悲田院で疫病に伝染したのか、意識を失ってしまったまひろ。
すっかり回復すると、門の内側では乙丸が箒がけをしながら感極まっております。
気を失う直前、道長様の姿を見たような気がすると心の中で考えているまひろ。
乙丸が、何やら思い詰めた表情で近づいてきます。
「殿様(為時)でも仰せにならないことを私から伝えることはよくない……」と前置きしながら、まひろに向かって「姫様を助けたのは道長様です」と真相を告白します。
一晩寝ずの看病をして、昼前に帰った。
まひろは困惑しつつも、微笑みを浮かべます。
困窮する民を放置してよいのだろうか?
悲田院の惨状を知った道長は、道隆へ必死にそのことを伝えました。
しかし道隆は、道兼と道長の二人で「何をしているのか?」と罵るばかり。
道長は苛立ちながら、京の様子を探ってこそ、疫病対策ができると訴えます。
これまで疫病が内裏に及んだことはない、放っておけばよいとそっけない道長。救い小屋なぞ設けなくてよいと突っぱねます。
火事にあった弘徽殿の再建に金がかかるといいつつ、最高級の青磁の瓶から水を注ぎ、しきりに水を飲んでいる。
結局、救い小屋はお前らでやれと突き放すのでした。
ここで道隆が最も気にしていたのは、道兼と道長が手を組んでいることでした。
弟たちで、兄の道隆を追い落とそうと企んでいるのではないかと疑っているのです。
確かに、彼らの父である兼家の世代も兄弟間で激しく対立していました。
※以下は藤原兼家の関連記事となります
-

骨肉の権力争いを続けた藤原兼家62年の生涯|執拗なまでにこだわった関白の座
続きを見る
兼家は長兄・伊尹と組み、二兄・兼通を除け者にするようなことをしていた。ちなみに伊尹の孫が藤原行成にあたります。
道長は、道隆に対し「追い落としたければこんな話はしない!!!」とかなり語気を荒げて、憮然としています。
しかし道隆は、道兼にはあるかもしれないと疑いを晴らすことができない。
確かに、跡継ぎレースに勝利するため汚れ仕事を請け負ってきた道兼の過去を考えれば、民のことなどを思って行動するなど、想像もできない姿でしょう。
かつての道兼は、庶民が疫病に苦しんでいようと憐れむような男ではなかった。
しかし、彼は変わりました。
ちやはを殺し、虫ケラ扱いをした頃とは違います。道兼は悪役のようで、そうではない、不思議な魅力が出てきました。
なお、民衆を救済しないのは、この時代の日本史が持つ特徴ともいえます。
中国史の場合、困り果てた民衆を放置すると、反乱が起きます。
王侯将相いずくんぞ種あらんや。『史記』
世の上に立つものは出自ではない。
こう言い出しながら蜂起する。
特に宗教勢力は求心力がありまして、『三国志』ファンならおなじみ「黄巾の乱」は、宗教勢力の蜂起です。
漢が採用した儒教には限界があると皆が思い始め、そこに老荘思想が入り込んでくる。黄巾党は壊滅したようで、思想は道教として残っています。
宗教や思想を持つ団体が、民衆の救済に手を出したらまずい……権力を取って代わられてしまう……。
そんな危機感が、この頃の平安貴族にはないんですね。
では、民衆の救済は歴史的にいつ始まったのか?
というと大河ドラマ『鎌倉殿の13人』最終盤で示されています。
源頼朝の血筋は消えてしまった。
北条氏は頼朝の妻である北条政子の一族ということで、政治権力を握っているけれども、正統性が薄い。
血統ではない正統性を求め、かつ北条泰時が仏教の救済を政治に反映させた結果が撫民仁政へとつながってゆきます。
ゴールデンウィークですので、鎌倉大仏を訪れる方は、その功徳を存分に味わってください。
-

