インターネットの普及は、ある動物が世界制覇をした契機になったとされます。
それは猫――。
思わず抱きしめたくなる愛くるしさは人々の心を虜にし、数多ある動物コンテンツの中でもその人気は群を抜いている。
これと同じような現象が、実は江戸時代にも起きていました。
江戸っ子たちが猫コンテンツを買い漁り、浮世絵の中でも売れ筋の定番とされてきたのです。
とりわけ有名なのが歌川国芳でしょう。
自身の肖像画だけでなく美人画にもたびたび猫を登場させるほど愛し、歌川一派の門人たちもこぞって描いてきた。
歌川国芳は蔦屋重三郎が没した歳に生まれたため、大河ドラマ『べらぼう』には乗れないようで、実はそうでもない。
浮世絵がクローズアップされるとなると、各地で国芳の展覧会が開催されています。蔦屋重三郎と関係がある山東京伝の弟・京山とタッグを組んでヒットを記録してもいます。
大河ドラマ『べらぼう』のあとに訪れた「大江戸猫ミーム」を振り返ってみましょう。
猫と日本人 その関係を振り返る
江戸時代の後期、江戸の街は猫だらけでした。
なんせ江戸っ子定番のペットNo.1とされており、幕末に来日した外国人も驚いたと言います。
日本の猫は何なんだ?
何をするわけでもなく、ゴロゴロと寝ているだけで、なぜここまで愛されているのだろうか?
首輪をつけ、可愛がられる猫が不思議だったようですが、いま私達が目にしても納得するような代物も残っています。
猫の浮世絵です。
猫が江戸っ子に文字通り「猫可愛がり」されるようになるまでには、歴史がありました。
日本人と猫といえば、古くは宇多天皇が日記に愛猫のことを記して以来、長く愛されてきたとされます。

猫好きとして知られる宇多天皇(867-931年)/wikipediaより引用
『枕草子』にも一条天皇の愛猫についての記載があり、2024年の大河ドラマ『光る君へ』でも源倫子の愛猫である小麻呂が話題をさらいましたね。この小麻呂と、彰子の愛猫であった白黒猫の小鞠は、今年は「利休」と「半助」として登場します。
ただし、平安期当時、猫を飼育できたのはごく一部の貴人に限られます。
日本猫の先祖は、中国大陸由来の「中華田園猫」とされます。海を超えてもたらされた「唐猫」はセレブの証であり、放し飼いもなされず、紐につながれて大事にされてきました。
当時のペット事情は以下の記事に譲りまして、
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平安時代のペット事情|猫は愛され鶏は神秘的で死体処理の犬は忌み嫌われ
続きを見る
江戸時代に目を向けますと、17世紀初頭から猫の放し飼いが推奨されるようになります。
自由を手にした猫は増え、北へ北へと生息範囲を広げていったのです。
中国文化の中の猫 日本にも伝えられる
猫と人間の関係をもう少し深堀りさせていただきます。
猫は、世界各地の文化において重視されてきました。
ヨーロッパでは魔女のお供とされ、迫害された不幸な歴史があったものです。
一方、東アジアでは、書物や蚕をネズミから守るため、益獣扱いされてきました。
書物を守るため、中国では文人のお供ともされ、彼の国では詩のジャンルに「乞猫」があるほど。書物を守りたいから、猫を譲って欲しいと頼み込む内容です。
伝統的に東アジアでは、男性が猫を可愛がっても恥ずかしくない。
日本人からすれば当たり前のように思えますが、アメリカ等の国では猫は女性のものとみなされています。
そのため、男性が可愛がると変人扱いすらされるのだとか。
活躍の場は詩だけでなく、絵にも描かれました。
中国史上に燦然と輝く画家の沈周にも『猫』という作品があります。戯れに描いたというこの作品は台湾故宮博物院に所蔵され、今は人気グッズの上位定番。
そんな東アジアの絵画で忘れてならないモチーフといえば「猫と蝶」があります。
ただ愛くるしいだけでなく、長寿祈願の縁起物とされ、親や年長者への贈り物の定番でした。
中国語では、それぞれの音が長寿を意味する字と通じています。
猫=耄(もう・70歳)
蝶=耋(てつ・80歳)
70を超えて、80を超えても生きて欲しい――そんな願いを込めた画題なんですね。
享保年間(1716-1736)、長崎に清から画家の沈南蘋(ちんなんぴん)が訪れました。
彼の絵画の影響を受けた【南蘋派】(なんぴんは)は、この猫と蝶を画題にした作品を描きました。
そして停滞しつつあった【狩野派】とは一線を画す斬新なものとして受け入れられてゆきます。
猫、浮世絵の名脇役へ
江戸の鈴木春信も「猫と蝶」の作品を手掛けています。
浮世絵師は海外の影響も取り入れ、画風を洗練させてゆくものであり、春信は中国趣味の一環として猫と蝶モチーフを取り入れたのです。
結果、浮世絵にも猫が入り込んでゆきます。

