べらぼう感想あらすじレビュー

背景は葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第9回玉菊燈籠恋の地獄

2025/03/04

駿河屋の親父に階段から蹴り落とされた鶴屋喜右衛門。

彼はこう返します。

「では、私ども市中の地本問屋は吉原と一切関わらぬということで」

そら、そうなりますわな。絶望する蔦屋重三郎を睨みつけるのは鱗形屋――因果の蔓がますます絡んでゆきやす。

 


忘八親父どもは起こった後始末なんて考えちゃいねえ

地本問屋を追い出した忘八たちは短気な江戸っ子揃いです。

これからどうするのか?

そんな算段は特にねえんだな!

蔦重がもういっぺん話し合いましょうと訴えるも、親父どもは「だめだ〜! だめだ、だめだ!」と怒鳴るばかり。それじゃあやってけねえ!と蔦重が嘆くと、駿河屋はこうだ。

「そこをやってけるようにすんのが、てめえの仕事じゃねえのか! あァ、耕書堂!」

ほんと、どうしようもねえよな。

おとなしい日本人なんて言われますが、いやいや、歴史的にはそんなことないのでは?という指摘はあります。

たとえば戦国末に来日した宣教師や明人、朝鮮人たちは「なんでこの人ら、こんなにキレやすいの?」と驚いています。

幕末も「やたらとキレやすい日本のサムライに殺されるかもしれない」と覚悟を決めていた欧米人もいましたし、実際、テロが頻発していたことは以下の参照記事をご覧いただければと存じます。

幕末の訪日外国人はサムライに戦慄|銃でも勝てない日本刀と意味不明な切腹

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日本人とは何か?ってことを、大河を見ながら考えるうえで今年は画期的な年になりました。

蔦重は無理を承知してか、バカボンの義兄・次郎兵衛に聞いています。

んで、出てきたのは一年中「玉菊燈籠」をやるとか、次から次に瀬川を出すとか、やっぱり発想がアホなんです。そういうのはレアだから価値があるわけでしょ。

他ならぬ蔦重が「聞いた俺がバカだった」という顔をしている横で、賢い留四郎は客をテキパキと捌いています。

そこにやってきたのは、新さんこと小田新之助でした。

 

嗚呼、甲斐性のない男たち

二人は外で話しています。

蔦重は「うつせみが自分で花を買った」ことに驚く。自己負担をしてまで新之助を呼び寄せたということですね。

己の甲斐性のなさがつくづく情けないと嘆く新之助ですが、この「甲斐性」ってヤツも、当時と現代では違う面もあると思うんですよね。

男として、稼ぎ手として、女を救い出すという点ではあっています。

しかし、江戸時代は生まれで将来は大方決まるものであり、御家人の三男坊である新之助はその時点で負け組確定でした。

家も継げねえし、かといって、他に食い扶持を稼ぐあてもない。真面目だし賢い新之助ですら、こんな調子なわけです。

どんな生まれでも努力をすれば妻帯もでき、家の大黒柱になれる――。

それが明治以降ののよいところのようで、逆に落伍者ともなれば「お前がダメなのは、お前が努力不足でダメだから」という過剰な自己責任が押し付けられる。そんな「通俗道徳」についても頭を巡らせてしまいます。

江戸時代から明治時代へ。本作を見ていると、つくづく日本人の変遷が浮かび上がってきて脳内が刺激されますね。

それだけに新之助が切ねぇよ……もう、この時点で切なくて感情が渋滞事故を起こしそうです。VFXで作られた江戸の夕空がいつも以上に目に染みるぜ。

それに対し、蔦重はこう言います。

「まあ、マブがいなきゃ、女郎は地獄っすからね。すまなく思うことでもねえっすよ」

金銭的には負担でも、心理的には生きる力を与えているということです。

あー、なんなんでしょ!

結婚なんて生まれた時点で遠い夢。そんな御家人の三男坊が、あいくるしい花魁と相思相愛になってしまう。まばゆい奇跡のようで、先が見えないんです。残酷すぎる。

それにしても、この「マブ」とは何か?

漢字だと「間夫」でもあります。婚姻関係にある妻がもつ恋人のことで、要は不倫相手となりますね。

女郎は客と擬似夫婦関係なので、こう呼びます。漢字で書くと意味が限定的で狭まることもあってか、本作ではカタカナで「マブ」としています。

「マブダチ」や「マブい」などなど、諸説ある言葉の語源の一つとされることもあるとか。

するとここでざわめきが起きます。

「瀬川だ〜!」

「おお〜!」

瀬川の花魁道中が見えてきます。

フィギュアスケーターとしてオリンピックを目指していたこともあるという小芝風花さんだけに、高下駄の扱いにも長けているとか。

まるで天上の女神が降りてきたような、神秘的な美しさ。

そんな花魁の向かう先に待つのは、鳥山検校なのでした。

「お待たせいたしんした」

「遅かりし由良之助」

「御生害には間に合いんしたようで」

これは『仮名手本忠臣蔵』由来ですな。大星由良之助が、主君の切腹に間に合わなかった時の台詞です。

口をポカンと開け、羽衣を落とした天女を見るような顔をしているのが、蔦重なのでした。

『仮名手本忠臣蔵 三段目』歌川国芳/wikipediaより引用

 