鎌倉大仏は誰が何のために作った? なぜ建物の中ではなく外に座っている?
続きを見る
男の人生は、女が子を産むかどうかにかかっている
源明子は赤ん坊を乳母に任せ、兄の源俊賢と話すことにします。
すっかり棘が抜けたように見える明子。今年はヘアメイクがとても綺麗で、瀧内公美さんの魅力を引き出す繊細さがあります。
俊賢は、そんな妹に「次は娘を産まねば」と迫りますが、最近、道長は来ていないんだとか。
お見えにならなければ身籠ることもできない――と、六条御息所を思わせる明子は、こういう台詞をチラッと言うだけでなんだか恐ろしいですよね。
忙しいのだろうと俊賢は言いつつ、お見えになったら娘を身籠り、入内させろと言います。
困惑する明子。
俊賢は笑い飛ばし、男の人生はそういうものだと開き直りながらも続けます。次の関白は道兼、右大臣は道長だと。
しかし明子は必ずしも出世ばかりを望んでいるわけではない様子。
なんでも「偉くなると妬む人がいるから心配」だそうで、道長を愛しているんですね。
俊賢が「心を持って行かれておる」と面白がると、兄上が望んだことだと素っ気ない。
俊賢を演じる本田大輔さんは、常に野心を募らせているあやしさがあって最高ですね。頭も切れる。
けれども、だからこそ少し虚しい。
もしもこの時代が、才覚でのしあがれる仕組みならば、彼はこんな妹の腹を使ったギャンブラーではなかったでしょう。
才能があるものがそれを腐らせる時代というのは虚しいもの。
空気を読んで強い者に屈するためだけに才知を使うとはなんて悲しいものでしょうか。
しかし、時代背景はそうでも、ドラマそのものはそうではないのが素晴らしいところです。
明子と俊賢は出番が多いとは言えないけれども、いつも魅力があふれています。ちょっと他の貴族とは趣が異なるところがまたよいものです。
倫子の財力は盤石だ
源倫子が笑みを浮かべながら、道長に「私の財産を使っても良い」と語りかけています。
「まことか!」と素直に喜ぶ道長。
倫子には、夫に思いのままの政をさせるだけの財力がありました。
「すまない」と語る道長に、私が渋ると思ったのか?と寛大さ見せる倫子。道長はそこまで太っ腹なのかと感心しています。
これは重要な伏線かもしれない。
倫子は前回、まひろの看病をした夫のことを勘付いていました。
けれども何をしようにも、これほどの財産があるならば夫は頭を下げてくる。
ならばネチネチと嫉妬などせず、どーんと構えていてもいい。後ろ盾のない『源氏物語』の紫の上とは違います。
かわいらしいようで、傑物ぶりを醸し出す黒木華さんがお見事です。器の大きい理想の妻とはまさに彼女のことでしょう。
これも当時の、夫婦の財産が別だという事情があります。
倫子の方が豊かなのです。人の立場や立居振る舞いは財産によるものだとこの作品はしっかりと見せてきますね。
倫子は微笑みつつ、悲田院にお出ましになった日はどちらにいたのかと問いかけます。高松殿(明子)の元ではないだろうと。
道長は高松ではなく、内裏に戻って朝まで仕事をしていたと言います。
倫子はあっさりとこう返します。
「さようでしたか、お許しを」
疑念が解けているかどうかは別として、倫子は余裕を持って対処できることでしょう。
案の定、道長は心の内では、まひろの快癒を願っておりますが……こんなに素敵な倫子がいるのに厚かましい奴ですね。
姫様と大納言の関係は?
まひろが『荘子』を書写しています。
漢籍の書き方と、かな文字の違いに注目したいところです。
漢字書道とかな書道は別物。
現在の学校教育で習う書道は漢字書道となります。
吉高由里子さんは左利きで、右手で筆を持つとかえって力が抜けてよいのだとか。
-

かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代
続きを見る
すると父の藤原為時が入ってきて、大納言様こと道長との関係を尋ねてきます。
素っ気なく、何とも無いと答えるまひろ。
為時は、看病の様子が只事ではなかったと食い下がりながら、道長の妾になることを遠回しに進めてきます。どうでもいい女子の看病をあんなに熱心にするわけがない。
「それはない」ときっぱり断るまひろ。
もしそうならば、今ごろ文が届いていると返します。為時はこれからくるかも知れぬと粘るものの、まひろは打ち切ります。
「お望み通りになれず、申し訳ありません」
為時なりに考えたんでしょうね。あの誠実さなら、娘は捨てられない……と。
しかし、当の娘がこんな調子ではどうしようもない。とぼとぼ部屋へ戻ろうとすると、いとが引っ張って「あれは絶対に何かある!」と迫ります。女の私にはわかるのだとか。
「姫様と大納言様は間違いない! 私の目に狂いはない!」
と、大興奮しているいと。これは倫子も女の勘で道長とまひろの関係を見抜くという前振りでしょうか。
一方、道長は、まひろの様子を見てくれと百舌彦に頼んでいます。
抵抗するも、断固として道長に命じられてしまう百舌彦。
いやいやながらもやってきた百舌彦は、庭掃除をする乙丸に、犬の鳴き真似で話しかけます。
乙丸も、道長様の命令で来られても困る、そちらの殿にもやめさせて欲しいと訴えています。
「誰?」
まひろが出てきました。
乙丸が「野良犬です」と返すと、「百舌彦ではないか?」とアッサリ見破られ、しぶしぶ「おひさしゅうございま〜す」と返す百舌彦。
百舌彦も悲田院で助けてくれたのか?というと、相手はシラを切ります。
「ありがとう」
丁寧にお礼を言うまひろ、戸惑う百舌彦。しらを切り、ほっつき歩いていたら乙丸に会っただけだと言います。
「本当に懐かしいわね」
さて、そのころ道長は疫病対策を実施中。近国から招き寄せ人手不足を補うと指示を出しています。
資金が高くついても構わないと命令を下すわけですが、その資金源は倫子でしょう?
そりゃ百舌彦も、まひろの様子を見たくないわけだわ。
一方で、まひろは考えています。
なぜ道長は悲田院に来たのだろう?
まさか七年前の約束を覚えている?
思わず考えてしまうまひろ。
彼女が望む世を作るべく、精一杯つとめようと胸に誓うと彼は語りました。
ギターの情熱的な調べが響いています。今年は劇伴がドラマチックで美しい。
貴公子たちは今日も女子と戯れる
中関白家では、藤原道隆が貴子の膝枕で休んでいました。
「子どもの目がある」と貴子が言うと、藤原伊周は「ご遠慮なく」と返す。弟の藤原隆家は呆れているようにも見えます。
貴子を見そめたのは、内裏の内侍所(ないしどころ)であったと振り返る道隆に対し、そうだったと応じる貴子。
-

