櫛橋光

櫛橋光と黒田官兵衛(右)/wikipediaより引用

黒田家

官兵衛の妻・櫛橋光の生涯~最大のピンチを救ったのはガラシャだった

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ガラシャの自害が二人を救う!?

このとき光は、息子・黒田長政の正室・栄ともに米俵に入り込みました。

屋敷の裏手にある湯殿(風呂場)の壁を壊し、ここから二人は外へ。屋敷の周囲にはすでに人がおり、裏手から逃げ出したのでした。

こうして出てきた二人を、商人に変装した母里太兵衛が本物の商人・納谷小左衛門の家にまで運びます。

黒田屋敷には、身代わりの女性を置くことにしました。

しかし、相手もそう簡単にはごまかせません。

「失礼ですが、顔を改めさせていただきますぞ」と、光の古い知り合いという侍女2名を遣わしてきたのです。

栄の方は、よく似た侍女を病気と称して蚊帳の中に入れて、遠目から確認させました。

ドラマでは、この身代わりの侍女はお道(福島リラさん)とされています。

また相手は光の若い頃しか知らなかったため、なんとかチェックをくぐり抜けることができました。

「御内室二名、しかと確認できました」

うまくいったわけですね。

一方、大坂では官兵衛が送り込んだ迎えの船が来ました。

官兵衛は、このころ中津城(大分県)にいたのです。

警備は厳しく、船はなかなか動けませんでした。

特に女の乗船は見とがめられ、脱出できそうにない――そんなとき、火災が発生し、町は騒然とします。

今がチャンス!とばかりに船は港を離れ、二人は無事、脱出できました。

実は火災は、大坂玉造にあった細川屋敷からのものでした。

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彼女が自害し屋敷に火を放ったことで石田方は動揺しますが、官兵衛と長政の妻も、間接的にはガラシャによって救われていたのです。

 

長寿であった光

健康であった光は、当時としては大変長生きしております。

夫の官兵衛のみならず、息子・長政の死すら看取ることになりました。

そして寛永4年(1627年)。

75年の生涯を終えました。官兵衛の死から23年後、長政の死から4年後のことでした。

黒田家の安泰を見届け、悔いなく世を去ったことでしょう。

 

オマケ①櫛橋家

彼女の生家である「櫛橋家」は官兵衛にとっても重要な存在。

少し注目してみましょう。

光のきょうだいは、以下の通りです。

兄・櫛橋左京進(演:金子ノブアキさん)

兄・櫛橋則政

姉・妙寿尼(みょうじゅに・上月景貞室)

妹・井上九郎右衛門之房(演:高橋一生さん)室

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ドラマ『軍師官兵衛』では、櫛橋左京進が官兵衛をライバル視していたと脚色がなされ、様々な展開が繰り広げられます。

光の姉・妙寿尼の夫は上月景貞に嫁いでおります。

二人の間に生まれた女子が、小早川秀秋の家老・平岡頼勝の正室となりました。

まとめますと、黒田長政の母方のいとこの夫が、小早川秀秋の家老という関係。

この姻戚関係を用いて、長政は関ヶ原合戦の際、小早川秀秋に寝返り工作を仕掛けました。

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ちょっとややこしい関係ですが、なかなか重大です。

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