瀬川に身請け話が

「鳥山玉一さま」

部屋に上がった瀬川は、何かを差し出してきました。

専用の箸です。

「検校」とは盲人の属する当道座の位で、買うことでのぼってゆきます。本名は鳥山玉一で、鳥山検校とは位での呼び方です。

そして、ここまで上り詰めるとなると、当然、相応の金がかかります。

検校という時点で大富豪。

鳥山玉一という一個人の話ではなく、当時は「検校」という存在だけで忌み嫌われかねないものでした。理由は追って説明します。

市原隼人さん演じる鳥山検校は、瀬川の声音が少し萎れていることに気づきます。

彼女が差し出した箸は、吉原花魁のもとへ三度通うことで用意されるものでした。

大河ドラマ『光る君へ』の平安時代は、男君が女君の元に通った三日目で、三日夜(みかよ)の餅を食べて婚姻が成立します。

そうした婚礼の形式は既に廃れていましたが、吉原では残っていたのですね。

要は、上方の王朝貴族を真似ていた。雛人形も江戸時代には広まり、東にも上方文化がそれとなく伝わっています。

晴れて擬似夫婦となった二人。それなのに声音が萎れていてはおかしい。

瀬川が「少し面白うないことを思い出しんして」と取り繕うと、鳥山検校は「ひとつおもしろいものをお目にかけよう」と言い、女郎たちに自分の周りをめぐらせます。

そして一人ずつ誰かを言い当ててゆく。

彼は洞察力と思いやりがあり、見た目もよろしい。なかなかの男に思えます。こういう盲人の感覚の鋭さを生かした時代劇が「座頭市」ってことですなぁ。

瀬川が、女将のいねに「鳥山検校はいい男だ」と言います。すると立ち止まり、こう聞き返してきました。

「その言葉に裏はないかい?」

「あい」

なんと鳥山検校は、身請けの話を持ち出してきたとか。

驚く瀬川。その気はあるのか?と確認され、戸惑っています。

そのころ蔦重は「紋日」の一覧を確認していました。

年中行事が行われる日で、料金も上乗せされる書き入れ時ですな。吉原は朝廷やら大奥を模倣するところがあり、こうした行事は欠かせぬものでした。

しかし今はもう、心が千々に乱れるようになっちまった。

瀬川への気持ちに気づいちまった。

『新吉原の桜』歌川広重(1835年3月頃)/wikipediaより引用

 

この「マブ」は花魁をなんとか救いたい

新之助はうつせみに「あの二人は恋仲だ」と話したようです。今回はここで二組の男女が重なり合う。

瀬川と蔦重。

うつせみと新之助。

新之助はそう言うものの、吉原内でのマブは御法度だし、気持ちの上でも今更だとうつせみが返します。

前回、蔦重が「そういう心は折れる」と語った通り、吉原の内側で働く男は恋心に重たい蓋をするよう躾けられるわけですね。

新之助は愛しさが込み上げ、うつせみに覆いかぶさろうとする……と、灯りを消していないとうつせみ。

彼女の不自然な態度になにかを気づいた新之助が袖をまくり上げると

「長サマ命」

腕に文字が彫られていました。

「マブ」の語源に驚いた方もおられるかもしれませんが、この「[推し]様命」も、実はこのころからありました。吉原女郎の「手練手管」のひとつです。

元を辿れば男色同士のもので、自分の体を傷つけて誓うというものでした。

現代ならば相手を思い合いながらリストカットをしたら気持ち悪がられますが、かつてはそれが愛の証だったのです。

伊達政宗も若い頃はカレピを思いつつ、小刀で腕やら腿やら突いていたと本人が書状に記しております。

伊達政宗/wikipediaより引用

この手の刺青は、専門の職人ではなく素人がやるものですので、灸や煙管を押し付けると消えます。

これを「火葬」と呼び、その跡がいくつもある女郎を見て「ふてぇアマだな」と笑い飛ばすのが江戸っ子の粋てなもんですが……何だか様子がおかしいようです。

 

瀬川に千両の値がついた

蔦重にしては足取り重く、忘八親父どもの集う二階へ向かうと、何やら盛り上がっているではありませんか。

『光る君へ』では、壺に矢を投げ入れる「投壺」(とうこ)で遊ぶシーンがありました。それが時代が降り変化して「投扇興」(とうせんきょう)となる。その遊びをやっている親父がいますね。

中国、韓国、北朝鮮では投壺がそのまま残ったものの、日本ので投壺も、投扇興も明治以降に廃れてしまいます。

それにしても、なぜ盛り上がっているのか?

というと、どうやら瀬川の身請けが決まりそうとのこと。いねの口から鳥山検校の名が出てきます。

江戸でも指折りの金持ちだ、身代金はいくらだとさらにその場が湧き立っておりやす。

すると、いねが扇を投げながらこうだ。

「千両!」

気持ちとゲームが重なっておりやす。

禿のころから育て上げ、千両で身請けとなりゃ、女郎双六のあがりとしちゃ上々だもんな。

りつが瀬川の気持ちを確認すると、いねは乗り気だと返します。

「裏を返せば、検校ってことが気にならないくらい、男としていいってことだろ」

そうなんですよね。市原隼人さんだもんな。この配役が見事で、たとえば昭和だったらもっと違うかと思いやす。

往年の俳優ならば金子信雄さんあたりじゃねえか?と、それを敢えてそうしないことで、検校の特性が返って強まっているとも思うんです。

駿河屋は動揺する重三に気づき、話があったんじゃないか?と促しますが、出直してくると誤魔化す蔦重。

さて、しかし、誤魔化しきれていますかね。

蔦重が暗い顔で蔦屋へ戻ってくると、次郎兵衛の調子の外れた歌声が聞こえてきます。

三味線を弾いて大声で気持ち良さそうだな!

しかし、演じる中村蒼さんは歌うことが苦手で、本当に大変だそうですぜ。つっても下手くそな役回りだけど、それにしたって羞恥心の克服ってもんがやっぱあるんだろうな。

いや、ほんと、感動的なぐらい良い塩梅の下手くそなんですよね。ここまで下手で堂々と歌えるっつうのがすげえ!「ジャイアンリサイタル」呼ばわりも納得です。

映像化作品だとこういうのは上方修正されがちですしね。

たとえばシャーロック・ホームズのバイオリンは、原作では下手はなずが、映像化されるとそこそこ上手いことが多いもんです。

しかし、これを聞いて付き合う新さんはえらいよ。いや、仕事場でこれを聞かされる留四郎が災難だ。

蔦重がやってくると、安堵したように立ち上がる新之助。やっぱつれぇよな。

次郎兵衛の三味線には「付き合わなくていいっすよ」と蔦重が言うと、新之助が真剣な顔で「身請けにはいくらかかるのか?」と尋ねてきました。

思い詰めた様子の新之助と共に蔦重が外へ出ると、その後、ややあってから己の唄と三味線を聞く者がいないことに次郎兵衛は気づくのでした。

 

金がない者、金では買えないもの

「三百両……」

川縁でそう聞かされ、思わずどさっと腰を下ろしてしまう新之助。

蔦重が、なぜ急にそんなことを……と不思議がっていると、うつせみが新之助に会うための花代を稼ごうとして、おかしな客を取っていたことがわかりました。

腕に自分の名を彫り込み、彼女が痛がる様子を楽しんでいるとか。それでもう、うつせみは全身傷だらけなんだそうで……。

なんて野郎だ……んなもん羅切(※意味は各自お調べください)にしちまいな!

