仲里依紗さんの綱吉や、冨永愛さんの吉宗など、2023年のNHKドラマ10で大きな話題になった、江戸時代の【大奥】に対して、皆さんはどんなイメージをお持ちですか?
見目麗しき美女が大勢並び、大権力者の将軍様が、気に入ったおなごを選び放題……ってのは、あくまで妄想です。
実際はかなりシステム化されていて、シンデレラガールの側室になれるのは、非常に厳しい条件をクリアした者のみ。
ほとんどの女性は大奥の日常を運営していくための職員でした。
ただし、女性の職場として、待遇が恵まれていたのも事実です。
下っ端の大奥職員でも“召使い”を雇えたり。
時代によっては一生給料が支払われたり。
現在から見てもホワイトな職場だったりします。
では、一体そこにはどんな仕事があり、どんな環境で働いていたのか?
本稿では側室も通常の仕事も含めて【大奥のシステム】を見て参ります。
側室コース:御中臈になるのは家柄を問われる
江戸城の表(役所)と同じように、大奥にもさまざまなお役目がありました。
しかし、出世すれば側室になれるというわけではありません。
側室候補となる「御中臈(おちゅうろう)」になるためのコースはごく限られていて、他の仕事は役人としての出世は望めても、将軍の寵愛を受けることはなかったのです。
便宜上、前者を「側室コース」、後者を「役人コース」と呼びましょうか。

江戸城/wikipediaより引用
まずは家柄
側室コースに入るためには、まず家柄が第一です。
徳川綱吉以前の時代は、かなり身分の低い者でも、将軍が気に入りさえすれば側室になれましたが、それ以降の時代はそうもいきません。
「実家が代々旗本で、奉行などの役目についていること」が側室コースにおける暗黙の了解でした。
次にコネ(ツテ)
運良く良家に生まれた後は、大奥に親戚がいるかどうかがポイント。
「御年寄」と呼ばれる女性の「部屋子」として、大奥に入ることができるからです。
「部屋子」とは女中扱いではなく、御年寄が面倒を見ている「お姫様」という扱いです。
もちろん「将来この娘が側室になる資格があるかどうか」という見極めもされたことでしょう。
美貌や教養などが合格レベルとみなされると、部屋子から「御中臈」に昇進し、御台所か将軍の世話係を務めるようになります。
基本的には将軍付きの御中臈から側室を選びますが、将軍が御台所付きの御中臈を気に入った場合は、将軍付きに配置換えをした上でお手付きとなり、側室となっていきました。
こういった理由があるので、綱吉の御台所・鷹司信子が自分のお眼鏡にかなった女性を側室に推挙する、というようなことが起きるわけです。

徳川綱吉/Wikipediaより引用
自分が推挙した者が将軍のお気に入りとなり、もし世継ぎを産むことができれば、推挙した側の権威も高くなりますからね。
身分が低くても
側室コースの例外として、もっと低い身分の女中が直接将軍の目に留まることもありました。
大奥にはやはり表と同じように、将軍にお目見えできる身分とできない身分があり、前者の場合は御中臈になる前から気に入られることもなくはなかったのです。
その場合も、まずは身分を御中臈にしてから将軍の御前に出ていました。
大奥女性のほとんどは役人コース(御右筆や呉服の間など)
大奥女性のほとんどは役人コースです。
わかりやすいのは、日記や書状を認める「御右筆(ごゆうひつ)」や、将軍・御台所の衣装を仕立てる「呉服の間」でしょうか。
これらは完全に専門職で、御右筆頭や呉服の間頭として出世することはあっても、側室候補になることはありません。
また、さまざまな意味で重要だった役職が「御錠口(おじょうぐち)」です。
大奥は将軍の普段の生活の場である中奥と廊下でつながっていたのですが、そこには錠前がつけられており、みだりに出入りすることはできませんでした。
この錠前のところで、出入りする者を検分するのが御錠口の役目です。今で言えば警備員に近いですかね。
大奥最高の権力者である御年寄になるためには、形式的にでも御錠口を経験する必要がありました。
最後の大奥御年寄・瀧山も、数日だけ御錠口を務めたといいます。
その他、雑用係や調理人など細々した役職がたくさんありましたが、現在の平社員とは違い、一番下の者でも、さらに召使いを雇うことができました。
二昔前くらいに「大奥美女三千人」という言い回しが流行りましたよね。