歌川国芳『五節句之内 女郎花月』/国立国会図書館蔵
定番の脇役と化して、美人に抱かれる。
すまし顔の美女が紐で猫と遊ぶ。
『源氏物語』に出てくる女三の宮が、猫により御簾を巻き上げられてしまう場面の見立て絵が描かれる。
いわば【美人画】のマスコットの定番となったのです。
「猫と美人かぁ。まあいいんじゃない、よくあるよね」
そんな感想も出てきそうではあります。
西洋画でも、美人や子どもが猫と戯れるモチーフはあるものでした。
無邪気とか、かわいらしさとか、そういったイメージを強めるにはぴったりだからです。
しかし浮世絵は、更なる猫ジャンルの拡大が続きます。
現代の猫ミームにも通じる、じわじわと笑いがこみあげてきて、社会諷刺すら感じさせる。そんな作品を世に送り出す絵師が登場したのです。
歌川国芳――彼こそ江戸の猫ブームを牽引した絵師でした。
猫道楽を極める国芳
『べらぼう』でも注目を集める東洲斎写楽は、初代・歌川豊国の絶大な人気に敗れ、絵師の世界を去ってゆきました。
この伝説的な豊国以降、江戸ではこう言われるようになりました。
歌川派にあらずんば、絵師にあらず――。
そんな歌川一門に入ったものの、どうにもブレイクできない、くすぶっている絵師がいました。
歌川国芳です。
ろくに仕事もない時代、田んぼで捕まえたカエルを庭に放り投げては、それを観察することが慰めだった国芳。もともとカワイイものが好きだったんですね。
それがあるとき、長い下積みを経て『水滸伝』をモチーフとした【武者絵】によりブレイクを果たします。
【武者絵】は浮世絵ジャンルの一つとして存在していましたが、【美人画】や【役者絵】ほど売れるわけでもありません。
そんな状況を変えたのが国芳です。
次から次へとアイデアが湧いてきて、江戸っ子気質の国芳はたちまち売れっ子となってゆく。
妻ももらった。子も生まれた。弟子もどんどん増えてゆく。
余裕のある暮らしを手にいれた国芳は、実現したい道楽がありました。
「思うがままに猫と暮らしてェ」
江戸時代も折り返し地点を過ぎ、江戸っ子の生活レベルが上がると、余裕のできた人々は【道楽】、今でいうところの趣味をとことん突き詰めようとします。

