浅井長政の肖像画

豊臣兄弟感想あらすじ

浅井長政はなぜ信長を裏切ったのか?豊臣兄弟第13回で描かれた“苦渋の決断”

足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長。

史実ではその後の展開が、信長の生涯で最も波乱万丈だったと言えるかもしれません。

なぜなら越前朝倉攻めを強行すると、妹のお市の方を嫁がせた浅井長政に裏切られ、一歩間違えれば死ぬような危機に何度も追い込まれているからです。

大河ドラマ『豊臣兄弟』の第13回放送は、まさにそのスリリングな第一歩に入るところ。

いったい長政はなぜ織田を裏切り、朝倉についたのか。

ドラマと史実ではどう違うのか。

浅井長政の肖像画

浅井長政/wikimedia commons

今回はその点を中心にレビューします。

 

慶(ちか)と秀長

小一郎こと豊臣秀長に降って湧いた縁談の話。

織田信長の命令で、安藤守就の娘こと慶(ちか・吉岡里帆さん)との結婚が進められます。

事前に寺で見かけた怪しげな美人が彼女であり、なぜあんなにも暗い影を背負っているのか。

大河ドラマ『豊臣兄弟』慶(秀長の妻)イメージイラスト

そんな疑問は確かに疑問として気になりますが……それにしても二人の結婚話が長すぎじゃろ!

寧々が難しい顔をしたり、慶が美人だからと男連中が鼻の下を伸ばしたり、突然前田利家がやってきてヒソヒソと噂話をしたり、いったい『我々は何を見せられているのだろう……』という気分。

戦国時代の姿カタチをした現代劇にしか見えないのです。

まぁ、この辺は、ファミリーほのぼのパートが好きな方もいらっしゃいますし、好みの問題ってやつですかね。

気の毒なのは菅田将暉さん演じる竹中半兵衛でしょう。

史実で安藤守就の娘と結婚しているのは半兵衛のはずなのに、生粋の軍事マニアとして飲み会でもコツコツと図面を描いている。

まるで「金ヶ崎の退き口」を予感しているようで絶対に神眼を持ってるじゃろ!

なお、秀長の出陣直前になっても、慶は違う男と歩いていました。

美濃の国衆とか、あるいは死んだ夫の関係者(兄弟あたり?)とか、後に明かされるっぽいですね。

 


義昭ブチ切れ「五ヶ条の条書」

では浅井長政の裏切りへ……と行きたいところですが、その前に重要な描写がありました。

足利義昭が信長にブチキレ、刀を振り回すシーンです。

発端は、永禄十三(1570年)年1月、織田信長が足利義昭へ向けて出した「五ヶ条の条書」でした。

要は、信長から義昭に対して「これ、将軍様なら、ちゃんと守ってね」と注文を出した要望書。

「一人で勝手に書状を出さない」とか「配下の者にやる恩賞は信長の許可が必要」とか「朝廷での仕事を怠けないで」など、確かに行動を抑制するようなものです。

義昭が「ワシが将軍だぞ!」とキレても仕方ないように見えます。

足利義昭の肖像画

足利義昭/wikimedia commons

一方で、この内容は事前に両者合意の上で交わされたという見方もあります。

しかも、この手の“決まりごと”は、初めてではありません。

「殿中御掟」という九ヶ条(すぐに追加して合計十六ヶ条)が、前年、永禄十二年(1569年)に出されています。

ドラマではおそらく触れられていなかったと思うのですが、幕府内での仕事の在り方や訴訟関連の話、あるいは押領や直訴の禁止など、殿中御掟は主に政務に関する内容でした。

だとしても「信長って結構細かくない?」と思われるかもしれません。

しかし、義昭に好き勝手やらせると幕府内での汚職などが蔓延して、統治体制にヒビが入ってしまうのも確か。

義昭は不満を抱いたとされます。

そしてこうした状況から、義昭は“バカ殿”風に描かれてしまったこともありますが、今回は尾上右近さんの絶妙な演技があってちょうどいい感じにまとまっているように見えます。

やはり歌舞伎役者さんの時代劇は、単体で画面が引き締まりますね。

 

長政と信長の相撲

「なんで相撲なんだよw」

浅井長政と織田信長が「まだまだぁ!」と組み合っている姿を見て、そう思われた方もいらっしゃるでしょうか。

実は信長は大の相撲好きで、こうしたイベントを何度も実施していたことが『信長公記』にも描かれています。

強い者は家臣として登用することもあってか、腕自慢にとってはチャンスの場。

江戸時代になっても大名たちが力士を抱え、「ワシの◯◯のほうが強い」と競い合ったりしたのは、信長の時代にもあったんですね。

歌川国芳の相撲絵

歌川国芳の相撲絵/wikipediaより引用

実際、ドラマと同じ元亀元年(1570年)、信長は常楽寺で近江の力自慢を集め、相撲大会を開いています。

勝者は鯰江又一郎と青地与右衛門でした。

彼らは金銀あしらった大刀や脇差をもらうだけでなく、家臣に召し抱えられ“相撲奉行”に任命されているのです。

興味をお持ちの方は、別記事「信長は大の相撲好き」をご覧ください。

では、本命の「浅井長政の裏切り」へと参りましょう。

 

