ナポレオン1世

ナポレオン1世ことナポレオン・ボナパルト/wikipediaより引用

フランス

ナポレオン1世 2世 3世 4世の生涯をスッキリ解説! 歴史に翻弄された皇帝たち

時は混迷の幕末――。

日本の人々は、フランス皇帝に憧れを抱きました。

どうやら地球の裏側で、大規模な農民一揆があったらしい。

四面楚歌の絶望から、祖国を救い出す天下無敵の将軍が現れたという。

その名もナポレオン――。

「欧州にすごい英雄がいるんだ!」

と、頼山陽が火をつけたブームは、知識人から庶民にまで到達し、あの吉田松陰西郷隆盛も心を寄せておりました。

当時の草紙(草子・そうし・短編集)でも「ナポレオン伝」が描かれるほど人気が高まり、その名は今なお日本人の間に浸透しておりましょう。

しかし……。

ナポレオンに関する知識って、意外と、アヤフヤじゃありません?

ナポレオン1世ことナポレオン・ボナパルト/wikipediaより引用

フランス革命後に活躍したこと。

ロシア遠征で大失敗したこと。

一度復活してまた消えちゃったこと。

と、1世の主な業績はイメージ湧きますが、2世あるいはその後の3世、4世となると、『えっ、いたの???』状態になる方も珍しくありません。

そして一度そのことを聞くと、なんだかモヤモヤとしてくるからたまったもんじゃありません。

一体彼らは、ヨーロッパにおいてどんな存在だったのか?

本稿では、なんとなく曖昧になりがちな

ナポレオン1世2世3世4世】

の生涯をスッキリ整理してみましょう。

 

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ナポレオン1世の生涯

流刑の最中に、ナポレオンの伝記を読んでいた西郷隆盛。

このことは意外と重要かもしれません。

両者には共通点があります。

それは首都から遠く離れた南方出身であるということです。

ナポレオンの出身はコルシカ島。

島の気質は、フランス本土と異なり、男尊女卑の傾向強シ――。

才女のスタール夫人を失望させたのも、そのせいでした。

スタール夫人/wikipediaより引用

南方で男尊女卑といえば、まさに薩摩と同様。

ゆえに両者の中央進出に対しては、江戸っ子も、パリっ子も

「南から来た田舎者が、首都のエスプリを台無しした!」

と嘆いたものなのです。

そんなナポレオンは如何にして名を馳せていったか?

生まれから見て参りましょう。

 