伊周や定子の母・高階貴子|没落する中関白家でどんな生涯を送ったのか
続きを見る
このあと兄弟は廊下に出て、二人で話を始めます。
伊周は太政大臣の三の君・光子のところへ通うのだとか。かりそめの女子にしては身分が高いようです。
伊周は家に帰ると子が泣いていてうるさいと言っていますが……彼もまた子ができるとよりつかなくなるダメ夫でした。
あんな父上(道隆)を見ていられないと張り切って出かけることにするのでした。
なお、太政大臣とは藤原為光のことです。
故人であり、太政大臣の娘だろうと、父が亡くなれば困窮してしまう。
こういう姫君は、貴公子がちょっと手出しするには、ガードが緩くて身分が高くてお買い得。そんな半額シールが貼られた惣菜のような扱いにまで落ちてしまいます。
とはいえ、ここで「三の君」とありました。他に姉妹もいることを覚えておきましょう。
清少納言が花瓶に入れた花を運んでいると、藤原斉信がなぜ返歌をよこさないのかと話しかけてきます。
軽くあしらう清少納言。
斉信は「とぼけるな、俺をコケにするとはけしからん」と言いつつ、清少納言の胸元に花を差し入れます。
「深い仲になったからって、自分の女みたいに言わないで」
突き放す清少納言に対し、男ができたのか?と邪推し始める斉信。前の夫とよりを戻したのかと問い詰めます。
「だったらどうなの?」
「……そうなんだ」
悔しそうな斉信に対し、そうじゃないとあしらいながら、こう続けます。
「そういうことをネチネチ聞くあなたは本当に嫌」
唇を重ねようとする斉信からするりと身を引き「そろそろ(定子たちが)お来しになるわ」と言い残す清少納言でした。
これぞ恋愛の達人といったところでしょうか。
『枕草子』には斉信がストーキングしていることが書かれている。清少納言はさんざん相手を焦らしている。その様がこうして描かれています。
-

道隆から道長への鞍替えに成功した藤原斉信|寛弘の四納言と呼ばれる
続きを見る
彼女は藤原行成とも優雅な恋の戯れをしておりました。
斉信も、恋する男の愛嬌が見えています。
政治やら家の存続を抜きにして、出世には何の関係もない、身分の低い女に翻弄されてしまう。
斉信の恋する姿が見られるのは清少納言のおかげであり、『枕草子』はやはり偉大だと思います。
清少納言がリア充アピールをした結果、その相手は名を刻んだのです。
全くたいしたファムファタルですね。
-

清少納言は史実でも陽キャだった?結婚歴や枕草子に注目
続きを見る
道隆の寿命は尽きた、改元しても天命には響かない
藤原道隆は笛を演奏している最中、皆の前で倒れてしまいました。
『枕草子』で描かれた幸福感あふれる世界は、かくして終わってゆくのです。
その道隆に安倍晴明が呼び出されました。
目がかすんで喉が渇く。手がしびれる。誰かの呪詛に違いないと語る道隆。
道兼、詮子、道長の心持ちすらわからず、皆がわが死を待ち望んでいると訴えるのですが……それは呪詛ではない、寿命がつきかけていると素っ気ない晴明。
ならば寿命を延ばすよう祈祷せよと道隆に言われると、一応は「難しいがやってみる」と返します。
しかし晴明は自邸に戻ると、従者の須麻流に「関白の祈祷をせよ」とそっけなく命じます。
須麻流が驚いていると、関白は何をしても助からないと答える晴明。ならば、苦しみをやわらげるために祈ると須麻流も返します。
「あー、疲れた! 病のものの穢れをもらった」
晴明が、うんざりしたようにつぶやき、自分自身のために祈るのでした。
995年が明けます。
道隆が「長徳」に改元すると強引に言い出しました。
自らの不安を覆したいのでしょうか。表向きは疫病からの復興かもしれませんが、晴明とのやりとりの後にこんなことを言い出すと、手遅れ感に満ち溢れますね。
これを吟味する公卿たちはどうにもピンとこない。実資が「チョートク、チョートク……」とつぶやいています。
「長徳」どころか「長毒」だと、文字が苦手な藤原道綱が言い出しました。
まあ、道綱が愚かだと言いたいようで、実際そういう意見は当時あったとか。
実資は帝の若さを嘆いています。「いくらなんでも関白の言うことを聞きすぎである」と言うのですが、その帝が御簾の奥で聞いているのです。
長徳になれば災いが増えると実資は嘆きますが、結局、改元されてしまいました。
これほど博識な実資の意見が通らず、日記でその嘆きをたどるほかなく、横暴が通ってしまうところが日本史政治の闇でしょうか。
「門閥制度は親の仇」と書き記した福沢諭吉と、実資は気が合いそうですね。
定子は父を見舞いたいと嘆いています。
帝は会いたければ実家に行ってもよいと言うものの、定子は帝のそばに居たいのです。兄から父の様子を聞くと言い出します。
-

藤原定子の生涯と辞世の句|最期まで一条天皇に愛され一族に翻弄され
続きを見る
愛情ゆえのようで、もっと切実な背景があると前後の流れでわかります。
定子は痛いほど理解しています。父が最も喜ぶものは、定子の男子懐妊であると。
帝はそんな定子にこう言います。
「定子は朕が守るゆえ、好きにいたせ」
「はい、お上」
このやりとりが実資の嘆きのあとだと思うと、なんと切ないことか。
公卿からは定子の父の言いなりだと嘆かれる。一方で定子を守ると言っても、どこまでできるのか。
女院と中宮の戦い
さて、そんな道隆と定子に追いやられたような詮子は、道兼と道長から「道隆の様子」を聞いて深刻な病状に驚いています。
「飲水病」――現代で言うところの糖尿病ですね。
-

