長澤まさみさんの語りから始まった最終回。
頼朝が挙兵してからの出来事が詳細に記されているのだとのことですが、何か違和感があります。
いったい何なんだ?と思ったら、舞台は三河国、永禄7年(1564年)とのこと。
『吾妻鏡』を読んでいるのは後の征夷大将軍・徳川家康でした。
愛読者である彼もまた坂東に幕府を開くのであり、いよいよ始まる【承久の乱】に興奮し、思わず茶碗をひっくり返してしまう――。
来年の大河ドラマ『どうする家康』で主役を演じる松本潤さんを、予告より遥かに早く見せてきました。
しかしこれは遊び心だけでなく、なかなか重要な描写かもしれません。
徳川家康は『吾妻鏡』の愛読者どころか、散逸したものを集めて復元するほどでした。
坂東に都を築くことも北条氏以来のことであり、『鎌倉殿の13人』の中に歴史の大きな転換点があったことを俯瞰するように見せてきます。
長澤まさみさんは、いわば天命の声。
歴史を俯瞰する意識というのが心地よい一年でしたが、思い返せば2021年大河『青天を衝け』の結末がどうしても解せなかったのは、その点です。
渋沢栄一が亡くなった後、昭和という時代に日本はアジア太平洋戦争へ突入し、史上最大の損耗を迎えた。そういう絶望的な未来が眼前に迫ってきているのに、どこか明るいスタンスで、どうにも歯がゆかった。
今年はそれを克服しました。
細かい点ですが、家康が割とラフにお茶を飲んでいましたよね。
そもそも武士が気軽にしっかりと本を読んでいた。
『麒麟がくる』の光秀も『吾妻鏡』に目を通していましたが、鎌倉と比べてそれだけ文明が進歩した。お茶も教養も身近になった。
武士は文武両道の存在となったのです。
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箱根の山は天下の険
そして最後となるオープニングが流れ、再び長澤まさみさんのナレーションへ。
上皇は全国に義時追討を命じた。
鎌倉は徹底抗戦を選ぶ。
この国の成り立ちを根こそぎ変える戦乱が、目の前に迫っている。
北条政子の演説で気勢を上げる御家人たち――彼らを眺める長沼宗政が「これでは勝つんじゃないか?」と困った顔を浮かべると、隣にいた義村は「わからんぞ」と何やら悪どい顔。
今は盛り上がっていても、いざ上皇様が出てきたら戦えるかどうか、疑わしいと踏んでいます。
これも重要な伏線でしょう。
御家人たちは守りを固めるのは箱根か?などと言い合っている。
京まで攻め込むことに躊躇しているのであり、そのとき箱根を防御ポイントにしているのは非常に意味があるものでした。
古来より箱根の山は天下の険とされています。
ゆえに相模の武士団は、箱根という地の利で戦う想定をしていた。
このドラマで序盤から出てきている相模の武士たちは箱根を背負って戦う誇りがあった。
幕末でも、切れ者の小栗忠順はその地の利を計算に入れて防衛戦を考えていたわけです。
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実際は、及び腰の徳川慶喜が却下して終わってしまうのですが、『鎌倉殿の13人』は俯瞰で見せてくるため、時折、意識が幕末まで飛んでしまいますね。
三善康信「一刻も早く出陣を」
二階堂行政が怒りを炸裂させています。
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孫娘で義時の妻であるのえに対し、「どうして止めなかったのか!」とかなり強い口調で詰め寄っている。
「よいではないですか」
祖父の言葉など真面目に聞いてないのか。のえは鏡を覗き込み、黒髪を梳っている。
なんとも妖艶な表情で、太郎や次郎にもしものことがあれば北条の跡取りは我が息子だと言っています。
「ばかもん! そのころは鎌倉は灰になっておるわ!」
二階堂行政が再び激怒し、全力でのえを叱り飛ばします。
確かに彼女の限界も浮かんできますね。
武士の妻ならば、我が子がこの大戦で兄を上回る戦功を立てるべきだ!と考え、叱咤激励せねばならない場面なのですが、要は彼女には覚悟が足りていないのです。
その一方で、なぜ、ああもふてぶてしく髪を梳かしているのか?
