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源平・鎌倉・室町

日本に抹茶が根付き中国で廃れた意外な歴史|全ては栄西と源実朝から

2024/08/29

2022年『鎌倉殿の13人』の放送を機に発売された名産品の一つに『侍ハーバー 勝栗抹茶』という菓子があります。

ドラマの舞台である神奈川県の名物「ありあけのハーバー」の関連商品で、同年12月末までの期間限定。

それが武士と大河つながりで、2023年は徳川家康。

そしてWBC開催期間は侍ジャパンパッケージで販売されました(→link)。

侍ハーバー

侍ハーバー/公式サイトより引用(→link

茶はご存知、中国由来ですが、抹茶という楽しみ方は実は日本にだけ残った独特の文化です。

中国では現在、なんと逆輸入されてブームの予感がしているとか。

◆抹茶ブームが日本から中国に逆輸入 茶の湯文化の復活もなるか(→link

しかもその起源は鎌倉時代で、将軍・源実朝とも深い関わりがあります。

一体なぜ日本においては独特の進化を遂げたのか?

抹茶の歴史を振り返ってみましょう。

 


栄西、茶と衝撃の出会いを果たす

竹筒に入れた水をゴクゴクと飲んだり。

宴会で酒を飲んだり。

『鎌倉殿の13人』で、北条義時たちが口にする飲み物は主にその辺りで、牛乳はもちろんジュースもなければ、お茶は……ありそうでない。

本格的に普及しだしたのが鎌倉時代だからです。

茶の伝来そのものは平安時代であったものの、爆発的な広まりは見せませんでした。知る人ぞ知る程度に止まっていたのです。

それが爆発的に広まるタイミングが訪れます。

「この神秘的な茶! みなさん、これを飲まないと、この国に未来はありませんよ……」

そう猛烈に推すインフルエンサー・栄西が登場したのが鎌倉時代でした。

栄西の肖像画

栄西/wikipediaより引用

吾妻鏡』にこんな記述があります。

建保2年(1214年)のこと。鎌倉幕府三代将軍・源実朝が二日酔いで苦しんでいると、栄西がお茶を勧めてきた――。

茶は二日酔いにも効きます。

しかし栄西の狙いはもっと壮大でした。

「茶を飲めば健康になる。 日本でも取り入れるべきです。そうすればよりよい国になる!」

なぜ栄西はそんなことを考えるようになったのか。

もともと彼は仏教を学ぶべく南宋に渡り、浙江・明州(寧波)で茶店に立ち寄った際、衝撃を受けました。

飲むだけで疲労が回復していく!

気分もシャキーン!

なんなんだ、これは!

茶店の主人から振る舞われたのは「五香煎」という茶。これは是非とも日本に伝えねばならない――。

そんな情熱を燃やして記したのが二巻の『喫茶養生記』であり、帰国後、源実朝に勧めたは必然の流れと言えるでしょう。

源実朝の肖像画

源実朝/Wikipediaより引用

栄西が、抹茶を強烈に推奨した理由もわかります。

中国料理の歴史において、当時の宋代は一つのターニングポイントとなっていました。

現代にも伝わる調理法は宋代に確立したものが多く、当時はそれだけ技術や経済が発展。

要は、社会が成熟したのであり、それ以前、遣唐使が終わって、大陸から文物の流入が止まっていた日本にとって、垂涎のものばかりだったのです。

栄西は仏僧ですから、東坡肉(トンポーロー)のような肉料理は導入できません。

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そこで栄西が積極導入したのが茶――神秘のスタミナドリンクです。

宋代での団茶は、きれいな模様を表面に入れ、茶碗の中で色を楽しむ、上流階級の嗜みともいえる文化もありました。

しかし栄西にとっては、あくまで健康飲料。

山を駆け巡って狩りを楽しむだけはよろしくない。

誰かの屋敷に行って酒を飲んで、歌い踊るだけでもいかん。

カフェインを含む茶を飲んで、眠気を吹き飛ばし、学問に励むだけでなく写経もしたい。

教養や信仰への意欲が高まる鎌倉時代だからこそ、茶は歓迎されました。

抹茶は、鎌倉に新時代をもたらす飲料となったのです。

 


中国では廃れた抹茶

中国の茶――と言えば、日本人が抱きがちな共通認識として吉川英治『三国志』があります。

『三国志演義』を基にして書かれた小説で、非常に印象的な茶のシーンが加筆されました。

物語は、劉備が関羽と張飛らと義兄弟の契りを結ぶ「桃園の誓い」から始まりますが、その前に、劉備が老母のため茶葉を買うシーンが吉川によって付け加えられたのです。

この場面がどうしても印象的だったのでしょう。

三国志演義』を読み、吉川の小説には掲載されていた「茶を買う場面がない!」とクレームをつける人までいたとか。

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そもそも後漢末期に喫茶文化は存在していたのか?

