べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第24回げにつれなきは日本橋 ていは三顧の礼で迎えるべし

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第24回げにつれなきは日本橋
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浅間山が火を噴く冷夏

さて、春が終わり、夏がくるころ。佐野政言は父を気遣っています。

「そろそろ春か」

そう父が言うと、子はこう返します。

「春はとうに過ぎたのでございますが……」

佐野の父が曖昧な認識のようで、そうとも言い切れません。なんでもこの年は夏になっても寒いままなのだとか。何やら気候が不穏なようです。

蔦重と次郎兵衛が半次郎のつるべ蕎麦で蕎麦をすすっています。

兄の次郎兵衛としちゃ、吉原から出たらこの蕎麦もすすれないと、弟を慰めているようでして。

蔦重は須原屋のもとへ向かおうとします。すると何か地鳴りが響き、地震が来ます。

近頃頻発しているとか。次郎兵衛はダイダラボッチの腹痛だと解説します。

ダイダラボッチのイメージに近いものと考えられている勝川春章・勝川春英画『怪談百鬼図会』/wikipediaより引用

「浅間山が、火ィ噴いとるらしいんですわ」

そう言ってやってきたのは、柏原屋でやんす。

「蔦屋さん、うちからあの店。買いまへんか」

いきなりそうきたか! どういうことでえ?

それも気になるけど、浅間山が噴火したんですね。

浅間山の天明大噴火を描いた「夜分大焼之図」/wikipediaより引用

 


MVP:てい

女諸葛なので、三顧の礼で落ちるんでしょうね。

ていとの結婚まで引っ張るわけにもいかねえんで、あと一歩でさあ。

ここでそもそもの三顧の礼について考えてみやしょう。ていとも関係のある話です。

どうして諸葛亮は、劉備に三度も足を運ばせたのか?

彼は自分の発言が劉備に採用されるのか、見極めたかったのだという解釈もできます。

若く、廬に引きこもり、何をするわけでもない一人の青年が、仕えたところで己の策が採用されるかどうかがわかりません。

何かとうるさそうな関羽や張飛を止めてでも、劉備が自分を尊重するか?

そうわざとつれなくして、見極めたかったとも思えるわけですね。それを乗り越えてきたからこそ、諸葛亮は劉備を信じてついて行ったわけでさ。

歌川国芳『通俗三国志之内』の「玄徳三雪中孔明訪図」における錦絵3枚/wikipediaより引用

蔦重が見抜きつつあるていの欲しいもの、求めるもの。それは丸屋の経営権でもあるし、自分の話を遮らず、聞いてくれる態度ではないかと思います。

親切なようで、その求めるものを理解していない様を、鶴喜のマンタラプティングぶりは示してきましたね。

ていは、いやというほどわかっています。

自分が漢籍を読めることを喜び、褒めてくれる人なんて、父と和尚様くらいしかいないことを。

むしろ漢籍を引用しようものなら、あの地本問屋の連中のように、しらけきった顔をされるばかり。

場の空気を凍らせてしまい、かえって居づらくなりかねない。そのくらい、空気が読めないていでも、生きてきてなんとなく理解できるようにはなっているのでしょう。

『光る君へ』のまひろこと紫式部の場合、理論的に漢籍教養女がいかにウザがられるか、解析してみせ、それを『源氏物語』にも盛り込んできたものです。

まひろは道長から紙をもらい、ありのままの思いを作品に昇華させました。

そういうアウトプット願望を、ていはどう発散するのでしょうか。

きっとそこは、見逃せねえ名場面になるぜ!

私の話を、遮ることなく誰かに聞いて欲しい――彼女がそう気づくときはきっとこのさき訪れることでしょう。思う存分ていが漢籍を語るとき、きっと花が咲きます。

私の話を聞けーーていは自分でも気づいていねえかもしれねえけど、ずっとずっと、心の奥底でそう叫んでんだ。

ついでにいえば経営知識も活かしたい。

ていは軍師タイプなので、俯瞰した目線で店を経営し、改善するよう努力したい。でもその意見が無視されるとだんだんと心が腐り、閉ざしていってしまうタイプでしょう。

そんなていに花を咲かせる男なんですけどね。そらジェンダーイコール男だぜ。

これは鶴屋喜右衛門は該当しねえ。あいつは儒教倫理くれえわかっちゃいるし、それこそ歴史上の才女の名前もスラスラ出てくるし、インテリなわけだよ。

吉原にゃあ足が向かねえし、母や妻もそれなりに大事にしてるって自認してんじゃねえかな。

でもよ、それだけじゃ足りねえんだな。

ああいう赤子ヅラボンボンは、なまじ母や姉妹、女中にも大事にされている。

彼が何かいうと、たとえどこか間違っていても、周りは褒めちぎる。否定しねえ。となると、自分が優れていて賢いことを当たり前のように身につけちまう。んで、母や姉妹の気遣いが当たり前になりすぎて、自分の足が踏んづけていても気づかないようになってっちまうんだよ。

一方で蔦重はどうか?

