伏線になっていると思いやすぜ。
彼が主役なのに、なんでもできると描かないところがこのドラマのよいところですね。
そしてもうひとつ、浮世絵の美しく繊細な色合いにもご注目ください。
『べらぼう』の意義として、印刷当初の色を再現することもあると思います。
この時代の作品となると、どうしても色が褪せてしまっている。当初の色を見せて、当時の人の配慮を考えることで、浮世絵の魅力が再発見できます。
近頃再発見された『ポッピンを吹く女』の着物なんて、本当に愛くるしくてお洒落で繊細なのです。
土山様の花見の会にて
なんでも「土山様の花見の会」に出るんだとか。
平秩東作は「花雲助」(はなのくもすけ)という男を連れてきています。どこかで見覚えがあるものの……思い出せない蔦重。
花見の会には、誰袖花魁も侍るようで、しずしずと座敷へと向かってゆく。客たちは呆気に取られながら美女を見ている。
土山は上客なのか、大文字屋が直々に挨拶しました。
「誰袖と申しんす。本日はみなさま、よろしうお頼みしんす。んふ」
かすかに首を傾けた美貌がまさに「傾国傾城」そのもの。桜の化身のようだと客はざわついている。
わかります。まるで月岡芳年の描いた小町桜の精が、画面の中に現れて動き出したかのように見えやすぜ。

月岡芳年『新形三十六怪撰 小町桜の情』/wikipediaより引用
浮世絵の美人画といっても、絵師によって色々とあります。
芳年の美人はどこか理屈っぽいとか、甘い毒を含んでいるようなくせがあります。そういう画風を思わせますなぁ。
ちなみに、小町桜の精とは、歌舞伎舞踊の『積恋雪関扉』(つもるこい ゆきの せきのと)に出てくるキャラクターです。
天明4年(1784年)に上演されたとされておりますので、当時の人に突き刺さる萌え要素が詰まっているわけですね。
土山が「花魁、会いたかったぞ」というと、大田南畝が「え!」と驚いています。
花魁は土山様の敵娼(あいかた)でした。吉原のしきたりは疑似夫婦。土山と誰袖はそういう関係であり、別の誰かに手を出したらルール違反となります。
土山は誰袖に、この前贈ったものについて尋ねます。
わすれんと かねて祈りし 紙入れの
などさささらに 人の恋しき
そう詠みあげつつ、紙入れを取り出す誰袖。
「けんど、紙入れの中がすっからかんで、寂しうありんす」
そう甘えてきます。
「ふっ、欲深なやつめ」
すると紙花を懐から出し、ささっと紙入れに詰める土山。
「さすが土山様!」と皆褒めておりますが、いいんですかい、こんなことで。長谷川平蔵の時とノリが全然違いやすが……。
しかも、このあと誰袖の目は、端正な顔をした一人の男・花雲助に留まります。
その正体は田沼意知ではないですか。
花びらのような紅唇から、真珠のような歯をのぞかせつつ、酔ったようなトロリとした目になる誰袖。
土山に「今日のお題」を聞かれてハッとします。そして「袖に寄する恋」と提案するのでした。
「せっかくですので、皆で。ぜひ、あの辺りのお方から」
さらにそう続け、花雲助の方を指すのでした。
しかし、南畝が厚かましい調子で名乗り出て詠みます。かすかに表情が曇り、どこか残念そうな誰袖。
たった今 わかれてきたの里ちかく
目にちらつける 朝顔の花
続けて、朱楽菅江も。
口外へ まだ出さねば 三寸の
我が舌にのみ 思うくるしさ
誰袖はこんな歌すら恋の焚き付けにしているようで、かすかに潤んだ目をじっと相手に向けています。
しかし、その相手は「蝦夷の桜にございます」と言いながら横に座った湊源左衛門に興味があるようで、そちらに耳を傾けている。
ふじも一首。
地にあらば 君が草履とならばやと
祈る心の たけの子かは
湊源左衛門はこう言います。
「蝦夷地を松前より召し上げてくださるのなら、どのような労も厭いませぬ。松前道廣は……あの男は、北辺にすくう鬼にございます!」
そう言い切る源左衛門。いったい鬼とは?
蝦夷地は”鬼“が治めていた
銃声が鳴り響き、直後に皿の割れる音――そんな不気味な雰囲気と共に場面が切り替わります。
夜桜の幹に女が縛り付けられ、頭上には三枚の皿。
それを的にして火縄銃を撃つという、地獄のような遊びが繰り広げられているようです。
なんでしょう。この、大河ドラマ枠で突然、往年の東映時代劇映画が始まってしまったような放送事故感は。
「暴虐!」
「無惨!」
「これが人の為すことなのか!」
毛筆でそう書かれたキャッチコピーが回転しながら迫ってくるんじゃないかと思いましたよ。
すると、えなりかずきさん扮する松前藩主・松前道廣が出てきます。
銃を構え、残酷な余興を楽しんでいたようで、なんなんでしょう。えなりさんが『衛府の七忍』作者である山口貴由若先生の作画で突如出てきたように思えてきました。

