美しい花魁や、生きるのに必死な女郎たちに囲まれ、日々を生きている――大河ドラマ『べらぼう』の蔦屋重三郎は一体どんな女性と結婚するのか?
いきなりネタバレで申し訳ありませんが、ドラマの中では、第23~24話で注目された本屋の娘“てい”が妻となります。
橋本愛さん演じる彼女、史実では一体どんな女性だったのか?
というと、残念ながら記録はほとんど残されていません。
しかし、わずかな情報から浮かんでくる姿もある程度は思い描くことができます。
ドラマに初登場したときの眼鏡姿は凄まじくインパクトがありましたが、蔦屋重三郎とていの二人はいかにして結ばれていくのが自然な流れとなるのか?
当時の男女関係を踏まえて、考察してみましょう。

楊洲周延『真美人 眼鏡』
蔦屋重三郎の妻の名は?
実は蔦屋重三郎の妻の名は判明していません。
橋本愛さん演じる“てい”は、あくまで劇中の名であり、他のフィクションとも異なります。
この時代は音があっていれば、漢字は自由にあてられます。彼女は“貞”がお似合いです。金で貞操を売る吉原ものを嫌う女性にふさわしい名ですね。
2024年の大河ドラマ『光る君へ』で主人公が“まひろ”とされたような設定だとお考えください。
では彼女の名前は全く残されていないのか?
というと、そうではありません。彼女には狂歌師としての名乗りである【狂名】はありました。
狂歌師は自らを「痴者」(バカ)と称していたほどですので、ふざけた名乗りです。
垢染衛門(あかぞめえもん)となります。
由来は『光る君へ』において凰稀かなめさん演じた平安中期の赤染衛門ですね。
劇中では、源倫子の家庭教師として、サロンでまひろの先輩として、才知に溢れた女性として描かれましたように、史実でもその名を残しました。

赤染衛門/wikipediaより引用
そんな才女である赤染衛門の名も、「赤」を「垢」とすると、洗濯せずに垢じみた衣類を着ているようなユーモラスな印象が出てきますね。
夫婦揃って狂歌を楽しむ姿は、ドラマでも是非見たい場面。
五代目・瀬川が退場した後、新章を迎えたかのように『べらぼう』では狂歌連が注目されるようになりました。
その狂歌連こそ、次なるヒロインの檜舞台でもあるわけです。
彼女は江戸の「地女」
「地女」という言葉をご存知でしょうか?
蔦屋重三郎たちが扱う、江戸で作られた本は「地本」。
土地に根付くものに「地」をつけて表した言葉であり、現在ですと「地酒」とか「地鶏」という表現がありますね。
その点、ていは「地女」と言えます。
では地女とそうでない女の違いは?
江戸時代は、名前の時点で明らかでして、吉原女郎の「源氏名」や、大奥の女中は三音節以上の名乗りでした。
それに対し、一般人女性は二音節の名が一般的。
吉原では「せがわ」や「うつせみ」であった女性たちが、一般人となった後は、それぞれ「せい」や「ふく」と名乗りを変えており、象徴的と言えるでしょう。
では名前以外にも違いはあるのか?
吉原の女郎は江戸以外の土地から売られてきた少女たちが多いとされています。
そんな女郎たちとの対比として、江戸で生まれ、生きる女性が「地女」となる。
江戸の街は、男女比がかなり不均衡でした。
江戸を建設する際、肉体労働者である若い男性が数多く流入してきたためで、時代が経るにつれてその傾向は是正されていきますが、大都市でチャンスを掴むため引き続き男性が多めに流れてきました。
その結果、街には男が多くなり、妻帯するものは勝ち組とされたぐらいです。

