源義経や源範頼など――インパクトのある最期を迎える源頼朝の兄弟たち。
その中で影が薄く、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送されるまで、あまり注目されてきてこなかったのが阿野全成でしょう。
派手な戦功はなく、劇中では、なんだか呪文を唱えてばっかり。
かと思ったら、なんともやるせない死を迎えるなど、過去作品と比べてこうも大きく扱われるのは異例のことです。
こうなると気になってくるのが、『史実ではどう記されているのか?』ということでしょう。
実は、阿野全成殺害事件は不可解なことが多く、ドラマならではの再構築がなされています。
1203年8月1日(建仁3年6月23日)はその命日。
ドラマの展開と比べながら、当時の事件について考察してみましょう。
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不可解な阿野全成の死
まずは事件の基本的事項を確認しておきましょう。
◆いつ(When)→建仁3年(1203年)6月23日
◆どこで(Where)→配流された常陸国
◆何を(What)→阿能全成と子・頼全を殺害する
◆なぜ?(Why)→謀反の疑い
◆どのように(How)→殺害
初代鎌倉殿で兄だった源頼朝がなくなったのが建久10年(1199年)1月ですから、4年後のことですね。
政治的・軍事的な役割がさほどあったと思われない――各種の政争、陰謀に巻き込まれにくいはずのポジションだった阿野全成がなぜ「謀反の疑い」などで誅殺されてしまったのか。
理由として考えられるのが、全成夫妻が乳母夫として仕えた「千幡(のちの源実朝)を担ぐ」ということでしょう。
果たして千幡を後継者に据えることは現実的だったのでしょうか?
たしかに、後世の私たちからすれば、頼家の後は弟の千幡(実朝)が鎌倉殿を継ぐとわかっています。
そのため、あたかも比企一族が拠り所とする頼家の長男・一幡さえ取り除けば、千幡が将軍になれるようにも思えます。
しかし、当時はどうだったのか?
源頼家には複数の男児がいます。
この通り、頼家には男児が4人います。
しかも善哉と禅暁の母である辻殿(ドラマではつつじ)は、清和源氏の伝説的な武者である源為朝の外孫にあたります。
普通に考えれば源頼家の子供たちが有力な三代目候補となり得るのであり、千幡の擁立というシナリオにはなかなか無理があるのです。
では、どうやったら、そんな無理なシナリオを推し進められるのか?
注目したいのが、阿野全成の妻である阿波局です。
阿波局のせいなのか?
阿波局は『鎌倉殿の13人』においては実衣という名が設定され、宮澤エマさんが演じています。
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阿波局の名は『吾妻鏡』に登場。
ドラマでも描かれた以下のような話があります。
頼朝の死後、結城朝光が「忠臣は二君に仕えず」と語ったことを梶原景時が知った。
これを言質として「謀反の疑いあり」と景時が源頼家に訴えると、その身が危険であると阿波局が朝光に告げた。
不安になった朝光は、三浦義村、和田義盛、安達盛長らに相談する。
結果、各方面から恨まれていた梶原景時が66人に及ぶ御家人に糾弾されて失脚し、滅亡した――。
というもので、こうした阿波局の行動・存在が危険視され、阿野全成が罪に巻き込まれたという見方があります。
つまり彼女が意図的に梶原景時を破滅へ追いやったというものですが、疑問はあります。
阿波局がそんなことをする動機はあるのか?
主に以下のような推測が提唱されたりしますが
・景時という存在が実家の北条にとって邪魔だから
・千幡擁立の障壁となりかねないから
一見すると筋が通っているようで、これには無理があります。
史実では、梶原景時を弾劾する署名に北条一族の名がありません。
ドラマでは北条時政の名前が最終的に切り取られていましたが、実際に北条が景時を追いやる意図があったことは証明できない。
たしかに阿波局が結城朝光に告げ口したことにより、景時の失脚も始まっています。
その点では一枚噛んだとは言える。
しかし、それがどこまで意図的であったか。景時の滅亡まで狙っていたと言えるのか。
ひいては、阿野全成の殺害事件にまで連動するものなのか。
両事件の関係者が重なっていて、しかも時系列も近接しているため、いかにも混同してしまいますが、実際に繋がりがあるかどうは慎重に考える必要があるでしょう。
頼家の思惑は?
ではなぜ、阿野全成の殺害事件に妻・阿波局の関与が注目されるのか?
建仁3年(1203年)、源頼家は阿波局を尋問するため、生け捕りを命じました。
これを断固として拒否したのが北条政子です。
「そんなこと女の身の知るところではない! 全成殿が二月に駿河(阿野荘所在地)に向かってからは連絡もありません。妹に疑われる理由なんてありません!」
頼家にとっては母であり、阿波局にとっては姉である政子は、妹を守り抜きました。
後に、こうした経緯があったため、妻の阿波局も強く関与していたのではないか?と推測されます。
この事件の動機は断定できません。
全成は、前述の通り源範頼や源義経と違って武功とは無縁であり、個性が掴みにくい人物です。
『鎌倉殿の13人』では陰陽師のような役割を担い、得意の占術を駆使し、間取りを決めたり吉凶を占っていました。
中世らしい価値観を描く上でも重要ですし、影の薄くなりそうな全成の個性を彩る設定といえます。
しかし、政治的な存在感は皆無。
なぜそんな人物が命を奪われるのか?
源頼家を念頭に置いて考察すると色々と見えてきます。
◆政子への対抗意識
頼家が阿波局に対して疑いをかけると、母の政子は妹の阿波局を必死で庇いました。
つまり頼家から政子に対する嫌がらせだったと考えれば、実に効果的だったと言える。
頼家は安達景盛の妻を我がものにしようとし、政子に一喝されたことがあり、自身の「権威を傷つけられた!」と恨んでいてもおかしくはありません。
◆比企が北条を追い詰めるため
頼家の外戚である比企と、頼朝の外戚である北条。
頼朝の死後も政子が君臨し、何かと鬱陶しい北条を排除するためにつけこんだとも考えられます。
◆綱紀粛正
源頼朝は、弟である義経や範頼を死に追い詰め、上総広常などの御家人も粛清してきました。
阿野全成を粛清するとなれば、源氏一門であろうと容赦しない!という姿勢を示し、頼家は御家人の手綱を強く握ることができます。
◆全成の落ち度
疑われるまでもなく、全成が謀反を企んでいると明るみに出たとすれば無理のないことと言えます。
こうした動機を推察することはできます。
ただし、ドラマの場合、なんとなく曖昧な理由でこの事件を起こすことはできません。
そこで脚本家の三谷幸喜さんが技巧を凝らし、プロットに落とし込んできています。
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