仁義なき戦いと鎌倉殿の13人

『仁義なき戦い』と『鎌倉殿の13人』/amazonより引用

鎌倉殿の13人感想あらすじ

仁義なき鎌倉殿の13人~実録ヤクザ映画と中世大河がリンクするのは当然のこと?

2025/06/29

何の罪もないのに突然処刑されたり。

和議が結ばれたその直後に合戦が始まったり。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、あまりに殺伐とした世界観だったため、映画好きの間では

「これって『仁義なき戦い』みたいだな。北条時政なんか、山守親分(金子信雄)じゃん』

なんて囁かれたとか。

これが、あながち冗談とも捨てきれなくて、他ならぬ三谷幸喜さんが公式サイトのインタビューでこう答えています。

北条と比企一族との戦いを書いているときは、『仁義なき戦い』を参考にしていました。

実は今まで観たことがなかったのですが、「あの時代は『仁義なき戦い』の世界観に似ている」とスタッフに教えてもらいました。

あはは、フィクションだからだよね~。

と、思われるかもしれませんが、それだけでもなくて。

歴史学者である細川重男氏の著作『鎌倉幕府抗争史: 御家人間抗争の二十七年』の参考文献一覧でも、真っ先にこうあるのです。

飯干晃一『仁義なき戦い<死闘篇>』『同<決戦篇>』

フィクションに限らず、研究者の思考にも影響を与えた『仁義なき戦い』とは何なのか。

なぜ、鎌倉時代の世界と昭和の実録ヤクザ映画がリンクするのか?

日本人や日本社会が形成される上で非常に重要だったと思われる「仁義」について、歴史的に考察してみましょう。

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「広島抗争」と毛利元就は関係ナシ

『仁義なき戦い』のストーリーは戦後間もない広島で始まります。

原爆という人類未曾有の殺戮兵器に街を焼かれた同市街も、戦後は闇市が湧き立ち、その利権をめぐって暴力団たちの抗争が激化。

土木工事による街の復興だったり、GHQの横流し品だったり、あるいは賭場に絡む利権だったり。

金回りのよいところに命知らずで気性の荒い男たちが吸い寄せられていったのですが、そこは任侠とか男気などのカッコ良さとは無縁のドロドロした世界でした。

とにかく狡猾な腐れ親分や兄貴分などが登場し、純朴な若い青年から次々に命を落としていく――。

そんな広島の世界が描かれていたからでしょうか。

同映画について、

毛利元就以来、謀略を駆使する気風がある――。

と分析する解説文を見かけたこともありますが、これは残念ながら見当違いでしょう。

戦国大名たるもの、どの地域でも謀略を駆使するものであり、ならば武田信玄の山梨県や、三英傑と関係が深い愛知県は突出して酷いことになってしまう。

そもそも、仁義とは何なのか?

毛利元就と言えば、ご先祖様が『鎌倉殿の13人』でも重要な役どころの大江広元ですが、この広元は、鎌倉幕府の中でも仁義を知る部類にいたでしょう。

大江広元/Wikipediaより引用

なぜなら仁義とは、教養なしでは身につかない概念であるからです。

 


坂東武者はまだ「仁義」を知らない

『鎌倉殿の13人』で中盤のクライマックスだった【北条vs比企】の戦い。

北条時政が比企能員を謀殺する際、あっけらかんとこう言い放ちました。

「坂東武者ってのはな。勝つためには、何でもするんだ」

北条時政/wikipediaより引用

佐藤二朗さん演じる比企能員がノコノコ丸腰でやってきたことを小馬鹿にでもするような。

卑怯極まりないやり方ですが、とにかく勝ちさえすれば一切方法は問われない。

そんな思考であり、もしもこのとき北条時政が、

『丸腰でやってきた相手をだまくらかして殺っちまうのは、さすがに仁義がねえんじゃないか?』

なんて少しでも考えたら、比企能員もあんなに情けない最期にはならなかったでしょう。

当時の坂東武者は、はなから「仁義」という概念がないのです。

相手を騙しての勝利でも恥ずかしくなく、勝ちゃあいいんだよ、勝ちゃあ! と、平然としていられる。

ただし、この北条vs比企の対立に巻き込まれ、「仁義を理解しかけていた」からこそ命を落とす武士もいました。

仁田忠常です。

仁田忠常

多くの御家人並ぶ場でもかなり頼朝に近い席次の仁田忠常/国立国会図書館蔵

忠常は北条による比企能員の抹殺に加担。

それを怒った主君の源頼家から、今度は北条を殺すように命令され、板挟みになって苦しみ抜いた末、自害してしまうのです。

史実の仁田忠常は、騙し討ちで殺害されたとする記録が残されています。

ゆえにドラマで自害に変更されていたのは意図的だったのでしょう。普段から真っ直ぐなキャラクターで知られるティモンディ高岸さんが、同役に起用された理由も合点がゆきますね。

では、そもそも仁義とは何でしょう?