「女房は山の神」なんて言葉も生まれ、なんだかんだで家庭内では強い力を持つ女性が多かった。
権利面では男尊女卑であったことは確かですが、それでも江戸の地女は気が強く、男の顔色などうかがわない。無意味に笑ったり愛想よくしない。
クールな個性が持ち味だったのです。
『べらぼう』に登場している、りつ、いね、ふじたちも、ぶっきらぼうで無愛想な場面が多いですよね。あれは考証的に正しいからこその姿です。
言葉遣いも男女差はほとんどありません。
日本語における女性言葉は、明治以降、人工的に作られた面もあるのです。
日本人女性が伝統的におしとやかだったって? そりゃ、江戸の地女を見てもそう言えるのかい?
というわけでして、地女があまりに強すぎるため、男どもが現実逃避を求めていた相手が吉原女郎とも言えるんですね。
地女のていは、蔦重にとって「非常に慣れないタイプの女性」とされています。
公式設定によれば、謹厳実直で控え目なのだとか。インパクトのある黒縁眼鏡を掛けた姿と堅苦しい言い回しから、そんな人柄も伝わってきましたね。
ていは、当時の地女代表枠として今後も描かれるのでしょう。
そこで、ていのファッションチェックなどもしてみたいと思います。
吉原の女郎。
大奥の高岳はじめとする女中。
こうした女性と比べると、落ち着いた色合いで地味な服装をしていました。
町人と比較しても随分と地味です。
綾瀬はるかさん演じる九郎助稲荷が町娘になったとき、黄八丈の鮮やかな着物を身につけておりました。

月岡芳年画『風俗三十二相 はづかしさう』/wikipediaより引用
町娘にしても女郎のような服装に憧れるからこそ、蔦重たちの錦絵ビジネスも成立しているのです。
ていは髪型も随分と地味です。女性は原則的に自宅で髪を結うことが嗜みとされてきました。
それが『べらぼう』前半の舞台となる安永年間頃から変わり出しました。
凝っていて大きく張り出した「灯籠鬢(とうろうびん)」が大流行します。この髪型は自分では結うことができず、「女髪結(おんなかみゆい)」というヘアスタイリストが登場します。
劇中の吉原の女性たちはこの最先端スタイルをしていることも多いもの。
それとていを比べてみましょう。なんとも地味ですよね。

喜多川歌麿『寛政三美人』/wikipediaより引用
吉原の女性たちは、女郎ではない“いね”や“りつ”でも帯の結び目が前にあることがあります。
あの大きな結び目が前にあるとなると邪魔です。あえて前にすることで、そんなにあくせく働かなくてもよいことを示しているのです。
ていの場合、結び目は背にあります。
当時の江戸っ子ならば、ていを見ただけでおおよその性格、人となりは理解できることでしょう。
「なんともお堅いお嬢ちゃんだねェ。とりつく島もねぇな」
こんなところでしょうか。
古川雄大さん演じる、女遊び大好きな北尾政演(山東京伝)ならば、尻尾を巻いて逃げ出しそうなガチガチ女ですね。
それ以外にも、吉原女郎と地女には意外な違いがあります。
例えば、アンダーヘアの処理をするのは、女郎ならではの特徴でした。
彼女たちはプロの嗜みとして、線香を用いて処理していたのです。
もしも地女がそうしたことをしていると「プロみてえだな」と揶揄われてしまったとか。
蔦重は地女からモテるのか?
さて、そんな地女のていからみて、蔦重は魅力的な男性なのでしょうか。
顔がいいことは、吉原随一の二枚目好みの誰袖花魁の反応からみても伺えます。
横浜流星さんは令和でも、江戸でも、美男子であることは確かであり、揺るぎない事実です。
とはいえ、江戸のモテる条件は、今とは異なります。
京都の王朝風美男とも全くちがう。江戸時代が折り返し地点を過ぎたころ『べらぼう』の時代は、江戸っ子たちが自分たちの自信に目覚めた時代でした。
東夷(あずまえびす)と京都から長いこと蔑まれてきたが、俺らの文化こそ粋なんじゃあねぇか?
そう思えるようになったんですね。制度上では、武士が行政を担うとはいえ、文化面では町人が強く、トレンドを生み出すのは江戸っ子でした。
そんな江戸のトレンドにかなうモテ男「江戸の三男」といえば、こんな職業があります。
◆力士
今でいうところのトップアスリートですね。
第23回では蔦重が関取三名と宴で会話する場面が出てきており、若元春関、遠藤関、錦木関が演じました。わずかな場面とはいえ、そんな有名人と顔を合わせるなんて、それはもうすごいことだとわかる場面です。
女性の相撲観戦は危険であるため禁止されていたものの、モテることは確か。
どのへんが魅力的なのか?というと美肌です。
肌を露出するため、力士は美肌に気を使います。
そんな綺麗なもっちり肌が血の気を帯びると、そりゃあもうセクシーでたまりません。江戸女トップクラスのモテモテ枠で、だからこそ浮世絵でも人気の題材となりました。

