丸屋から店を買い取った柏原屋が耕書堂にやってきました。
それがあっさりと、蔦重に売ることを持ちかけてくるのです。
実はこの柏原屋は、鱗形屋の偽板を訴えていた上方の商人ですね。
なんでも彼は鶴屋から頼まれただけで大して乗り気でもなく、江戸では米の値が暴騰しそうなことを天変地異から察しているそうで。
むろん蔦重は乗り気。
ただ、柏原屋にしても吉原者の禁令は気になるようです。
抜荷の地図は須原屋にあった
蔦屋重三郎が、須原屋市兵衛と共に田沼意知のもとへ向かいます。
差し出したのは、抜荷を示す絵図です。
なんでも絵図が騒ぎになった際、持ち主から須原屋に相談があったようで、意知が買取の意思を表示すると、「お代は結構です」と須原屋。
その代わりに蔦重の出店を認めて欲しいという条件をつけるのでした。
意知は二つ返事で快諾し、とんとん拍子に事は進んでゆきます。
それにしても、なぜ須原屋はこんなことができたのか?
須原屋は平賀源内ら情報通と親しく、彼らの書籍を積極的に出版しています。いわば江戸の情報ネットワークハブというわけですね。
誰袖はこのことを意知から聞かされています。
琥珀の件は、大文字屋が言うには今月中にはなんとかなるとのこと。
するとここで鳴動が響き、天変地異の予感がします。
近頃増えているようで……。
天明3年夏、浅間山が火を噴く
抜荷の絵図を意知に渡し、吉原者の日本橋出店に目処をつけた蔦重は、日本橋と仲良くなる方法はないかと頭を悩ませています。
「できるだけ揉めたくねえじゃねえか」
そう言いながら、リラックスした様子で煙管をふかす横浜流星さんの仕草が実に粋ですね。
しかしそんな日常も、突然の轟音と振動が遮る。
爆発するような音が響き、ものが落ちてきます。
浅間焼け――浅間山大噴火です。

浅間山の天明大噴火を描いた「夜分大焼之図」/wikipediaより引用
なんでも噴煙の一部が成層圏に達するほどの大噴火であったと、稲荷ナビが説明し、江戸には、灰が降り注いできました。
それを見て蔦重はニヤリ。
「恵の雨……こりャア恵の灰だろ」
浅間焼けを不安げな表情を浮かべて見ていた二人の男女は、新之助とふくでした。
とても素晴らしい場面だと思います。
歴史の天変地異の中にいた庶民の姿は、ただの点のような扱いを受けます。しかし、彼らの数だけそれぞれの人生があり、命があった。
視聴者も、あの浅間山を見上げる農民夫妻のことを知っているため、もう「どうでもよい」とは思えなくなっているはず。
歴史の中の点が、血の通った人間に戻ってゆく。
これぞ歴史に触れる魅力であり意義だと、私は思います。
江戸に灰が降る
江戸の空が灰色に染まっています。
丸屋ではていが店の片付けをしようと、みの吉に指示を出していました。
すると布を大量に持った蔦重が、明るく声を掛けつつやってきます。
「丸屋の女将さん、申し訳ねえが出てってもらえますか。もうここは俺の店なんで」
証文を差し出す蔦重。
「今出てけってのは冗談でサ。俺はそんな鬼じゃねえ」
軽やかにそう笑いながら、そのまま「俺と一緒に店守り……」と続けようとすると、ていは既に去っていました。
慌てて追いかけてゆく蔦重。
彼女は店に戻ると鍵をかけ、蔦重を断固締め出してしまいます。蔦重は諦めて何かすることにしたようです。
みの吉がそろそろ蔦重は帰ったのかというと、ていも同意します。
しかし何か外から声がします。
「下りろ、早く下りろ!」
「吉原者、何やってんだ!」
蔦重が、屋根の上に布を敷いています。いったい何をしているのか?