だから勤めをやめさせたいと、新之助は考えたんですね。

そのふてぇ客はうつせみを自分のモノにしたい。新之助はそんな客からうつせみを守りたい。

しかし、三百両とは、金のない男にとってあまりに非現実的な数字。身請けなど夢のまた夢と絶望しています。

「つまるところ、花魁にとって、金のない男の懸想など幸せになる邪魔立てでしかないということかもな」

「そうっすねえ……」

そう語るしかない男たち。

目の前を流れる水面がキラキラと照り返してきて、人間はなんとちっぽけなのかと思えてきます。切ねえ。もう本当に切ねえ。

瀬川に、禿のあやめが赤本を差し出してきます。

「これはまだ取っとくのでありんすか?」

「わっちが初めて男からもらった贈り物でござんしてなぁ。納めといて」

あの『塩売文太物語』でした。

鳥山検校がどれだけ美しく高い簪や錦を山ほど贈ろうとも、この本一冊にはかなわない。

これを彼女に贈った男は自分に金がないことに絶望しておりますが、金ではどうにもならないものもあるのです。

 

己の恋に気付いた蔦重は

九郎助稲荷の前で、瀬川を認めて蔦重がニカッと笑います。

そういや先日、「横浜流星さんではなく、別の売れっ子役者主演で見たい」という本作の叩き記事があったんですけどね。こりゃむしろ吉兆だと思うんすよ。

そこで挙げられた役者が松重豊さんだったら、なんだかすごい変わった思い入れのある方で、「いいからおめえさんは『孤独のグルメ』でも見てな」となるんすけどね。

あがった役者が『おんな城主 直虎』で井伊直政を好演した菅田将暉さん、そして『豊臣兄弟』主演の仲野太賀さんだったんですよ。

んなもんおめえ、大河ファンへの目配せバッチリじゃねえですか。

大河ファンのPVを稼ぎたい気持ちはわかった。

でもそんだけすよね?

私は横浜流星さん以外、ありえねえと思っておりやす。

彼の蔦重は、歌川国芳の描く江戸前の男みたいに見えるんすわ。役者絵や武者絵よりも、団扇絵のリラックスしたイケメンですね。

浮世絵って、昔はリアリティが全然ないなぁと思っていたものですが、よい時代劇を見ているとハッとさせられます。

表情やなにやら、ピタッと浮世絵と重なる。

こういう魅力的な人間がいて、それを描いたものだと納得できるのです。

横浜流星さんの蔦重もまさにそう。

彼は江戸っ子の持つ生命力が、魅力そのものが、顔や所作に滲んでいる。まさに適役だと思いやすぜ。

『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 浪裏白跳張順』歌川国芳/wikipediaより引用

瀬川はそんな蔦重のわざとらしい笑顔を見て「気味悪いね」と呟きます。

瀬川の隣に腰を下ろし、またわざとらしく笑う蔦重。そして身請けの話を持ち出します。

「その身請け、断ってくんね? へへっ」

「は?」

そう持ち出され瀬川が驚くと、素直になれねぇ蔦重は地本問屋と揉めたと言い出します。

『吉原細見』を吉原だけで捌くためにも、瀬川がいなくなると困ると言います。

「この間は身請けされて幸せになれって言いんしたかと」

そう怒りを滲ませる瀬川。そりゃそうなるよ。

それを認めつつ、こんなに早いとは思わなかったと蔦重。

呆れてため息をつく瀬川。

「それに……検校で手ぇ打つことないんじゃねえか?」

「鳥山様は素敵な方でござんすよ。男ぶりはいいし、品もいいし、何より、お優しいし」

この会話は重要です。

蔦重は「検校」という相手の属性。

それに対し瀬川は「鳥山様」と個人を持ち出しています。

 

ヒルなりの言い分

蔦重は、目が見えないから世話が大変だと指摘します。

目の障害を問題視しているわけですね。しかし瀬川はそれに対し、お側役がおられんすと返す。

徐々に本質へと話が向かってゆきます。

「それにまるで見えているかのように動かれるのでありんすよ。顔も見えぬのに人の機微も察せられんす……それこそ目あきの男の倍も、百倍も」

こう瀬川が語りつつ腰を上げる。

振り返るとき、目が開いていても鈍い蔦重への嫌味がチクリと滲んでいます。

それに対し蔦重は「お前……惚れてんのか?」と最悪の答えを返してしまう。

「……かもしれんせん」

呆れ果てて足早に去ろうとする瀬川。

その背中に蔦重は立ち上がり、語りかけます。

「おい……江戸中の笑いもんになんぞ! お前にどんだけいい顔してんのか知らねえけど、あいつらクズ中のクズだぞ! お上の情けをいいことに葬式まで押しかけて毟り取ってその金貸して大儲けする。この世のヒルみてえな連中だぞ!」

瀬川はキッと振り向いていう。

「あんただって、わっちに吸い付くヒルじゃないか! 河岸のために五十両取ってこい。今だって客呼ぶために身請けを蹴れっていう。わっちに……客を取り続けろって言う! 同じヒルなら、まだよそ様に吸い付いてくれる方が愛らしいってもんさ!」

何も言い返せない蔦重。

さて、ここで悲しい“ヒル”の話をしましょう。なかなか難解ですね。

蔦重のいう「お上の情け」とは、徳川家康が当道座に対して約したことです。

盲人組織である当道座の歴史は室町時代まで遡る。

江戸幕府が開かれると、土屋円都という検校が家康のもとまでやってきました。

彼は家康が今川家に人質としていた頃に近侍していた縁があり、それを頼りに家康に当道座の庇護を頼み、認められた。

これが「お上の情け」でやんす。

家康の側室で秀忠の母にあたる西郷局も視力が弱く、盲人庇護に熱心で、家康に影響を与えたともされます。

『どうする家康』ではレーシック手術でも受けたかのように、その設定が消えたのは惜しまれることでした。

しかし、この「お上の情け」ってえのが、半端ねぇんすよ。

農民は年貢がある。町人は労役がある。当道座はこれを免除されています。

さらに当道座の者が遠出するとなると、集落では出迎え、泊めて、次の目的地へ送り届ける義務まで生じる。

このあたりまではまだ福祉の範囲、お情けということで納得できたでしょうなァ。

しかし、ここから先がどうにも過剰に思えたようでして。

彼らには「高利貸し」の特権まで与えられました。

そこで、ありえないほどの利子をつけ、それこそ葬式だろうが乗り込んで取り立てる。相手が首をくくろうがお構いなし。

なぜそんな横暴が罷り通るのか?というと、相手が文句をつけてこようもんなら「東照大権現のお墨付きだぞ!」と強行できた。天下御免ってやつだな。

徳川吉宗の時代あたりまでは、米を中心に経済が回っていたからまだ被害も抑えられていました。

かつて吉原で金にものを言わせ、名花を手折る悪党といやぁ、伊達騒動の主役こと伊達綱宗のような大大名。

二代目高尾太夫の強引な身請けは一悶着起こしたもんです。

月岡芳年『月百姿』に描かれた2代目高尾太夫/wikipediaより引用

それが貨幣経済が浸透して、何もかもが「金! 金! 金!」という田沼政治の時代になると、当道座の者たちはますます顔がでかくなります。

特に10代・徳川家治の時代は、吉原に出入りする盲人が一番多かったともされます。

検校がうなるほどの金を持ち、かつ憎まれるのは、田沼時代を説明するうえで大変重要な要素となってくるんですね。

 