『仁義なき戦い』の英語版タイトルは’Battles Without Honor and Humanity”であり、

「名誉」
「人間性」

と訳されています。

この言葉をご覧になって皆さんはどう思われますか?

胸を張って「私は名誉のために生きている!」とか「私の人間性は素晴らしい!」なんて事は言わないにせよ、人の尊厳を意味するプラスの感情を抱きませんか。

今度は次の言葉をご覧ください。

「嘘」
「盗み」

こちらは即座に「ダメだろ」という感覚になるでしょう。

大多数の方が、当たり前の感覚として捉えていると思いますが、これとてそもそもは「教育と思想」あってのものです。

内戦状態に陥ってる国や紛争地帯では、子供のうちにさらってきて兵士に育てると「敵を殺すのに躊躇がなくてよい」なんて話もあるほどで、いかに教育が重要か、ご理解いただけるでしょう。

坂東武者にはこうした教養が決定的に欠けていたのです。

坂東武者の文化教養レベル
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では仁義について、鎌倉武士にからめて、もう少し掘り下げたいと思います。

 

「仁義」とは何か?

仁義とは――儒教道徳にある「五常」のこと。

仁・義・礼・智・信のうち最初の二つであり、京都出身の文士・大江広元や、僧侶・阿野全成に、五徳について聞けば即座に答えてくれるであろう、インテリ層では必須の教養です。

梶原景時が知っていても不思議ではありませね。

梶原景時/国立国会図書館蔵

しかし、坂東武者は違います。

彼らの中には、高齢になってから字を学び始める者もいたほどですから、漢籍をスラスラ読むなんて夢のまた夢。

『鎌倉殿の13人』前半の坂東武者に「五徳」とは何か?と説明しても、口ごもるか、キョトンとしているか、そんな反応でおかしくはありません。

儒教の経典は、貴族や僧侶が教養として身につけるか、仏典を学ぶ延長で読むものでした。

では、武士たちはどの時代に“儒教”を身につけたのか?

お次は大河ドラマ『麒麟がくる』を参考にして考えてみましょう。

 


応仁の乱の前後

『麒麟がくる』のキャッチコピーは以下の文言でした。

それでも、この仁なき世を愛せるか。

主人公の明智光秀には、聖獣である麒麟のシルエットが重なっていて、重要な思想が隠されています。

『麒麟がくる』明智光秀イメージ(絵・小久ヒロ)

言うまでもなく「仁」です。

戦国時代後期に生まれた明智光秀はその概念を知っていた。

だからこそ、仁無き世界の戦国時代に絶望している。

この明智光秀と北条義時、二人が生きた時代の合間に、日本史の大転換となる出来事がありました。

【応仁の乱】です。

東洋史学者である内藤湖南は、この乱の以前と以後の日本人は全く異質であると語っています。

仁義の有無や道徳概念の差などがそこにはあるのでしょう。

明智光秀の時代までに、武士は教育を身につける環境が整えられたからこそ、『麒麟がくる』での光秀は幼くして儒教の経典を読みこなし、たびたび引用する秀才に育っていました。

注目したいのが、『麒麟がくる』と『鎌倉殿の13人』の両作品に出てくる、父を追いやる人物です。

まずは『麒麟がくる』の斎藤義龍。

義龍は父の斎藤道三と対峙し、敗死に追いやりました。

斎藤道三(左)とその息子・斎藤義龍/wikipediaより引用

そのことに内心は葛藤があるのか。「道三は実父ではない」という苦しい工作をしています。

実際に義龍は苦悩していた様子がうかがえます。

彼は中国・唐代で、やむをえず父を殺した「范可(はんか)」と名乗るのですが、そこには『私も同様に仕方なかったんだ』という思いが透けて見えます。

しかし、光秀はそんな義龍を許さず、斎藤家を辞し、再仕官を迫られても断るという設定でした。

一方で『鎌倉殿の13人』の北条義時。

彼は父の北条時政を殺しこそしなかったけれど、権力闘争の末、敗北へ追いやり、伊豆へ追放しました。

それだけではなく、父の助命を感謝する姉の北条政子に対し、「殺さなかったことを後悔している」とまで言うのです。

北条義時イメージ(絵・小久ヒロ)