「俺のこと野次ってねえで、皆さんも布掛けた方がいいですよ」
怯むことなく布を掛け続け、足を滑らせて屋根から落ちてしまいます。しかし、うまく着地。
すると憮然とした鶴屋喜右衛門はこうきました。
「なんでここにいるんですか?」
「ここがうちの店になったんで。てめえの店がてめえを守るってな当たり前でさ」
すかさず証文を見せる蔦重に対し、鶴喜は「そんなことしても無駄ですよ」と返し、例のお達しのことを持ち出してきます。
しかし蔦重は意にも介さず、今のうちに灰への対処をしておくべきだと言い張ります。
みの吉が止めにかかると、蔦重は瓦の隙間に灰がたまらないようにしていると主張。樋(とい)も詰まらないようにしなければならねえんだと。
「樋がつまっちゃつまんねえよ。店は大事(でぇじ)にしねえと」
そんなダジャレも入れてきます。
やっと蔦重の意図を察した鶴喜は、不要な着物をかき集めるよう指示を出し、瓦の上に布を掛け始めました。
女郎が本気で恋をするとき
誰袖は、あくせくと動く蔦重を二階から眺め、「どうせなら中でゆっくりしていればいいのに」とぼやいています。
「中にいると誰かさんにとって食われますからねえ。んっ花魁!」
志げが後ろから話しかけてきます。
「これはこれで」
そう誰袖が微笑んでいると、ただならぬ光景が見えます。わかなみという女郎が雲助と名乗る田沼意知に駆け寄っているのです。
他愛のない会話のようで、妖艶な笑みを浮かべこう誘うわかなみ。
「一っ風呂いかがでありんす?」
「なれなれしく口をきかずにおくれなんし! その方はわっちの色でありんす」
誰袖はここで立ち上がりそう言います。
「あとでうちで一っ風呂どうぞって言ってただけでありんす。ねぇ?」
「まことにそれだけだ」
「そうやって人のもんを横取りしてんのをわっちが知らないとでも?」
「随分と必死で。もしや色と思っているのは花魁だけでは?」
ここまで言われると誰袖は、なんと二階から飛び降ります。
「なんだって! この盗人女郎が!」
取っ組み合いになる二人。江戸は女も気が強いことで有名ですが、それにしたって誰袖はあまりに向こうみずに思えます。そこまで本気ということなのでしょうか。
洗い髪姿の誰袖が、意知の袖を掴む
「かような格好でご無礼いたしんす。髪結がまだ来ず」
店で待つ意知の前に、洗い髪姿の誰袖がしずしずと姿を見せます。
現代人からすればすっぴんであることに目がいくかもしれませんが、当時の人からすればこの髪型はもっと衝撃的でしょう。
この結わない髪は「洗い髪」と呼ばれています。
洗髪のあと、結わずに垂らした姿のことをさします。当時は髪の毛をきっちり固めますので、それをほどいて洗うとなると月に一度か二度、あるかないか。
なかなか珍しい姿ですし、それはそれで味がありますので、敢えて美人画の題材とすることもあります。
現代人にとっては、おろした髪の方が馴染みがあるかもしれませんが、ドラマをずっと見続けて結髪美人に見慣れたことで、その貴重さが掴めるようになりましたね。
どこか無防備で、見てはいけないものを見てしまったような、背徳感もある姿です。
歌舞伎ですと、平将門の娘である滝夜叉姫が洗い髪姿とされることがあります。

滝夜叉姫(歌川国芳『相馬の古内裏』)/wikipediaより引用
ちょっと異様な、鬼気迫る姿ということですね。滝夜叉姫の生きていた時代はむしろ結髪をしていないとはいえ、歌舞伎などはどの時代でも結髪が多いものです。
瀬川も見せない誰袖の洗い髪姿は妖艶で、実に重要な意味を感じます。
すっかり心を掴まれたのか。動揺し、出て行こうとする意知の袖を掴む誰袖。
この袖を掴むというのも、ただならぬ動きです。
「もうすぐ一年と半年にもなりんす。あの女の言う通り、色だ色だと言っているのはわっちばかり」
「そなたの働きには報いるつもりだ。案じずとも身請けの責は果たす」
「わっちの身請けは“責”だけで?」
そう眉根を寄せ、上目遣いで懇願。そこに志げが入ってきて、松前廣年の来訪が告げられました。
洗い髪姿の美女が袖を握り、懇願してくる。とてつもない状況が展開されています。これで心が動かされないものが果たしてこの世にいるのかどうか。
松前のご家老も誰袖を身請けするつもりでいる
廣年は大文字屋に琥珀を届けにきました。大文字屋はニンマリと笑い、ただちに証文を作ると返します。
「ああ、こちらの名は越中屋で頼む」
廣年にそう返され、宛先が「松前様」でないことに困惑する大文字屋。なんでも兄・道廣が名を借りる段取りをしたのだとか。
ギリギリで抜荷の回避をしてきたってわけですか。まあ、悪知恵も回りそうな兄のことですから、無策じゃねえわな。
「それから、花魁を」
廣年がそうせかすと、大文字屋はこう戸惑います。
「しかし、松前様は女郎遊びはもうやめよと……」
「それが取引に気をよくしての」
「あいにくただいま別のお客様がお越しして……」
困惑する大文字屋に対し、廣年がいつになく澄んだ目でこう告げます。
「大文字屋。かような大商いの種まで仕込んだのじゃ。花魁は私に夢中のはずじゃ」
家老ともなれば身請け金は弾むでしょうし、断る理由はありません。さあ、どうすればいいのやら。
そのことを聞いている意知は、誰袖に「花魁」と確認します。
「琥珀が来た。関わりを断ち切ったでは、いらぬ疑いをもたれんしょう。きとんと“責“だけは果たしておくんなんし」
笑みと共にそう確認する誰袖。
抜荷作戦そのものが危ういのですが、そもそも人の心を金で買おうとする吉原は罪深い場所だと思えてなりません。
肉体的酷使と搾取から、心理的なところまで到達しそうに思えてきます。
ていは、蔦重の中に光るものを見出そうとしているのか?