大奥の花見を描いた浮世絵/国立国会図書館蔵
あれは、この下っ端の召使までを含めた人数に相当します。大奥の全ての女性が将軍にお目見えできたわけでも、将軍が手を付けていいわけでもなかったのです。
ついでにいえば、全員が美女だったわけでもありません。
大名家でも「器量の悪い者は嫁に行けずに苦労するだろうから、奥勤めをして生活が立ち行くようにせよ」といった考えはありました。ヒドイのか優しいのかビミョーなところですね。
大奥なのにオトコも働いていた!?
意外なことに、大奥のために働く男性もいました。
女性ばかりの空間ですので、基本的には力仕事も女性が行います。
しかし、やはり限界というものがありますので、見張り役をつけた状態で下男が大奥の仕事を手伝うこともあったのです。
彼らは大奥長局(ほとんどの女中が暮らす建物)と御殿向(御台所の居住空間)の中間あたりにあった「御広敷」という場所で暮らしており、大奥から呼ばれればすぐ働けるようにしていました。
といっても、応対するのは「御表使(おんおもてづかい)」という役目の女性だけでした。
これはやはり、男女のアレコレを防ぐためですね。
江戸時代は中期以降、「大奥の女中が外出した際にスキャンダルを起こす」ことがままありましたが、逆にいえば城中で「そういう関係」になれないからこそ、城外で羽目を外していたのでしょう。
さて、次はお金の話に触れておきます。
衣装化粧代の他に薪・炭・油に家政婦代も
「江戸幕府が傾いたのは、大奥に金がかかりすぎたからだ」なんて言われることもあります。
では、実際にどれぐらいの給料が支払われていたのか?
というと、基本給はそれほど高くはありません。
大奥の人件費がかさんだ一番の理由は、あまりにも手当が厚かったからです。
大奥の女性には、衣装・化粧代や、個人的な使用人を雇う費用、薪・炭・油といった生活必需品も支給されました。
現物支給もあったので換算は難しいところです。
が、現代にムリヤリ置き換えるとすると、
・基本給
・服代
・化粧代
・水道光熱費
・家政婦を何人か雇えるお金
と言ったお金が支払われたという感じでしょうか。ずいぶんリッチな暮らしができそうですよね。
また、将軍や御台所によっては下賜金を与えたり、御台所のお古の着物をもらったりすることもあったようです。これは不定期のボーナスですかね。
当然、身分が上がるほど基本給も手当も増えていきます。

『千代田之大奥 元旦二度目之御飯』楊洲周延・作/wikipediaより引用
どんぶり勘定の退職金が大きかったが……
さらに大奥の費用がかさんでいった理由は、退職後の女性にも「給料が一生」支払われていたからです。
退職金を一度にポンと渡すのではなく、一生定期的に給料・手当を出していれば、そりゃ経費がかさんでいきますよね。
しかも、現代のように後から経費として精算するのではなく、予め「この役職ならこれくらい必要だろう」という大雑把な見積もりで支払われていたので、元々の設定がかなりの高額でした。
こういった理由で、大奥の費用は莫大なものとなっていったのです。
乱暴に言えば「どんぶり勘定過ぎて経営が危なくなった」ことになります。
さすがに幕末は見直しが図られ、老中・阿部正弘が「ごめん年金払えなくなった」(超訳)として、退職後の給料はとりやめています。

阿部正弘/wikipediaより引用
こんな感じで、大奥は「生活上の制限はありながら、能力に長けた女性なら良い暮らしができる」場所でもありました。
御台所や側室になるのは無理にしても、「よく知らない相手と結婚させられるよりは、大奥でお勤めして良い暮らしができるほうがいいわ」と思っていた人も結構いたんじゃないか……という気がしてきますね。
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【参考】
山本博文『面白いほどわかる大奥のすべて―江戸城の女性たちは、どのような人生を送っていたのか』(→amazon)
山本博文『大奥学事始め―女のネットワークと力』(→amazon)





