【小牧・長久手の戦い】で徳川家康に勝利した豊臣秀吉。
織田家内外の人間に「天下人」と納得させるには、諸大名だけでなく何より徳川家康の「服従」が必要だった。
むろん、簡単には承服しかねる家康。
どうしても臣下の礼が欲しい秀吉。
さすがの知恵者・秀吉も、なかなか決定打を放てない中、くだした決断はやはり途方もない解だった――。
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小牧・長久手の戦い1584年|秀吉vs家康の複雑すぎる戦況をスッキリ解説
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政略結婚
◆秀吉が高貴な女性好きだった一方、色んな所に手を出していたのが家康。
必ずしも上流貴族・武家の出ではない女人も側室にしており、息子・松平信康の自害事件時に連座で築山殿を亡くしてからは正室の座は空いていた。
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そこに実妹をねじこむのが秀吉である。
秀吉の元へ走った石川数正は、その後、あまり表舞台には出てきませんね……。
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ラッピング
◆朝日姫さん、このとき44歳。
当時ではかなり老人域ですよね。
いくら家康が「熟女アリ」だとしても……。
景勝上洛
◆もともと【小牧・長久手の戦い】時から上杉家は秀吉側に属しておりました。
その間、真田昌幸を傘下にしたり、しかし後に真田は秀吉に下ったり。
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ともかくカタチだけでも家康を配下に治めたかった秀吉にとって、上杉という看板は非常に大きな存在だったでしょう。
上洛のすすめ
◆秀吉の妹・朝日姫を正室とした家康ですが、それでも屈することはありません。
そこで秀吉が取った最終手段が母。
今度は実質の人質として実母を送り、徳川家の上洛を促します。
さすがにこの処置には家康も反抗し得るところではなく……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!