『枕辺深閏梅』下巻口絵における国芳の自画像/wikipedia
猫はネズミよけにもなるし、もともと江戸っ子ペットのナンバーワン。
そんな江戸で「あいつの猫道楽はハンパねぇ」「猫といやァ、国芳よ」と呼ばれるほどになりたいと考えたのでしょう。
国芳も、とにかく熱心に猫を愛しました。
飼育数は常に最低でも5~6匹は居て、仕事場をうろついている……どころか仕事中も懐に抱いて絵を描いている。
猫位牌。
猫仏壇。
猫過去帳を所有する。
猫が死んだら、畜生塚(当時のペット霊園)に葬る。
猫供養を真面目にしなかった弟子は破門する。のちに取り消しになったそうですが。
それが国芳の猫ライフでした。
国芳のこうした逸話からは、当時の江戸ではペットのお悔やみビジネスもしっかりあったことがわかります。
自画像も猫まみれです。猫といえば国芳。江戸っ子たちもすっかり覚えました。
当時の浮世絵師らしく、国芳も春画を手掛けてはいます。
そのペンネームには「白猫斎よし吉野」とか「五猫亭程よし」等と「猫」の字が入りました。
「お、猫ってこたァ国芳じゃねえか。エロいねェ」
江戸っ子もこう判別できで安心ですね。
こうして国芳の猫道楽ぶりは、江戸でもすっかり定着したのです。
以下の記事は、そんな国芳の生涯をまとめたものですので、よろしければ併せてご覧ください。
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歌川国芳は粋でいなせな江戸っ子浮世絵師でぃ!庶民に愛された反骨気質
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お上の禁制をくぐりぬけ
売れっ子絵師となった国芳は、家族、大勢の弟子、猫と暮らす日々を楽しんでおります。
とはいえ、世の中よいことばかりでもありません。
彼の世代は、田沼意次の失脚後に幕府の規制が吹き荒れた受難の時代であり、何か発売しようにも当局の目をかいくぐらねばなりません。
でも、どうすればよいのか。
手探りの状態が続き【天保の改革】を迎える天保12年(1841年)、国芳と猫、そして当時大流行した鞠の曲芸を組み合わせた『流行猫の曲鞠』と『流行猫の曲手まり』が売り出されました。
かわいい猫が擬人化されて、鞠の曲芸を演じる姿がカワイイ。
しかし、それだけでなく、どこかシュール。
売れ筋を組み合わせてあるとはいえ、人でなく猫を描いています。
こうした軽くユーモラスな絵は【戯画】とされ、規制をくぐりやすいものでした。
と、これが江戸っ子のハートをガッチリと掴み、猫絵ブレイクの手応えを感じさせます。
天保13年(1842年)、国芳の猫の絵はまたも話題をさらいます。
国芳は、同じく猫を愛する山東京山と意気投合しました。
名高い山東京伝を兄に持つ京山も、兄と同じく筆をとって生きる江戸の文人です。兄の執筆を支え、家業をそつなくこなす人物でした。
彼の作風は柔らかく、ほのぼのとしていて、女性や子どものファンも多いもの。そんな京山と国芳がタッグを組んで、天保13年(1842年)、『朧月猫草紙』が売り出されました。

流行猫の戯『道行 猫柳婬月影』山東京山文・歌川国芳画/wikipedia

流行猫の戯『かゞ見やま 草履恥の段』山東京山文・歌川国芳画/wikipedia
メス猫のおこまちゃんが、イケメンにゃんこと恋をして、冒険をする。
そんな人間の生活を猫が演じる、とても愛くるしいお話です。
挿絵もカワイイ!
お話もウキウキワクワクする!
江戸っ子たちは大興奮してヒットを記録。
『朧月夜猫草紙』はヒットしすぎてしまい規制されるほどでした。
山東京山と犬猿の仲である曲亭馬琴も、あまりの人気に嫉妬し、「あんなもん国芳の絵がカワイイから売れてんじゃねェか」と愚痴をこぼしていたとか。
とはいえ、そこをすり抜けてどうにかしてこそ、版元の腕の見せ所です。
国芳の猫絵は売れる――そう察知した版元は国芳に発注をかけてゆくと、彼はアイデア抜群の絵師ですので次から次へと作品が生み出されてゆきます。
シュールな猫絵が江戸を席巻
幕府も猫の絵を本気で規制することもできない。
そもそも猫の絵の何が悪いのか?
そんなわけで、規制すり抜けジャンルとして猫絵は存在感を増してゆきます。
しかも、国芳はアイデアが抜群です。ただカワイイだけでなく、ネタとしての可能性を引き出して行きます。
いわば江戸時代の猫ミーム。
かくしてシュールな猫絵は江戸を席巻するのです。
・当て字:柔軟性のある猫を組み合わせて「うなぎ」「かつを」など、字を作るもの
・擬人化:踊ったり、宴会をしたり、江戸っ子の日常を擬人化した猫が再現するもの
・百面相:猫の顔を役者に見立てたもの
・影絵:団扇絵に用いられる。表から見ると妖怪などの影絵に見えるが、裏返すと猫だとわかるもの
中でも『其まま地口 猫飼好五十三疋(みゃうかいこうごじゅうさんびき)』は現在に至るまで有名です。