そのころ蔦重は一仕事終え、須原屋へ向かおうとしています。
するとみの吉が呼び止め、握り飯を食べるように促す。
腹が減っている蔦重がさっそくかぶりつこうとすると、まず手を洗うように言われ、そうしている間にも鳴動が響き、みの吉は不安そうにしています。
「でも、灰の中に金が交じってきてんぜ」
「金が? ほんとですか?」
「おう。こりゃ大儲けできっかもしんねえぜ」
「またまた。そんなわけないじゃないですか」
すっかりみの吉をペースに引き込む蔦重は握り飯をうまそうに頬張ります。その様子をていはジッと奥から観察している。
蔦重は灰の中に金が混じっているというホラを、今度は外にいる連中にも話しています。
だったら吉原に行くとかなんとか盛り上がる男たち。
ていは『史記』を手にしながら、陶朱公について目を通しています。
彼女なりに、相手を理解しようと努めているようです。
辛ぇ作業を遊びにしちまえ
浅間山の噴火により江戸の街中に降り積もった大量の灰。
奉行所からは「河や海、空き地に灰を捨てるように」という指図があったと鶴喜と村田屋が告げております。
江戸時代の町人は年貢はありませんが、街の管理は任されています。火消しもその一環ですね。

火消しいろは組/wikipediaより引用
てなわけで、ここは皆で力を合わせてやらなきゃいけねえ。
蔦重はどこか晴れがましい顔をしております。日本橋の仲間になるてえこた、この街を守る姿を見せつけなきゃいけねえ。こいつがここにいるとよいと思わせなきゃいけねえ。
確かに晴れ舞台よ。
「お待ちくだせえ。どうせなら、みんなで一緒に捨てませんか?」
そう提案する蔦重。
箒を手にして灰に線を引っ張る。左右に組を分けて、集めた灰を早く捨てる方が勝ちの競争にするそうですぜ。
「くだんねえ! 遊びじゃねえんだよ」
村田屋がそう反論します。
「遊びじゃねえから遊びにすんじゃねえですか。面白くねえ仕事こそ面白くしねえと」
「勝ったらなんかあんですかい? 褒美とか」
乗り気になる江戸っ子たちに対し、蔦重が勝った組に10両出すときました。
たちまち、太っ腹だ!とざわめく江戸っ子ども。村田屋は「金で釣りやがって!」と言いますが、んなもん釣られとけばいいじゃねえか。
「では! 私からは、一帯25両出しましょう」
鶴喜がおもむろにこう言い出します。
さすが鶴屋さんだと大盛り上がりで、勝ったらみんなで吉原にいけるとはしゃぎだしました。その様子をていは観察しています。
「まったく吉原者というのは……」
鶴喜が憎々しげに言うと、こうだぜ。
「ああ、遊びのためなら吉原もんは、草履の裏だって舐めまさ! じゃあ、みなさんやりましょうか!」
これには鶴喜も、ていも、困惑してどうしようもないようですね。
クールな優等生と、型破りな転校生と
かくして俄然やる気が出た連中は、箒と桶を持って灰を掃き、川へ捨てに行く。
全員、必死に競争となっています。
と、蔦重と鶴喜の間でこんなやりとりが。
「鶴屋さん、下駄で大事(でぇじ)ねえですか?」
「余計なお世話ですッ!」
なんとなく、初めて見たようで、実は既視感のある光景。
女性たちがはしゃいで見守り「きゃ〜! 蔦重!」というあたりでますますそう思えてきませんか?
蔦重は歓声を背景にすばやく動いています。横浜流星さんの身体能力が輝いていますね。
ついには蔦重、ヒラリと跳んで川に飛び込んでしまいます。
あの憎まれ口を叩いていた村田屋も、鶴喜も、血相を変えて蔦重の落ちた川へ。
浮いてこねえ……。溺れてねえか……。となりゃあ、江戸っ子たちはザブンザブンと飛び込んで蔦重を助けます。
ここが水難描写のリアリティを感じさせやすが、溺れてバチャバチャと「助けてくれえ〜」とはまずならない。実際には静かに沈んでゆくモンだそうで、経験者はわかると思うぜ。
なまじフィクションの「助けてくれ〜」が念頭にあると危険なんで、知識を更新する場面ですね。
蔦重が引き上げられました。
「無茶しやがって、何考えてんだ!」
「誰か助けてくれると思ったんすけどね」
そう叱り飛ばすと、無茶を言いやがる蔦重。
「べらぼうか!」
村田屋がそう言い、思わずフッと笑ってしまう鶴喜。蔦重が目ざとく気づきやしたぜ!