知勇兼備の両親から生まれる

フランスとイタリアの中間地点に浮かぶコルシカ島。

18世紀前半、ジェノヴァ共和国からの独立を目指し、コルシカの人々は立ち上がりました。

そこに参戦していたのがナポレオンの両親です。

母レティツィアは、美貌だけではなく、勇敢な戦士としても知られる存在。

マリア・レティツィア・ボナパルト/wikipediaより引用

この独立戦争において、コルシカ側がフランスの力を借りたことが、ヨーロッパの運命を変えることになりました。

フランスは支援だけではなく、自領とすべく介入をしてきたのです。

独立派の先頭に立っていたパオリは敗北し、コルシカを後にすることとなったのでした。

愛国心が強烈な妻に対し、ナポレオンの父であるカルロは異なる性格でした。

機を見る判断力があり、柔軟性とフランス語の能力を身につけていたのです。

シャルル・マリ・ボナパルト/wikipediaより引用

智の父と勇の母――それがナポレオンが両親から引き継いだ血であったと言えます。

カルロはコルシカ独立を目指すパオリ派と、フランス派の中間をうまく泳ぎまわり、家族にとって最も良い選択肢を考え続けました。

この後、ナポレオンの少年期に病死してしまうせいか、母と比べて存在感が薄い人物ですが、息子も彼の機敏さを引き継いでおります。

1869年、ナポレオンが生誕。

彼はある意味、戦う運命の元に生まれる前からありました。

「おそれるな! 最後まで戦うのだ!」

次男であるナポレオンを身ごもりながら、レティツィアは馬にまたがり、コルシカ独立派戦士を鼓舞していたのです。

夫が若くして亡くなったあとも彼女は我が子を厳しく育てあげました。

文字を読むことすらできなかったレティツィアではありますが、智勇を備えた母の鋭いまなざしをナポレオンは常に意識し続けていました。

後に皇帝戴冠式に母が出席を拒むと、その絵を描いたダヴィッドにこう注文したほどです。

「欠席していたが、母を絵に描くように」

それほど母を敬愛していたのでした。

このように立派な母・レティツィアですが、家族に頭を抱える日は続いたようでして。

息子であるナポレオンが選んだ妻・ジョゼフィーヌは尻軽女。

美貌の次女・ポーリーヌも「エロすぎる皇帝陛下の妹」として有名になってしまったのでした。

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さらばコルシカ

幼くして父を失いながらも、芯の強い母に育てられたナポレオン。

ブリエンヌ陸軍幼年学校、それからパリ士官学校へ進みます。

貴族である同級生からすると、コルシカという田舎生まれで訛りのキツい――下級貧乏貴族の息子にすぎない存在。

雪合戦での勝利といった才知を示す逸話があるものの、あまり明るい青春とは言えなかったようです。

実は、成績もそこまでよくありません。

まぁ、これはフランス語の語学力が高くなかったという要素も考えなくてはなりませんが。

卒業後、フランス王国軍に入隊すると、ナポレオンの情熱は故郷へと向けられました。

彼のアイデンティティはあくまでコルシカ人としてのものであり、フランスには便宜上従っているという気持ちです。

しかし、故郷コルシカでのボナパルト家は、パオリ率いる独立派と対立してしまいます。

背後には、フランス革命の余波もありました。

このころパオリは親英派となっており、親仏派とみなされたボナパルト家は敵視されたのです。

そんなことから、追放されるようにフランスのマルセイユへと向かうボナパルト一家。

富豪であるクラリー家と親しくなるという幸運はあったものの、パッとしないくすぶる日々でした。

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ジョゼフィーヌは幸運の女神

しかし、幸運は巡ってきます。

革命に伴う乱世です。

フランス革命は、血筋よりも実力で出世できる――そんな道を軍人たちに開きました。

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黒人奴隷を母に持つデュマ。

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脚線美を誇るとはいえ、平民出身の軍曹にすぎないベルナドット。

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フランス革命戦争を戦い抜く将軍たちは、こんなルートから躍り出てきたのです。

ナポレオンは、ロベスピエールの弟・オーギュスタンとの親しい仲によって失脚しそうになったものの、なんとか乗り切ることになります。

そして一番の出世頭となりました。

足がかりは、トゥーロン攻略戦での電撃的な勝利です。

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ただ、その勝利だけで抜け出すにはちょっと足りない。

ここからは、かなりドロドロの展開を見せます。

確かにナポレオンは、頭が抜群にキレる若手将軍の一人でした。

革命政府に取り入ったナポレオンは、政治改革を求める暴徒に容赦なく砲撃するといった活躍で、耳目を集めるようになります。

とはいえ、実のところ、彼が電撃出世をするにはまだ足りません。

コネです。

当時の革命政府は、高潔なロベスピエールの死後、堕落する一方であり、あまりキレイじゃない、英雄のお話がここから始まります。

革命政府の腐敗した政治家・バラスには、赤裸々な下半身事情がありました。

バラスは、テレーズ・カバリュスという美女を愛人にしたくてたまらなかったのです。

テレーズ・カバリュス/wikipediaより引用

ちなみに彼女は、藤本ひとみ先生原作・森園みるく先生作画で、レディースコミックに描かれております……どんな人物か、お察しください。

絶世の美女テレーズは、こうバラスに切り出しました。

「あたしを抱きたいなら、他の愛人は暇を出してね」

愛人は惜しいものの、どうしてもテレーズが欲しかったバラス。

ほとんどの女性を別の男に紹介したものの、三十路で二児の母であるローズ・ド・ボーアルネという女性だけが残ってしまいます。

ここで、ナポレオンがこう言うのです。

「彼女は俺が引き取ります!」

6歳も年上。社交界では有名ではあったものの、絶世の美女というわけでもない。

ただ、惚れる人は惚れる。そんな女性でした。

ローズ・ド・ボーアルネ/wikipediaより引用

じゃあ、計算づくだったかって?

それはどうでしょう。

残された赤裸々なラブレターは、いやらしいわ、恥ずかしいわ、どうしようもありません。

「ローズっていうのは、いろんな男が呼んだからねえ。今日からジョゼフィーヌ(※ミドルネーム由来)って呼ぶね!」

こんなふうに、呼び名まで変えました。

ジョゼフィーヌの方は、夫のラブレターを友人と見せ合って笑っていたそうですが。

「何これ、きもーい」

「うけるんですけどぉw」

って、可哀想でなりません……。

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それはともかく、元愛人のためバラスは、ナポレオンをイタリア方面軍指揮官に任命したのです。

そんな下半身事情による任命は、結果的に大正解なのでした。っておい。

しかし、ここで毒舌イギリス人はこう突っ込むことを忘れません。

「ボナパルト?(※イギリス人はナポレオンではなくこう呼びました)あぁ、革命っていう宝くじを引いた一発屋だね!」

 

快進撃だ! ボナパルト将軍から皇帝へ

ナポレオンはフランス軍を率いてバリバリと勝利をおさめます。

イタリア遠征の快進撃は、伝説的でした。

直後のエジプトでの東方遠征は大失敗し、ネルソン提督率いるイギリス海軍にボコボコにされたものの……電撃的な「ブリュメール十八日のクーデター」で、フランス皇帝にまで上り詰めます。

ブリュメールのクーデター/wikipediaより引用

このあとは、ナポレオン無双もとい、ナポレオン戦争です。

途中で、ネルソン提督にまたも邪魔され、

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徐々に暗雲が立ち込めていきます。

 


斜陽の大陸軍、そして凋落

フランス軍は大陸軍(グランダルメ)と呼ばれ、最強を誇りましたが、その戦力に陰りが見え始めました。

半島戦争では、敗北が濃厚となり、

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そして、モスクワ遠征で、アレクサンドル1世を相手に、決定的な大敗北を喫してしまうのです。

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かくして、ナポレオンは敗北を重ね、元帥達から退位をつきつけられることとなります。

その後、「百日天下」で返り咲くものの、

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結局、敗北を喫してセントヘレナ島へ。

かくして最後は寂しい一生を終えたのでした。

江戸時代の日本人は、そんな生涯を見て、

「こういう英雄が寂しく滅びるところがいいんだよね〜」

と感じたようです。

なんというかレベルの高い楽しみ方ですね。

そうそう、そんなナポレオン1世の生涯は、長谷川哲也先生が漫画化しております。

『ナポレオン獅子の時代』長谷川哲也作(→amazon

ロベスピエールの「私は童貞だ」が大人気ですが、それだけではありません。

おススメの歴史漫画です!

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