猫飼好五十三疋/wikipedia
東海道五十三次にひっかけて、宿の名前と猫の動作をかけあわせたもので、国芳のダジャレセンスと【名所絵】が見どころとなる新境地です。
ダジャレとはどういうことか?と言うと、
日本橋→二本だし:かつおぶしを二本みつけた猫
四日市→よったぶち:集うぶち猫
京→ぎゃう:猫に加えられたネズミの悲鳴
こういったセンスです。
「しょうもない」と思われるでしょうか?
それでも江戸っ子は買う。
『朧月夜猫草紙』ブーム以来、女性や子どもという顧客の掘り起こしもバッチリで、売れに売れたからこそ、企画され、描き、印刷され、絵草紙屋に並んだのでした。
こうした江戸の猫ブームは、国芳の才能と、猫の愛くるしさだけによるものでもありません。
改革が厳しくなってゆき、浮世絵も様々な規制を受けてゆく天保年間だからこそ、猫絵は規制を回避するものとして機能しました。いわば抜け道です。
そして忘れてはならないのが、メディアミックス効果です。
合巻、歌舞伎、曲鞠、団扇、おもちゃ……さまざまなメディアミックスを繰り広げ、江戸の猫ビジネスは成立したのですね。
嘉永2年(1849年)に『朧月猫の草紙』の発刊が終わると、猫絵ブームも収束に向かいますが、浮世絵と猫の関係は確実に変わりました。
定番ジャンルとして、コンスタントに生産されてゆくのです。
国芳とその一門 現在でも猫絵で存在感
そうした猫ブームが起きる以前から、国芳は【美人画】に猫を登場させておりました。
国芳の場合、鈴木春信のような中国趣味、風雅な趣とは一味違います。
娘が猫を抱いて踊らせたり、櫛でブラッシングしたり、つまみ食いをした猫を叩いたり。
いわば「猫あるある」をテーマに、庶民的でリアリティある姿を描いたのです。
国芳の門人たちも、猫絵で名を馳せることとなりました。
なにせ一門には猫絵の依頼が舞い込みますので、師匠の猫たちはモデルとなります。
例えば歌川芳艶、歌川芳虎らは、勇壮でありながらかわいらしい猫の合戦絵を手掛けました。

歌川芳虎『鐄花猫目鬘』/国立国会図書館蔵
あるいは歌川芳藤は、子どもの玩具を手がける【おもちゃ絵】を得意とし、「おもちゃ芳藤」と評されたほど。
【おもちゃ絵】は遊んだ後に廃棄されることも多く、作品は残りづらい。
そのため知名度こそ低いですが、近年はその愛くるしさが再評価。
猫ブームによる再評価枠の一人で、芳藤の作品は子ども向けであることか、グッズに向いているとされます。
国芳の門人でも屈指の売れっ子とされた落合芳幾は、師匠から引き継いだ猫と役者を組み合わせた作品を手掛けました。
門人で芳幾と並ぶ売れっ子で【血みどろ絵】が有名な月岡芳年は、美人画の背景や着物の柄に猫をしばしば登場させています。
若い頃は猫をモチーフにした戯画も出がけておりました。彼もかなりの猫好きだったとか。
国芳一門は、血の気が多く、ガラの悪い連中が揃っていると言われておりました。
なにせ、幼くして入門した河鍋暁斎は、父親が教育環境の悪さを考慮し、辞めさせたほどです。
そんなイキのいい江戸っ子が熱心に猫絵を描いていたというのは、なんとも味がある話ではないですか。
★
現在、美術館のお土産コーナーには、国芳とその門人たちの猫絵を用いた葉書、クリアファイル、メモ帳、シール、アクリルスタンド等、さまざまなグッズが並んでいます。
そうした品々を眺めていると、まるで猫絵生産集団として彼らは江戸に存在していたようにすら思えます。
2020年代に訪れた猫ブームにより、彼らとその作品はまた脚光を浴びることは当然のことなのでしょう。
国芳たちの絵はシュールで、クリステルの“Dubidubidu”を聞きながら見ても違和感がありません。
そのキャラクター性や猫好きぶりがウケるのか、江戸の浮世絵師としては取り上げられやすいことも特徴です。
崗田屋愉一作『ひらひら 国芳一門浮世譚』『大江戸国芳よしづくし』は傑作です。さらに目黒川うな作『大江戸お絵描きおじさんウタクニ』も好評連載中です。
猫は時代を超えて愛される――そう実感できる彼らの猫絵を是非とも愛でていただきたいものです。
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【参考文献】
太田記念美術館『図録 江戸にゃんこ』(→link)
稲垣進一/悳俊彦 『江戸猫』(→amazon)
稲垣進一/悳俊彦『歌川国芳 いきものとばけもの』(→amazon)
小林忠/大久保純一『浮世絵鑑賞の基礎知識』(→amazon)
田辺昌子『浮世絵のことば案内』(→amazon)
小林忠『浮世絵師列伝』(→amazon)
深光富士男『浮世絵入門』(→amazon)
桐野作人/吉門裕『増補改訂 猫の日本史』(→amazon)
杉浦日向子『一日江戸人』(→amazon)
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