頼むから、行かねえで

さて、そんな時代のしがらみから抜け出し、蔦重は裸の心を呟いてしまいます。

「行くなよ……頼むから行かねえで」

そう頭を下げる。

「好かないね。しまいには泣き落としって」

ありんす言葉をかなぐり捨て、江戸の女らしい荒々しい口調で返す瀬川。江戸の女は湿っぽいこたぁ、でぇ嫌いだよ。

「分かってる。いい話だってこたぁ。吉原にとっても、お前にとっても。けど……お前があいつんとこに行くのが嫌なんだよ。俺が、お前を幸せにしてえの! だから行かねえでくれ! 頼む……」

ここで幼い駄々っ子みたいに唇をへの字に一瞬歪ませて、蔦重はまたも頭を下げます。

「どうやってさ……どうやって幸せにしてくれるっていうのさ」

瀬川はそう返します。

「そりゃあ、どうにか……」

「どうにかってなんだい! べらぼうが!」

「年季明けには請け出す、必ず」

そりゃ何もしねえってことじゃねえのか?

そうは思うものの、瀬川はそれだけで胸いっぱいなのか。

下駄の音を響かせつつ、燃えるような瞳を輝かせ、蔦重に歩み寄り、襟を掴み上げます。

「心変わりなんてしないだろうね!」

「当たりめえだろうがよ! 俺ぁてめえの気持ちに気付くまでに二十年かかってんだぞ。心変わりなんてできっかよ」

「そ、そうか」

「そんなの無茶ってもんよ」

泣き笑うしかない瀬川。

やっと、やっと、思いが通じました。

しかし、これは新たな地獄の始まりでしかねえんですぜ。

 

吉原で恋に気づけば、地獄が始まる

瀬川は身請け話を断ることを、松葉屋夫妻に伝えます。

一応、建前としては拒否権があるようですが、女将のいねとしては「はい、そうですか」というわけにもいかない。

この前は話を受けると言っていたため、身請け証文作りまで進んでいるのに、今さら断るのはバツが悪い。

すると瀬川は微笑みながら「自分で鳥山様に断る」と返します。

松葉屋はすがるように「花魁からわけを聞かせて欲しい」というと、瀬川はスラスラと「断る方が値打ちが上がる」と言います。

ここでなまじ検校の話を引き受けたら、金に転ぶ者だと笑われると。逆に、千両でも振り付けることで、名跡と吉原の価値を高めるというわけですが……。

といっても、次にこんないい話があるとも限らないと嘆く松葉屋。

そんな夫の言葉を遮るように、いねは言います。

「分かったよ。じゃあ、あたしから断っとくよ。あんたの言うことはもっともだ。よ〜く分かったよ」

瀬川もホッとして、礼を言い、出ていきます。松葉屋がいいのか?と心配そうに尋ねると、いねが吐き捨てるように言う。

「ありゃ男だよ。間違いない。マブができたんだ」

松葉屋は今まで一人も作らなかったと驚いています。

「だから、作るとしたらあれしかいねぇだろ」

「今更?」

「とにかく、あれが相手なら正面切ってのお定め破りだ。尻尾つかんでバキバキに折檻すりゃ目ぇ覚ますさ」

そうふてぶてしく低い声で言うと、手をパンパンと打ちます。まさを呼び出し監視を命じる。一分の隙間もねえ、えげつなさがあるぜ。

かくして瀬川と重三が監視される日々が始まりやす。

二人のやりとりは貸本を通じてのもの。瀬川の文は「候文」で、お堅い文体ですな。

二人は稲荷での密会もなくなったとまさが報告し、松葉屋が驚いていると、「行かなくなったことが何よりの証拠だ」といねが断言。しかし確たるものは掴めていません。

するとそこへ、駿河屋から鳥山検校が来たという「差し紙」が届きました。

さて、瀬川はどうするのか。

いねは鳥山検校に、瀬川はひどい風邪っぴきだと詫びています。

鳥山検校は瀬川に振られたのか?と言い出します。

いねが誤魔化そうとしても、声音から焦りを聞き取られてしまうのです。

松葉屋は隠し事はできない、瀬川の熱を案じているからだとなおも誤魔化しますが……鳥山検校は小判をポンと出させ、滋養のあるものでも食べさせるよう命じます。これも高利貸しで毟り取った金なのか。

駿河屋も何か勘付いたようで、去り行く松葉屋に「うちのやつが何か……?」と声をかけています。

「うちに任せてくれ」と鷹揚に答える松葉屋。

さて、どうするのか?

松葉屋は仏心が湧いたのか、千両は惜しいが今回は見送ろうかといねに語りかけます。

「ないね。あの妓は次に誰が来たって、同じ理屈で断るよ。はぐらかし続けた挙句、年季が明けたらあれと一緒になる算段さ」

しかし、いねはせっかく蘇った瀬川を、そんなしょぼい結末で終わらせたくないようでして。

男も値踏みされるんですな。松葉屋も女房の理屈に納得、いねは次の手に移るようです。

 

吉原地獄の獄卒夫妻、二人を罠にかける

いねの一手とは?