糖尿病の疑い濃厚だった道長 貴族の頂点に立ったとき「望月」は「朧月」だった?
続きを見る
藤原詮子は浮かれすぎて罰が当たったと冷たい。若い頃は優しかったのに……そう苦い口調で言います。
確かに彼女は、道隆に内裏から追い出されと言えなくもありませんからね。その上で次の関白は道兼にすると宣言します。
思わず驚く道兼。それが順番だと詮子は言い、だからこそ道長と一緒の時に言うのだといいます。
仲が良いとも言えない詮子に推され、戸惑う道兼。
詮子は、とにかく嫌いな藤原伊周を関白にするぐらいなら……と考えていて、道兼にお鉢が回ってきたのでしょう。
道長に「借りを作った」と道兼が言うのは、詮子と近い道長の提案あってのことだと踏まえているはず。
とはいえ、この女院の意向をどう伝えるのか?
詮子は内裏に行きたくない。定子に首根っこを掴まれている帝は見たくないのだとか。
そこで詮子は、他の公卿たちに根回すことにします。
かつて詮子は、道長の妻を源氏から娶ることにして、力を得ようとしました。
あの動きは父・兼家に及ばぬようで、ここにきてそうした人脈作りが生きていることがわかってきます。
詮子こそ「キングメーカー」です。
この場合「関白メーカー」ですが、そこはさておき、歴史ものにおいては権力者本人よりも、権力を駒にする者の動きが時に面白くなります。
吉田羊さんがふてぶてしく、天下を取ったようで実に素晴らしいではありませんか。
道隆は、政治センスがあまりに乏しい。
詮子を怒らせた上に、権力を与えてしまうとは迂闊としか言いようがない。この失態は、もはや取り戻せません。
こういうことを朝ドラのタイトルにもなった『韓非子』の「虎に翼」といいます。
帝王の母は雌虎のように獰猛になることもしばしばあるのに、よりにもよって権力という翼まで与えてしまうとは――そんな虎と対峙する定子があまりに気の毒です。
ちなみに詮子は『源氏物語』では弘徽殿女御のモデルとする説もあります。
ただし、定子も無策ではありません。
道隆の生きているうちに、伊周に内覧を許すよう、帝にとりはからうと提案します。
内覧とは、帝に奏上する文章を事前に読むことができ、関白に準ずる役職。道兼が関白とされても権力を持つことができます。
二十年間空位であったのがネックとなりそうですが、帝を動かせばよいと定子は前のめりです。
伊周もこれには感心し、男であれば敵わないと漏らします。伊周が過保護に育てられたせいかもしれません。
定子は女院(詮子)から身を守り、帝を守るうちに強くなったと言います。
定子としても兄が失脚すればどうなるかわかりません。『枕草子』ではわからない定子のしたたかさが浮かび上がってきますね。詮子が警戒するのも理由あってのことでしょう。
伊周が、定子が男なら敵わないと漏らしましたが、それは父もそうかもしれません。
道隆は道兼を呼び出し、近づかせると、衣を掴んで頼みます。
「もし私が倒れても、未だ懐妊せぬ中宮様を、貴子も、伊周も、隆家も、支えてやってくれ……酷なことをしないでくれ。どうかどうかどうかどうか、伊周を、我が家を頼む!」
兄として弟の情けにすがるしかない道隆は、政治的な根回しが不得意な様子。
父・兼家ゆずりの策略は、妹である詮子の方が上でしょう。
詮子といい、定子といい、男性よりも女性が政治力に長けている描写が続きます。
2010年代世界的大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』には対照的な戦いがあります。
五人の王が戦う「五王の戦い」と、二人の女王が最終決戦に挑む「女王の戦い」です。
権力をめぐる争いは、女性同士だからといって優しいはずもないと示す意義がありました。
ここでの詮子と定子もまさしく「女王の戦い」であり、新たなる挑戦を感じます。
さわはまひろ推し第一号
桜が咲く頃、まひろは文字を書いています。
ここで乙丸がさわを連れてきました。
「まひろさま! ご無沙汰いたしました。その節のことはお許しくださいませ」
感極まって言うさわに、まひろは喜び、家にあげます。まひろは切り替えができます。
といっても、彼女の中でさわとの距離はちょっと開いているためか、堅苦しく丁寧な言葉遣いが続きます。微かな警戒心はあるのかもしれません。
「ご息災でした?」
そう丁寧に問いかけるまひろに、さわは何があっても病にならない頑丈な体だと言います。
しかし、きょうだいを疫病で亡くしたそうです。
まひろが慰めると、さわは世の儚さ、人に許された年月は短いと知ったと語ります。
中世の人はやたらと「すぐ死ぬ」と語っていますが、実感を伴っていたのでしょう。
疫病に触れたまひろも、いま生きていることが不思議なくらいだと言います。
-

平安京を襲った“疫病”とは具体的にどんな病気で貴族も感染したのか?
続きを見る
まひろって、やはりズレているというかどこか変人ですね。自分のことを言いたいなら、真っ先に語ってもおかしくない話だと思います。説明するのが面倒なのかもしれない。
それにさわだったら、絶対に、大納言様に一晩中看病されて救われた話にうっとりしますよ。まあ、これはモテ自慢になりそうで禁句ですかね。
まひろは口が硬く、ロマンスすら漏らしません。
倫子や明子のドロドロぶりが何かと話題にのぼりますが、このうち一番罪深いのはしれっと黙っているまひろのような気がします。
倫子は友人で恩人なのに、道長のことをそぶりにも出さない。
おもしろいことに、この面倒くささは『紫式部日記』からもわかります。
前述した通り、清少納言のモテ自慢は『枕草子』を読めばわかります。
しかし、紫式部の書きぶりからすると、道長がカレピなのか、セクハラ上司なのか、どうにも判別できない。ゆえに今に至るまで、道長と紫式部の関係は議論の対象となります。
夫である藤原宣孝相手だろうと若干の塩対応だと指摘されるところです。
-

