源義経が仮御所に来ました。
頼朝が、奥州に何年いたのか?と義経に尋ねると、藤原秀衡のもとで六年、我が子のようにかわいがられたと答えます。
政子が良い所でしょと問いかけると、平泉はこことは比べものにならぬほど良い所だと義経があっけらかんと言ってしまう。
頼朝が少し戸惑いながら、鎌倉も負けないほど美しくするというと、義経はこうだ。
「いやあどうでしょう。難しいんじゃないですか」
比喩や皮肉、お世辞の類は一切通じない。そんな性格の義経は奥州の藤原秀衡に文を書き、三千の兵を送るよう頼んだと言います。
さらには明るくキッパリ「憎き清盛入道を討ち果たそう!」と満面の笑みを浮かべるのでした。
さて、その秀衡は――。
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利に聡い奥州の秀衡
確かに奥州藤原氏はよい生活を送っています。
京風の装束。美しい布地。
この生地は日宋貿易の成果かもしれません。
義経から文を受け取った秀衡は、子の藤原国衡と藤原泰衡と語り合っています。
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しかし同時に平清盛からも文が来ている。
秀衡は老獪だ。いつまでに、と期日は示さず、どちらにも兵を送ると返事をする。
それからこう付け足す。
「九郎ほどの才があれば、己一人で大願を果たそう……」
このやりとりと衣装、背景から、藤原一族の栄華が見えてきます。
日宋貿易は、奥州の砂金がなければ話にならない。義経を引き取った背景には、野心もあります。
奇貨居くべし。
後の始皇帝の父となる子楚(しそ)を保護した大商人の呂不韋(りょふい)。情けというより、味方に置いておけばいつか儲かる、そう判断した。
秀衡はそういう利に聡い人物なのでしょう。
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実際に、近年の研究では奥州藤原氏と京都朝廷との関係性も明かされてきているとか。
そういうことを全部説明するとキリがないけれども、短い時間でそう奥行きを見せてきました。
そして義経は、自分がそういう利害ありきの存在で愛されていたことに、いつ気付くのか……。
清盛の本気
後白河法皇は、【富士川の戦い】で逃げ帰った平家のことが楽しくてたまらない様子です。
丹後局のマッサージを受けつつ、大喜びをしている。
「(大将の平維盛は)僅か十騎で逃げ帰った!」
と喜びが止まりません。
平維盛が平家敗北の戦犯なのか~富士川の戦いで惨敗した後はどうなった?
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この僅か十騎というあたりが、源平合戦らしさかもしれない。
戦国時代ならば、本能寺の変後の明智光秀のように、落武者狩りにあってもおかしくないほどの劣勢です。当然のことながら、当時は撤退戦もできていない。
そこへ平知康がやってきて、平清盛と平宗盛親子の来訪を告げます。
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宗盛は謀反を起こした頼朝を討とうとしたものの、兵糧が尽きたので一旦兵を退いたと誤魔化しています。
この古典的な言い訳よ。
【赤壁の戦い】でも、曹操の言い分はこうでした。
「疫病が流行したから、船を焼いて帰ってきただけ!」
こういう言い分は過大評価できません。戦場の跡地から、折れた武器だの人骨が出てくる。この手の話で濁すときは、十中八九、ボロ負けしているんですね。
清盛は、追悼の采配を自ら握ると力を込めます。
賊徒を鎮めるためならば、もはや策を選ばぬ所存……そう言い切りました。
それにしても小泉進次郎さんの宗盛よ。
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兄・平重盛との対比で暗愚とされるものの、そこまで悪くなかったんじゃないか、運が悪かっただけではないかと思えます。
維盛もそう。見ていて、ほんと気の毒です。
文覚と仏教の在り方とは?
一方の後白河法皇も手段を選ばないことにしたようだ。
「おひさしゅうございます、法皇様……」
「そなたは呪いが得意なそうじゃが、人を呪い殺すことはできるか?」
「さて……誰に死んでもらいましょうかな?」
ヌメヌメした動きの文覚です。
高笑いする後白河法皇。この時代ですので、呪殺は本気です。
このあと実際に呪いが効いたわけでもないでしょうが、清盛は死ぬわけです。
大往生を遂げないと「呪いで死んだ!」と書かれる時代ですし、本作の登場人物も、そういうことばかり。
それにしても、ほくそ笑む丹後局の華麗で邪悪な美しさよ。濃く赤い牡丹がパッと咲いて笑っているような、凄まじいほどの美貌です。
そして文覚。
この方を見ていると「日本の仏教とは?」と考えてしまう。
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鎌倉仏教の有名な研究者の方が、語っていたことを思い出します。
その先生は、海外で学会に参加。研究を発表したあと、周囲にこう声をかけました。
「さぁここから先は、ビールでも飲みながら語りましょうか」
するとタイ人の研究者が困惑しながら答えた。
「仏の教えを、酒を飲みながら語るのですか?」
真正面からそう指摘され、仏の教えをそこまで実践できていないかもしれないと、恥ずかしくなったそうです。
来日したタイ人の若い女優さんが、日本で行きたいところを問われ、こう返答したことも思い出します。
「鎌倉! 大きな仏像があるんですよね」
そう、その大仏を生み出した鎌倉仏教って、いったい何なのか……?
