浅井朝倉をはじめ、三好三人衆や本願寺(一向一揆)を敵に回した織田信長。
京都から近江、美濃、尾張へと続く道は、いずれも敵に囲まれ、そうした状況は現在【第一次信長包囲網】として知られます。
包囲網に参加していた主なメンツはざっと以下の通り。
浅井長政
朝倉義景
三好三人衆
斎藤龍興(放浪中)
荒木村重
比叡山延暦寺
本願寺(一向一揆)
浅井朝倉に続き、挙兵したのが石山本願寺。
彼らとの【野田城・福島城の戦い】に駆り出された織田軍は、摂津石山へ向かいます。
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すると、待ってました!とばかりに動き始めたのが浅井朝倉連合軍。
彼らは織田軍の背後を衝こうとして琵琶湖の西側を南進しますが、そこに立ちはだかったのが織田家の重臣・森可成でした。
約3万とも言われる浅井朝倉連合軍に対峙したのは、わずか1,000程の兵を率いた森可成です。
信長の一歩前に、絶体絶命のピンチへと追いやられた宇佐山城はどうなるのか……?ということでマンガ「日本史ブギウギ」第158話スタート!
増援部隊
◆森蘭丸の父――というとか細いイメージが先行するかもしれない森可成。
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森長可の父と言えば、実は猛将であるということも納得しやすいでしょうか。
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この森可成、わずか1,000の兵で浅井朝倉の大軍を食い止め、織田軍のピンチに凄まじい槍働きをします。
堅牢宇佐山城
◆3万の兵を相手にしてはさすがの森可成も力尽き、ここで討死してしまいました。
【宇佐山城の戦い】と呼ばれます。
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信長神出鬼没
森可成を討たれ、怒り心頭の織田軍は石山本願寺から京都・近江方面へ向かい、浅井朝倉はいったん比叡山延暦寺へ逃げ込みます。
しかし、第一次信長包囲網を敷かれていた織田軍のピンチは変わらず。
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残された手は和睦しかありませんでした……。
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