源義光

源義光/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

武田氏 佐竹氏 小笠原氏らを輩出した甲斐源氏の祖・源義光はどんな武士だった?

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三兄弟が戦い血を流す

京都の義綱がくすぶる一方、東国では源義家源義光の力が芽吹きつつありました。

しかし、それは新たな衝突の始まりでもありました。

嘉承元年(1106年)、常陸をめぐり、源義光と源義国が【常陸合戦】を繰り広げたのです。

源義国は義家の息子であり、義光から見れば甥っ子。

そんな骨肉の争いを続ける中、一族の支柱であった源義家が世を去ると、源氏は宿命的な同族争いが過激化してゆきます。

義光の事績から少し離れるようにも見えますが、義家の子供たちから源氏の内紛をまとめますと……。

【源義家の子息】

【長男】源義宗:夭折

【二男】源義親:平正盛により討伐される。嫡子の源為義が後に続く

【三男】源義国:新田と足利の祖となる

【四男】源義忠:嫡男とされる

まず源義家の次男であり、後継とされていた源義親は、早々に脱落しています。

康和3年(1101年)、任地での暴虐な振る舞いが朝廷に訴えられ、召喚のために派遣された官吏を殺害すると、平正盛に討伐され斬首となりました。

頼家の四男・源義忠は嫡子とされながら、天仁2年(1109年)、郎党により暗殺。

この暗殺が何かとキナ臭い。

犯人は誰なのか?

当初は源義綱の三男・源義明だとされました。

そのため義親の嫡子・源為義が義綱の一族郎党を攻め、義綱の子は自決。

義綱当人も佐渡へ流罪となり、かくして賀茂二朗義綱の系統は消え去ってしまいます。

しかし義家・義綱・義光の三兄弟からすれば、義光の流血が最小限におさまっていて、そのせいか『尊卑分脈』では「事件の黒幕は新羅三郎義光である」としています。

なかなかの歴史ミステリですが、真相は不明。

そして源義光は、大治2年(1127年)10月10日に亡くなりました。

享年82という驚異的な長寿であり、さらに甲斐源氏の祖として数多の血脈を歴史に残しており、前述の通りその影響力は絶大です。

最後に確認しておきましょう。

 


勢力を拡大させた子孫たち

武家の源氏と言えば源頼朝――そんな印象が強く、実際に源実朝までの系統は強力なラインナップとなります。

頼朝を中心に見て、以下のような関係です。

源義家(高祖父)

源義親(曽祖父)

源為義(祖父)

源義朝(父)

源頼朝

源頼家(子)

源実朝(子)

一方、源義光も、常陸や甲斐の豪族との間に数多の子孫を残しています。

とりわけ有名なのが武田信義から始まり、信玄も輩出した甲斐武田氏でしょう。

厳密に言うと、甲斐源氏の祖が源義光であり、数多ある流れのうち、その嫡流となったのが甲斐武田氏で、その祖が武田信義となります。

『鎌倉殿の13人』で八嶋智人さんが演じた武士ですね。

その子孫に信玄がいて、そこまでの流れを絞って見ますと以下の通り。

1代 源義光 1045-1127(甲斐源氏の始祖・甲斐守)

2代 源義清 1075-1149(常陸国“武田”郷の地から甲斐へ)

3代 源清光 1110-1168

4代 武田信義 1128-1186(甲斐武田氏の始祖・頼朝の挙兵に参戦)

5代 武田信光 1162-1248(源頼朝の挙兵に参戦)

6代 武田信政 1196-1265

7代 武田信時 1220-1289

8代 武田時綱 1245-1307

9代 武田信宗 1269-1330

10代 武田信武 1292-1359

11代 武田信成 不明-1394

12代 武田信春 不明-1413

13代 武田信満 不明-1417

14代 武田信重 1386-1450

15代 武田信守 不明-1418

16代 武田信昌 1447-1505

17代 武田信縄 1471-1507

18代 武田信虎 1494-1574

19代 武田信玄 1521-1573

20代 武田勝頼 1546-1582

脈々と受け継がれていく様が非常に壮観ですね。

むろん義光流は、武田氏だけではありません。

かなり早い段階で佐竹氏なども輩出され(義光の息子・源義業の子孫から)、

義光流を受け継ぐ家としては以下のような一族がいます。

武田氏

佐竹氏

平賀氏

小笠原氏

南部氏

簗瀬氏

ほか多数

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、武田信義だけでなく、平賀朝雅あるいは佐竹義政などが登場していましたね。

こうして義光流の河内源氏もまた大きく発展したのですが、それには坂東武者の存在も影響していました。

彼らにとって、貴種である源氏の血が歓迎すべきものだったのです。

かように蒔いた種は結実し、その血を引く源氏の子孫たちが名門武家として歴史に名を馳せる――それもまた新羅三郎義光の功績でしょう。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
関幸彦『武士の誕生』(→amazon
野口実『源氏と坂東武士』(→amazon
安田元久『源義家』(→amazon

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