藤原宣孝は妻の紫式部とどんな関係を築いていたか|大弐三位は実の娘?
続きを見る
歴史には性格的に暗い、隠キャ、コミュ障、内向的、パリピになれないだけで「謎めいている」とされる人物がいますが、紫式部はその典型例でしょう。
さわは、まひろが生きていたことに感動しています。
お目にかかれてうれしい! 生きてくださってありがたい!
一方、まひろはちょっと反応が控えめですが、お目にかかれてうれしいとしみじみと返します。彼女は暗いし控えめだけど、だからこそうれしいときは真実みがあるのです。
さわは石山寺の帰り道のことや文を無視したことを詫びながら、実はまひろの文を書き写して全部持っていたことを語ります。
写しを見て、確かにその通りだと感動するまひろ。
さわは文を写すことで、まひろに近づきたいと思っていたそうです。
これにはまひろも思わず微笑む。
さわは写すことで近づきたい……と、それはできっこないとわかりつつ、だからこそずっと仲良くして欲しいと言います。
「まひろさま、私と仲良くしていてくださいませ。末長く、末長く、私と共にいてくださいませ」
そう語るさわの愛くるしさよ。この場面はただのシスターフッドのようで、よくできていると思います。何かと猜疑心旺盛なまひろも、ここまでくるとすっかり安心したようです。
さて、このシーンは後の展開も示唆しているでしょう。
単なる仲良し女子のお話で終わるようには思えません。
文を写すこと――書道の鍛錬になります。
かな書道は藤原行成がひとつの頂点とされるため、このドラマの書道を担当している根本知先生はじめ、書道家は行成を手本とします。
できることなら行成に近づきたい! そうして書道に取り組む人が今も日本各地にいます。
まひろの書いた『源氏物語』は、長いこと人に写され、伝えられてきました。
写しながら、こんな恋をしたい、こんな人に巡り会いたいと多くの人が願っていた。
そんなことはできっこないと思いつつ、続けられてきたのです。
さわはいわば紫式部推し一号であり、歴史的な瞬間といえます。
印刷が普及して、わざわざ『源氏物語』を筆写する人は減ったとは思います。
けれども、SNSでこのドラマの感想をつぶやき、ファンアートを投稿することも、伝統的と言えるのかもしれません。
何かを見て、自分の頭でそのことを考え、書き出す。世の中がどれだけ変わろうが、人の気持ちには変わらないものもあるでしょう。
このあと道長が書物を見ています。そして月を見上げる。
まひろは机に向かい、墨を擦っています。
何を書きたいのかわからない、けれど、筆を執らずにはいられない――。
月の下で、この二人が写される場面は重要です。
まず、紫式部が湖に映る月を見て『源氏物語』を着想したという伝説をふまえていると考えられます。
次に、そう思いついてもスポンサーがいて文房具を提供しなければ、実際に物語は書けないということ。
そのスポンサーが道長とされます。
彼女の物語は、道長抜きにしてできないことなのです。
さりげないようで『源氏物語』の種が蒔かれる前に、土壌ができていく様が表現されていると思えます。
関白道隆、最期の願い
藤原道隆が、全ての政務を内大臣の伊周に委ねることを許してもらいたいと帝に頼み込んでいます。
帝はしばし考えて、のちに宣旨を下すといいます。
即答できないのは、実資の言葉が脳裏にあったからでしょう。
道隆は、いますぐ約束していただきたい、ここで決めて欲しいと訴えるものの、帝は道隆を下がらせます。
道隆はやはり、政治力は鈍いようです。力押ししかできません。
思えば定子のサロンを華やかにして、公卿の心を掴む計画は、道隆ではなく貴子のものでした。
夫と妻を比較しても、政治力は妻の勝利なのかもしれません。
貴子は漢籍教養もある聡明な女性で、定子は母に似たと思えます。
道隆の欠点を見ていると、伊周と隆家兄弟の今後が早くも心配になってきます。
-

