儒教

島聖堂大成殿(日本の湯島聖堂は孔子廟です)/wikipediaより引用

中国 学者・医師

日本史には欠かせない「儒教」って一体何? 誰が考えどのように広まった?

日本人にとって教育と言えば、長らく【儒教の経典】を読むことでした。

現在も儒教をあちこちで目にします。

15才を示す「立志」。

40才を示す「不惑」。

何気なく見かける言葉もその一つで、日本からその影響を消し去ることは不可能でありましょう。

でも、そもそも儒教って何なの?

本稿では儒教について、わかりやすいようにおさらいしてみたいと思います。

 

儒家の元祖は「周」が理想

すべての儒家の祖は、孔子とされています。

※映画『孔子の教え』

孔子の生きた春秋時代は、多くの国が分裂し、激しい争いを繰り返す時代でした。

群雄割拠の春秋時代/photo by Yeu Ninje wikipediaより引用

生涯をその苦難の中で過ごした孔子。

政争に巻き込まれ、弟子たちを失い、自分の理想とは何か追い続けながら、74年の長い人生を生き抜きます。

その孔子がまとめたものが、魯国に伝わっていた「周(BC1046年頃-BC256年)」の古い礼制です。

周こそ理想の時代とみなし、その思想を伝えることが孔子の理想でした。

 

様々な思想家のいた春秋戦国時代

中国の春秋戦国時代は、様々な思想家がおりました。

「諸子百家」と呼ばれる状態です。

その中で、儒教は「ワン・オブ・ゼム」に過ぎません。

全国を統一した秦の始皇帝は、法家思想を採用。儒家の徳治主義に対して、法治主義をとったのが法家思想です。

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この思想、たしかに合理的ではあったのですが、秦での適用は厳格過ぎて、人々の評判は最悪でした。

秦に仕えた法家の中には、非業の死を遂げた者もいます。

商鞅(しょうおう)は、八つ裂き。

李斯(りし)は、腰斬。

商鞅像/photo by wikipediaより引用

彼らは人々から同情されるどころか、

「やたら厳しい法律を作るから、自分で制定した酷刑で死ぬんだよ、ざまぁw」

と思われてしまいました。

要するに法家は、嫌われ者だったんですな。

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