「いま、笑いましたよね?」
「私はいつだって、にこやかです」
そう返す鶴喜が、唇の端をきゅっとあげます。
ここで既視感があるというのは、昭和平成あたりのエンタメ全般ですね。
学園ものにせよ、職場ものにせよ。既視感のあるキャラ立てじゃねえですか。
クールで優等生ぶったエリートの鶴喜に対し、そんなエリートを振り回す、熱血お調子者で型破りな転校生枠の蔦重。
初めこそ両者は睨み合うものの、同じ課題に向き合ううちに理解し合う。そして二人がバチッと手を叩き合ったり、笑みを交わしあったりすると、それだけで見ている側はうれしくなる。
そんな王道ど真ん中展開じゃねえか! 実にいいもん見せてもらえてます。
んでもって、そういうノリはずっと辿っていけばどこになるかというと、江戸時代のエンタメなんかでもう出来上がっているんですね。
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、芳流閣における英雄同士の戦いがみどころです。生きるか死ぬか、鎬を削った二人がこのあと協力するようになる。
そういう普遍的な精神性とエンタメのパターンがこの時代あたりからできあがっていったということでさぁね。
かくして灰捨て競争は引き分けとなり、皆で仲良く宴となりやした。蔦重はここに持ち込みたかったのかと、稲荷ナビも納得しています。
鶴喜もその様子を見届けています。
ここで歴史の教訓を蒸し返しておきやしょう。
『鎌倉殿の13人』の場合、頼朝は義経の首桶を抱きしめて泣くことで兄弟喧嘩を終えました。
坂東武者は呼び出した標的を、宴やレジャーの場で討ち取ることもしばしば。上総広常は双六の際に殺され、死後、頼朝が悔やんでいましたね。
幼馴染の北条義時に対し、三浦義村は嫉妬しており、そのせいで相手に毒を盛り続けていたことが、判明したものです。
『麒麟がくる』でも、連歌会において三好長慶と松永久秀暗殺計画が動いている様が描かれました。
要するに、当たり前のような和解が成立するのも、江戸という泰平の世であればこそ。『麒麟がくる』で光秀が目指した世界が、これなんですな。
『どうする家康』ではえびすくいでやたらとしつこくはしゃいでおりましたが、乱世を舞台でああいうことをすると、かえって興が削がれることこの上ありませんね。
ていが蔦重に見出した才能
蔦重には仕上げがまだあります。ていを飲みに誘いに来ました。
しかしていは無言で掃除を続け、蔦重が手伝おうとします。ていに断られても、蔦重は「ここは俺の店なんで」と引きません。
雑巾を絞り、畳を拭き出す蔦重。その姿を見て、ていは座り直します。
「蔦重さんは、“陶朱公”という人物はご存知ですか?」

范蠡(陶朱公)/wikipediaより引用
「ああ……昔の」
圧倒的な知識の差が見えてきますね。
江戸時代の日本人はむしろ時代の感覚が曖昧なので、古代中国人も「昔の人」認識になるわけですな。
「越の武将だった范蠡(はんれい)です。范蠡は武将であった折には血生臭い謀略に長けていましたが、戦から身を引いてからは斉という国へ行き、商いに精を出し、その地を栄えさせます。するとまた、国の宰相にと乞われます。しかし、戦などもう御免。その地で築いた富を友人や周りの人に分け与え、今度は陶というところに移ります」
「宵越しの金は持たねえってか。いやあ、いい男でさあね!」
おお、知識の差がありすぎて衝突しねえ!
蔦重はもう意味がわからねえので聞くしかねえっすな。
「蔦重さんは、ぜひ、そのようにお生きになるのがよろしいかと存じます。移り住んだ土地を富み栄えさせる。蔦重さんにはそのような才覚があるとお見受けしました。店(たな)を譲るならば、そういう方にと思っておりました」
ていもマイペースなので、相手がどう理解しているのかすっとばし、自分なりに考えた最善の結論を告げます。
彼女なりに観察し、材料を集めてきて、そのうえで彼に店を任せることが日本橋通油町にとって最善だと結論づけたわけです。めんどくせぇよな。
そして向き合い、明日出ていくと告げます。だからこそ店を綺麗にしていたわけですね。その上で、みの吉ら奉公の決まっていないものの世話を託します。
蔦重は奉公人がいないから助かるというものの、戸惑っています。
「では、何卒よろしくお願い申し上げます」
そう頭を下げられ、ますます困惑する蔦重。
「女将さんはどうなさるおつもりで?」
「出家を考えています。人付き合いは苦手ですし、商いは向いておらぬようで」
「なら、やはり、陶朱公の女房になりませんか?」
蔦重はそこまで人生設計を淡々と考えている相手に、めげずにそう誘いをかけます。
動きが止まるてい。
「俺ァ、人づきあいしか能はねえけど、女将さんみてえな学はねえし。こんなでけえ店、動かすのは初めてですけど。女将さんは生まれたときからここにいるわけで、力を合わせりゃ、いい店が出来ると思うんでさ。嫌ですか? こんな吉原もんなんかとってなぁ」
ていの隣に座り、おずおずと声をかける蔦重。
静かに雑巾を絞り、置くと、彼に向き合います。
「日本橋では、店(みせ)ではなく、店(たな)の方が馴染みます。あと、俺ではなく私。日本橋の主人に“俺”はそぐいません」
そう眼鏡を押し上げ、キッパリ言い切る。
断るかどうかでなく、まず軍師のような助言から始まるのかい。ともあれ蔦重は、これで決まったと、戸惑っておりやす。
ていは自分の話を聞き、助言に素直に頷く相手を求めていた――これぞまさに、理想の相手じゃねぇですか。
作劇上の都合としてもこいつぁいいぜ!
