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山岳信仰に仏教が集合した宗教
ついでに、羽黒山を含めた出羽三山や修験者の話も少々。
東北の戦国大名の話をするときにたまに出てくるので、聞いたことがある方も多いでしょうか。
例えば、伊達輝宗の腹心だった遠藤基信は修験者だったという話がありますね。
修験道とは、元々日本にあった山岳信仰に仏教が集合した宗教のことです。神道よりは仏教色のほうが強いとされています。
おおざっぱに言うと「山に入って修行を積み、悟りを開くことを目指す」宗教です。
国土の3/4が山である日本らしい宗旨だといえますね。
この成り立ちのため、神道の神様と仏様が同じように祀られます。
また、修験道の教えにそって修行する人を「修験者」や「山伏」と呼びます。
両者の違いは、はっきり線が引かれているわけではないようです。
修験道が生まれたのは8世紀頃といわれているので、出羽三山の信仰については、蜂子皇子が亡くなってしばらくしてから、現在のような形に変わっていったと考えるのが自然でしょうか。
まあ、何百年も同じ形で信仰が続くというのも考えにくいですし。
羽黒山&月山&湯殿山で出羽三山
出羽三山は、いずれも山形県にある三つの山のことです。
蜂子皇子が登ったといわれる羽黒山、月山(がっさん)、湯殿山を指します。
かつては近隣の鳥海山や葉山が含まれていたこともありました。
出羽三山にはそれぞれ山頂に神社があり、まとめて「出羽三山神社」と称しています。現在は宗教法人になっているそうで。
羽黒山と月山は天台宗系、湯殿山は真言宗系のため、宗旨が違う部分もあります。
例えば、湯殿山には即身仏(念仏を唱えながら食を断ち、生きたまま仏像のような姿になる修行)がありました。
割とグロテスクな過程を辿るためここでは詳述しませんので、あしからずご承知ください。
湯殿山の大日坊というお寺にある江戸時代の僧侶・真如海上人の即身仏は、六年に一度衣替えをすることでもよく知られていますね。
霊験あらたかだそうで、お礼を言いに来る人も多いんだとか。
まとめて「出羽三山」と呼ばれているのに宗派が違う点については、ちょっとしたワケがあります。
元々、出羽三山は全体的に真言宗系でした。
しかし、江戸時代に幕府の庇護を受けるために、徳川家が保護していた比叡山延暦寺と同じ天台宗になろうとしたのです。
当時の湯殿山の人々はこれに反発し、真言宗を貫いた……といわれています。
「宗旨を変えてでも生き残ろうとした人」と、「それでも同じ信仰を続けようとした人」がいたというだけで、どっちがエライとかスゴイという話ではありませんね。
結果として、三山ともに存続していてめでたいことですし。
神仏の実在や信仰の度合いについては個々人の価値観によりますけれども、少なくともこの地域の人々が心の支えにしてきた、という点は疑いの余地はないかと思います。
寒冷な地域だというだけで、寿命や災害があったときの生存率はまさに神頼みだったでしょうしね。
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長月 七紀・記
【参考】
出羽三山神社(→link)
国史大辞典
蜂子皇子/wikipedia
出羽三山/wikipedia
月山神社/wikipedia
出羽神社/wikipedia
湯殿山神社/wikipedia