いかがでしょう。

斎藤義龍と北条義時、同じ乱世を生きていても、思考が全く違う。

現代人でも、まだ少しは心情が理解できそうな戦国時代と、理解すらできない鎌倉時代――そんな価値観の差があります。

 

江戸時代は庶民までが「仁義」を知る

『麒麟がくる』では、儒教道徳を重んじる明智光秀のことを、徳川家康が私淑している設定でした。

儒教を学ぶかどうか。

戦国時代までは本人の資質だけでなく、教育環境に大きく左右されました。

それをいわば国教にまで高め、全国に普及させたのが大河ドラマ『どうする家康』で主役だった徳川家康です。

江戸時代の初期を代表する儒学者・林羅山は、徳川家康・秀忠・家光・家綱の四代に仕え、朱子学の普及につとめました。

林羅山/wikipediaより引用

そうした努力もあってか、各地の藩校で儒教が必須科目として学ばれるようになります。

そんな林羅山が創設した「昌平坂学問所」は孔子廟があり、江戸時代の武士に「儒教の五徳とは何ですか?」と聞けば、前髪をつけた少年でもスラスラと答えられるまでに普及しました。

武士だけではありません。

5代・綱吉の悪名高い【生類憐みの令】の根底にある思想は、仏教だけでなく儒教も含まれています。あの法令により、日本全国に慈愛の心が広まりました。

8代・吉宗は、明代政治をロールモデルとして政策を進めます。明太祖・朱元璋は、庶民にまで儒教道徳と教育を浸透させることを統治の基礎としました。

このころから、武士向けの藩校および庶民向けの寺子屋が増加。

親孝行者は顕彰対象となり、美談として広まってゆきました。

そんな飴もあれば鞭もあります。

吉宗は明の法体系「大明律」を手本として法整備も進めました。

江戸時代の法体系は、儒教の要素が大きく、目上のものや親を傷つければ不忠不孝として極刑となります。同じ殺人でも、親殺しと子殺しでは前者の方が重罪とされたのです。

犯罪ならばまだしも、天変地異の際、親を置いて子が逃げるようなことがあれば、これまた犯罪として処罰対象とされる。

かくして、江戸中期になれば日本人は誰もが儒教倫理を身につけておりました。

曲亭馬琴のベストセラー『南総里見八犬伝』では、キーアイテムとなる珠にこう刻まれています。

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌

儒教道徳があるからこそ物語の世界が広がり、面白さも理解できる。

だからこそ次代や周囲にも伝わるという好循環が生まれ、いわば日本人らしさの形成にもつながってゆく。

この八つの徳目を失った者として、遊郭の経営者は「忘八」と呼ばれたものでした。

本人たちが自虐的にそう称するにとどまらず、様々な職業差別を受けていることが大河ドラマ『べらぼう』の描写から見てとれます。

その反面、女郎たちは蔑みだけではなく、時に敬意のまなざしをも注がれました。

儒教文化圏でも、女性が身を売ることを職業とするまでにはそれぞれ理由や事情が異なります。

江戸時代の場合、家の困窮を救うために娘が売られることが定番となりました。実際には誘拐のような事例も多かったとはいえ、この困窮のための娘の身売りはひとつのシナリオとして定着します。

同じく江戸時代に定着した物語の定番としては、仇討ちがあります。

復讐譚は人類普遍的なものといえますが、この場合は儒教規範に則り、目上のものの仇討ちのみが合法とされます。

武士ともなれば子が親の仇討ちをすることが美談を超えて人生を縛るようなことすらありました。芝居や物語の題材としてもうってつけです。

この時代ともなると親孝行は物語や絵画の題材として定番化し、当然のものとして広く浸透してゆくのです。

黄庭堅(歌川国芳『唐土二十四孝』)/wikipediaより引用

曽我兄弟/wikipediaより引用

それはなぜか?