まず瀬川の前に出た彼女は、客の一覧を差し出します。

戸惑う瀬川に対し、襲名披露のご祝儀にいくらかかったかと迫るいね。

瀬川になってからの着物、簪、調度品……など、張り込んだ分、莫大な費用がかかっているようで。

身請けすればそれもチャラなのに、断ったら借金として重くのしかかってきます。年季明けもそれだけ伸びる。

瀬川が、これでは安売りだとやんわりと断ろうとしても、吉原の仕組みを熟知したいねには通じません。風邪引いたことにして離れで客を取らせるという手を使います。

「女将(おか)さんは、もう一度、四代目瀬川を作るおつもりで?」

瀬川は身請けしないための嫌がらせだと見抜き、四代目の話を持ち出します。

望まぬ身請けを飲まされたあげくに命を絶った――その悲劇を繰り返すつもりなのか。

「脅しのつもりかい? 悪いけど、私ゃ四代目がかわいそうだなんて毛筋ほども思っちゃいないんだよ。ありゃあ、松葉屋の大名跡を潰してくれた迷惑千万な馬鹿女さ。じゃあ、頼んだよ」

脅されるどころか、脅し返して女将が去ってゆきます。

瀬川は客の名が並ぶ紙を、汚らわしそうに横へ払うしかありません。

松葉屋に蔦重が本を貸しに来ると、瀬川はおりません。風邪で休みだとか。

するとそこへ松葉屋が入ってきました。

おいねを抜きにして瀬川と三人で話したいことがあるから、昼過ぎにもう一度来て欲しいと言います。これだけだと、なんだかいい話のように思えなくもないけれど、んなわけがない。

蔦重が松葉屋に連れて行かれたのは、離れでした。

男のうめき声がします。

「すまねえな。花魁を蔦屋に連れて行くわけにもいかなくて。花魁はちょいと長引いているようだな」

ここで蔦重も異常に気付いたようです。

「気持ちが入っちまうと聞こえ方が違うか?」

「何の話だか」

そうシラを切る蔦重の前で、松葉屋は無造作に障子を少し開きます。

その闇の奥に浮かぶようにして瀬川の白い顔と赤い着物が見えてきます。四つん這いになり、背後から突かれる姿でした。

目を逸らす蔦重。

障子を閉める松葉屋。

「どれだけ飾り立てたって、これが瀬川のつとめよ。年に二日の休みを除いて、ほぼ毎日がこれさ。この先どう考えてっか知らねえけど、お前さんはこれを瀬川に、年季明けまでずっとやらせるのかい? 客を取れば取るほど、命はすり減ってくもんだ。年季明けの前に逝っちまうこともザラさ」

肩をポンと叩く松葉屋。

「重三。今お前にできんのはな、何もしねえってことだけだ」

その手を払い、キッと相手を睨みながらも、黙って去ることしかできない蔦重でした。

『地獄草紙』「雨炎火石」/wikipediaより引用

 

この籠から鳥を逃すには?

蔦屋の前で、次郎兵衛が呑気に三味線を弾いています。

そこへ大股で帰ってくる蔦重。さらに新之助がやってきました。

背後には地味ななりの娘が一人います。

こういう町に住む普通の女は「地女」といいます。ひさという娘が、玉菊燈籠が見たいので、切手が欲しいのだとか。

「切手」というのは通行証のことです。

吉原大門から女が出ていくと困る。そこで逃亡防止のため、女性は「切手」を見せなければ外へ出て行けない仕組みになっておりました。

女性の見物客が増える玉菊燈籠の季節ともなると、切手発行が増えるそうで。

次郎兵衛はバカなので、ひさが新之助のアレかと何の疑いも抱いていないようです。

次郎兵衛を見てっとよ、なんで落語とか江戸の話にバカボンが欠かせねえのかストンと落ちるぜ。話を動かすにはこういう存在が便利だよな。

一方で頭も切れる蔦重は、何かピンときたようですが……。

ひさを見物に送り出し、新之助は何か秘めたように吉原へ歩いてゆきます。

蔦重は思いつきました。

切手に「女 しお」と書き、本に挟みます。

誰もが寝静まったあと、女は人目につかないところで一時身を潜め、朝一番に大門へ向かう。

男は裏茶屋にしけ込んでいたことにしておく。

そして女と男は手に手をとりあい、吉原という籠の中から飛び出す。夜明けとともに、自由へ、幸せへ向かって飛んでゆく――。

そんな計画を立てるのでした。

翌朝、松葉屋に貸本を持って向かう蔦重。

松の井がつまらなかったと本を返してきます。

瀬川はかすんだ目で蔦重をじっと見ている。

その手に本を渡す蔦重。中には切手がありました。一瞬で計画を悟り、驚く瀬川。読んでみろと念押しする蔦重。

するといねが二階から降りてきて「うつせみ!」と連呼しています。

そしてドスの効いた声でこう宣言。

「足抜けだ!」

 

足抜け無惨

その頃、二羽の小鳥のような女と男が、道を走っています。

うつせみと新之助です。

しかし、無謀な計画を勢いで実行してしまった彼らを見つけ出すなど造作もないこと。

新之助は刀を抜いて立ちはだかろうとしますが、追手相手に瞬時にやられてしまいます。

武士なのに剣術は下手くそだったのか?

というと当時はそんなものでしょう。

江戸中期ともなれば、お武家さんの剣道はスポーツになっており、防具に竹刀で一対一ですから、実践からはほど遠い。

福沢諭吉が「江戸時代もしばらくしたら武士は刀なんて使えなくなったじゃないか」とコケにした通りで、喧嘩殺法のできる町人が足をすくい、目潰しなんかしてきたらまず勝てねえ。

ましてや取り囲まれたらどうしようもない。

その点、幕末京都で猛威を振るった新選組の天然理心流は、喧嘩殺法の集団戦術やら不意打ちをとり混ぜた、おそるべき流派だった。それで彼らの強さが際立ったのです。

新さんは、ありとあらゆる意味で、この時代を象徴するキャラクターといえるでしょう。

むろん、森下佳子先生の創作ではありますが、この手の貧乏御家人の次男以下は大勢いた。時代劇で主人公に切り捨てられるモブ浪人たちには、こういう身の上の連中も紛れているんでしょうね……切ねえ。

新之助が呆気なく倒され、うつせみが魂を引きちぎられるような絶叫を轟かせる。

「新さま〜!」

彼女も当身をされて苦悶しつつ、捉えられてしまいました。

うつせみは縛られて、松葉屋に連れて戻られました。

「芝居のネタにでもなるつもりかい? このしょんべん女郎が!」

低い声でそう怒鳴りつけ、うつせみに水を浴びせるいね。

「わっちはただ……幸せになりたくて……」

身悶えしながら答えるうつせみは化粧も取れ、純朴そのものの娘に見えます。

「はぁ? 幸せに……なれるわけないだろ! こんなやり方で!」

呆れ返っています。

「あんた、この先どうやって生きていくつもりだったんだい? 追われる身になって、どこに住むんだい! 人別は? 食い扶持は? どうすんだい? ええ? ろくな暮らしなんてできないよ。あんた養おうとあいつは博打。あいつ養おうとあんたは夜鷹。成れの果てなんてそんなもんさ。それが幸せか? あァ? 幸せか? それのどこが幸せかって聞いてんだよ!」

すすり泣くうつせみ。

その様子をジッと見聞きする瀬川。

白い白粉の下で、血の気が失せて蒼ざめているように見えます。

確かにな。これが現実なんだよ。

 

芝居にすらなれない江戸の男

薄暗い部屋に一人、新之助は刀を握りしめ、腹に突き立てようとして失敗します。

「あっ、いたっ! あ……」

そこへ蔦重が入ってきて、慌てて止めます。

「離してくれ! 俺はうつせみと共に逝くのだ!」

「うつせみは死なねえですよ!」

「え……?」

我に返る新之助。

吉原は女郎を殺したりなんてしないと蔦重が説得します。どうやら殺されるとでも誤解していたようですね。

ではなぜ新之助はうつせみが死ぬと思ったのか。新之助は何をしたかったのか?