ていの漢籍教養は役立つ
日本では伝統的に和漢で守備範囲が分かれています。
現代の国語の授業ならば「古文」と「漢文」です。
ていはこのうち「漢文」特化型の知識を持っていて、実は蔦重に欠けているモノでもあります。
蔦重が持ち歩いていた書物は、子ども向けの赤本にせよ、大人向けの青本にせよ、和文に含まれるものとなります。
この先、田沼時代から松平定信時代に移りますと、漢籍教養の重要性が増加します。

松平定信(左)と田沼意次/wikipediaより引用
松平定信時代は、遊郭で恋の鞘当てをするような文芸は規制対象となる――砕けて言いますと、ラブコメ路線は下火になる。
じゃあエンタメはどうすりゃいいのかとなりますよね。
そこで漢籍知識でさあ。
これが奇妙なことなんですが、日本では漢籍はとりあえず教養ということになりますので、中身がバリバリのバトルものの『三国志演義』や『水滸伝』も通りやすい。
しかし蔦重はそのへん疎い。じゃあどうするか?
そこでていが補うとすりゃ、ピタッとハマるんですね。こりゃてぇした工夫だと思いますぜ。
それに、ジェンダー描写としても面白い。
『光る君へ』のまひろ(紫式部)に続けて、二年連続、漢籍教養あり、相手役より知識豊富で知性派のヒロインが大河ドラマに登場してきました。
まひろにせよ、ていにせよ、無意味に笑うわけでもない。なかなか無愛想ですし、気分が乗らないと塩対応もします。
これは何か時代の変化を感じますよ。
望月の顔を見ながら死ねたらば
誰袖のもとに意知が訪ねてきていました。
「かような時分に何かありましたか?」
「花魁……これを」
そう扇子を渡す意知。
「あの時、雲助は何も詠まなかったのを思い出してな」
「そういえば」
誰袖はそう言い、扇子を広げてゆきます。
西行は 花の下にて死なんとか 雲助袖の 下にて死にたし
これは狂歌のユーモアが込められています。
かの西行法師は桜の花のもとで死にたいと願ったけれども、私は誰袖のもとで死んでしまいたい。誰袖が花魁であることを踏まえれば、女遊びの末に死にたいという、遊び人の自虐ともとれます。
四方赤良が詠んだら、それで終わります。しかし、この雲助はそうではありません。精一杯の想いをぶつけてきました。
「下手ですまんな」
「袖の下で死にたい田沼様とも」
「まぁ、そこもその際かけてみた」
想いを確認する誰袖は、潤んだ黒い瞳でこう言います。
「嬉しんす。家宝にしんす」
廣年相手に手練手管を使う時の妖艶さはなく、少女のような純粋さがあります。
「そなたと添わぬのは、間者働きをさせるのがよりつらくなるからだ。好いた女に何をさせておるのだと。私は己を責めるよりほかなくなる。いっそ蝦夷などやめればと思うようになるかもしれぬ。しかし、蝦夷は蝦夷で、やり遂げねばならぬ、私なりの思いがある。私の弱さを許してくれるとありがたい」
そう思いの丈を言われ、誰袖は満足げに言います。
「お許ししんすゆえ、ちょいと、わっちの袖の下で死んでみなせんか」
「だからそれは……」
「形だけ。形だけでありんす」
そう膝を叩き、相手をみつめる誰袖。戸惑いつつ、そっと誰袖の膝に頭を乗せる意知。
「花魁が望月のようだ……」
願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃
そう西行の歌を詠む誰袖。
「西行になったご気分はいかがで?」
「まずい。ひどくまずい」
そう困惑したように言いつつ、腕を誰袖の顔へと伸ばし触れる意知。
絵のように美しく幻想的な場面ですが、どこか血と死の香りがするのはなぜなのか?