不特定多数の男に身を委ねることは堕落である。とはいえ、その動機が親を救うための「孝行」であれば美談となるのです。

落語の「廓話(くるわはなし)」はじめ、女郎がヒロインとなる物語では、家の没落による身売りというシナリオが定番化したものです。女郎であることが、むしろ健気な背景として生きてくるわけです。

儒教の影響が後退した明治以降、女郎の境遇を憐れむ視点が薄れてゆくことになります。

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大河ドラマ『青天を衝け』のキャッチコピーは以下の文言です。

仁なるものに敵はなし。

出典は『孟子』「梁恵王上」であり、豪農である渋沢栄一が『孟子』を読むようになったことが反映されています。

劇中の渋沢家には「心即理」と掲げた額が飾られていました。

儒教の陽明学が掲げる重要な概念ですが、幕府や各藩は朱子学を正統としており、陽明学は【寛政異学の禁】で禁じられています。

幕末ともなると、敢えて禁止されている陽明学を学ぶことで、新たなる時代を模索する志士たちが多数輩出されました。

吉田松陰は、あまりに先進的な思想ゆえに逮捕投獄され、獄中自殺を遂げた明代の陽明学者・李卓吾に強い思いを寄せていたといいます。

吉田松陰/wikipediaより引用

幕末ともなれば、日本人にとって儒教は常識中の常識。

仁義がないなんてもはや人間ではない――そんな考え方が当然となっていた。

明治時代以降はどうか?

儒教は古い因習的なものだと否定される声があがる一方、リバイバルブームも起きる。いわば揺り戻しが繰り返されます。

渋沢栄一はそんな需要を察知し『論語と算盤』を出版しました。

渋沢栄一/wikipediaより引用

【教育勅語】の根底にも儒教倫理はあります。

ひるがえって私たちはどうか?

決して「五常」を忘れていないと思いたい。

というか忘れてないからこそ、『鎌倉殿の13人』を見て暗い気持ちになり、嘆くのでしょう。

仁義を知らないなんて、この人たちは何なんだ!

そう思うのは、我々の毎日に浸透しているからと言えます。

 

裏社会に「仁義」はあるのか?

ここまではいわば表の歴史。

そうではない裏の歴史もあります。

藩校で武士が習う教科書に『三国志演義』がありました。

娯楽ではなく、関羽のような義にあふれる武士となるよう、ロールモデルとして学んだのです。

今では差がついてしまいましたが、『三国志演義』と並んで日本で人気のあった中国古典に『水滸伝』があります。

この作品はアウトローの活躍を描くエンタメであり、現在の少年漫画やアニメにも通じる痛快な世界観が広がっています。

英雄好漢が梁山泊に集まって戦う――そう言えば聞こえは良いけれど、彼ら百八星は犯罪者。

表の世界で堂々と生きてはいけないものが大半を占めていて、強盗殺人なんでもあり、という血生臭い展開が続く。

三国志演義』も人気ですが、庶民はスカッとした『水滸伝』が大好き。

そんなファンが多いからこそ、『水滸伝』の名場面は刺青で大人気の図柄となりました。

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日本での刺青は、現在に至るまで犯罪者あるいはそれに準ずる人々特有のものと認識されています。

その根底にあるのも儒教道徳だったことはご存知でしょうか?

身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり。『孝経』

肉体、髪、皮膚は父母からのものだ。これを傷つけないことこそ、「孝」の基本である。

いわゆる「親からもらった身体を傷つけるなんてどうしようもねぇ」というやつですね。

反社会的であることを誇張するため、あえて「孝」という儒教道徳を破って刺青を入れる。そこには世の中の道理を破ってやるという挑発がありました。

こうした道徳や法の枠外にいる人々は、表には出にくいながら、しばしば日本の歴史を動かしきました。

エイコ・マルワ・シナワ『悪党・ヤクザ・ナショナリスト 近代日本の暴力政治』(→amazon)は、歴史の裏にいる層がいかに近代政治に関与したか?を分析する好著です。

そんなアウトローになるほどの度胸はない。

しかし、悪党どもの蠢く様は見たい――。

タブーを覗きたい衝動というのは近代以降の日本にもありました。

学校で習うまっとうなエンタメではない、バイオレンスに溢れた作品。

実在した清水次郎長など、侠客や博徒の物語を講談師がおもしろおかしく語る芸能が定着しています。

時代がくだって映画館が日本中に普及すると、こうした「任侠もの」も一大ジャンルとなりました。

鶴田浩二さんや高倉健さんが主演を務める映画は稼ぎ頭。

主役はアウトローながら人情味や温かさがあり、博打はしても弱い者いじめはしない。

そんな儒教道徳由来の倫理があればこそ、ヒーローとして愛される余地もあったのです。

が、しかし……。

 