というと、こいつァ「心中」っすね。

「情死」とも「相対死」とも言います。

現代人からすると心中とは「同時に同じ場所で死ぬこと」であり、離れていれば成立しないようにも思えますが、それはフィクションの演出上の都合です。

舞台劇なんかだと、同時に死なないとわかりにくいですからね。

しかし、実際の記録を見ると、同時期に別々の場所で自害し、遺書や周囲の状況でそう見なされることも多い。

新之助は頭がカーッとなっていて、かつ、フィクションの影響でも受けていたのでしょう。

蔦重が瀬川に、通行切手を挟んで渡した本は『天の網島』。『心中天網島』のことです。

蔦重と新之助の言動からは「心中」という道が見えてきます。あれも女郎と恋の叶わぬがゆえの死がテーマでした。

しかし、結局、この二人の男は「心中」にならないか?ということですが、いねがうつせみに「芝居のネタにでもなるつもりかい?」と語っていたこともヒントになります。

心中とは、江戸時代、上方発のムーブメントの一つでした。

『光る君へ』のころ、『源氏物語』では入水自殺未遂はあっても、心中はありません。

男女が思い合って死ぬことが全くないわけではないものの、ハッキリとしたシナリオとして認識されるのが、近松門左衛門の心中ものブームからなんです。

これが江戸まで伝わってくると、幕府は困惑します。

中でも八代将軍・徳川吉宗は大激怒。

「心中」は「忠」をひっくり返していてけしからん! そんな理屈もあげられますが「そんなしょうもねえことで死ぬな!」と言いたかったのでしょう。

心中というのは結局、フィクションの悪影響の代表例でもあります。

そのため江戸では厳しく取り締まられました。

実際に、心中で死んだ者は輪廻転生を防ぐため犬畜生のように葬られ、もしも生き延びたら晒された上に非人とされます。

そうした政治的影響力の差もあってか、心中は西高東低の傾向がありました。

足抜け女郎をうっかり折檻死させたなら言い訳ができるかもしれない。しかし狙って殺すとなると、心中を誘発したとして、お上から睨まれかねない。

そういった複雑な心中事情も見えてきますな。

『曽根崎心中』お初と徳兵衛のブロンズ像(大阪露天神社の境内)/wikipediaより引用

ともかく芝居にもなれない新之助は、足抜けの経緯を明かします。

誘ったのは新之助から。うつせみが悪どい客に苦しめられることが耐えられなかったそうです。

彼はうつせみへの愛情はむろんある。それだけでなく、己の不甲斐なさに耐えきれなかったのです。

己の弱さを自覚し、項垂れるしかない新之助。彼の言葉を、蔦重はジッと聞いています。

こうしてみてくると“カモ平”扱いされていた長谷川平蔵が恵まれていたと思えてくるんですよね。

なんのかんので三河以来、それなりの旗本で嫡男。しかも父親は倹約して遺産を残していった。その遺産を溶かしたのはいただけねえにせよ、妻子もあるし、お役目もあると。

若い頃、一時吉原で遊んで戻れるというのは、恵まれているっちゃそうなんですよ。

 

“瀬川”を背負った覚悟

いねが花を生けているところへ、瀬川がやってきて問いかけます。

瀬川なりに、うつせみへの言葉に厳しいだけでない真実を見出したのでしょう。

「四代目瀬川が迷惑千万とは、女郎にとってでありんすか?」

うつせみに語りかけた厳しい言葉には、この世を生きてきた、元花魁の洞察があった。あの四代目瀬川への言葉にもそれがあるのではないか、と。

いねは花を生けつつ、語ります。

「あの妓があんな死に方しなきゃ、きっと何人もの女郎が瀬川になって、豪儀な身請けを決めて大門出てったさ。あの妓は引き受けときながら、己の色恋大事でぶっ潰しちまったんだよ。女郎たちは“瀬川になる道”をなくしたし、松葉屋は“瀬川の身代金”をなくした。だからあんたが瀬川をよみがえらせたい、幸運の名跡にしたいって言った時は、嬉しかったよ。これでみんな救われる。やっと、“瀬川”を背負える器が出たと思ったしね」

じっと聞いている瀬川。

「ここは不幸なところさ。けど、人生をガラリと返るようなことが起きないわけじゃない。そういう背中を女郎に見せる務めが、“瀬川”にはあるんじゃないかい?」

パチンと鋏を使い、いねは続けます。

「“瀬川”を背負うってのはそういうことだと思うけどね」

蔦重は歩きつつ、新之助の言葉を思い出しています。

己の不甲斐なさに耐えられなかったのは、私の方だ。

弱かったのは、俺なのだ――。

彼は何を思うのか。

 

それでも、とびきりの思い出になった

松葉屋に本を貸しにきた蔦重に、瀬川は話しかけます。

「重三。この本、馬鹿らしうありんした。この話の女郎もマブも馬鹿さ。手に手をとって足抜けなんてうまくいくはずがない。この筋じゃ、誰も幸せになんかなれない」

「悪かったな。つまんねえ話すすめちまって……」

「何言ってんだい。馬鹿らしくて……面白かったって言ってんだよ」

驚いて瀬川を見返す蔦重。

「この馬鹿らしい話を、重三がすすめてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ。とびきりの思い出になったさ。じゃあ、返したよ」