『衛府の七忍』1巻(→amazon)
「次!」
お供から新たな銃を受け取る道廣。すると家臣らしき男が訴えてきます。
「お許しくださいませ! どうか! どうか、私を妻の代わりに……粗相をしたのは私にございます!」
「何でもするゆえと許しを乞うたのはお前ではないか。その上まだ私に望むとは、欲深な夫婦(めおと)であることよ」
おどけた口調で意に介さない道廣。銃口を向けられた哀れな女は泣きじゃくるばかりです。
そして、その場には島津重豪と田沼意次、平然と食事を続ける一橋治済がおりました。暗い顔をしているのは意次だけで、彼だけがまっとうな人間に見えてきます。
女はついに力つき、首をがくり……。それを見ていた夫も、気を失って倒れてしまいました。
「ふん……仲のよい夫婦でもあることよ」
猫がネズミで遊ぶことに飽きたように、銃を手放す道廣。
すると島津重豪が声をかけます。
「しかし、見事な腕じゃのう、松前殿」
「いやいや、ハハハ!」
薩摩藩主と松前藩主がこのように語り合うところは大変重要な場面でしょう。
薩摩は奄美諸島はじめとする南西諸島。
松前は蝦夷地。
その地で換金できる品を求め、現地住民を搾取してきた南北両頭といえる。
民の苦労を切り捨てねばできない所業をしてきた藩主がこうも笑い合う場面は、実に象徴的でおそろしいのです。
なお、こうした搾取への怒りは前述した『衛府の七忍』を貫くテーマでもあります。
さらに一橋治済はこうきます。
「さすが、遅れてきた“もののふ”と言われるだけのことはある」
今さら、治済の悪行を持ち出す必要もないでしょう。このやりとりを冷めた目線で見ている意次が真人間に思えます。
彼の関心は「蝦夷錦」にも注がれています。蝦夷錦とは、蝦夷を経由して日本に到達した満洲族の衣装ですね。

蝦夷錦/wikipediaより引用
すると治済が、そんな意次に向かって「なんだか、ノリ悪くね?w」とでも言いたげにこうきました。
「田沼! 次はそなたもやってみるか?」
「それがしは武芸の嗜みも浅うございますので、ご勘弁を。的を殺めてしまうやも」
「ご心配なさらずとも、的は当家からいくらでもお出ししますゆえ」
横からそう割り込む道廣。大きな笑い声が響くのが恐ろしくてたまりませんね。
さて、この胸焼けしそうな場面ですが、私はついに大河もここまできたのかと感服いたしました。
いや、東映時代劇や山口若先生ぽいということではありませぬ。
えなりかずきさん演じる道廣のことを「サイコパス」と片付けてしまえば、先天性か、後天性か、ともあれ例外的な一個人の残忍さに落ち着くことになりましょう。
しかし、そうではありません。
他の連中も笑っているではありませんか。これぞ集団心理で、権力の恐ろしさでしょう。
彼らだって、自宅に帰れば、猫や幼い我が子に頬擦りして「よちよちよち♪」としているかもしれません。
個々人の人間性の話ではなく、問題は権力の構造なのです。
これは最初から出てきた吉原にせよそうでして、忘八たちは愛嬌や親切心もあるし、猫を愛でています。
それでも吉原そのものが持つ搾取構造はどうしたってあります。
その善悪をどうとらえるか、この作品は突きつけてくる。
さらに枠を大きくして、当時の日本社会が持つ搾取構造そのもの、その頂に立つ外様大名たちをここで見せてきました。
歴史というものの構造を、ここまで突きつけてくる大河ドラマは実に画期的ではありませんか。
例えば『西郷どん』では、薩摩の「黒糖地獄」とされる搾取構造を、西郷隆盛本人は良い人だと描くことで誤魔化しました。
あるいは『青天を衝け』で渋沢栄一が誉めていたレオポルド2世は、ここに出てきた松前道廣をさらにスケールアップしたような人物です。
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そうやって権力の持つ横暴を誤魔化してきた2010年代以降の大河ドラマが、ここにきて大きく転換を図った。
やはり『べらぼう』は紛れもなく傑作であり、歴史に残る作品でしょう。
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