歌川国芳の相撲絵/wikipediaより引用
◆鳶職
「火事と喧嘩は江戸の華でぇ!」
この決まり文句、皆さんも一度は聞いたことがおありでしょう。
江戸の華につきものの職業は鳶職でした。
鳶は血の気が多い。高いところへ平気で登らねばならない。それには勇気が必要で、江戸っ子が大好きな「鉄火肌」でなければ務まりませんでした。
ゆえにしょっちゅう喧嘩もします。
そして町火消しを兼任することも多い。

火消しいろは組/wikipediaより引用
纏を手にして高所に登っていく火消しの素敵なこと……。町火消しは体重が軽く、身が軽く、勇気があって男っぷりがよくなければならない!
そんな江戸っ子でも選りすぐりの美男たちが、果敢に火災へ立ち向かい、眉毛が焦げて、火傷の跡が残れば、もう江戸の女からするとたまらない存在です。
こうした伝説級の人物として、徳川慶喜にかわいがられた新門辰五郎がいます。

新門辰五郎/wikipediaより引用
慶喜が京都に残してきてしまった馬印を持ち帰った辰五郎は、まさしく伝説の火消しでした。
◆与力
江戸っ子にとって武士は、貧乏たらしく、お固く、野暮な存在です。
その例外枠が与力でした。
奉行のもとで犯罪捜査を担当する。扶持はさほどでなくとも、職業柄、収入は多い。治安維持のための職ですので、お礼の金が懐に入るというわけですね。
ゆえにおしゃれもこなし、毎日着替えることができた。
職業柄、町人と距離が近く、町人に偽装できるよう、髷もすぐに結い直せるようにしている。
ダンディな存在だったのです。
劇中でしょっちゅう「モテたい」と口走る長谷川平蔵が就く火付盗賊改方は、この与力の上位版ともいえます。この役職に就くことは、彼にとっては満願成就となることでしょう。
こうした江戸っ子の男らしさを持つ男伊達こそ、地女の憧れの的でした。
蔦重は身が軽く、階段落ちも楽にこなしているようには見えますが、どうなのでしょうか。
劇中でモテている男といえば、絵師であり戯作者でもある、北尾政演(山東京伝)も該当しますね。
彼は吉原特化型、遊び人系です。
劇中でさんざん揶揄されているキンキン野郎の最上位版ともいえます。
こうした連中も身なりでわかることは、ドラマを見ていれば理解できることでしょう。
細く気取った髷を結い、活発なイメージとは異なります。
彼は小股でチョコチョコと小走りをするタイプ。ダイナミックに駆け回る蔦重とは異なりますね。
両者ともイケメンではあるものの、タイプは異なります。

歌川国貞『稲瀬川勢揃いの場』/wikipediaより引用
美肌を保ち ムダ毛処理をして 下着をチラ
ていが蔦重のファッションにどこまで興味を持つかは不明です。
とはいえ「清潔感」は時代を超えて好感度には不可欠な要素。
江戸男のファッションからその点を考察していきましょう。
まず、なぜ江戸には銭湯文化が根付いたのか?という点。
江戸では関東ローム層から吹きつけてくる砂埃が舞い散り、風呂に入って洗い流さねば大変なことになったのです。
豊かな風呂文化はかくして形成されてゆき、清潔感はモテの第一条件とも言えました。
具体例を挙げておきましょう。
・肌のお手入れ
当事は男女ともに肌は白く、ツヤツヤであればあるほどモテます。糠袋で磨き上げましょう。
・ムダ毛処理
江戸時代は男性の方が露出度が高い。
褌一丁で闊歩し、尻を見せて歩くこともあった。となれば、その下がボーボーだったら話になりません。
モテに気遣うできる男は、ムダ毛をきっちり処理します。湯屋には軽石があり、男性だけが用いてムダ毛処理をしていました。
・見せ褌
褌を見せるとならば、オシャレなものでアピールしたい!
実は当事の褌はなかなか貴重で、つけていない人もいます。古着の褌も出回っていました。
あえて褌を見せつけたいのであれば、新品でオシャレな褌にしたい!
一味違う褌をお披露目できれば、それはもうモテます。
・帯は低く締める
江戸の美男を語る上で、こんな表現が出てきます。
「腰に帯を低く、キリリと締めたいい男」
男ものの帯は女ものとは異なり、低く締めることでビシッと決まる、というわけですね。
なぜか?
それは実際に和装をしてみれば理解できます。町人男性は着流しで、裾がはだけやすいのです。
それを防いで落ち着いた身のこなしをアピールするには、帯は低い位置の方が決まる。
和装に慣れないと、脚を長く見せるためか、高い位置に帯を締めてしまう男性がいますが、低く締めた方がビシッと決まるものですよ。