茶葉を煮詰めて飲むことはあるけれど、商品として流通していたのか?

そこを考察すると、当時お茶を買う行為はグレーゾーン扱いとされます。

唐代になると「団茶」が普及しました。

蒸した茶葉を粉末にして固め、それを溶いて飲むのです。携帯には適しており、宋代はこの団茶がさらに精巧になります。

栄西が伝えた形式は、南宋・浙江を基にした形式のものでした。

その製法はざっと以下の通り。

①茶葉を蒸す

②茶葉を粉末にする

③抹茶を器に入れ、湯を注ぐ

④攪拌する

これが栄西が伝えた当時の飲み方で、抹茶粉末と湯飲みさえあれば簡単に作れます。

しかし、その後の中国では、抹茶を溶かす飲み方は廃れました。

明の初代皇帝・洪武帝が「茶葉を粉末状にする行程」を禁じたのです。

本来の美味しさが損なわれ、無駄であると見なされ、かくして中国では、煎茶の形式が定着しました。

華麗な茶道具。

蓋碗を優雅に飲む手つき。

それはそれで素晴らしいものですが、日本と中国の茶文化は異なる方向へと進化していきます。

他国でも、茶は煎じる形式が主流です。

抹茶は溶けにくく、攪拌せねば底に溜まるため、煎茶の方がより気軽に飲めたんですね。

 

日本で独自の進化を遂げる抹茶

茶と言えば中国だし、抹茶はその代表で格式高いものかと思っていた――。

皆さんがそんな印象を持っていたとすれば、日本での茶道を大成させた千利休の影響でしょう。

栄西が実用的な健康飲料として伝えた抹茶は、時代が降るにつれステータスシンボルと化してゆきました。

もともと栄西が想定した茶の飲み方は、従者が淹れ、貴人に差し出すもの。

例えば修行に励む高僧に小坊主が茶を淹れて差し出すといった形式です。

しかし茶道はそうではありません。

茶室に招く側も招かれた側も、対等の立場として互いを理解するために茶を飲む――こうした形式を千利休が高め、日本独自の茶道が確立したのです。

ゆえに抹茶を使った茶文化は日本でのみ発達し、茶道が極まるにつれ、上流階級特有のものとなりました。

茶器、茶室、作法と、すべてを洗練させてこそ、一流とみなされたのです。

大河ドラマ『麒麟がくる』でも、茶に労力を注ぐ戦国末期の武将たちが描かれました。

松永 久秀の平蜘蛛に執着する信長はその象徴でしょう。

高価な茶道具を用い、茶室に名画を飾ってこそ……と、武士たちの文化水準もそこまで高くなったのです。

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その後、日本では上流階級が極めた風雅の道として茶道と抹茶が残り、庶民の間では、もっと気軽に飲める煎茶が定着しました。

さまざまな偶然が重なり、抹茶は現代にまで残ったんですね。

 


菓子にも進出する日本伝統の茶

あの鮮やかな緑色と爽やかな香り、そして苦味は実に便利なもので、抹茶は様々な菓子にも用いられています。

ケーキ、チョコレート、クッキー、外郎(ういろう)、かき氷、アイスクリーム、フラペチーノ……そして鎌倉殿の13人と共に生まれた抹茶味の侍ハーバー。

侍ハーバーのパッケージは「カステラ」ではなく「かすてら」と記し、シレッと和風であることが強調されてます。

鎌倉時代に栄西が伝えた抹茶。

戦国時代末期にカトリックの宣教師が伝えたカステラ。

元々は和菓子メーカーだったけれど、その技術を活かし、洋菓子販売に転換した、ありあけのハーバー。

侍ハーバーには日本の歴史が詰まっているといっても過言ではありません。

紅茶、コーヒー、もちろん緑茶にもあい、個別包装されていてお土産にも最適です。

他のハーバーはモダンな洋菓子であることが持ち味なのに、こちらはしっかりと和菓子。

抹茶をかすてら生地、餡、蜜にまで加えていて、器用な菓子だなぁとしみじみ思いました。

これぞ和洋折衷の強みであり、海の開かれた神奈川にふさわしい味でしょう。

ただひとつ惜しまれることは期間限定であること。

大河が終わった後はロゴを外し、愛くるしい栄西の似顔絵つきで販売していただけたら嬉しいものです。


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【参考文献】
小島毅編『義経から一豊へ: 大河ドラマを海域にひらく』(→amazon
小島毅『義経の東アジア』(→amazon
小島毅『中国の歴史7 中国思想と宗教の奔流』(→amazon
藤田賀久/藤村泰夫『神奈川から考える世界史』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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