あっしにゃあ、この誰袖が嫦娥(じょうが)に見えまさあ。中国神話の女神です。夫の后羿(こうげい)が西王母から賜った不老不死の薬を奪い、月に出奔してしちまったんでさ。

嫦娥/wikipediaより引用
誰袖だって意知を愛していることは理解できます。
でも、どこか危うい。
てなことを、ていなら眼鏡をクイッと押し上げつつ、解説できるんでしょう。
誰袖は和歌知識止まりです。女郎として仕込まれ、客と雅なやりとりができるよう、学んできたわけでさぁね。
一方でていは自発的に漢籍まで進んでいる。相手がどう思うか、それは二の次なもんでつい唐突に披露してしまう。知識の適用範囲や用途が違うわけですな。
家治も先が短い予感を覚えていた
さて、意知は将棋盤を挟んで家治に蝦夷地のことを報告中。
蝦夷地へは平秩東作が向かいます。
東作はどんだけ頑健なんでしょうね。
実際には平賀源内より年上なのに、蝦夷地まで旅しておりやすからね。
これは間者でなく箱館奉行にせよそうですが、江戸時代に蝦夷地へ向かった人は往々にしてあわぬ気候ゆえにか、亡くなってしまうことも多い。
身体頑健でないと松前で名は残せないのであり、その点、東作は実に健康です。
家治はこの報告を聞きつつ、意知を若年寄にすることを提案。

徳川家治/wikipediaより引用
意次は早すぎると躊躇するものの、奏者番では表立って政に関われないと家治は続けます。
蝦夷を任せるために引き上げたいわけですな。
理解しつつ、それでもまだ戸惑う意次。家治はこう続けます。
「余も、そう長くはないかもしれぬしな」
ここで意次は愕然とした顔になります。
そうなんです、政治だって健康でないとどうにもなりません。
蔦重の結婚に動揺する歌麿
蔦重はつるべ蕎麦でていとの結婚を報告しています。
半次郎が驚きの声をあげる一方、歌麿は愕然とし、絶望したようなまなざしを蔦重に注いでいます。
そして、ようやく言葉を絞り出す。
「もう縁組みの話は立ち消えたんじゃ……」
「ああ、俺も教えてもらいてえことあるし。したら、商いのためだけの夫婦(めおと)ならいいって言ってくれてよ」
半次郎と次郎兵衛は、この言い分に困惑しておりやす。蔦重は、男はこりごりだという相手の思いを明かす。
「じゃあ雇いってことでいいじゃねえの! 何だって夫婦になんだよ」
たまらずそう言いだす歌麿。次郎兵衛が違和感を覚えたようで……。
「ん? おめえ、こいつが女房もらうの嫌なのかい?」
「……嫌じゃねえけど。そうなると、俺ゃ、店に住んでいいのかとか……」
「何言ってんだ。お前は俺の義弟なんだから、堂々と一緒に住みゃいいんだよ」
そう語りかける蔦重。そういうもんなのかえ? そう肩を叩かれても、歌麿は暗い目をしています。
それにしても、蔦重の結婚でここまで動揺し、荒れてしまう歌麿ですよ。
こんなのもう、東洲斎写楽がなぜ失敗するか、見えてきたんじゃねえですかね。

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』/wikipediaより引用
歌麿と写楽は、蔦重が一からプロデュースした特殊枠です。
蔦重は俺だけを育ててくれると信じていた歌麿が、そんなことされたら、どうなっちまうんだか……裏切られた糟糠の妻状態になって、荒れ狂うことは必定じゃねえすか!
『麒麟がくる』に続けて『べらぼう』でも、冬になると主人公に嫉妬を拗らせる染谷将太さんが見られるわけですね。楽しみでなりません。
しかも史実根拠がないわけでもなく、他の絵師と比較して、歌麿の写楽へのコメントってやたらと厳しいんですよね。そこを踏まえて組み立ててきている。
陶朱公とその女房
かくして二人が祝言をあげる日がきました。
見守る忘八は花嫁の百合の花のような美貌にざわついております。同席する次郎兵衛にも妻と三人の子がいることも判明しました。
しかしよ、次郎兵衛を見てっとわかるこたあるわな。
結婚を「身を固める」だのなんだのいうけど、次郎兵衛くれえの骨なし野郎になっと、ちっとも固まらねえんだな。
固めの盃を交わすところで、ていは「手元不如意につき」と断りを入れて眼鏡をかけます。
眼鏡をかけることで匂い立つような凛然たる美貌が薄れ、見守る忘八も安堵。
それにしても、この眼鏡を外したていが美女というのは、なかなか洒落た話ですぜ。
陶朱公の女房は、中国四大美女の一人である西施だという伝説もあるのです。

西施/wikipediaより引用
越王勾践は宿敵である呉王夫差を滅ぼすべく、西施を献上しました。果たして彼女に骨抜きにされた夫差のもとで呉は滅びてしまいます。
このあと西施はどうなったか?
