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【陽成天皇】
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私の元臣下が天皇に……
光孝天皇は崩御直前に、息子の一人を皇族に戻しています。
これが宇多天皇で、猫好きだった天皇として有名なあの方です。
光孝天皇に仕えていた女官の一人が基経の異母妹だったため、彼女を通じて基経が根回ししたのではないかともいわれています。
そりゃ、明日をも知れない人がいきなり野心満々になったりはしませんよね……。
つまり陽成天皇退位の時点から基経の策謀だったとも考えられるわけです。
また、宇多天皇は臣籍だった頃に陽成天皇の侍従として仕えていた時期もあったため、退位後の陽成天皇は「私の臣下だったのに(´・ω・`)」(※イメージです)とぼやいたこともあったとか。そりゃそうだ。
私の想いも積もり積もって淵と呼べるまでに……
退位後の陽成天皇は静かに暮らしていたそうです。
その割に御製(ぎょせい・天皇や皇族などが作った詩歌や絵画など)が一首しか伝わっていないのがいささか気になります。
百人一首十三番の歌です。
「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」
【意訳】筑波の山の水が集まってできるみなの川のように、私の想いも積もり積もって淵と呼べるまでになってしまった
液体である水を「積もる」と表現したところが独特ですね。悪い言い方をすれば違和感があるというか、不適切というか。
これは、妃の一人である光孝天皇の皇女に贈ったものといわれています。
技巧にミス(?)がある歌を定家が入れたのが不思議なところですけれども、この歌にみられる陽成天皇の純粋さを後世に残したかったのでしょうか。
話が戻りますけれども、もし本当に気が触れていたとしたら、譲位後数十年の間にまた別のそれっぽい逸話ができていたでしょうし、野心があれば自分の血が流れている人を皇位につけようとしますよね。
しかしそういったことは無い。いわゆる「ご乱心」よりではなく、一時の激情でやってしまったか、あるいは上記のような陰謀に巻き込まれたと考えるほうが自然なのではないでしょうか。
仕事をしなくていいのですからある意味勝ち組かもしれません。
ただ、目立った逸話や趣味が伝わっていないところからすると、退屈で退屈で仕方がなかったのではないかという気がしますが……はてさて。
15歳で隠居生活を強いられた後、65年もの長い間、陽成天皇は何を思って暮らしていたのでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
山本博文『ビジュアル百科 写真と図解でわかる! 天皇〈125代〉の歴史』(→amazon)
陽成天皇/wikipedia