本作ではまだそこまで至らないから、仏僧がこうなのか。それとも文覚個人の問題か。悩ましいところです。
命乞いの経俊は放免され大庭は……
平家の後ろ盾を得て、坂東の大幹部であった大庭景親が、縄目に縛られています。
彼は平然と言ってのける。
「よう、ご両人!」
落ち着き払った大庭景親の横では、山内首藤経俊が「佐殿に会わせてくれ、頼む!」と情けないほどの助命嘆願をしています。
景親はなおも、北条と三浦を嘲笑います。
「頼朝ごときに飼い慣らされおって情けない! 今からでも遅くない、平相国は寛大なお方だ、悔い改めて平相国のために尽くせ! お主らのために言うておる」
遅れて現れた上総広常が横から愚痴る。
「どちらが敗軍の将かわからねえな」
そして山内首藤経俊の赦免を伝えました。
なんでも母親が泣きついたとか。山内尼は頼朝の乳母であるため、頼朝も折れたとのこと。
みっともなかった山内首藤経俊はとりあえず放免。この後出番はあるのかどうか。あってもなくても対して差はありません。なにせ、無能であると頼朝に言われておりますので。
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ただ、彼のようにみっともなく助命嘆願をすることって、大事ではないでしょうか。
死にたくないなんて誰だって当然だ。それを合戦を円滑にするため、【命乞いはみっともないことだ】という規範を作り、将兵たちに刷り込んできたのが人類です。
山内首藤経俊は、素直でよい人物なのでしょう。
景親は大笑いをしている。
かつて頼朝の命を救い、伊東と北条の間を収めたことが命取りになったと振り返っています。そして……。
「あのとき頼朝を殺しておけばと、お前もきっとそう思う時が来るかもしれんぞ! 上総介、せいぜい気をつけることだ!」
そう笑いながら言い、広常に斬られる景親でした。
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國村隼さんが演じたからなのか、なんともおそろしい場面かもしれない。この大庭景親こそ、呪いを残して世を去ったのではないかと……。
その景親の首が晒されています。
生きているかのようと言われる顔が、チラッとアップに……。その首を前に、舅にあたる伊東祐親の心配をする時政と義澄です。
今週の遺体損壊――今回はリアルな生首を作ってきました。
NHKにも生首制作チームはありまして、今のところリメイク版『柳生一族の陰謀』と本作ぐらいしか出番はなさそうですが、数少ない出番にきっと気合が入ったことでしょう。
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そりゃ出演者の皆様も、子どもには見せたくないでしょうねぇ。
生首そのものが不気味であると同時に、恐ろしいのが、その光景を前にごく普通に生きている中世人でしょう。現代人にとっての標識くらいの感覚で日常を生きています。
このドラマは笑いばかりがクローズアップされますが、実は無惨で残虐だということも注目すべきではないでしょうか。
ほのぼのと残虐が同時展開する時代です。
伊東親子の再会は牢の内外で
三浦館では、伊東親子が三人揃っていました。
頑なな父・祐親に対して、祐清はどこかスッキリ。何か欲しいものがあったら手配すると三浦義村が言いにきます。
父子は牢内にいて、八重は義村の隣。その八重を見て、祐親はこう言うのです。
「八重、お前も男に生まれて来れば同じことをしたはずじゃ。愛しい娘を持っておれば……」
「過ぎたことです」
かつて父に逆らえぬと言っていたこの娘は、そうキッパリと返します。
「今日もこれから行くのか?」
祐清は、八重が侍女になったことを知っています。
驚く祐親。少しでも佐殿の役に立ちたい思いが健気だと祐清が言うと、義村がこう言います。
「あなた、なんでもかんでも喋りゃいいってもんじゃないでしょう。参りましょう」
「馬鹿めが!」
祐親が、悔しそうに泣き出しています。
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ここも面白いところで、義村がなぜあんな可愛げのない口調でそう言ったかというと、彼なりにイライラしたのでしょう。
祐親の息子・祐清は何も気づかず美談で語ったのかもしれないけれども、そんなことを言えばどれほど祐親が傷つくのか、義村は理解していた。
義村は、あんな爺さんでも俺の身内だと庇ったこともありました。
ただの血筋だけでなく、性格的に似ているのではないでしょうか。母親を通した隔世遺伝です。
幼い頃から周囲に理解されにくい義村でしたが、爺様はむしろわかってくれる、平六は話が通じてむしろ扱いやすい、気が合うと言ってくれる。
他の大人と違って手抜きせずに遊んでくれるところも好き。
そういう爺様の気持ちは俺が一番理解できるという思いが、孫として義村にあると思います。
そしてそんな爺様に似た隔世遺伝仲間に、実衣もいる。
祐親も、義村も、自分の愛情を相手にうまく伝えられないんでしょうね。まあ、平六はこれからがんばることです。
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