諸説ある中、この策の発案者である陶朱公の女房となり、悠々自適の暮らしを送ったというものもあります。
ドラマの役どころでは誰袖が西施近いようには思えます。
しかし蔦重は彼女の誘惑を振り切り、本物の西施であるていを女房に迎えたようにも思えます。なんとも粋な話じゃねえですか。
鶴喜、祝いと歓迎の暖簾を贈る
かくして夫婦が成立したところへ、留四郎が来客を告げます。
なんと鶴喜ではありませんか。
嫌がらせか! あの赤子ヅラ!
忘八どもが途端にざわつき始めます。
「お通しくだせえ!」
蔦重がそう告げると、鶴喜がやってきてこう挨拶します。
「お日柄もよく、ご祝言の儀、心よりお喜び申し上げます。心ばかりではございますが、通油町より、お祝いの品をお贈りいたします」
そして差し出された箱の中には、なんと、蔦を描いた耕書堂の暖簾が……。
「こりゃ暖簾にございますか?」
「このたび通油町は、早く、楽しく、灰を始末することができました。蔦屋さんの持つ、全てを遊びに変えようという吉原の気風のおかげにございます。江戸一の利者、いや、江戸一のお祭り男はきっとこの町を一番盛り上げてくれよう。そのようなところに町の総意は落ち着き、日本橋通油町は蔦屋さんを快くお迎え申し上げる所存にございます」
そう深々頭を下げる鶴喜。
あの扇屋が感極まった声をあげます。
「重三、おめえ……死ぬ気でやれよ、おめえ!」
「へえ!」
丁子屋は二代目大文字屋市兵衛にこう言います。
「カボチャにも早えとこ知らせてやんねえとな!」
「喜んで化けて出てきちまいますよ……」
駿河屋は謝りながら頭を下げます。
「鶴屋さん、これまでの数々のご無礼、お許しいただきたく」
「灰降って地固まる。これからはよりよい縁を築ければと存じます」
「鶴屋さん、いただいた暖簾、決して汚さねえようにします!」
そう頭を下げあう鶴喜と蔦重。
「本当に頼みますよ」
「へえ!」
かくして和解が成立し、鶴喜が去ってゆくのでした。かつて階段から蹴り落とされたあの鶴喜が、歩いて去ってゆきます。
蔦重はうれしそうに暖簾をていに見せるのでした。
ただ、ていが大事にしている丸屋の暖簾はどうなるのか、そこは気になるところで……。
それにしても、なぜ鶴喜は態度を豹変させたのか。
怜悧な彼ですから、算盤は弾いたことでしょう。蔦重を除け者にするよりも、仲間に入れた方がいい。そう判断したからこその暖簾。
それに彼が先頭に立って金を出した暖簾を掲げている限り、ガタガタ言わせねえんすよ。
あっしは正直、不安でした。
ていが蔦重と結婚することに対し、こんなこと言われんじゃねえかと。
「なんだかんだいって女ひとりじゃ寂しいんだよw」
「再婚してもいいってか、ただしイケメンに限るw」
そういうゲスい噂が飛び交いそうでな。
しかし鶴喜が重石となって、あの暖簾を掲げりゃ「まあ、鶴喜さんが認めた男だしな」とおとなしくなるしかねぇ。
鶴喜の贈った暖簾こそ値千金ってやつで、実に粋な筋の通し方です。これぞ江戸っ子だね。
「通油町! 耕書堂でござい! さあいらっしゃいませ!」
かくして蔦屋耕書堂が開店しました。
天明三年秋、蔦屋耕書堂はついに日本橋へ進出したのでした。
MVP:蔦屋重三郎
今回は、ついに蔦重をていと鶴喜という日本橋油橋の二人が迎えたことで、大団円を迎えました。
店も女将も、一気に片付いちまって展開が早くねぇか?と、思われるでしょうか。
ていならクイッと眼鏡を押し上げつつ、こんな漢籍を引いてくるかもしれません。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
千里を駆け抜ける名馬は常にいる。しかし、その馬を見抜ける伯楽はいない。つまり、人間の才能を見抜くことの難しさを語る言葉です。
ていとしては、自分の目が蔦重の才能を見抜くところを誇りたい。夫にしたいとは思っていない。
ただ、彼の才能がどこにあるのか。灰の中から金を探すようにして見つけた自分の判断が誇らしい。
そしてそのうえで、鶴喜にこう告げてもよいかなと。
桃李成蹊(とうりせいけい)
再来年の大河ドラマ主演である松坂桃李さんの名前の由来でもあり、成蹊大学の由来でもあります。
蔦重が張り切って灰を掃除すると宣言したところ、ワラワラと人が集まって大いに盛り上がりましたね。
桃李成蹊とは、桃や季のような実をつける木のもとには、おのずと道が出来上がるという意味です。
蔦重が通油町に店を出せば千客万来――そのことをていならスラスラと、長ったらしく語れることでしょう。
まあ、実際説得したかどうかはさておき、鶴喜も伯楽ですので、迎え入れた方がよいと判断したんですね。
蔦重が無事だった時は思わず笑ってしまったし、これで筋もたつ。そうなりゃね、迎え入れねえ理由はないんすよ。
総評
本作は非常に秀逸で、江戸時代人の価値観までドラマに刷り込んできます。
見ていてストンと落ちるところがあって、解毒効果すら感じる。
何の解毒か?