上方の芝居のように、心中はしない江戸の二人。うつせみと新之助は悲恋の物語にはなれません。

蔦重が瀬川に送った切手には、女の名前に「しお」と書かれていました。あの思い出の赤本である『塩売文太物語』のヒロインの名です。

瀬川と蔦重も、ハッピーエンドの物語になれません。

馬鹿馬鹿しい、これじゃ幸せになれないと笑い飛ばす瀬川。

でも、そう思っただけでも幸せだった。

馬鹿馬鹿しいお話に救いを見出した。

そういう「虚」に救いを見出し、苦い「実」を生きる。そんな江戸の時間がそこにはあります。

そして……。

ほどなくして、瀬川の身請けが正式に決まりました。

身代金は千四百両。

年の暮れには出ていくそうです。

そしてもう一人、田安賢丸も、年末に住み慣れた場所から離れねばなりません。

そんな兄に、妹の種姫が何か手にして話しかけてきます。何かの種です。なんでも父からもらったのだとか。種を蒔いて芽が出るかと尋ねる種姫。

「そうか、種を蒔けば……」

そう目を光らせる賢丸でした。

 

MVP:いねと松葉屋半左衛門

先週、忘八にスカッとしておいて、それを全力で撤回したくなるほど厳しい回。

ただ、松葉屋の夫は若干、妻ほど厳しくないという個性が出ておりました。

彼は先代がいて、生まれながらにして忘八になる定めだったんでしょうね。これはあの次郎兵衛にも言えることです。

次郎兵衛みたいなバカボンが、どうすりゃ駿河屋を継げるのか?

その答えが松葉屋夫妻にあります。

しっかり者の妻を娶り、引き締めにかかるしかないですな。商売の表も裏も知り尽くした、それこそ女郎出身がよいのかもしれませんぜ。

実は初回から、松葉屋夫妻は「妻が実質的に仕切っているのではないか?」と予感していました。

今では抜け目ない半左衛門も、若い頃はぬぼーっとしていたのかもしれません。

半左衛門は残酷なようで、花魁を妻にしたということは、彼女がどれだけ命をすり減らしたか理解しています。

そこにも大きなドラマを感じるんですよね。

いねも、きっと仲間の女郎たちが酷い目に遭う様を見聞きして、色々考えてああなったんだと思います。

花を生けながらそれを瀬川に語るという状況が秀逸で、彼女にとって女郎は花のようにも思える。

しっかりと綺麗に見えるように飾ろうとして、鋏を入れて、ときに枝も落として、そうしていかねばならない。

花魁を辞めても吉原にとどまり、憎まれ役にならねばならない覚悟と矜持を感じました。

松葉屋は女郎の扱いが良い方なんですよね。

食事内容がしっかりしているし、明るい場所で蔦重の本の貸し借りをさせている。

瀬川に語りかけてくる口調も、やさしさを感じさせます。

かぼちゃを食わせて節約しているドケチの大文字屋と比較するとわかりやすいでしょう。

一緒くたにされてきた忘八たちも、個性や濃淡が見えてきましたね。

色々と考えていると、ドケチ大文字屋にいながら、蔦重の袖を平気で引っ張っていた“かをり”のことなんて思い出して、不安になってもくるんですが……。

忘八をまとめて疎んじていた頃が、すっかり遠くなっちまった。

なんてこったい。

 

総評

ジックリ見ていくと、わかってくることが多いこのドラマ。

己の未熟な知識も恥ずかしくなってきたり、新鮮な喜びも味合わせてくれます。

今週の予習にと、講談「玉菊燈籠」を聞きました。

最初はなんだか古臭えな、講談だしな、と思っていたんですが、聞き進めるうちにどっぷり浸かって、気がつけば洟を啜っていました。

江戸時代の文化や歴史は、古臭いようで、拭ってみると光がさんさんと差し込んでくる。そういう新鮮な喜びがあるんですね。

今回も、あらすじだけ読めばベタだし、古臭いし、瀬川の言葉じゃないけど、馬鹿な話に思えます。

足抜けの無計画ぶりも無様といえばそうだし、幸せにすると断言したときの蔦重は頭空っぽなんですよね。

でも、そういうところもひっくるめて、この話を否定できますか?

自由ってなんだ。愛とはなんだ。恋とはなんだ!

そういうシンプルな問いを突きつけてきます。その今では当たり前のことが、この時代はそうではなかったのだと。

とはいえ、歴史の針を巻き戻してみると、それこそ戦国乱世では当たり前ではなかったことを、この時代の人は享受しています。

衣食住。

殺されない権利。

読み書き。

知識を得て、書物を読み笑えること。

権利は拡大しています。

それでも「我儘」に生きたいと平賀源内はいう。

米から銭へ変えていかねばならないと、田沼意次はいう。

そうやって歴史を変えた先に私たちはいる。

この『べらぼう』の時代に生きた人々が、変えていかねばならないと思い切った時代の末尾に、私たちは生きているんじゃないかと今週は痛感しました。

現実世界で、ひとつの時代が終わろうとしているではないですか。

 

毒のある男らしさの終焉へ

蔦重と新之助、瀬川とうつせみ、いねと半左衛門。

今回は男女の対比が鮮やかでして。

どの組み合わせも、実は男の方が弱い。

蔦重と新之助は、自分では愛する女をどうしようもできないことが情けなくて、悲しくてたまらない。

彼らは時代の犠牲者といえる。

時代の犠牲者は吉原の女郎だけではないということを、本作は突き付けてきます。

ただでさえ儒教文化圏は女児の間引きが多く、都市部は男女比が歪みがちです。そのため機会的同性愛が増加し、小話でも恐妻ジャンルが成立する。

江戸の場合、これが極端に出ています。

新興都市である江戸は、極めて男女比が歪でした。

田舎から次男以下が食い扶持を求め、わずかな可能性を見出したくて街に出てくる。妻を娶るなんて大変な幸運ですから、それこそ“女房の尻に敷かれる”となるわけでして。

成人の男女が結婚して子を持つことが当然となるのは、人類史でも近代以降の話ですから、この時代の先ですね。

新之助とうつせみが『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』を見たら、なんて素晴らしい世界なのかと目を輝かせることでしょう。

きっと、私たちは、昔の人からみたら理想的な世界に生きている。

そう言いたくなるようで、今を生きる立場からするとそうともいえない。

むしろ、失ったものがあるのではないかと思えてきました。

今回の男は本当に無様で。

あんなに力強く瀬川と一緒になるといった蔦重は、結局何もできやしない。杜撰な足抜け計画しか立てられません。

その計画を先行した新之助は、何もかもが無様でした。

追っ手がきて刀を抜いても、即座に捕まってしまう。心中しようとしても、刀の先がちょっと腹に触れただけで「痛っ!」と声をあげてしまう。

物語のように美しくなくて、ただただ情けない、等身大の男がそこにいました。

でも、私たちの先祖って、こういう情けねえ男が大半だったと思うんです。

それがどこで変わったのか?