この美しさを愛でるのは自分だけ。だからうっとりと鏡を覗き込む。そんな風に行動しているのだとしたら、とことん寂しい人に思えます。
そのころ幕府の上層部では、朝廷軍に対する戦術を検討していました。
北条時房は東海道を進むと言い出す。
平家が勝てなかったのは、追討軍を送るのが遅れたからだと言い切るのは大江広元。
泰時は、父の義時に総大将となるよう言われて戸惑います。そして義時も自ら出陣しようとすると、首を狙われているのだからと政子に止められる。
するとそこへ杖をついた三善康信がやってきました。
老骨に鞭打ち献策しにきたとのことで、
「時を無駄にせず、一刻も早く出陣を」
と言うと、政子が早速その策に乗ろうとして一同をまとめます。
思えば三善康信の誤認識で始まった源頼朝の戦い。その結果、鎌倉に武士の政権ができ、朝廷と対峙するにまで成長しました。
運命の鍵を握っているのは、この老人かもしれません。
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康信の前に、大江広元も同じような献策をしていましたが、尼将軍の決断ならば彼も納得でしょう。
冷たい夫婦
泰時は、自分に総大将が務まるのか?と、義時に訴えます。
光栄ではある。しかし自分の名前で兵が集まるのか疑問に感じている。
そんな泰時に対し、北条の家の運命がかかっているからにはお前がやるしかないと励ましながら、義時は「山木攻め」のことを思い出します。
頼朝が挙兵し、最初に攻め込んだ節目の一戦です。
あのときは24人だったと振り返ると、今回は「18人で立ち上がれ」と命じます。
「私を入れて19人か……」
思わず泰時が戸惑っていると、義時はこうだ。
「お前を入れて18人だ」
源頼朝のように兵が集まるのか……とやっぱり自信を持てない泰時ですが、反対まではしておらず、彼なりの勝算はあるのかもしれません。
「鎌倉の命運、お前に託した」
義時はそう言いながら泰時の肩を叩く。この父と子は通じあうものがありました。
息子との協議を終えて、義時が一人で縁側にいると、のえがしずしずとやってきます。
「あんまりではないですか。なぜ一言もなかったんですか」
「すまん」
「普通は妻の耳には入れるもの……」
「言ったら反対したであろう」
「嘘。忘れていただけでしょう。悩んだ末に言わなかったみたいな物言いはやめてほしいわ」
「すまん」
「執権の妻がこんな大事なことを人から聞くってどういうこと?」
のえに責められる義時――「夫が妻に何も伝えていない」というのは、執権がどうとか、そんなことに関係なく大変なことでしょう。
最も秘密が漏れやすいのは閨の中というのはお約束です。江戸時代の将軍大奥には、だからこそ付き添いがいました。
義時は、八重とも、比奈とも、夜に二人で語り合う場面があった。
のえとの間にも子供はいますが、二人が大事なことを語り合うシーンは劇中になかった。のえは源仲章とのほうが熱っぽく語っていた。
ずっと冷たい夫婦だったのです。
幕府軍は19万だと!?
三浦義村が出陣の準備を整えています。
「兵はせいぜい2千集まればよいところだ」と長沼宗政に見通しを伝えると、俺たちも出陣すると告げる。
なんでも「木曽川の手前で背後から攻め、泰時の首を後鳥羽上皇への手土産にして京都入りを果たす」んですと。
しかし、泰時の兵の数は、瞬く間に1万を超えました。策が当たったと、父に感心しています。
ここでの義村は、彼の限界が浮かんでしまってますね。
「人の心がどう動くか?」という見立てがどうにも甘い。北条政子の演説や北条泰時の人柄を過小評価してしまっている。理と利に聡いと、こうなってしまうのかもしれません。
では義村が頼ろうとしている後鳥羽院は?
