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織田信長のレア古文書が満載! 写真集として楽しむ『織田信長の古文書』(柏書房)

更新日:

日本には古文書がある!

アイドルのファンならその人の写真集が欲しくなるのは当たり前。
では、戦国武将の織田信長のファンなら?
もちろん写真集があれば買いますよね!

残念ながら、肖像画はあっても当然ながらカメラはない。
しかし、しかし、日本には「古文書」がある!
そんな信長ファン(?)の心を鷲掴みにする写真集が柏書房から2016年2月、刊行された。

その名も『織田信長の古文書』(山本博文・堀新・曽根勇二編)である。

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一般書としては唯一無二ゆえに

気になるお値段は、税抜き20000円。
2千円ではありません、2万円です。

「えっ?高くない?」
当然ながらそんなツッコミもあろうかもしれませんが、本を開くと、ひろがる中身の圧倒的な「信長ワールド」は、一般書としては唯一無二の本です。

まずはサイズが違います。
通常は縦長で単行本なら1ページはB6版というやつです。

ところが、この写真集は横長でA4サイズ!
スペース一杯に写真が使われています。

信長の発給文書は約1450通が確認されています。
そのなかで本書は、信長の生涯を知る上で、重要な政策に関するもので、原本が残っているものを中心に厳選された発給文書172通、関係文書4点の計176点を掲載しています。

本書を雑誌『古文書研究』(82号、2016年12月号)で書評した柴辻俊六さんによると、写真では初めて紹介されるものが多数あるとのこと。
つまり、この本を読むことで、これまで研究者ですら見たことなかった「あなただけの信長の書状」を生々しく見ることができるのです。

イラスト:富永商太

 

強烈すぎる信長のダメだし

さっそくいくつか見ていきましょう。
まずは将軍・足利義昭に対してダメ出しをした有名な「異見十七箇条」(元亀3年)です。

ページ数では2ページにわたり、びっちりと「小言」が書かれていることがわかります。
信長の「怒り」と「いらだち」が理解できるとともに、これを見た義昭の「怒り」も想像できます。

なにしろ最後の17条は

<諸事について義昭が欲にふけり、理非も外聞も気にせずといった様が聞こえている。そのため土民百姓までもが、義昭を「あしき御所」と評している。かつて足利義教(よしのり)がその様に噂されたというが、それはまた別の話である。どうしてそのような陰事を申すのか、このことをして分別をなさるべきであろう>(本書の解説より)

と、庶民までも「将軍はどうしようもな」と言っているというのですから、信長もKYすぎかと。。。

しかも、この文書は私信ではなく、一般に公開されたのですから、義昭の恥辱は相当なものだったでしょうね。
これは原本ではなく、流布した異見書をみた奈良・興福寺の僧侶が「うわっ、すごいな」と書き写したものになります。

ダメ出しといえば、部下へはさらに容赦がありません。

本願寺攻めの指揮官だった重臣の佐久間信盛を責め、追放したときの19箇条のダメ出しです。

<本状によると、まず信盛・定栄父子は単に本願寺を攻囲するだけで、この五年間に何の戦功も挙げていないとする。特に大坂を「大敵」と考えてにもかかわらず、武力をもって攻めることもせず、あるいは調儀・調略も行わずに、相手が長袖(僧侶・門徒)だから、包囲さえすれば、「信長の威光」で退散するであろうと考えていたとも叱責される。明智光秀や羽柴秀吉あるいは池田恒興や柴田勝家とも比較されて、その戦功が少ないことを指摘されたのである。信盛の与力衆動員のまずさまでも指摘している。また、知行地として与えられた緒川(愛知県東浦町)・刈谷(愛知県刈谷市)支配の不手際まで指摘される。長年にわたって奉公しているにもかかわらず、まともな戦功がないとし、三方原の戦いで力戦したにもかかわらず、身内の者は戦死させていないのに、同僚の平手凡秀を捨て殺したとも酷評される。挙げ句の果て、どこかの敵を攻めて、帰参するか、討死したらどうかとも言われてしまう>(本書の解説より)

うわーーーーーー。かわいそう。。。

 

桶狭間で討ち取った記念に刀に刻んだ文言

写真として新紹介の文書も複数載っています。

これは天正3年(1580年)8月頃とみられる個人蔵の書状は、信長の自筆ではないかともされているものです。
武田勝頼と同盟していた小田原の北条氏政が信長に臣従したあとに、鷹を献上したことが「信長公記」に載るが、その際の文書の可能性があるそうです。

文書でなく、モノの写真もあります。

信長が発給した制札で最古のもの。
天文18年(1549年)、信長が16歳のときで、当時「藤原信長」と名乗っていたという事実がわかる貴重なものです(後に平氏を名乗る)。

面白いものでは、桶狭間の戦い(永禄3年=1560年)のときに今川義元が持っていた刀を戦利品とし、記念にそのことを金象嵌で銘を入れたことでしょう。
それが信長を祀る京都の建勲神社の持つ「義元左文字」です。

表には
<織田尾張守信長>
裏には
<永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀>
と刻まれています。

 

唯一の自筆書状の宛先は?

最後に、唯一の自筆書状も紹介します。
信長の自筆とされるものは複数ありますが、来歴がはっきりしていて、どの研究者も自筆と認められるのは、この1通だけなのです。

天正5年(1577年)10月2日付の書状です。
松永久秀が信長を裏切ったとき、松永方の城を攻めた細川忠興の武功を褒めた内容で、熊本藩の細川家に伝わり、今も細川家の永青文庫に所蔵されています。

本書は、1ページ1ページに信長の息吹を感じられるだけでなく、それぞれの書状についての詳しい解説が載っており、「あの頃にこんな文書を出したのか」などと、タイムスリップが楽しめます。
信長ファンならば、絵本「ぐりとぐら」と一緒に本棚に並べて、一生楽しめる一冊です。

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