近代以降の日本というのは「極端に美化した武士道」を民に叩き込んできました。

武士のように潔く散れと思い込んだ結果、断崖絶壁から飛び降りたり、手榴弾で死を選ぶ庶民が続出したわけです。

そういう苦い経験があるから、アメリカ占領時は日本史ものの作品は禁止されたこともあります。

禁止するまでもなく、しばらくは武士道に対し懐疑的な作品が多かったものです。

それが時代がくだり、戦後80年ともなると、民放からはとぼけた男が出てくる時代劇はなくなる。

大河ドラマは戦国幕末ばかり。

なんなんでしょうね。『青天を衝け』は、幕末の志士にしては幼稚で「胸がぐるぐるする!」なんて決め台詞にしていたし。

『どうする家康』もグニャグニャで。

そういうダメ男でニチャニチャしたコメディをやりたいなら、なぜ戦国幕末にするのか。

時代劇でも弱くてダメな男を描きたいなら……そうだ、江戸時代中期の江戸っ子でいいんじゃねえか? そう方向転換したんじゃないですかね。

そしてこれが、ピタッと時流にハマった、そういう奇跡を見る思いがしています。

先日、トランプ大統領が投稿した「トランプ・ガザ」ビデオが世界中に衝撃を与えました。

そのあとのトランプ大統領、ヴァンス副大統領が、ゼレンスキー大統領を攻撃するような会見も、おそろしいものがありました。

でもこの流れには、一本線が引けると思うんですね。

ガザのビデオでは、金・女・うまいメシ・地位がドーンと前面に出ているんです。本能的な、いかにも資本主義的で脂ぎった男の欲望がそこにはありました。

『仁義なき戦い』の山守親分級の欲求ですね。マブいスケがいたらすかさず触り「ええケツしとるのぉ〜」とニヤつくみたいな話よ。

でも、本当に心底、女性の臀部を触りたいからそうしているのでしょうか?

私には、ああした行為が有害な男らしさ(トキシック・マスキュリニティ)そのものに思えるんです。

ヴァンスは特に極貧から成り上がったぶん、トランプより強烈に見える。

強いと言いたいがために、勝てる相手を見出して踏みつける。札束をばらまき、ねえちゃんのケツを揉みしだく。

そんなことをして意味はあるんですかい?

本当にそうしたいわけでなく、何かの強迫観念でしているんじゃねえですかい?

そういう男性の弱さに寄り添って「格好悪くて弱くてもいいんだぜ」と言えることが今求められている気がするんです。

どこで人類はそういうことを忘れたんだろう?

近代から現代へ向かう中、誰もが役に立つ存在にならねば、と効率を求めてそうなっちまったんじゃねえかと。

今回の弱くて情けねえ男を見ていて、ずっと洟をすすりっぱなしでした。

情緒が大渋滞を起こしてぶっ壊れるんじゃねえかと思いました。

この作品は女の苦しみに目を向けるだけでなく、男の弱さをも認めている。

得難い作品ですよ。

武士ローテーションじゃア、こうはいかねえ。大河は新時代に入りやしたぜ。本当にありがてえことだよ。

 

追記:大河ドラマ関連のよいニュースと悪いニュース

2024年大河ドラマ『光る君へ』の電子版シナリオ集が発売されました。

紙だと分厚くなるものも電子ならば簡単にできる。そんな新時代に沿ったことで、めでたいですね。

吉高由里子さんはドラマアカデミー賞で主演女優賞を受賞しました。

おめでとうございます。まさしく大河ドラマの新時代到来。

そして、今からこういうことを言うのも何ですが、来年の『豊臣兄弟』はどうにも時代とそぐわなくなって、失敗する可能性が見えてきています。

これも現代社会の状況が関係しています。

豊臣氏は東アジアでは評価が最低です。

理由もなしに戦争を仕掛けたのですから当然でしょう。そういう豊臣氏を礼賛する作品は、時勢にそぐわない。

一方で江戸時代は、ゼロどころかマイナスからスタートした外交秩序の回復から始まり、成功をおさめているといえる。

周辺諸国との外交が成功していたこの時代は、再評価に回帰していくと思われます。

『3ヶ月でマスターする江戸時代』に出ている先生方の本も、どっさどっさと売れて読まれていただきたい。

その後の明治以降は、近代化に成功したようで、外交的には失敗しているといえる。

例えば幕臣は、英露の展開する「グレートゲーム」に巻き込まれることを回避し、フランスとの提携を選びました。

長期的に見るとこれが正解だった。

しかし、実際の明治以降はロシアの脅威を警戒しつつ、イギリスの真意を伺い、次第に泥沼に突っ込んでいくわけです。

それもこれも、元を辿れば幕臣ほど慎重ではない「志士」たちが、倒幕というエサをチラつかされ、イギリスの言いなりになってしまったことが発端とも言えるわけでして。

そういう明治以降の外交は、幕末から見直す必要があります。もっと遡って、それこそ田沼時代からそうした方が良いかもしれません。

そんな流れに2025年は合っていると思っていたところ、2027年の大河ドラマは小栗忠順が主役と発表されました。

幕末の幕臣は時代錯誤ではない。

テロで盛り上がっていた「志士」たちなどより、はるかに先見の明があった。

それを大河で描ける時代になったんですね。

時代としては幕末でも、江戸関東幕閣中心は極めて珍しい。『勝海舟』以来ではないですか? ただ、勝海舟の場合、坂本龍馬の恩人であるといった、維新側の評価も含まれる点は考えたいところです。

これは大きな転換、画期的です。

なお、小栗と勝はライバルとして発表されました。

勝はビッグマウスで文才もあった自己プロデュース型の人物です。小栗は、言い方は悪いけれどコミュ障でエンジニア、オタク気質。しかも早くに亡くなっているため、業績がわかりにくい。

勝は過大評価、小栗は過小評価されがちですので、そこも是正されるのではないかと私は期待しております。

『徳川慶喜』はどうか。慶喜は京都で将軍となり、辞めた人物で、実は江戸では政治を動かしていない。なお、会津、新選組渋沢栄一も京都中心で、幕閣目線とは異なります。

思えば私はオリンピック大河の年、「こんなテーマをやるなら『柳生一族の陰謀』をやれ」とぼやきました。すると大河ではないものの、NHK時代劇としてリメイクされたのです。

渋沢栄一大河の時は「小栗忠順より先に渋沢栄一が大河とは、酷い話だ」とぼやいていました。

小栗大河ドラマもようやく、願いが叶って、嬉しい限り。これからも受信料は真面目に納めます。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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    武者震之助

    2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

    -べらぼう感想あらすじ

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