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風呂やトイレの贅がすごい!信長の城を変態化した金森長近の飛騨高山城へ【おいでよ!お城】

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昨日、越前大野城への旅の様子を綴った続き。

信長の城エッセンスを凝縮させた金森長近の越前大野城へ!【おいでよ!お城】

今回は飛騨高山城です!

手掛けたのは金森長近(1524-1608)です。
織田信長に傾倒した親衛隊(母衣衆)の武将。安土城とほぼ同時期に信長の城エッセンスを取り込み、テラスなどを設けた大野城(福井県大野市)を築きました。

本能寺の変後、長親は豊臣秀吉に従います。
そして越前大野に隣接する飛騨へと進軍して、反秀吉となった三木氏を滅ぼし、そのまま飛騨を与えられます。

長近は、高山盆地の鍋山城、松倉城を経て、非常に変態的な城としてその筋に知られる高山城を築くのでした。

おい天
松倉城はもともと三木氏の本拠の城で、長近が改修したとする史料はないのですけど、石垣の様子から長近が現在残る城の状態にしたと考えられています

なお、ここで使う【変態】とは、

形や状態を変えること。また、その形や状態。
4 動物で、幼生から成体になる過程で形態を変えること。おたまじゃくしがカエルに、蛹(さなぎ)がチョウになるなど。(大辞泉より)

の意味です。

大野城では、あこがれの信長の城の要素のうち、「人を見下ろすテラス」に魅了されて取り入れた長近ですが、なにしろ、大野城は現在でも12月から3月まで模擬天守が閉鎖されてしまうほど、雪が多いし、寒い!

だからかどうかはわかりませんが、高山城において、長近はあたかも

「信長さまの城のエッセンスって、『俺が気持ちいい城』ってことだよね」と解釈をしたようです(想像)。

高山城にはまるでモデルルームのような驚きの快適な暮らしの工夫が施されました。たとえば……。

・中庭に面した二つのお風呂(当時はサウナだったとみられますが)
・城下町を見下ろす位置に飛び出した空中トイレ(位置的に男子用)
大奥や娘用とみられる位置にあるトイレも空中に浮かし、その真下に城への入り口を設ける(さすがに通用門かと思われる)
・正式な大手門の上部をキッチンに!(来客したお客様はいいにおいをかぎながら門をくぐるというグルメなもてなし!)
・みんなが住みやすいというから御殿方式にかえてみたけど、一番のプライベートスペースの上にはちょこんと天守っぽい2階を乗っける!

などなど、「これって、徳川幕府からの使者とか迎えるのに失礼じゃないの?!」っていうくらい、プライベート充実の山城を築くのです。まさに

「The オレの城」

吹きさらしの年中解放のテラスはやめたようです。

外側は開け閉めできる戸(最近見ませんけど、雨戸みたいな感じ)を巡らして、夏場はバーっと開け放ってテラス状にして城下を見下ろしてご満悦だったかもしれません。

さて、こんな長近の「オレさまぶり」を堪能できる、城郭考古学者・千田嘉博奈良大教授と行く金森長近の城バスツアー2日目。高山城編をフィーチャーして、ちょっとノンフィクションをまぜた漫画(小久ヒロ)の続きです。(前回はこちら

 

汚部屋じゃないの!みっしりしているだけ!

おい天
いいじゃない。自分の城くらい好きにさせてよ!

さて、さっそく高山城へのぼってみましょう。

高山城は、高山陣屋から宮川を渡り、「ふるい町並み」の城下町の南端の山の上にあります。通称は城山公園で、自然あふれる散策場所として人気があります。

 

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山のいただきに作った「オレの城」

おい天
金森氏が山形へ転封後に管理を任された加賀前田家が幕府から破城するようにと言われました。それで城の建物も、石垣も壊してしまいましたので、現在地には石垣もわずかしか残っていません。が、管理用にと前田家はきちんと平面図形を記録していたために下のように復元が可能になっているのです。

おい天
この山上の城(本丸)ですが、金森家は江戸時代にわりとすぐ、使い勝手が悪いとして麓の城下町近くへと下りていきます。山城をのぼるのが面倒ということもありますが、奥様やお嬢様たちから不評だったのかも、なんてね

本丸跡には、パネルで平面図が描かれているだけで、なかなか当時の城の様子をイメージすることは難しいと思います。

麓の城下町にある「飛騨高山まちの博物館」(無料、年中無休)では、高山城の絵図(江戸時代のものなど)のほか、それらに基いて想定復元された立体模型などが展示されています。

高山城にのぼる前(もしくはのぼったあと)に見学すると、「なるほど、こんな形だったのか」と想像できると思いますよ。江戸時代の豪商の土蔵を利用しており、とても素敵な空間で、金森氏についても常設展示で学ぶことができます。

博物館の住所:高山市上一之町75。電話0577-32-1205

おい天
高山の町並みは「小京都」と呼ばれているけど、信長スタイルの城下町なので「小小牧」です。金森家の転封後には幕府の直轄地となり、代官が置かれました。代官所は、「小小牧」型の城下町から宮川をわたった対岸に置かれました。江戸時代の郡代の役所としては唯一現存している国史跡・高山陣屋です。そちらのほうが観光地としては人気がありますが、歴史ファンはぜひとも高山城ものぼってみてくださいね。