史実の藤原伊周は長徳の変で左遷され その後どのような生涯を過ごしたのか
続きを見る
-

藤原隆家の生涯|天下のさがな者と呼ばれた貴族が政争に敗れて異国の賊を撃退
続きを見る
貴子の影も重要な伏線です。
貴子と定子が生み出し、清少納言が『枕草子』に描いた華やかなサロンの幻影は、彼らが去ったあとも残り続け、のちに紫式部を悩ませることとなります。
このあと、帝は本音を漏らします。
関白の言うことを無碍に断るわけにもいかないが、言いなりになってばかりでもいられない。
「伊周のこと、朕は嫌っておらぬ。しかし、なにぶんまだ若すぎる……」
そう悩む帝。
もしも道隆があと十年長生きできれば、歴史は変わっていたことでしょう。
「皇子を産め! 早く皇子を産め!」
錯乱した道隆が定子のもとへ。定子こそ唯一無二の妃だ。他の姫は入内するかもしれないのに、何をしているのかと訴えます。
定子は帝はまだ若いというものの、とっくに元服している、わしが摂政から関白になって支えてきたと荒ぶる道隆。
歴史上の人物にはハズレ値を出す人がいるので誤解されがちですが、いくら若いうちに結婚しようが、子が簡単にできるわけでもありません。
昔の貴人は政治的思惑で結婚が早いのであって、出産に適しているとはかぎらないのです。
定子はそれなりに仕え、帝のお召しに応えているというものの、道隆は聞く耳を持ちません。
「足りない足りない足りない足りない……まだまだ足りない!」
皇子を産めば我が一族は安泰。皇子がないゆえ帝の心がうつる!
そう言い、こう繰り返します。
「皇子を産め皇子を産め皇子を産め」
鬼気迫る道隆。これが彼の限界かもしれません。
「迂直の計」という概念がありまして、まっすぐに力押しするよりも、根回しした方が目的を達成できることがあります。
同じきょうだいでも詮子はそれができるのに、道隆はできない。
兼家が道隆をのびのびとまっすぐに、汚いことを見せずに育てたことも影響しているのでしょうか。
さて、公卿が集まっていると、藤原道綱が藤原道長に対して、大納言朝光が3月20日に亡くなったと囁いてきます。
「疫病が怖い」と怯える道綱。
陣定(じんのさだめ)のときは罹っていなかったと思いたいのだとか。あっという間に亡くなる、屋敷から出ない方がいいと怯えている公卿たちです。
実資は屋敷にこもっていたら政治はできぬとキッパリ。
この公卿たちは道長が悲田院に向かい、まひろを看病したと知ったらどう思うことでしょう?
実資だけは目を見開いて、見直すかもしれませんね。
というのも、実資は疫病は関白のせいだと毒づいています。
チョートクという舐めた元号だわ。息子を内覧にするわ。
道綱が聞かれちゃうと心配すると、実資は間違ったことは何も言っていないと強気です。
内大臣伊周など気に入らん!と妥協しない。
実資のようにやる気があり、かつ有職故実に詳しく、カリスマもある公卿は使い道があったはずです。
例えばスポークスパーソンになれる。
道隆は実資を抱き込むようなことはできなかったものでしょうか。言っても仕方ないことですが。
ちなみに実資は、アホのくせに出世が早い道綱が嫌いです。
道綱は実資を追い越して出世しています。となると、道綱の出世したあとを進むことになる。
とはいえアホボンの道綱は大臣になぞなれるわけがない。つまりわしの出世も滞る!そう怒りを日記に綴っております。
するとここで伊周がやってくるのでした。
道隆はなおも伊周を関白にするようにと願っており、源俊賢にも頼んでいます。
さらには這いずるようにして、帝にも伊周を関白にするようにと頼みに行こうとして止められています。
貴子から、光る君へ
道隆は伏せっています。
「まだ死ねない」
そう言う道隆に、貴子はまだ大丈夫だと言います。伊周を気遣う道隆に、内裏に行っていると返す貴子。
ふと憑き物が落ちたように、道隆はこう言います。
「そなたに逢ったのは、内裏の内侍所であった。スンと澄ました女子であった」
「道隆様はお背が高く、キラッキラと輝くような殿御でございました」
そう笑い、夫の手のひらを握りしめる貴子。
道隆が歌を詠みます。
忘れじの 行末までは 難ければ 今日をかぎりの 命ともがな
【意訳】いつまでも忘れないという言葉が叶うことは難しい。ならばいっそ今日限りの命であって欲しい。
「あの歌で、貴子と決めた……」
そう語る道隆。
彼は貴子の和歌に描かれた懸念通りではなく、ずっと貴子を愛し抜いて命を終えました。
貴子の目に映った道隆も「光る君」だった。
恋をした相手は光る。出会ったころのことを思い出しているときの道隆は、そのたびに光っていました。
最期の時にも光を取り戻していました。
長徳元年(995年)4月10日、道隆は43で世を去ったのでした。
-

なぜ藤原道隆は伊周へ権力を移譲できなかったのか?中関白家の迷走
続きを見る
MVP:藤原道隆
本作で道隆役を務める井浦新さんは『平清盛』で崇徳天皇を熱演していました。
今度は、あの悲劇の帝から穏やかな貴公子になったと安堵する方もいたようです。
しかし、崇徳天皇とて序盤はそこまで荒れ狂っておりません。
そして道隆も退場間際には狂気すら感じさせる圧巻の演技でした。流石です。最終週の今回は冬の嵐のようでした。
もうひとつ、道隆には重要な役目があります。
男性の政治力が低いと、女性が補うというひとつのモデルを示したということです。
思えば序盤の「漢詩の会」から、プロデューサーは貴子でした。
道隆がおっとりしていたころから、貴子はテキパキと物事を取り仕切っていたものです。
そんな貴子が腹黒く思えたこともありましたが、あれも全て道隆への愛ゆえかと理解できました。
その貴子の願力も、夫が衰えると心配なのか、削がれてしまったことは残念です。
今回は貴子だけでなく、女性の政治力が目立っていました。
定子は母譲りのしたたかな知略がある。
その定子の宿敵である詮子は圧巻の政治力と策謀を誇る。
倫子も侮ってはならない。財力も知性もあるからこそ、道長を手のひらで遊ばせる余裕がある。
明子を操縦したいと兄の俊賢は考えているものの、彼女はその思惑を食いちぎりかねない凄みがある。
この道隆と貴子の関係は、道長とまひろの今後も示唆しています。
二人が月の下で書物を向き合う場面がありますが、まひろの方が賢いことが伝わってきます。
道長はお勉強が苦手であることは、日記『御堂関白記』から推察できます。
解説者がつっこみたくなるのがこの日記でして。
「この日は事件があったでしょう、天気だけでなく、もっとちゃんと書くことがあるでしょう!」
「文法が無茶苦茶です。ちゃんと勉強しましたか?」
「馬をもらったことはしっかり書いているね。馬が好きなのはわかったけどさ」
道長は、性格的におおらかで、お気楽なお坊ちゃまだと推察できます。
藤原行成の『権記』は生真面目で細かい。藤原実資の『小右記』は教養と情報量に圧倒される。それらと比べると道長はなんとも言えません。
-