実録路線が空前の大ヒット

現実はそんなに甘くない――アジア太平洋戦争に大敗した後、多くの日本人はそう感じるようになりました。

戦争が終わっても、人心や社会は荒廃し、親を失い痩せこけた戦災孤児を誰も助けない。

軍隊から流れた拳銃を使った犯罪が横行する。

疲労回復のために覚醒剤を打つ。

覚醒剤で逮捕の誌面

新聞にはおどろおどろしい犯罪記事がおどり、繁華街からは銃声が響く。

殺伐とした時代が続きます。

そんな現実を知ってしまうと、スクリーンの中の侠客は美化され過ぎだ、と気持ちが離れてもおかしくはありません。

そこで登場したのが、1972年『週刊サンケイ』に連載された『仁義なき戦い』です。

実在のヤクザには、日本人が持ち合わせている仁義なんてない――そう告発する内容に日本中が衝撃を受けました。

凄惨なヤクザ抗争のひとつである「広島抗争」当事者であり、網走刑務所にいる美能幸三の証言をもとにしたというこの連載は、たちまち話題をさらいます。

連載の経緯は諸説ありますが、東映がヤクザのリアルな姿を世に送り出すことを前提としていたとされます。

菅原文太主演のこの映画シリーズは大ヒットを記録。

深作欣二監督と笠原和夫脚本はゴールデンコンビとされました。

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真珠湾攻撃を裸の王様と看破していた中学生・笠原和夫(仁義なき脚本家)

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文太兄貴がヤクザを演じれば大ヒット間違いなし!

として露骨な便乗作品も世に送り出され、日本中の映画館で実録ヤクザものが流れる時代が到来したのです。

そんな菅原文太さんが1980年大河ドラマ『獅子の時代』で主演をつとめました。

ヤクザ映画でスターの座にのしあがった俳優がテレビでも見られると話題になりましたが、もともと彼は非常に勉強熱心であり、半藤一利氏との対談集を出すほど幕末史の知識を身につけています。

大河主演を果たし、さらに高みに登った代表格でしょう。

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大河を学ぶために『仁義なき戦い』

細川重男氏『鎌倉幕府抗争史: 御家人間抗争の二十七年』の参考文献一覧に話を戻しましょう。

そこにはマフィアや馬賊についての本も挙げられています。

一体なぜなのか?

坂東武者を知るために、どうしてヤクザやマフィア、馬賊などに思いを馳せねばならぬのか?

彼らには共通点があります。

・道徳教育が不足している

・利益で結束している

・法の規制を受けていない

坂東武者の教養不足は『鎌倉殿の13人』でも描かれました。

坂東一の大物武士ながら、合戦ばかりで文字を書いたこともない上総広常が、這いつくばるようにして筆を持ち、汚い字ながらも懸命に文字を書く。

上総広常/wikipediaより引用

そんな姿は印象的だったでしょう。

鎌倉幕府は「御恩と奉公」を掲げています。

忠誠心や武士道はまだ確立しておらず、御恩があればこそ奉公する、という利益により結束している。

北条泰時により「御成敗式目」が制定されたのは『鎌倉幕府の13人』の終了後になるでしょう。

北条泰時/wikipediaより引用

教養なき小集団同士が結束し、争うとなると、どうしようもない抗争が起きてしまう。

人種や文化は関係ない。

そんな人間心理を学ぶためにも、ヤクザ抗争はよい教材となる――歴史の研究者が参考文献に挙げたのもそういった理由からではないでしょうか。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、そのことをうまく反映したのでしょう。

もしも『仁義なき戦い』をリメイクするのであれば、この人があの役を演じたらよいのではないかと思えてくることもあります。

小栗旬さんは菅原文太さんの役を。

山本耕史さんは成田三樹夫さんの役を。

そして金子信雄さんの当たり役である山守組長を、坂東彌十郎さんが演じたらよいのではないかと思いました。

憎たらしいのに愛嬌がある。腹が立って仕方ないのに、謎のかわいらしさがある。

あの山守組長に扮して欲しい役者が見られたという一点でも、『鎌倉殿の13人』には意義があると思えるのです。

坂東武者がヤクザに近くて何が悪いのか?

仁義の無い世界だから近くて当然。

そう示した『鎌倉殿の13人』は日本人の思想を考える上でも重要だと思うのです。


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【参考】
細川重男『鎌倉幕府抗争史: 御家人間抗争の二十七年』(→amazon
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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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