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【渋沢栄一】
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下野して活躍、商業を牽引する
大河ドラマ『青天を衝け』では小栗忠順(武田真治さん)が登場し、残念なことに「ネジ」の印象だけ残して消えていきました。
実は彼こそ幕臣の中でトップの経済通として知られた人物。
明治政府は小栗の道筋を辿っただけ、と大隈重信も言っていたほどの才人でした。
しかし、戊辰戦争の混乱に巻き込まれて殺害され、経済に通じた人材は現実に残されていない。
そこで注目されたのが渋沢。
在野に下っていながらも政府の伊藤博文とは昵懇であり、民間の立場から経済活性化に取り組んでいます。
同年には第一国立銀行総監役として、銀行創設に歩み出し、開行に至りました。
日本初の銀行となる第一国立銀行~渋沢栄一は一体どんな経営手腕を見せたのか?
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次に取り組んだのが製紙業。
日本初の製紙会社「抄紙製紙(現・王子製紙)」は、明治7年(1874年)に渋沢の発意による創設でした。
これがなかなか軌道に乗らず、赤字を抱えて渋沢は苦労を重ねたとされます。
このパルプの躍進のひとつが、「西南戦争」による新聞ブームというのも、皮肉な話です。
「大阪紡績(現・東洋紡)」も、なかなか軌道に乗りません。
こうした紡績の普及は、洋服といった服飾文化の変遷だけではなく、軍服需要が貢献したというのも、皮肉といえばそうかもしれません。「富国強兵」とは両輪とみなせるわけです。
渋沢が関与した産業は、500以上とも言われ、ざっと見ただけでも膨大なものがあります。
金融、製紙、服飾、肥料、ホテル、ガラス、ガス、セメント、ビール、製糖、劇場、汽船、慈善事業、関東大震災復興……ありとあらゆる分野に着手。
彼が関与した代表的な企業名をあげてみましょう。
・日清汽船会社
・日本鉄道会社
・両毛鉄道会社
・北海道炭礦鉄道会社
・京都織物会社
・北海道製麻会社
・東京帽子会社
・日本精糖会社
・明治製糖会社
・札幌麦酒会社
・東洋硝子会社
・浅野セメント会社
・石川島造船所
・東京人造肥料会社
・東京瓦斯会社
・東京電燈会社
・東京株式取引所
・帝国ホテル
渋沢の商業はじめとする分野での活躍はケタ外れ、あまりに莫大なものです。
明治33年(1900年)になると男爵、大正9年(1920年)には子爵を授けられているのも、納得のいく躍進ぶりです。
なお男爵とか子爵とか、華族の仕組みについては、以下の記事に説明がございます。
公侯伯子男の華族制度はどう生まれた? 元公家や大名家の意外な暮らしぶり
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論語と算盤、道徳経済合一説
明治42年(1909年)、古希を迎えた渋沢は、多くの役員職を返上しました。
彼がそのあと尽力したのは、慈善事業と国際協調路線です。飛鳥山に作られた彼の自宅には、大勢の外国人訪問者がおりました。
渋沢がもてなしたのです。できるところから、国際交流をしていたのでした。
◆日米友好への取り組み
→渋沢の晩年には、反日運動が高まりつつありました。これに胸を痛めた人々もおります。青い目の人形と呼ばれた人形交換の背景には、宣教師ギューリックの提案に応えた渋沢がおりました。
◆日中友好への取り組み
→日清戦争を経ていたものの、誠心誠意を持って尽くせばわかりあえるはずであると、対中援助を説きました。
→江戸から東京になったあと、街には行き場所を失った幕臣、旗本、浪人や行き倒れの人々がおりました。ロシア皇太子来日にあわせて街を美化する過程において、収容する施設が必要となりました。この「東京養育院」に、渋沢は関わっています。
◆女子教育推進
→成瀬が関わり、広岡浅子が設立した日本女子大学校長を務めています。
◆歴史書編纂
→歴史を残すことにも、強い関心を持っています。彼が最も強い思い入れがあったのは、徳川慶喜でした。
稼ぐだけではなく、国際協調と平和、慈善事業、教育、文化、歴史……様々なものに還元したい。それが渋沢の考え方でした。
そんな思想を支えたのは、「論語と算盤」と呼ばれる、「道徳経済合一説」というものでした。
成功してのち、彼は繰り返しこのことを周囲に語っています。
※ただし『論語』については当時流行った『ポケット論語』からその流れに乗ったような節があり、自伝の話を鵜呑みにするのは危険な印象もあります
五代友厚が「大阪商工会議所」を設立したように、明治9年(1878年)には東京に「商法会議所」を設立。
新しい国づくりのために、粉骨砕身していました。
◆仁義道徳
→正しい道理の富でなければ、その富を永続することはできない
◆公益第一
→国家の富に還元できるか。そのことを考えること
これが彼の考え方とされます。
重視しておきたいのが、儒教道徳が根底にあることです。
彼と同年代、幕末を生きて明治を作り上げた人々は、儒教を信奉していました。
山縣有朋は、西洋流の道徳が広がりすぎることを懸念し、【教育勅語】にいかに儒教道徳を取り入れるか、腐心したものです。
近年、中国への反発のあまり、中国由来のものを何でもかんでも否定する動きがあるものです。
万が一、本気でそんなことを考えたら、必ずや矛盾の壁にぶつかることでしょう。
なぜなら渋沢はじめ当時の政治家の多くが、根底に儒教を持っていたのです。