実資の日記『小右記』には一体何が書かれている?『光る君へ』でも注目
続きを見る
そんな教養面でどこか頼りない道長に、いろいろと指導するのがまひろであり、彰子サロンのプロデューサーになるなら盛り上がるでしょうね。
そして、そのまひろは物事を隠したがる内向性が強いところも注目です。
道長は姉である詮子の引き立て。妻である倫子の財力。娘が皇子を産んだこと。そして紫式部が教養面でサポートしたこと。
そんな女性が担ぐ神輿だから望月になれたのだということが、ドラマでしっかりと描かれるようで実に楽しみです。
道隆も貴子にとっては、キラッキラの光る君だったと示されました。
光る君とは、自ずから光るものではなく、周りが磨いてこそ輝くものであるようです。
権力は人を変える
大河ドラマは「主人公を持ち上げるために周囲を貶める作劇手法がある」と指摘されます。
典型例が昨年ですが、こちらの記事でもご参照ください。
◆善と悪が分かりやすい『どうする家康』 淀君はなぜ魔物のような悪として描かれるのか(→link)
◆ムロツヨシの秀吉はどうしてあんなイヤなヤツなのか 『どうする家康』が隠そうとしない「強い悪意」(→link)
反対に主人公側は無理矢理ロンダリングする手法もあります。
幕府崩壊過程において、慶喜をいい人扱いする『青天を衝け』は一体なんだったのか。
-

鳥羽・伏見の戦い|注目すべき慶喜の大失態 これじゃあ幕府は勝てません
続きを見る
むろん、そうではない作品もあります。
『麒麟がくる』の織田信長はどこかずれていたものの、彼を初めてみた光秀は、純粋性を見出しました。
『鎌倉殿の13人』の北条義時にせよ、その父の時政にせよ、はじめは伊豆の田舎の人のよいお兄ちゃんとおじさんでした。
どちらも権力に近づくことで、どす黒くなり、呑まれてゆく――『光る君へ』も、道隆と道兼の描き方からそうだとわかります。
おっとりした春の日差しのようだった道隆は権力を得ると、黒ずみ錯乱してゆく。
一方、道兼は、父から後継者を外されてからは、透き通った目になりました。
思わぬところで関白の座がめぐるものの、それもあっという間に終わるため、清らかな印象で退場すると推察できます。
では道長はどうか?
まひろとの誓い。実資の期待。こうした要素を反故にしかねない伏線はあります。
道長は、良くも悪くも、確固たる思想や基盤もないように思えます。
まひろと誓って善政を目指すことは素晴らしいようで、実資や公任とは違います。
実資は有職故実の達人です。
公任は「貞観の治」を掲げ、『孟子』を読みこなしています。
そうした教養なり知性の裏付けがない、誰かへの愛情だけだと案外人間は脆いのです。
-

紫式部と藤原公任の関係性も匂わせる『光る君へ』漢詩の会に潜む伏線
続きを見る
『麒麟がくる』の信長は、光秀や帰蝶への承認欲求で動いていたからこそ、目標が膨らみ、歪んでゆきます。
対照的なのが家康で、最終盤には光秀に政治思想論議を持ち掛けていました。
『鎌倉殿の13人』の義時は、頼朝から学んだ謀略を駆使します。
とはいえ、民を思いやる政治改革に乗り出すのは『貞観政要』を熟読していた泰時の代から。
-

家康も泰時も一条天皇も愛読していた『貞観政要』には一体何が書かれているのか
続きを見る
どこかで道長が折れたとき、まひろが自らが漢籍講義をしていた彰子とともに反旗を翻すのであれば、見どころは十分にあります。
どうして今まで紫式部で大河ドラマを作らなかったのか。
それとも時代が進んだからこそできる作品なのか。
毎週新たな驚きがあります。
ボーイズクラブが作品の価値を決めていた
『光る君へ』はもっとバッシング記事が多いかと予想していたのですが、幸いなことにそうでもないようです。
平安時代が舞台であり、合戦もないにもかかわらず視聴率は2桁を割らない。手堅くまとめてきているのだと思います。
ここで、大河ドラマと合戦についての悲しい話に触れておきたいと思います。
中国のベストセラー作家である馬伯庸原作の朝鮮出兵(中国では万暦朝鮮之役)ドラマが放映されるそうです。
よいことだと思います。この戦いを扱った韓国映画やドラマは多いものの、明目線は少ない。明の精強な装備や戦術が描かれると思うとワクワクします。
このことを海外の友人と語っていて、日本目線の朝鮮出兵がどうにも消化不良だとこぼしたところ、
「大河がお粗末すぎるんだよね」
と指摘されました。
スタジオ撮影と顔芸でチマチマやられてもそうなるのでしょう。結果、海外の日本史ファンからも期待されていない状況に陥っています。
これは満を持して登場した『SHOGUN』への反応でも感じているところです。
あれを見た日本史ファンからは「当時の日本人はもっと高潔で道徳心があった」とぼやく意見がありました。
ニーズを理解していないのでしょう。
国際的に中世を描くならば理不尽さや暴力性は欠かせない要素とされます。
それに加えて、海外から見たい日本の姿って、理不尽さが罷り通るものではないのでしょうか。
そういう海外のニーズや世の移り変わりを見ないことに、どこまで危険性を認識できているのでしょうか。
-

