列車に飛び乗った炭治郎、善逸、伊之助
の3人で終わりました。
ここから本作へ――歴代興行収入No.1となった映画『鬼滅の刃 無限列車編』は、コロナ禍で客足が鈍る映画館どころか日本社会の救世主となりました。
いったい同作品では何が描かれ、そしてなぜこうも支持されたのか?
本稿ではその内容を徹底考察レビューさせていただきました。
中にはネタバレもありますので、その点ご承知の上、読み進まれるようお願いします。
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列車の時代が訪れた
田舎育ちの大正少年にとってオドロキの列車!
思えば幕末までの日本は、徒歩と馬での移動でした。そこから明治維新を迎え、列車が走り始める。
明治時代を生きる人々は「嗚呼、旅がこんなに短時間でできるとは……」と幸せを噛み締めたものです。
ただ、当然ながらマナーで戸惑うことも多い。
一例として、明治時代屈指の列車やらかし事件でも見てみましょうか(お食事中の方はご注意ください)。
それは初代警視総監・川路利良の【大便放擲事件】です。
しかも場所がフランス。日本史の教科書にはとても載りそうもない事件ですが、映画を見たり思い出したりしながら
「そういうえば鬼殺隊員はおトイレどうしたのかな?」
なんて想像してみると楽しいかもしれません。
子どもたちに「この時代の列車といえばね……」と川路利良の愛くるしいエピソードも添え、歴史への興味を高めてもヨシ!
世の中は「うんこドリル」シリーズも大盛況だし、これからの時代は「うんこで学ぶ歴史」ですね。まったく川路は面白いエピソードを残してくれました。感謝です。
とても映像化できない薩摩藩士たちのトンデモ武勇伝!大久保 従道 川路 黒田
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こういう作品ではあまり描かれませんが、炭治郎たちの時代はゴミ捨てマナーが荒々しい。プラスチックもないし「放置しても腐るだけだろ」と、その場に捨ててしまいがちでした。
ちなみに当時は廃刀令もありますね。武士の誇りを奪う愚策というよりも、明治時代の人々には好意的に受け入れられました。詳細は以下の記事をご参照ください。
廃刀令で武士が不満を募らせたのは本当なのか?むしろ喜んでいた明治の人々
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夢の世界と自我
『鬼滅の刃 夢限列車編』は、人物像を理解する上でも重要。
それぞれが何を理想としているのか、そんな世界観がわかります。
善逸が、禰豆子と愛ある妄想に耽っているのは、予想通りとしまして。
伊之助は野生の探検隊状態で、これまた彼らしいようで、そうではないかも。なにせ彼は作中屈指の美少年です。
それなのに、モテも何ももないまま探検をしているって、どういうことだろう? そう突っ込みたくはなりませんか。
美形は女が寄ってくるからさぞやウハウハしているだろう、そんな偏見もあるものです。
伊之助は、清々しいほどそんな世界とは無念です。
そしてこの善逸と伊之助は、無防備なはずの自我の領域に己自身がいる。破壊しようとしてもできない。それだけ自我が強固なのです。
もしも『鬼滅の刃』五感組が現代に存在したら 一体どんな職が向いてるか?
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杏寿郎の場合、柱にまで達成した後天的な訓練でそうできるようですが、この二人はどうも違う。
生まれつき、強固な自我がごく稀にあるらしい。ごく稀だけれども、そういう存在はいる。ここに、二人の本質があるのでしょう。
この二人は、常人より遥かに“先天的に意識が強い者”である。こう書くとなんだかカッコいい!……ようで、それはどうなのかという疑念は湧いてきます。
善逸は、善逸だし。伊之助は、伊之助だし。
あいつらとことんうるさかったり、マイペースだったり、現実世界にいたら相当めんどくさそうじゃん……。と、まぁ実際その通りだと思います。
ただ、そういう規格外で変な奴にも、居場所がある。活躍できる局面がある。仲良くなればよいこともある。
そう示すのが『鬼滅の刃』の世界観です。
「善逸みたいなヘタレがチームに入れる時点でおかしい漫画!」
そういうツッコミは割とよく見かけるのです。
が、逆に考えてみませんか?
現実にも善逸や伊之助のように、挙動不審だったり、服装規定を守れなくて、学問なり就職なりを諦めた人はいるものです。
そういう人を受け入れることこそ、これからの時代にはきっと必要になる。そういうメッセージを感じます。
現実世界も同様のことだと見ることが大切なのではないでしょうか。
心を開き、受け入れる炭治郎
一方で、炭治郎にも強い先天性と思える個性があります。
彼は炭治郎の中にいた“光る小人”を見出し、“精神の核”まで案内されて、何もできずに泣いてしまった。彼の夢に入り込んだ肺結核の青年は、その暖かさに降参して、敵意を喪失してしまったのです。
ンなバカな!
炭治郎は、どこかズレていると突っ込まれることもあれば、嘘くさい、あまりにいい子ちゃんだ……そんな感想もあるのですが、そうでもないと思います。
むしろ古典では、あまりに人徳があって周囲を魅了する人もいる。時に失敗もするし、ガードもゆるいけれども、そこが魅力的で周囲がついていく。そういう存在がいるじゃないですか。
夢を通すことで、そんな炭治郎の特質がキッパリと描かれたと思います。
でもさ、そんなの嘘でしょ!
そう思いたくなりますが、実は違います。人類は、できることならばこれから起こる災難を防ぎたいと考えてきました。凶悪犯罪もその中に入ります。
だからこそ、遺伝性や先天性の何らかの異常で、犯罪者を区別できないか、学問を発達させてきました。
現在では完全に否定された骨相学が典型例です。
もっと技術が進むと、MRI脳画像による診断が行われ、現在も継続中……炭治郎のように、人並外れたやさしさと慈愛、あたたかさを持つ人は、社会に害悪を及ぼさないから、これまでその特性を研究する動きはあまりなかったのです。
それが近年、ぼちぼちと始まったと。
どうやって炭治郎みたいな究極のおひとよしを探すんだよ!
まずはそこにつきあたりますね。
臓器提供のような、並外れた善意を発見する被験者の研究から始まってゆきます。
こういう先天性の脳構造をテーマにした作品は、最近増えています。
ソン・ウォンピョン『アーモンド』は傑作ですね。
『鬼滅の刃』がどこまでそういう最新の知見を入れているのか。作者本人の証言なしで話を進めるのは危険だと承知の上で書かせていただきます。
“普通”と簡単に誰しも言ってしまうけれども、その“普通”の範囲が先天的に違う人だっている――そう思いませんか。
炭治郎は、“普通”がよりあたたかく、やさしい地点にあるのでしょう。
ゆえに、そんな彼の意識に入り込んだ人まで影響を受けてしまうのです。
そういう特性をありえないだの、嘘だの、おかしいと言われたところで、炭治郎だって困ることでしょう。
本作が素晴らしいのは、そういうことを考えさせてくれる点でもあります。
典型的でありがちな少年漫画とされていますが、少年漫画としての“普通”も、この作品は少し違うと思うのです。だからこそ、読む側の“普通”の範囲も広めてくれる。
“普通”だけど、“特別”な作品なのです。
魘夢は、炭治郎を「まともじゃない」と思う。
確かに炭治郎は、ただのいい子ちゃんなんかじゃない。
恐怖を知らないという意味では、彼はまともじゃなくて、特別なのです。
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