文治3年(1187年)――平泉に山伏姿の義経がいます。
藤原秀衡は、義経をほぼ単身で送り出したことを悔やんでいた。
自ら兵を挙げていれば……しかし、天下を目指すには、奥州はあまりに重かったのだと。
「まあよい。代わりにお前が日本一の英雄となった。これほど嬉しいことはない。平家を倒したのはお前だ。ようやった、九郎」
褒め称える秀衡を見て、義経は感極まった顔をしています。
彼は褒められたかったのです。
『麒麟がくる』の織田信長と似ています。信長も賞賛が欲しかった。自分を褒める妻の帰蝶を「あれは母親じゃ」と語っていた。
褒められることに飢えている者にとって、自分を褒めてくれる相手は、父であり、母になる。
義経は“父”を求めていたのでしょう。後白河法皇は偽の父に過ぎなかった。
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あるいは頼朝が褒めてやることができれば、兄と父が一つになっていただろうに……現実はそうはなりませんでした。
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蝉の抜け殻
鎌倉では、頼朝が悟ったような顔で言います。
「九郎が平泉に姿を見せた」
藤原秀衡と義経が組めば強大な敵となると安達盛長が懸念すると、頼朝も同意します。
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その一報を知った北条義時は、廊下をドスドスと歩きながら吐き捨てます。
「九郎殿! あれほど申したのに!」
義経への怒り……と同時に自分自身を説得しているのかもしれない。
義経を迎え入れることで、奥州は鎌倉最大の脅威となりました。
奥州平泉――藤原秀衡によって保たれていた均衡が崩れようとしているのです。
源平のみならず、奥州も含めた三国志状態。源平は長い争いで消耗していますが、平泉は無傷です。そんな油の中に義経という火種が入ることで、討伐対象となってしまう。
そのころ装束がまだ一段と美しくなった政子は、娘の大姫を見ていました。
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足立遠元とトンボを取り合っている大姫。政子はそんな娘を見て微笑んでいます。
と、そこへ乳母の道に連れられて万寿がやってきた。
庭で見つけた珍しいものがあると、万寿が大姫に見せたのは「蝉の抜け殻」でした。かつて木曽義高が集めていたものです。
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思わず衝撃を受ける大姫。
「姫!」
母の政子が慌てて声をかけるも、彼女はどこかへ去っていきます。
娘を心配した政子は、頼朝に語りかけます。ようやく笑ってくれるようになったけれど……しかし頼朝はもう別のことを考えていた。
「案ずるな、左様なことはじきに忘れる。忘れたことにする。姫を入内させる」
「入内?」
ギョッとして聞き返す政子。頼朝は帝の妃にすると言い出しました。なんでも、二歳違いで、よい頃合いだとか。
この場面は重要です。
大姫の心を踏みつけにしてでも入内させたい頼朝。それに不安がある政子。受け入れそうもない大姫。
後白河法皇に煮え湯を飲まされたようで、頼朝は接近を図っていたのです。
朝廷と鎌倉の距離感はなかなか重要で、本作のテーマといえるでしょう。それはオープニングでも示されています。
二つの力はぶつかり合う。今後はそのパワーバランスに注目したいところ。
「そなたが大将軍だ」
平泉では、藤原秀衡が生涯を終えようとしていました。
泰衡を御館にする。
国衡は秀衡の妻・とくを嫁に取る。
「はい?」
思わず国衡が聞き返すと、とくはこう続けます。
「ばばあですが、何とぞ……」
とくは国衡の実母ではなく、かつ身分が高い。年齢順でいえば国衡が泰衡より上なのですが、母の身分によって泰衡が上に来ています。
そういうバランスを取るために、国衡に身分の高い、しかも泰衡の母を妻とすることで、敬意を持たせようとしたんですね。
これは年齢の問題じゃないし、ましてや笑うところでもない。
当時の奥州には、儒教規範がないとわかります。
儒教規範は近親婚を嫌います。義母だろうが子と結婚するなんて、おぞましいこと。ゆえに理解されにくいでしょうし、後世の人も目を逸らしたくなるような話です。
ここで秀衡はさらに義経を呼び、こう言い出す。
「そなたが大将軍だ」
「私が」
「九郎のもとで力を合わせよ」
「かしこまりました!」
国衡はそう即答するも、泰衡は不満そうな顔をしています。
秀衡は最期の力を振り絞り、庭に立つとふらふらと歩いていう。
「もう少し、わしに時があったら……鎌倉に攻め込んで……フフ……」
「御館……」
「父上!」
秀衡は倒れます。かくして、英雄は命を終えたのです。
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それにしても、また酷い遺言を残したものです。
平清盛も、息子たちを破滅に導く「源氏を倒せ」という遺言を残しました。
秀衡もそうなりそうです。
泰衡と国衡の仲を裂く
文治5年(1189年)4月――義時は、奥州に行きたいと頼朝に告げました。
慎重だった秀衡が死に、平泉はどうなるのか?
平泉に行かせて欲しい。義経を必ず連れて戻ると言います。
頼朝はさらさらと筆を走らせつつ「任せる」と素っ気なく答える。大泉洋さんの所作がいつも流麗ですね。
「生かして連れて帰るな。災いの種を残してはならぬ。だが決して、直に手を下してはならん」
頼朝は自分の考えた策を告げます。
泰衡と国衡は兄弟仲が悪い。ゆえに二人の間を裂き、泰衡に取り入る。そして焚き付けて義経を討たせる。
そうすることで鎌倉が攻め入る大義名分を作る。
勝手に義経を討ったことを理由に平泉を滅ぼす――。
「悪どいか? 悪どいのう。この日本から鎌倉の敵を一掃する。やらねば戦は終わらぬ。新しい世を作るためじゃ」
そう語る頼朝に、義時は反論しません。むしろ天下草創の術を学んでいるように思える。
日本の武家政権のことをこの世界の誰もがまだ知らない。
日本が伝統的にしてきた、唐の国(中国)を参照するわけでもない。武家政権の始め方は、頼朝から学ぶしかないのです。頼朝はよい師匠であり、義時は優秀な弟子です。
悪どいことをしないで天下など掴めない。義時はそう学んでいる。
戦乱で増え続ける孤児たち
そんな義時が自宅に帰ると、八重は、預かっている子どもたちが遊んでいました。
「父上!」
我が子の金剛(北条泰時)が抱きついてきます。
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お土産はないかとねだる金剛。そういや義時は、八重にキノコや海産物をお土産にしていましたね。
八重は初という女の子に手習をしたのかと言っています。義村の娘でしょう。
子どもの数が多過ぎないか?と義時が問いかけると、八重は、日に日に増えていると返答。
明日から奥州に行ってくるという夫に対し、また戦かと不安そう。
藤原秀衡の供養のため、鎌倉殿の使いとして行くだけだと義時が返すと、一応は安堵する八重です。
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悪どい策を聞いた後で、このほのぼのとした場面。これは「トロッコ問題」かもしれません。
トロッコ問題とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という問いかけです。物事を単純化し過ぎた考え方だという批判はありますが、現実問題、義時はそれを突きつけられ、解決しました。
義経が平泉で立ち上がって、鎌倉に攻め入ったら?
八重の元にいる子どもが犠牲になるでしょう。
そして撃退したにせよ、八重が預かる子どももますます増える……戦で親が殺されれば、孤児は増えてしまいます。
孤児を増やさぬためには、義経のような危険な種は摘み取っておかねばならない。
もう、上総広常や源義高の頃のように迷う期間は終わりました。
任務をいかにしてこなすか?
問題は、そこにある。
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