というと、放送百年目の今年、そろそろ人類に与えたテレビの悪影響が振り返られる頃合いではないでしょうか。
テレビの映えやらウケ狙いの結果、人間の知識がおかしくなっているかもしれないことを私たちは検証すべきじゃないかと最近考えてしまいます。
そのひとつが、蔦重が溺れた場面ですね。
前述の通り、溺れる時は往々にして人は静かに沈んでゆきます。
しかし、それじゃ見栄えが悪いからこそ、バチャバチャと騒ぐ。そのことを刷り込みされてしまうと、実際に誰かが溺れてしまったときに気付きにくくなってしまう。
コンテンツの王道、確実に数字を取れるものといえば恋愛描写です。
胸がキュンとする既視感あるラブコメ展開をすると、SNSでは盛り上がりますよね。
大河でもこれを取り入れようとして、10年前の『花燃ゆ』では当時話題だった「壁ドン」のような場面を入れてきたものです。
『花燃ゆ』は失敗しましたが、成功したように思わせていたのが『青天を衝け』です。
演出や演技がうまいのか、あのドラマは評判が良かった。だからこそまずいと痛感させられたのが、主人公周辺の恋愛描写です。
「胸がぐるぐるする!」
漢籍教養を誇る渋沢栄一なら口にしないような、幼稚な決め台詞。
当時の渋沢はまだストイックさを売りにする志士であり、青年期はそうそう恋愛感情を表に出しません。
それが外で千代に大声で告白していて、現代人のセンスに寄せすぎていて何事かと呆れていました。
しかし、それがSNSだと、
「幕末なんてせいぜい150年前なんだから、私たちと似たような気持ちだよね!」
なんて反応まであってその有害性を痛感したものです。
幕末は日本人の精神性においてもかなり特殊な時代です。
出来の良い朝ドラを見ていれば、幕末どころか昭和でも価値観が今とはかなり異なることが理解できるとは思うのですが。
要するに、ウケ狙いのために現代社会どころか、フィクションの作り出したしょうもない演出に寄せてくる。視聴者はそんな描写をするテレビをもとに価値観を作り上げてゆく。
そんな悪循環が出来上がっているということです。
前述の『花燃ゆ』で使われた「壁ドン」なんて、冷静になってみれば何がよいのかサッパリ理解できません。
むしろ逃げ場を抑えるようで不愉快に思う人がいてもおかしくない。
しかしそれでも「トゥンク」だのなんだのインターネットミームをくっつけて語られると、そういうモンだと思い込んでしまうというわけですね。
本作の場合、そうではなく、江戸時代の価値観をちゃんと再現しつつ、普遍的な心理や各人の個性まで出してきます。
時代劇の面白さとは、まさにこういうことではないでしょうか。
蔦重にせよ、現代人の考えるモテスペックは抜きにして、ていの本を愛する心と知識で彼女を選んでいる。
実はていも、蔦重の江戸男モテスペックを二の次にして見極めています。
蔦重の灰掃除は江戸っ子モテテクが詰まっていました。
まず、江戸では身の軽い男がモテる。典型例が火消しでさぁね。纏をもち、屋根に登っていく鳶職なんざ、それはもうモテモテスーパースターでさ。
そして侠気でさぁね。危険をものともせず飛び込む、そういうところがともかく粋でモテる。あの灰掃除で蔦重に胸がときめかねえ女はいるか、ってモンですよ。
しかし、ていはそんな心の動きではなく、あえて『史記』を読み耽り、彼の優れた資質を見出そうとした。
そして相手が自分の容姿やら何やらではなく、知識に価値を見出し、話もうんうんと機嫌よく聞いているからこそ、彼を信じた。
魚心あれば水心――なんとも粋な仲じゃねえですか。
『どうする家康』みてえな、いかにもエロエロで都合のいい美女が目の前にいたら、鼻の下をベロベロ伸ばす。エッチなソシャゲ広告動画みてえな場面だの。耳を齧るボーイズラブ演出だの。平成のアイドル公演じみたダンスだの。あんなもんあっしゃァ見たくねえんですよ。だってくだらねえんだもん。
ありゃ人類普遍的な心理でもなく、特定年代が刷り込まれた価値観準拠のモンだと思うんですよ。そういうのは求めちゃいねえんでさ。
その点、今年は実にいいもん見せてもらっておりやす。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