蔦重は貸本を抱えて、女郎たち営業をかけておりましたね。女郎の要望に応えてきました。

瀬川のような気の強い女郎にガツンと言われても、筋道通ってりゃ受け入れる。今回もりつにガツンと言われたら、素直に受け入れて反省しましたよね。

いわばあいつは、姉妹に揉まれてきた男なんでさあね。

こういう「母や姉にしばかれた男」は有望なんでさぁ。理屈でなく、肌に沁みて「女の言うこた一理あるぜ、俺より賢い女はいくらでもいるぜ」と理解できている。

ていが漢籍披露しだしたら「すげえ!」と素直に聞く耳を持つ。これぞていが求めてやまねえものなんでさ。

今回を見ていますと、蔦重が女の扱いの達人とは大して思えないんですよ。

そもそもていにせよ、蔦重追っかけ女子のような気持ちはさらさらない。

破れ鍋に綴じ蓋ってもんで、ピタッとハマる相性のよさがあるんですね。

そしてもうひとつ、この時代ならではの解毒ができるのも、蔦重でやんす。

蔦重は「忘八」だ。儒教倫理に背く存在ですね。

ていは儒教倫理に合わせて生きてきました。

父を喜ばせようと漢籍を読み、学ぶ。その真面目さと親孝行ぶりを誰かに認めて欲しい気持ちはあったのでしょう。だから、そこを認めてきたあの旦那にも騙されてしまいました。

一方で、女性が儒教倫理を学ぶと引き裂かれるジレンマに苦しむことになります。

女子と小人とは養い難し。

牝鶏晨す。

こうした女性を下に見る思想が儒教経典には溢れているため、息苦しさを感じてしまうのです。

真面目なていは、このジレンマに心を引き裂かれていることが見て取れます。

父から受け継いだ店を潰した不孝に苦しんでいるのです。

一方で、自分の意見を語りたいこと。自分で店を切り盛りしたいこと。こうした自分の欲求は儒教倫理に背く。

もう、自分の思いを口に出してなかなか言えなくなってしまったんです。ていは自分の心を閉ざし、向き合っていないことは言葉を聞いているとわかります。

柏原屋の買取の話がきたとき、ていはこう言いました。

「父は、漢籍も好んでおりました。きっと、草葉の陰で喜んでいることと存じます」

蔦重を断る時ですら、こうですぜ。

「お受けしかねます。父も、お達しに背くような真似は喜ばぬと思いますので」

彼女は亡き父、世間の掟を基準に判断を下していると語り、自分自身の意思がどこにあるのかすら、見えてきません。

行方知らずになった彼女の心を蔦重がつかんだからこそ、彼女は動揺しているのでしょう。

丸屋の暖簾を見て、ウズウズする心の動き。それは蔦重への思いというよりも、どこにいるかわからない自分の心への思いでもあるんですよ。

ていは心が迷子です。だってこれだもの。

「まことに情けのうございます。そこまで大事に育ててもらいながら、私のしたことといえば、ろくでもない夫と一緒になり、丸屋を傾け、盛り返すこともできず……一体……私は何のために生きておるのかと……」

こういうタイプは、まず、自分自身を認めるところから始めなきゃいけねえ。

それが手助けできんのは、儒教からの解毒ができる、蔦重、おめえだけなんだよ。

 


今週の逆MVP:鶴屋喜右衛門

鶴喜や忘八や蔦重と対比させてきて、ほんとうに解像度の高い、いけすかねえ野郎に仕上がってきました。

風間俊介さんをなんと見事に活用しているのか。ここはひとつ、階段から落としておきたいと思います。

鶴喜と似たタイプは世間にいるので解析されてんだ。奴のやらかしをみていくぜ。

◆マンタラプティング(manterrupting)

バッチリ劇中で、お手本にしたいくらい出てきました。

◆マンスプレイニング(mansplaining)

鶴喜は柏原屋との交渉でもていとの間に入って、いちいち説明してくるんですよ。鬱陶しいんだよなあ。

◆ブロプロプリエイティング(bropropriating)

女性が発案した策を、男性が横取りし、自分が一から考えたように振る舞うこと。

亀屋の策をはじめに見抜いたのは、ていでした。それを鶴喜が横からひっ攫うようにして、亀屋を見破ったようにしておりました。

◆ヒピーティング(hepeating)

女性が提案した時はそこまで反応されないのに、男が同じことを言うと賞賛される現象。鶴喜はずっとこれをしてんだよな。

これ、もう教材に使えんじゃねえかな。

この鶴喜を見ていて、思い出した苦いことがあります。

杉浦日向子さんという、江戸時代の知識と文化に詳しい女性漫画家がおりました。『百日紅』はアニメ映画となり、好評を博しておりますね。

そんな彼女の語り口を求めて対談集を読むと、かえって精神が抉られることがありました。

というのも、男性が相手の対談だとしばしばこの鶴喜じみた対応を相手が取っているんですね。

杉浦さんメインで読みたい、あんたのマウンティングを読みたいわけじゃねえ。

そうイライラするものの、本を叩きつけるわけにもいかず、眉間に皺がぐっと寄ることがあるもんでして。そんなあれやこれやを連想させるほど、鶴喜の逆MVPぶりが水際だってますわな。

 

総評

さて、ここで問題提起です。

鶴喜は自分に対して、ていが苛立っていてもおかしくないことを自覚できているのでしょうか?