御所では藤原兼子が「(幕府の出方は)どうなっています?」と後鳥羽院に尋ねていました。
義時からの書状を読み上げる後鳥羽院。
東海道、東山道、北陸道を19万の坂東武者が上洛する。
西国武士との合戦を御簾の筋隅からご覧あれ。
「ふざけたことを!」
と兼子が怒ったところで、もうどうにもなりません。
幕府軍19万に対し、後鳥羽院が動かせる兵数は、藤原秀康によると1万余りだとか。
「19万など、どうせまやかしに決まっている!」
そう毒づく後白河院ですが、確かにこの数字は誇張であり、信憑性は薄いとされますね。
問題はそこじゃないでしょう。
敵の兵数は、ある程度、計算はできるものです。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、序盤で斎藤道三が、我が子の斎藤高政と、明智光秀に数珠の数を数えさせていました。
高政がうまくできないと、それでは戦に勝てないと失望していたものです。
では実際、どうすれば兵数を把握できるか?
例えば、進軍速度、かまどからあがる煙など、判断材料は色々とあります。
そういう根拠が無く、願望だけで戦況を語っているから官軍はまずいのです。合戦への想定が全く足りていません。
『三国志』に例を見てみましょう。
数字を盛ったうえで「狩をしよう!」と上から目線で孫権に迫ってきた曹操。
様々な状況を分析した周瑜は、敵の示す数字が大げさであると看破し、【赤壁の戦い】で勝利をおさめています。
夫(そ)れ未(いま)だ戦わずして廟算(びょうさん)して勝つ者は、算を得ること多ければなり。『孫子』「計篇」
【意訳】出陣前のシュミレーションで勝つと判断されたものは、事前にデータ解析をして勝てるようにしている
まずは数字の前提があり、たしかに戦場での士気は非常に大切ですが、かといって根性論だけでどうにかできるものでもないでしょう。それこそ士気に関わってきます。
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最終防衛ラインは宇治川か
6月5日――北条泰時は圧倒的な兵力で木曽川を越え、京都へ進撃。
宇治川が最終防衛線となりました。
実は日本の合戦は、防衛側が非常に手薄です。
それが顕著に現れているのが城と川。
戦国時代のゲームを見ていると、甲冑はじめ衣装は美麗なのに、一目で中国産だとわかる場合があります。
それは高い城壁を備えていることです。
『進撃の巨人』のように、都市が城壁でぐるりと囲まれていることが、中国やヨーロッパでは当たり前でしたが、日本の都市にはそれがない。
ゆえに「川」が非常に重要な防衛線となりました。
(守備側は)とにかく川を渡らせないようにする!
戦国時代ともなれば、川沿いに城や砦が築かれることもありましたが、そこまで防衛できないのが鎌倉時代の合戦です。
ドラマをご覧になられていて「承久の乱って最終回だけで大丈夫なの?」と疑問に思われた方も多いでしょうが、宇治川の防衛戦に注力すれば表現としてはなんとかなります。
ゆえに本作でもかなり盛られていて、本来は参戦してなかったはずの北条時房、北条朝時、三浦義村も戦場にいました。
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ともかく渡河(とか)は重要な局面です。
「渡河」と聞いてピクッとしないのは、もはや武将とは言えないぐらい重要であり、戦国時代のみなさんも「渡河くらいマトモにこなせない奴は基礎ができてないな」という態度を見せております。
思えばこのドラマでも、川は序盤から大事でした。
頼朝の挙兵直後、北条と合流しようとした三浦軍の前に、増水した川が立ちはだかり、父の三浦義澄は苦渋の決断で断念する一方、子の義村はあっさり北条を見捨てていましたね。
冷たいと言えばそうかもしれませんが、増水で川を渡れないという言い分なら相手も納得するしかありません。
川を渡るとなると攻撃も防御もできず、極めて危険なのです。
そんなベテラン義村も参加して、平等院で作戦会議。ぐずぐずしていると大変なことになる!と軍議に現れ文句を言う義村です。
「そんなことはわかっております!」
義村の態度にイライラしていたのは北条朝時。「これだから戦の経験のない者は……」とか上から目線で語る義村に対し、痛烈な一言を浴びせます。
「じじい、うるせえんだよ」
「誰が言った?」
思わずピクッと、キレそうになる義村。
無理に川を渡ろうとしたものが次々に溺れていると時房が言うと、流されることを見越して上流から渡れと義村が助言する。
と、再び、朝時がボソッと毒づく。
「訳わかんねえんだよ、じじい」
「誰が言ったぁあああ!」
それに対し、義村が凄まじい剣幕で義村が大声を上げます。
すると泰時の配下である平盛綱が「あれしかない……」と話し始めました。
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