そして昭和6年(1931年)11月11日。
飛鳥山で眠るように穏やかな最期を迎えた渋沢栄一。
経済について考え続けた一生でした。
享年92。
歴史人物評価と紙幣の顔の難しさ
日本屈指の経済人――。
一万円紙幣にふさわしい渋沢も、他国から見るといささか評価は異なってきます。
◆渋沢栄一の新紙幣、韓国紙が批判「経済侵奪の張本人」(→link)
韓国では、渋沢が電力会社の社長を務めたことがある上、伊藤博文との親交厚かったことから、非難の声が上がりました。
渋沢栄一と伊藤博文は危険なテロ仲間だった?大河でも笑いながら焼討武勇伝を語る
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こうした議論は世界共通のものである点は、認識しておいた方がよろしいかと思います。
実は、日本も例外ではありません。
かつて伊藤博文が紙幣に採用された際は「こっだ札、使ってらんね!」と会津の人々が激怒したという話もあります。
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イギリスの英雄であり、ナチスドイツ勝利の立役者として何度も映像化されているウィンストン・チャーチル。
彼もインドはじめ旧イギリス植民地、そして母国からも批判される人物です。
チャーチルは、人類史に残る人為的な大量死「インドの飢饉」にも関与しているのですから、反発は当然でしょう。
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映画公開時にインドから抗議があったとして、イギリス人がそれに血相を変えて怒るのか? という話なんですね。
イギリスの紙幣は君主の肖像画ですが、もしこれがチャーチルになったら、大激論となることでしょう。
前述の通り、渋沢の功績は、日本政府の歩みと一致しています。
その日本政府の歩みが、朝鮮半島の人々にとって苦痛や屈辱に満ちたものであれば、反発は仕方のないところではないでしょうか。
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しかも、渋沢は植民地時代に朝鮮半島でも紙幣として流通していたのです。
彼は、よい意味でも、そうではない意味でも、当時の規範から逸脱していない人物でもあります。
確かに、その理想は、素晴らしいものでした。
ただ、実践が伴っていたかどうか……。
実は明治時代は、「自己責任論」の源流とも言える「通俗道徳」思想が根付いた、過酷な時代でもあります。
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明治政府の歪み――。
それが労働問題というカタチであらわれた土地の代表が北海道です。
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もしも渋沢の提唱する理想通りの社会であれば、小林多喜二は別のテーマを選んでいたのかもしれません。
女性遍歴もそのひとつ。
北里柴三郎もなかなかのものですが、渋沢はそれを凌駕します。というのも、当時それはステータスシンボルでもあったものでした。
その悪しき代表例として、伊藤博文もおります。
旧1万円札となる福沢諭吉は、こうした漁色には激怒し、問題視しておりました。
渋沢が願っていたアメリカと中国との平和共存。
それも日露戦争後の狂騒の中では、顧みられることがなくなっていきました。
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こうした批判は、近代という時代を扱うからには、どうしてもつきまとうものです。
そういう意味では、
・樋口一葉
・野口英世
・新渡戸稲造
・夏目漱石
たちは、無難な線をいっていたと思います。
福沢諭吉は女性関係はともかく「脱亜入欧」が引っかかるかもしれないわけでして。
では、現代の道徳観と照らし合わせた人物ならば誰が適任か?
抑圧された人々のために立ち上がり、政治からは距離を置いていた――そんな人物はいかがでしょう?
アメリカ新紙幣のハリエット・ダブマンが、この参考となるでしょう。
ダブマンは奴隷解放に尽力した黒人女性です。
あるいはいっそ、人物をやめるとか。近代をやめるとか。世界ではそういう国も存在します。
ウクライナのウラジーミル1世は、血腥い覇王じみた前半生であるとはいえ、その功績から紙幣に採用されております。
いっそ織田信長紙幣ならばよいかも……そんなことも妄想してしまいます。
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紙幣が変わったことで、世界と比較して、いろいろと考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。
見ようによっては、新紙幣全員が日本近代史の暗部と、未解決の解決を見せてくれる役割を果たしていると言えなくもありません。
彼らの目指した社会の先に、私たちは今生きていると言えるのでしょうか?
お札や大河ドラマを機に、そのことを考えてみてもよいかもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
井上潤『日本史リブレット 渋沢栄一』(→amazon)
宮本又郎『日本の企業家 渋沢栄一』(→amazon)
土屋喬雄『人物叢書 渋沢栄一』(→amazon)
『国史大辞典』
青天を衝け/公式HP