 

飛騨の金森長近のお城をおさらい

本能寺の変後の天正13年(1585)、金森長近は越前大野城から、(豊臣)秀吉の命令で飛騨に入りました。

当時の飛騨の大名は、反秀吉の家康についた三木自綱(みつき・よりつな)でした。

金森長近は三木を倒すと、そのまま飛騨を任されます。当初は、侵攻作戦時に本営を置いた鍋山城を本拠地として改修しましたが、十分な広さの城下町が確保できなかったために、新たな城を作ります。

歴史上の記録では、この次にすぐに、高山城を築城するように読めますが、実は、それ以前に、もうひとつの城を築いていたことが、城郭考古学などから判明しています。

盆地の西側にある、松倉城です。

この松倉城は、三木氏の夏の城でした。雪深い冬には、南の下呂市にある桜洞城(さくらぼら)と、季節によって本拠地を使い分けていました。

松倉城には、極めて高い技術で自然石を積み上げています。
三木氏は、最後の最後に織田信長に仕えているので、安土城などの織田方の石垣の城じたいを知らなかったわけではありません。

しかし、石垣の技術面から見ると、石垣の隅の積み方が「算木積み」と言う、幅が長い、短い、長いを繰り返す、比較的新しい技術が用いられていることが、金森時代であるという有力な証拠の一つです。

また、千田嘉博先生によると、そうした目に見えるものだけでなく、城全体のコンセプトが信長の目指した理念があらわれているという点が松倉城にはあるといいます。

信長の城の特徴は、たんに石垣があるか、高層の建物があるか、だけでなく、城主と家臣の身分差を強調する設計思想にあります。

松倉城の場合は、山頂の石垣の城は城主のための空間であり、家臣の屋敷はふもとに並んでいました(現在、飛騨の里と言う観光地)。

ビラミット型のお城の理念がよく見られる松倉城は、そのため金森長近が現在の形に改修したのだろうとみられるのです。

実際、金森長近が飛騨に攻めて来た時に、三木自綱が籠城したのは、松倉城ではなく北の古川盆地にある広瀬城でした。

広瀬城は、一部に石も残りますが、基本的には中世の土の城。

信長の城のように城主がトップではなく、国人衆(国衆)らが集まる連合体のための城でした。

広瀬城は、一番標高が高いところが中心ではなく、城主だけを守るためではなく、城に入った周辺の武士たちがお互いに横の連携を意識した、中世的な城なのです。

さて、金森長近は、戦後すぐに本陣を置いた鍋山城に入りますが、三木氏の本拠であった松倉城を、「信長スタイルの城」へと築城しました。石垣の様子から見ても、完成したとみられます。

しかし、徳川家康も秀吉に下り、戦乱の時代が落ち着いてくると、松倉城の山の高さは不便な面もあるために、盆地の丘に高山城を築き、そこに城下町も展開したわけです。

越前大野の場合も、金森長近が入るまでの地元の国衆の城は、非常に標高の高い山の上でした。それを金森長近は、手頃かつ、信長が好んだように、小牧山城や安土城ほどの丘に城を築いたのです。高山城も、丘の高さとしてはやはり同じようなレベルです。

国土地理院地図に加筆

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ファッションリーダー金森長近

奇抜な城作りが目立つ金森長近ですが、当時のほかの武将たちも、甲冑などののファッションをみると、個性を争ったかぶき者たちです。大野城にはポケットが付いた鎧があります。鉄砲の玉などを入れるためでしょうか、実用的な袋をあえてをファッションとして目立たせる金森長近ならではのセンスがみられます。
さて金森長近の子孫ですが、長近の実の息子は本能寺の変で織田信長とともに死んでいます。

養子の金森義可が2代目となり、義可は郡上八幡城(岐阜県郡上市)の遠藤氏の娘と結婚し、長男の金森宗和が飛騨で誕生しました。

宗和流となるお茶の達人として有名ですが、金森宗和は大阪冬の陣の直前の1614年、父親から勘当されました。その理由ははっきりしませんが、この頃、各大名家では親子や兄弟で別れて、あえて一部を大坂方につかせるということがありました。どちらが勝っても、家を残そうという苦渋の選択です。

その後、金森宗和は、京都で文化人として活躍。茶道の宗和流を創設しただけでなく、焼き物でも、独自のブランド「御室焼」いわゆる「京焼」を立ち上げてプロデュースしました。
このブランドの筆頭のデザイナーは、陶工野々村仁清です。

数々の国宝の焼き物を作ったスーパーアーティストです(色絵雉香炉・いろえきじこうろ 石川県立美術館公式サイト)。

金森長近のセンスは、その個性的な城や衣装を見て育った孫を通じて、戦国ー江戸初期を代表するハイカルチャーを育てたのかもしれません。

 

金森長近の城で楽しめる観光アラカルト(大野市、高山市)

おい天
映画「君の名は」は1月3日夜9時からテレビ朝日系で地上波初放送!って、わたしなに宣伝してるんだろ

マンガ・小久ヒロ(ツイッター
文・おい天
取材協力 千田嘉博
復元画提供 富永商太




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【参考】石川県立美術館

 



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