悲田院で疫病に伝染したのか、意識を失ってしまったまひろ。
すっかり回復すると、門の内側では乙丸が箒がけをしながら感極まっております。
気を失う直前、道長様の姿を見たような気がすると心の中で考えているまひろ。
乙丸が、何やら思い詰めた表情で近づいてきます。
「殿様(為時)でも仰せにならないことを私から伝えることはよくない……」と前置きしながら、まひろに向かって「姫様を助けたのは道長様です」と真相を告白します。
一晩寝ずの看病をして、昼前に帰った。
まひろは困惑しつつも、微笑みを浮かべます。
お好きな項目に飛べる目次
困窮する民を放置してよいのだろうか?
悲田院の惨状を知った道長は、道隆へ必死にそのことを伝えました。
しかし道隆は、道兼と道長の二人で「何をしているのか?」と罵るばかり。
道長は苛立ちながら、京の様子を探ってこそ、疫病対策ができると訴えます。
これまで疫病が内裏に及んだことはない、放っておけばよいとそっけない道長。救い小屋なぞ設けなくてよいと突っぱねます。
火事にあった弘徽殿の再建に金がかかるといいつつ、最高級の青磁の瓶から水を注ぎ、しきりに水を飲んでいる。
結局、救い小屋はお前らでやれと突き放すのでした。
ここで道隆が最も気にしていたのは、道兼と道長が手を組んでいることでした。
弟たちで、兄の道隆を追い落とそうと企んでいるのではないかと疑っているのです。
確かに、彼らの父である兼家の世代も兄弟間で激しく対立していました。
※以下は藤原兼家の関連記事となります
藤原兼家の権力に妄執した生涯62年を史実から振り返る『光る君へ』段田安則
続きを見る
兼家は長兄・伊尹と組み、二兄・兼通を除け者にするようなことをしていた。ちなみに伊尹の孫が藤原行成にあたります。
道長は、道隆に対し「追い落としたければこんな話はしない!!!」とかなり語気を荒げて、憮然としています。
しかし道隆は、道兼にはあるかもしれないと疑いを晴らすことができない。
確かに、跡継ぎレースに勝利するため汚れ仕事を請け負ってきた道兼の過去を考えれば、民のことなどを思って行動するなど、想像もできない姿でしょう。
かつての道兼は、庶民が疫病に苦しんでいようと憐れむような男ではなかった。
しかし、彼は変わりました。
ちやはを殺し、虫ケラ扱いをした頃とは違います。道兼は悪役のようで、そうではない、不思議な魅力が出てきました。
なお、民衆を救済しないのは、この時代の日本史が持つ特徴ともいえます。
中国史の場合、困り果てた民衆を放置すると、反乱が起きます。
王侯将相いずくんぞ種あらんや。『史記』
世の上に立つものは出自ではない。
こう言い出しながら蜂起する。
特に宗教勢力は求心力がありまして、『三国志』ファンならおなじみ「黄巾の乱」は、宗教勢力の蜂起です。
漢が採用した儒教には限界があると皆が思い始め、そこに老荘思想が入り込んでくる。黄巾党は壊滅したようで、思想は道教として残っています。
宗教や思想を持つ団体が、民衆の救済に手を出したらまずい……権力を取って代わられてしまう……。
そんな危機感が、この頃の平安貴族にはないんですね。
では、民衆の救済は歴史的にいつ始まったのか?
というと大河ドラマ『鎌倉殿の13人』最終盤で示されています。
源頼朝の血筋は消えてしまった。
北条氏は頼朝の妻である北条政子の一族ということで、政治権力を握っているけれども、正統性が薄い。
血統ではない正統性を求め、かつ北条泰時が仏教の救済を政治に反映させた結果が撫民仁政へとつながってゆきます。
ゴールデンウィークですので、鎌倉大仏を訪れる方は、その功徳を存分に味わってください。
鎌倉大仏は誰が何のために作った? なぜ建物の中ではなく外に座っている?
続きを見る
男の人生は、女が子を産むかどうかにかかっている
すっかり棘が抜けたように見える明子。今年はヘアメイクがとても綺麗で、瀧内公美さんの魅力を引き出す繊細さがあります。
俊賢は、そんな妹に「次は娘を産まねば」と迫りますが、最近、道長は来ていないんだとか。
お見えにならなければ身籠ることもできない――と、六条御息所を思わせる明子は、こういう台詞をチラッと言うだけでなんだか恐ろしいですよね。
忙しいのだろうと俊賢は言いつつ、お見えになったら娘を身籠り、入内させろと言います。
困惑する明子。
俊賢は笑い飛ばし、男の人生はそういうものだと開き直りながらも続けます。次の関白は道兼、右大臣は道長だと。
しかし明子は必ずしも出世ばかりを望んでいるわけではない様子。
なんでも「偉くなると妬む人がいるから心配」だそうで、道長を愛しているんですね。
俊賢が「心を持って行かれておる」と面白がると、兄上が望んだことだと素っ気ない。
俊賢を演じる本田大輔さんは、常に野心を募らせているあやしさがあって最高ですね。頭も切れる。
けれども、だからこそ少し虚しい。
もしもこの時代が、才覚でのしあがれる仕組みならば、彼はこんな妹の腹を使ったギャンブラーではなかったでしょう。
才能があるものがそれを腐らせる時代というのは虚しいもの。
空気を読んで強い者に屈するためだけに才知を使うとはなんて悲しいものでしょうか。
しかし、時代背景はそうでも、ドラマそのものはそうではないのが素晴らしいところです。
明子と俊賢は出番が多いとは言えないけれども、いつも魅力があふれています。ちょっと他の貴族とは趣が異なるところがまたよいものです。
倫子の財力は盤石だ
源倫子が笑みを浮かべながら、道長に「私の財産を使っても良い」と語りかけています。
「まことか!」と素直に喜ぶ道長。
倫子には、夫に思いのままの政をさせるだけの財力がありました。
「すまない」と語る道長に、私が渋ると思ったのか?と寛大さ見せる倫子。道長はそこまで太っ腹なのかと感心しています。
これは重要な伏線かもしれない。
倫子は前回、まひろの看病をした夫のことを勘付いていました。
けれども何をしようにも、これほどの財産があるならば夫は頭を下げてくる。
ならばネチネチと嫉妬などせず、どーんと構えていてもいい。後ろ盾のない『源氏物語』の紫の上とは違います。
かわいらしいようで、傑物ぶりを醸し出す黒木華さんがお見事です。器の大きい理想の妻とはまさに彼女のことでしょう。
これも当時の、夫婦の財産が別だという事情があります。
倫子の方が豊かなのです。人の立場や立居振る舞いは財産によるものだとこの作品はしっかりと見せてきますね。
倫子は微笑みつつ、悲田院にお出ましになった日はどちらにいたのかと問いかけます。高松殿(明子)の元ではないだろうと。
道長は高松ではなく、内裏に戻って朝まで仕事をしていたと言います。
倫子はあっさりとこう返します。
「さようでしたか、お許しを」
疑念が解けているかどうかは別として、倫子は余裕を持って対処できることでしょう。
案の定、道長は心の内では、まひろの快癒を願っておりますが……こんなに素敵な倫子がいるのに厚かましい奴ですね。
※続きは【次のページへ】をclick!