そもそも浅井は戦国大名なのか

織田信長に朝倉攻めを打ち明けられた長政。

ドラマでは「黙認する」というスタンスを取りました。

人質として朝倉に預けられている浅井万福丸はどうにかして助け出すと信長は言います。

しかし、実際に織田軍が出陣すると、父の浅井久政や朝倉景鏡(朝倉義景の従兄弟)が浅井家の軍議にやってきて、「そんな言い訳通じるわけないだろ」と一刀両断。

浅井久政の肖像画

浅井長政の父・浅井久政/wikimedia commons

お市の方には「指一本触れさせんぞ!」と息巻きながらも、急速に意志が萎れていくのが見て取れます。

そして実際に裏切りへと転じるわけですが、あの姿を見て「なんだよ、長政、だらしねぇ……」と感じたでしょうか。

史実を踏まえると、長政に残された選択肢はかなり限られていたと見るべきでしょう。

そもそも浅井長政は、戦国大名なのか――そんな疑問があります。

尾張から美濃、北伊勢だけでなく、上洛時に南近江をも制し、武田や毛利などの大大名に並ぼうという織田に対し、浅井は北近江を所領しているだけ。

その石高は、後に豊臣秀吉柴田勝家が同エリアを支配したときから推定して十数万から二十万石という規模とされます。

それに加えて、確かに琵琶湖からの水運利権(通行料・運搬・漁業)もあります。

しかし戦国大名というには総合力で心もとなく、地域の諸勢力をまとめた“有力な国衆”のほうが相応しいとも言えてしまう。

そんな長政を、織田信長はどう見ていたか?

 


朝倉義景は長政の「御屋形様」ならば

後に、お市の方が浅井三姉妹を産み、彼女らが天下人と関わっていったため、浅井一族は戦国史で非常に重要な存在として扱われます。

しかし、それはあくまで後の話。

上洛を果たし天下人への道を進む織田信長にとって、長政は家臣、あるいは国衆のような存在になっていきました。

そもそも浅井家は京極氏の家臣であり、下剋上でのしあがった家です。

それだけに織田信長が残した文書の中に、京極氏が主君で、浅井氏を家臣の立場と見るような記述もあるほど。

朝倉から見た浅井家も同じことです。

朝倉家の一乗谷には家臣の証とも言える“浅井家の屋敷”があり、人質の浅井万福丸もそこで暮らしていました。

さらには長政自身が、元亀三年に朝倉義景の近臣に送った書状の中で、義景のことを「御屋形様」と記してもいました。

もはや決定的でしょう。

朝倉義景の肖像画

朝倉義景/wikimedia commons

つまり当時の浅井家は、朝倉家と織田家に仕えていたこととなるわけで、両家の関係が良好だった間は特に問題ありませんでした。

しかし、いざ合戦となると破綻します。

どちらかを選ばねばならない……。

そこで選んだのが、自身を家臣のように使う信長ではなく朝倉家だったのですね。

父の浅井久政は当時隠居しておりましたが、軍事外交面では依然として発言力を有しており、その影響も当然考えられます。

いずれにせよ長政は織田家に離反して、越前へ向けて出陣するのでした。

 

なぜ信長はそれでも越前へ向かったか

不思議なのは当の織田信長です。

お市の方が嫁いでいたから長政は絶対に安心。

防備を考える必要はないというスタンスですが、それ以前から浅井と朝倉が従属関係にあったことも知らないはずがない。

実際、ドラマの中でも、信長は浅井万福丸を助け出す予定でした。

なぜ、自分が裏切られる可能性を考えていなかったのか。

ドラマの時代考証・黒田基樹氏は、そんな浅井と朝倉の関係を信長は「忘却していたとしかいいようがない」と指摘されています。

織田信長の肖像画

織田信長/wikimedia commons

人間、思い込みが一番怖いとはいいますが、まさしく当時の信長がそうだったのかもしれません。

家督を継承してから、身内から数々の裏切りに遭ってきた信長。

てっきり慣れっこかと思いきや、このときの衝撃は「長政が裏切りなんてウソだろ……」となかなか信じられなかったと『信長公記』には記されています。

※当時の状況をもっと詳しく知りたい方は「信長が浅井に裏切られた理由」も併せてご覧ください

◆ 『豊臣兄弟』総合ガイド|登場人物・史実・出来事を網羅


参考文献

宮島敬一『浅井氏三代 (人物叢書 新装版)』(2008年2月 吉川弘文館)
長浜城歴史博物館『戦国大名浅井氏と北近江: 浅井三代から三姉妹へ』(2008年11月 サンライズ出版)
国史大辞典

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川和二十六

歴史学科を卒業。大河ドラマ『豊臣兄弟』レビューおよび歴史エンタメ記事を担当。歴史記事以外でも様々な分野のライティングや編集業務もこなしている。 ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001138406

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