豊原国周『処女翫浮名横櫛』/wikipediaより引用
・裾のはだけ方
裾をはだけさせるか、させないか――ここもアピールポイントです。
やんちゃな若者は蔦重のようにはだけてもよいでしょう。
しかし、鶴屋のようにクールな知性派であれば、そこは抑えねばならない。北尾政演のようなおぼっちゃまタイプも小走りで抑えておきましょう。
いかがでしょうか。江戸時代男性のムダ毛処理は、ハイレグを着ていた昭和平成のアイドル並。裾についていえば、ミニか、ロングか、キャラクターに合わせて悩む現代の若い女性のよう。実に厳しく、悩ましいものがあります。
クールな江戸男は露出と刺青でアピール
真面目なていは興味がなさそうですが、蔦重が「俺もモテたい!」として刺青を入れてもおかしくない設定でしょう。長谷川平蔵も密かに憧れていそうですね。
蔦重の「親父殿」こと駿河屋市兵衛も、実は立派な刺青が入っていました。
今は落ち着いて服を脱がないためわかりにくいですが、若い頃は着物をはだけて見せつけていたのでしょう。
現代日本において、刺青は反社会的な証とされ、銭湯やプールの入浴が断られることもしばしばあります。
純粋なオシャレとして楽しむ海外の方からすると、納得できない慣習だとも指摘されます。
しかし、元を辿れば日本の刺青もオシャレの証だったんですね。だからこそ駿河屋も入れていた。
刺青がオシャレとして成立する社会とは、露出が高いことが必要条件となるため、湿度と露出度が高かった江戸時代こそ究極のオシャレとなり得た。
特に鳶職には、刺青が欠かせません。
刺青を入れても動じない――そんな度胸がアピールでき、火消しをする際にはともかく映えるため、江戸の鳶ともなれば、むしろ刺青をしないほうがおかしい程でした。
江戸時代も後半へ突入するころ、日本では『水滸伝』ブームが到来します。
『水滸伝』を題材にした色鮮やかな錦絵を手がけ、ブレイクしたのが歌川国芳。
『水滸伝』の百八星には、九紋龍・史進はじめ、刺青を入れた人物が登場しますが、国芳の絵を見て、江戸っ子はますます刺青に憧れました。
そのため国芳『水滸伝』の絵を彫り込む者も大勢いたのです。

歌川国芳『通俗水滸傳豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順』/wikipediaより引用
この傾向、実は現在に至るまで続き、今の彫師も「国芳の画集を持つもの」とされます。
国芳は、門人の芳雪に頼まれ、刺青の下絵を全身に施したともされています。
芳雪は一門でも際立つ美貌の持ち主。
全身に刺青を入れたイケメンなんて、江戸では話題をさらったことでしょう。
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ちなみに武士の場合、刺青は厳禁です。
『孝経』にはこうあります。
身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。
要するに、儒教倫理に背く刺青など言語道断!というわけでして、これを破っていたとされるのが、遠山景元です。
「遠山の金さん」伝説で知られ、片肌脱ぐと桜吹雪の刺青を見せる演出がお約束。
ただし、実際には生首を入れた程度で、人に見せないよう夏でも慎重に隠していたとも伝わっております。
要するに、江戸時代までは刺青を入れた男性はオシャレど真ん中であり、湯屋でみかけたら怖いどころか「いいねェ!」と喜ばれかねないものだったということです。
その傾向が変わったのは明治時代になってからです。
明治政府は、不平等条約改正のため、日本の伝統文化を消し去ることも厭わず、西洋列強に文明国と認められるため相撲すら廃止にしようとしたほど。
幕末に来日した外国人は、全身に刺青を入れた褌一丁の男たちを興味深く眺め、ときにはカメラを向けてきました。
明治政府にしてみれば
「外国人から刺青は野蛮なものとして見られていた……」
と勘違いしても致し方ない場面でしょう。
ところが、そう単純な話でもありません。
儒教文化圏での刺青は禁忌とされ、アウトローのシンボルとされてきましたが、西洋諸国では度胸やオシャレの証として入れるもの。
「来日したら、是非ともタトゥーを入れたい」
そう考える西洋人は、なんと王族にまでいたのです。
ロシアのニコライ2世、イギリスのジョージ5世らは来日時に刺青を入れました。

