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ナポレオン4世の生涯
皇帝ナポレオンの子でありながら、悲劇的な夭折を迎える貴公子――。
ナポレオン2世の場合、まさしくその通りで、4世もそうなのでした。

ナポレオン4世/wikipediaより引用
イギリスで生きる貴公子
ナポレオン2世と4世は、よく似た青少年期を送ります。
父唯一の後継者として、1856年に誕生。
溺愛を受け、皇太子としての教育を受けます。実際、気品溢れる身のこなしは、まさに貴公子そのものでした。
普仏戦争で従軍し、大敗すると亡命生活へ。
行き先はイギリスでした。
カムデン・プレイスに一家は落ち着くと、苦労しながら没落生活を送るしかありません。
当初はフランス帰国を望んでいたものの、第三共和政が成立するとそれも無理なことと思えるようになりました。
フランスだって、またもボナパルト一族を許すほど甘くはありません。
むしろイギリスに君臨するヴィクトリア女王の方が、優しかったかもしれません。
この女王は、一家のためにわざわざカムデン・プレイスまで来たこともあるそうです。
これも時代の流れでしょう。
かつてのイギリスは、徹底的にナポレオンを嫌い、小馬鹿にしきっていたものです。
今でも、イギリス人が書いたナポレオン伝記は情け容赦がありません。
ジョージ4世は、ナポレオンが隠していたあるものを戦利品として献上されると、ノリノリで公開しております。
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「ちょwこれwwナポレオンの裸体像w」
当時の古代ギリシャローマブームにあやかろうと、自らをモデルとした裸体像を作らせたものの、恥ずかしいから隠したわけですね。
妹ポーリーヌは自分をモデルにした裸体像を自慢したそうですが、兄には無理でした。
作らせる前に気づけよ!
そんな黒歴史を公開するイギリス。
「イギリスは紳士の国ですから!」
はいはい、その通りで。
そんな英国紳士がナポレオンの子孫に親切にしたことは、それだけ無害だと思っていたということでしょう。
実はミーハー、イケメンプリンスが大好きなヴィクトリア女王の趣味もあるでしょうが。
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軍人としての栄光を目指す
とはいえ、ナポレオン4世は生きねばなりません。
父から帝王学を学びながら、彼はウリッジ王立士官学校へと進みます。
イギリスで最期を迎えた父の無念。
そしてボナパルト一族としての重圧。
なれぬ英語での授業。
そうしたものをはねのけ、ナポレオン4世は強く生きようとします。
士官学校を優秀な成績で卒業したナポレオン4世は、オーストリア軍への道を母の反対により閉ざされ、頓挫してしまいます。
かくして英国軍に入ったナポレオン4世。
いざ敵となったイギリス側は、扱いに苦労させられました。
目立たせると、フランス政府との関係が悪化してしまう。
貴公子に甘いヴィクトリア女王は、彼を腐らせたくはないと考えている。
とりあえず、危険性の低い任地を転々とさせる――それが無難な道でした。
インピに背を向けずに戦い……
そのころ、イギリスはズールー族との戦いに手こずっていました。
槍と盾で武装した相手なんか余裕でしょ、そう思っていたものの、これがどうにもうまくいかないのです。
「よし! 今こそ、ヴィクトリア女王の恩義に応える時なんだ!」
ナポレオン4世は、母の反対を押し切って、ズールー族との戦いに志願します。
1879年6月、悲劇が起こりました。
ズールー族との激戦のあと、戦場にはナポレオン4世の、裸にされた遺骸が残されていたのです。
享年23。

ナポレオン4世/wikipediaより引用
17箇所にも及ぶ槍による傷のうち、背中からのものはありません。
いかに勇敢に戦ったのか、うかがわせるものです。
ズールー族のインピ(戦士)も、その強さと勇敢さには感服したのでしょう。
父母の形見である装飾品は、略奪されずに残されていました。
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槍と盾で近代イギリス軍を殲滅って本当?ズールー族のインピとシャカ伝説に注目
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そして、そのあまりに悲劇的な戦死の報告は、ヴィクトリア女王以下、イギリスを震撼させました。
遺骸はセントヘレナ島を経由してイギリスに運ばれ、葬儀にはヴィクトリア女王も参列したのです。
かくして、ボナパルト一族の後継者は、世継ぎを残すことなく世を去ったのです。
ボナパルトの血は今も続く
ボナパルト家はすべて滅びたのか?
いえいえ。そうではありません。
ナポレオンにとって3番目、末弟であるジェロームの家系が存続しています。
これが現在に至るまでお家騒動があり、ナポレオン7世は二人おります。争っているのです。
1950年生まれのシャルル・ナポレオン氏。
そしてその息子である1986年生まれのジャン・クリストフ・ナポレオン氏。
親子で争っているのだそうです。
ちなみに、ご子息はモルガン・スタンレー勤務だというのですから優秀ですね。
ブルボン朝系統のオルレアン家も、現当主はご健在です。
ただし、彼らが政治家として返り咲く日があるとはあまり思えません。
一度目は悲劇。
二度目は悲劇。
ならば三度目は?
無い方が幸せということでしょう。
フランス人は、もう王も皇帝も、その血も、必要ではないのです。
今も民衆がデモを起こし、政治を変えるフランス。
革命以来、彼らは民主主義と奮闘を続けて来ました。
彼らこそが、世界史上最先端の民主主義の只中にいること。それは間違いありません。
フランス人を笑ってはいけない。
バカにしてはいけない。
彼らこそ、私たちの未来の姿であるのですから。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
野村啓介『ナポレオン四代』(→amazon)
杉本淑彦『ナポレオン――最後の専制君主,最初の近代政治家 (岩波新書)』(→amazon)
アリステア・ホーン『ナポレオン時代 - 英雄は何を遺したか (中公新書)』(→amazon)
岩下哲典『江戸のナポレオン伝説』(→amazon)