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前列左が四郎で右西郷頼母/wikipediaより引用

いだてん特集 明治・大正・昭和時代

西郷四郎と伝説の山嵐!姿三四郎のモデルとなった柔道家は会津藩士だった

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日本の柔道界のレジェンドといえば、嘉納治五郎が有名です。
その門下に、彼しか使えないという幻の技を使いこなす、一人の男がいました。

西郷四郎――。

講道館四天王の一人でもあり、彗星の如く日本柔道界に現れたレジェンド。
一体彼はどのような人物だったのでしょうか。

 

破れた会津に生まれた四郎

慶応4年(1868)、会津若松城下。
会津戦争の最中、悲劇が起こりました。

会津藩家老・西郷頼母(たのも・近悳)の家で、頼母の老母にはじまり、妻、妹、幼い娘までもが、懐剣を握って自害を遂げたのです。
西軍の将は、血の海となった西郷邸に踏み込み、あまりのことに言葉を失いました。

そのとき、15才ほどの娘が、息も絶え絶えになりながらこう言いました。

「お味方ですか? ならば介錯を……」
西軍の将は涙をこらえながら、娘にとどめを刺したと伝わります。

落城後、西郷頼母の元に残された家族は、幼い一人息子だけ。
西郷家にとって最後の子となった彼も、夭折してしまいます。

この西郷家にのちに養子として入る少年は、会津戦争の二年前に生誕しました。

 

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猫の動きを真似するほどに俊敏な運動神経

会津戦争において、藩士の志田貞二郎は【朱雀隊士】として越後口に出兵しました。

志田一家は斗南藩には移住せず、戦火で荒れ果てた会津若松を離れて津川町に移住。
この町は現在新潟県にありますが、元は会津藩領でした。

斗南藩の生き地獄~元会津藩士たちが追いやられた御家復興という名の流刑

志田一家には、小柄ながらも気が強く活発な少年・四郎がいました。

のちの西郷四郎です。
彼は、家の仕事を手伝う合間に、妙なことをやり始めました。

猫というのは実に俊敏な動物です。
高い所から落ちても、空中でクルリと一回転して、見事に着地します。

ただしあまりに高い所から落とすと怪我をしますし、低すぎても回転が間に合わずこれまた怪我をします(実際に投げ落とす実験は絶対にしないでくださいね)。

そんな猫の真似を、四郎はやりだしたのです。
高いところから飛び降り、クルリと回って飛び降りる「猫の三寸返り」と呼ばれる動作です。

ジャッキー・チェンが映画でやるような動きですな。もっともこの猫の真似は伝説的なもので、史実かどうかはあやしいとされています。

この猫のように俊敏な17才の四郎は、明治15年(1882年)、友人のつてを頼って上京することになります。

西郷四郎/wikipediaより引用

 

講道館に現れた謎の少年

友人に頼って上京した四郎。
あまりに突発的な行動をするため、周囲も困惑しました。

このとき、四郎には大きな目的がありました。

「俺は“イクグン大将”になる!」
これは陸軍大将のこと。
言葉が訛って「イクグン」に聞こえていたのでした。

当時の会津藩は、賊軍の首魁とみなされており、政界での出世ルートは閉ざされています。
出世しようと思えば、山川健次郎のような学者としてのルートか、山川浩や柴五郎のような軍人ルートしかありません。
四郎は後者をめざしていたのです。

しかし、四郎はあまりに小柄、身長が五尺(153センチ)しかありませんでした。
身長が足りないせいか、士官学校にはどうしても合格できなかったのです。

夢やぶれた四郎は、薄汚い格好でボサボサ頭のまま、ある日、講道館の門を叩きます。
応対に出た門人は、小柄な薄汚い子供がいるのを見て尋ねます。

「きみは一体何者だね」
「スナスロウ」
「えっ?」
「スナスロウ!」

志田四郎が訛ってそう聞こえたのでした。

 

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講道館四天王に

講道館――。
それは、柔道館のレジェンドこと嘉納治五郎が、当時始めたばかりの柔道場でした。

嘉納治五郎というのは日本の近代スポーツ界の巨人であり、日本初のオリンピック選手・金栗四三を見いだした人。
大河ドラマ『いだてん』では、三島弥彦田畑政治らと共に主役を張る人物ですね。

18才で柔術を学び、才能と努力のかいもあって、名人となります。そして若くして、講道館を始めたのでした。

柔道着姿の嘉納治五郎/国立国会図書館蔵

その講道館、七人目の入門者が、この薄汚い子供でした。
四郎は入門に際して印鑑ではなく、血判を推しました。

印鑑すら持たない子供だったのですから、応対した側も戸惑ったと思います。
なんせ訛りも強い。
意思の疎通には筆談が必要だったほどです。

しかしこの小柄な少年、いざ柔術の稽古を初めてみると、身体能力のすさまじさがあらわになりました。

床に指がねばりつくような脚さばきは、まるで蛸。
幼い頃、船の上で仕事をしていて身につけた動作とされています。

小柄で敏捷な様子は、まさに猫。
相手から投げられてもくるりと回転して、そのままかわしてしまうことすらありました。

治五郎と四郎が二人きりで、寒い早朝でも稽古に励むこともよくありました。
入門したてでありながら、負けん気の強さで厳しい特訓にもついていったのです。

まさかあの、酷い訛りで何を話しているかもわからないような少年が、これほどまでに天性の逸材であったとは!




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治五郎の教えのもとその才能を開花。
四郎は「講道館四天王」のひとりに数えられるようになりました。

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