ニコライ2世/wikipediaより引用
イギリスの王族は海軍人となることが多かったものですが、同国の船乗りは刺青を勇気のシンボルとしていましたので、日本の素晴らしい刺青は憧れの土産でもあったのです。
西洋諸国の目を意識して禁じたはずが、実は憧れの技術であった――なんとも皮肉なものですね。
しかも明治政府の刺青禁止令は、アイヌや琉球の伝統的なものにまで適用。
結局、彼らのやったことは、哀しいかな文化の破壊でしかありませんでした。
明治時代は、文明化の一環として裸体や肌の露出も厳しく規制しています。
江戸時代から生きてきた人は「昔は今ほど裸はいけないなんて言われなかったもんだがね」と語り残していたものです。
肌の露出機会が低くなれば刺青の重要性も下がり、それでも敢えて入れるとなれば特殊な職業に限られてきます。
鳶職か、あるいは反社会的勢力か。
後者が社会において問題視されるようになると、それを見分ける符号として、刺青が用いられるようになります。
入浴禁止はこうした時代の中、広がってゆきました。
かくして刺青はファッションアイテムから、危険なものとして認識されるようになります。
しかし、果たしてそれでよいのでしょうか?
最近は刺青がファッションとして認識されるようになったという意見も見かけます。いやいや、そうではないでしょう。元々がファッションで、そこへ戻りつつあるだけなのです。
折り返し地点を過ぎた江戸を描く大河ドラマ『べらぼう』。
江戸時代のファッションなんて、平安時代や戦国時代よりも再現が楽では?と思わせるようで、なかなか難易度が高い。
女性よりも男性の肌の露出が高い。
全身くまなく美肌を心がけ、ムダ毛処理、見せ褌までチェックされている……なんと大変なことでしょう。
人間の美意識とはこうも変わるものかと思わされます。
刺青も、前述の通り当時は純粋なファッションです。
とはいえ、大河ドラマでどこまで再現できるのか。
男性の露出や刺青となれば、出すことは難しいかもしれません。
しかし、それでも敢えてチャレンジしてみてはどうかと期待したくなることも、確かなのです。
謹厳実直なていの心を掴むには?
こうして江戸モテ男について書いてきたわけですが、残念ながら「ていの心を掴むには使えないアドバイス」だったことでしょう。
彼女は読書を愛しています。
読み書きができ、知性を感じる相手と惹かれ合うのでしょう。
蔦重の妻は身元も不明です。吉原出身である可能性もあります。しかしドラマでは吉原出身の瀬川とは結ばれず、敢えてお堅い地女を妻として出してきました。
ていは眼鏡が特徴的ですが、女性が眼鏡を掛けると魅力を失うという偏見は、昭和にまで残っていたものです。知性的な相手との恋をみどころとしたい、そんな意図を感じさせます。
その点、蔦屋重三郎はどうか?
正直、心許ないものはあります。劇中でも彼がぼやいていた通り、本屋に奉公したこともなければ、寺子屋のような場所で学んだこともありません。
学び始める前に、駿河屋のもとで働かされ、その合間に【赤本】を読んでいたことが彼の教養の土台です。
蔦重に教養が不足していたことは、後に曲亭馬琴も書き記しました。