こりゃねえ、本人は気づかねえんだわ。

むしろ鈍感化していると思います。

論拠の一つとして、吉原者を強く非難し、彼らとは違うという自意識を振り翳していることがあります。

『べらぼう』そのものでもある反応なのですが、、SNSのジェンダーに敏感な人たちは吉原が舞台というだけで本作をやたらと叩き出したんですね。

どうにも気のせいじゃないと思ったのは、ある熱心な大河ドラマファンのポストを見ていたときのこと。

ずっと『べらぼう』を見てきたけれども、ジェンダーに鈍感と思われたくないから感想を投稿しなかったという旨が書かれていました。

逆に、今年の大河を叩くことで「ジェンダーに敏感な自分」というブランドを生み出すこともできるのではないか、と。

しかし、そういう頭でっかちなことでなく、心に届く言動が大事ではありませんか?

誰かを殴る“棒”として作品を使うとか。マウントを取るためにどうこうするとか。どうにも無粋で、あっしゃあ御免でやんす。

本来団結し、助け合うための思想や考え方が、分断やら見下しを煽るこの世知辛い世の中は、さすがに世知辛いですよね。どうにかならねえもんすかねえ。

むしろこのドラマは、先端をぶっちぎりすぎているのかもしれませんね。

今回の描き方は、昭和平成をぶっちぎって、突如令和にギューンとすっ飛んできたと思えます。

そして『光る君へ』に続き、二年連続、教養ガチガチ、心閉ざしがち、めんどくさいインテリヒロインにしてきたことも興味深い。

思い出してみてもくだせえよ。

平成の『利家とまつ』や『功名が辻』はヒロインの知性を実在するモデルより低くしてきた。

八重の桜』は、知恵という武器で戦う明治時代のヒロインとするはずが、どういうわけか家事能力の高さがアピールする内容にされてしまいました。

『花燃ゆ』は、悪夢の毒おにぎりマネージャー路線。

『青天を衝け』も、ヒロインから教養がかなり減らされていたものです。

こうした大河の中、気を吐いていたのが『おんな城主 直虎』。そして『麒麟がくる』です。この脚本家とチームが手を組み、令和にふさわしいヒロインを仕上げてきました。こりゃ事件ですぜ。

今回は女性上位婚というのも興味深い。

この女性上位婚というのは歴史的にしばしば存在しますが、なまじ現代人は理解できずに無茶苦茶な誤解をしてしまうことがしばしばあります。

日本の江戸時代なら、ていのような家付一人娘に婿が入るとなると、女性上位婚になりやす。

有名なフィクションだと、『アナと雪の女王』がありますね。

あれはアナが王女であり、彼女と相思相愛になるクリストフはしがない氷販売業者です。

あれだけ奮闘したのに、王室御用達氷商人になるだけとはあまりにしょぼい。そんな批判があったのですが、いやいや、てえしたもんじゃねえですか。

同業者の中で頭ひとつ飛び抜けますし、暮らしはきっとずっと豊かになりやすぜ。

男が何かしたら美人がくっついてきて、宴会して、浮かれ騒いで英雄扱いしろってか?

いやいや、それより女性上位の結婚について調べてもいいと思いやすがね。

朝ドラでもこうした例は近年出てきております。『虎に翼』では、ヒロインの初婚の相手である優三がそうでした。

彼は孤児であり下宿生としてヒロインの家に住んでいたのです。ヒロインが通った司法試験を何度も失敗し続けてもおりました。

ヒロインが一時迷う恋の相手からすれば、スペックで言えば諸々が下だったのです。

それでも優三は最高の相手役でした。

口が達者で理屈っぽいヒロインの話をうんうんと優しく聞く。よいことは二人で分かち合う。そんな寄り添う心が、今は求められる時代になったんですね。

このドラマは、女性だけを救うんじゃねえ。男性にもスペックを重視すぎる弊害から解き放つ、そういう境地に達してきました。

視聴率が苦戦するのも無理はねえと正直言って思います。ためになりすぎるんですよ。

朝ドラの『虎に翼』も、こんなにためになるドラマはアンチが出てくるんじゃないかと思っておりやしたんで、むしろ好評すぎて拍子抜けしましたからね。

強すぎる薬はどうにも体に合わねえ人はいる。そこも含めての作品だと思いますぜ。


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文:武者震之助note

【参考】
べらぼう/公式サイト

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