文禄・慶長の役|朝鮮と明を相手に無謀な出兵を強行した秀吉晩年の愚行
続きを見る
『光る君へ』についていえば、打毱やかな書道、女性文人の活躍といった要素が海外からも受けています。
今年はやっとNHKが看板ドラマにおいて舵を切った年として、歴史に刻まれることでしょう。
2024年上半期は、大河ドラマも朝ドラも、女性脚本家となっております。
どちらの作品でもジェンダーを前面に出しており、それが嫌われるどころか見どころとされている。
ヒロインには、数年前ならば叩かれた女性登場人物と重なる言動もあります。
まひろは漢籍や儒教倫理に詳しく民衆救済考えています。『麒麟がくる』の駒と共通する特徴です。
朝ドラ『虎に翼』の寅子は、気が強く、反論し、空気をさして読みません。
NHK東京制作朝ドラは、2010年代後半から気が強く、空気を読まないヒロインを送り出してきました。
その中でも頂点に立つほどの猛者が寅子です。
ところが、今回の寅子は迷惑行動も割としているにも関わらず、礼賛されています。
脚本家が公式SNSを更新していることも、プラス材料とされています。
条件的に近い『半分、青い。』への激烈なバッシングを考えると、あれはなんだったのかと思えてきます。
駒や『半分、青い。』ヒロインおよび脚本家の罵倒は間に合っていますので、送っていただかなくて結構です。
人間にはそれぞれに倫理や個性がある。私は彼女らに腹が立つどころか、むしろ好きなのです。
つまり、彼女らが嫌いな方とはそもそも気が合わない。だから無視してくれればいい。気の合う人同士で楽しく会話をなさっていれば平和ではないでしょうか。
前置きが長くなりましたが、要するにNHKドラマ周辺の空気も変わっているということです。
『虎に翼』には、崔香淑という朝鮮からの留学生も登場し、ハ・ヨンスさんが好演しております。
『あまちゃん』では韓国車がでるだけで、騒ぐ声が出ていたことを思い出すと、隔世の感があります。
そんな『虎に翼』は概ね好評のようで、バッシング記事もあります。
◆博多大吉「朝ドラ受け」もモヤモヤ、過剰な描写が物議…『虎に翼』ネット批判につながる「4つの危うさ」(→link)
この記事については大量のツッコミがついているので、いまさらではありますが。
「オジサンに、優しくない朝ドラには、ぴえんなんだゾ(T . T)」あたりでまとめてよろしいかと。別に朝ドラはおじさんセラピータイムではないのですが。
ジェンダー考証がつくあたりで、客層は推定できますよね。
なぜ、森羅万象が俺様向けでないとヘソをまげるのでしょう?
◆全女性にパワー与える 朝ドラ「虎に翼」、ジェンダー考証・前川氏(→link)
それを見ていくうちに、あることに気づきました。
◆昭和10年女子は本当に「ビールを飲んでいた」のか…朝ドラ『虎に翼』の根幹につながる「違和感」(→link)
この記事の言わんとするところは、まとめれば「若い女の子が、カーッと、ビールを飲むなんて、オジサンは、いただけないんダナ(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾」というものです。
確かに昔は女性の飲酒はタブーでしたが、この場面は外食ではなく家でのことであり、そんなの家庭ごとによるとしか思えません。
そもそもビール云々以前に、当時の女性が法律を学んでいる時点で極めてレアケースです。
同じ媒体で、年代が近い男性ライターを起用している時点で、叩きの風を吹かせたい意図はわかりました。
そしてさらに考えてみます。
出来が悪いわりにメディアでは好評意見が目立った昨年大河は、こうした中高年男性へのサービス要素が多かった。
ボーイズクラブ御用達として、褒める記事が探れるのでは? と、検索してみた結果が以下の通りです。
◆『どうする家康』古沢良太氏と『鎌倉殿の13人』三谷幸喜氏、「奇才」2人の類似点(→link)
◆「史実からかけ離れたファンタジー」なのか?繰り返される大河ドラマの史実問題…それでも『どうする家康』が“ナシ”とは言い切れない理由(→link)
◆ついに「関ヶ原」でクライマックスを迎える『どうする家康』が、最後に危惧される「痛恨の懸念材料」(→link)
◆結局、『どうする家康』とは何だったのか…コラムニストが1年間見続けたワケ(→link)
◆『どうする家康』 なぜ徳川家康はこんな軽々しい人として描かれるのか その意外な事情(→link)
あらかじめ「ボーイズクラブ」に適応するかどうかで、褒めるか貶すか決めておく。そうやって風を吹かせることでドラマ評価も決するようにする。
そんなことをしても本質には何の影響もないどころか、むしろ悪化するばかりかと思います。
今年はそんな風を呼ぶ動きまで絶って欲しいところです。
大河ドラマが時代遅れの象徴と化してゆく様は全く嬉しくないのです。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
あわせて読みたい関連記事
-

紫式部は道長とどんな関係を築いていた?日記から見る素顔と生涯とは
続きを見る
-

藤原道長は出世の見込み薄い五男|なのになぜ最強の権力者になれたのか
続きを見る
-

藤原定子の生涯と辞世の句|最期まで一条天皇に愛され一族に翻弄され
続きを見る
-

藤原彰子は紫式部や一条天皇と共に父・道長を盤石にした功労者だった?
続きを見る
【参考】
光る君へ/公式サイト





