曲亭馬琴(滝沢馬琴)/国立国会図書館蔵
ただし馬琴は、蔦重は人当たりがよく、心を掴むことには長けていたとも指摘しています。
女版馬琴のような雰囲気すらあるていが、蔦重のどこに心惹かれるのか?と言えば、やはり本が契機となるのでしょう。
本を愛することで通じ合い、彼と一緒になれば本を好きなだけ読み、売れるとなれば心が動くのかもしれません。
それはそれで魅力的な才女、あるいはファンガールですよね。
江戸時代も折り返し地点を過ぎると、女性の識字率や趣味愛好への熱狂も高まり、文化貢献への比重も高まります。
ていはそんな女性代表枠というわけです。
そしてそんなていを橋本愛さんが演じる点にも注目したいところです。
橋本愛さんは大河ドラマ出演4度目となり、そのうち3度、主人公の妻役を演じるという特色あるキャリアを積んできました。
2018年『西郷どん』西郷隆盛の初婚相手・須賀
2019年『いだてん〜東京オリムピック噺〜』女郎・小梅
2021年『青天を衝け』・尾高千代
2019年には女郎を演じたことがあり、今度は地女というのも興味深い。
あるいは『青天を衝け』千代役のリベンジになるのではないか?とも期待しています。
『青天を衝け』での千代は、あまり自己主張することがなく、彼女自身が学ぶ姿もさしてありませんでした。
しかし、実際には当時の思想を身につけ学びたいと願い、謹厳実直な女性だった。
史実での彼女はていに近い性格と推察できます。
さらに『青天を衝け』での千代は、若干現代向けにアレンジされた部分もありましたが、今回のていはどうもそうではなさそうで、地女らしさを前面に出してくれそうです。
橋本さん自身、読書家で向学心に富んだ方ですので、彼女の魅力が溢れ出すていになることを願うばかり。
そしてもう一つ。
地女のていと蔦重が結ばれることで、新機軸が生まれる予感もします。
浮世絵の【美人画】といえば、伝説上の人物や、華麗な女郎を描いたものが多いものでした。
鳥居清長の描く八頭身美女が当時の最先端。

鳥居清長『雛形若菜の初模様 大文字屋内まいずみ』/wikipediaより引用
そこで革命を起こすのが、喜多川歌麿となります。
歌麿は、女郎だけではなく、親しみの持てる地女の【大首絵】を世に送り出した。
歌麿の作品は、蔦重との二人三脚だとされます。
蔦重が結婚を通して開眼した地女の魅力が、歌麿の作品にまで影響を与えるとすれば、実に興味深いではありませんか。
大河ドラマ『べらぼう』はていの登場により、ますます盛り上がることでしょう。
と、そこで〆たいところですが、この盛り上がりには懸念すべき要素もあります。
蔦重は、弟分の歌麿を売り出すことも目的として、日本橋出店を目指しています。丸屋のていと夫婦になれば、その願いが叶うわけです。
しかし、劇中の歌麿は日本橋出店にあまりよい顔をしておらず、吉原にいてこそ蔦重は魅力があるのだと語っています。
あれは職業上の問題だけなのでしょうか?
吉原での蔦重と歌麿は、狭い部屋に仲良く布団を並べて眠り、いつも付かず離れずの距離にいます。しかし、彼がていの夫として日本橋に出店したら、そうはできなくなるでしょう。
歌麿を売り出すために日本橋に出ると蔦重は言うものの、そうすることで歌麿は蔦重の隣に居られなくなってしまうのです。
歌麿も妻を持てばそれも解消されると思えますが、果たしてどうなるのでしょうか。
曲亭馬琴によれば、喜多川歌麿は妻もなく、子もなく、一人寂しく世を去ったとされています。
高級路線の肉筆画に活躍の場を移すことなく、最期まで江戸市中へ自作を送り続けた喜多川歌麿。そんな彼の胸に去来する思いは何だったのか。蔦重とともに駆け抜けた日を忘れぬために、そうするのでしょうか。
ていと蔦重の距離が縮んでいくとき、歌麿がどんな顔をしているのか――そこにも、注目したいところです。
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【参考文献】
尾脇秀和『女の氏名誕生』(→amazon)
秋山忠彌江戸浮世事情』(→amazon)
北村鮭彦『おもしろ大江戸生活百科』(→amazon)
杉浦日向子『江戸塾』(→amazon)
杉浦日向子『江戸へようこそ』(→amazon)
杉浦日向子『大江戸観光』(→amazon)
他






