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【源義光】
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三兄弟が戦い血を流す
京都の義綱がくすぶる一方、東国では源義家と源義光の力が芽吹きつつありました。
しかし、それは新たな衝突の始まりでもありました。
嘉承元年(1106年)、常陸をめぐり、源義光と源義国が【常陸合戦】を繰り広げたのです。
源義国は義家の息子であり、義光から見れば甥っ子。
そんな骨肉の争いを続ける中、一族の支柱であった源義家が世を去ると、源氏は宿命的な同族争いが過激化してゆきます。
義光の事績から少し離れるようにも見えますが、義家の子供たちから源氏の内紛をまとめますと……。
まず源義家の次男であり、後継とされていた源義親は、早々に脱落しています。
康和3年(1101年)、任地での暴虐な振る舞いが朝廷に訴えられ、召喚のために派遣された官吏を殺害すると、平正盛に討伐され斬首となりました。
頼家の四男・源義忠は嫡子とされながら、天仁2年(1109年)、郎党により暗殺。
この暗殺が何かとキナ臭い。
犯人は誰なのか?
当初は源義綱の三男・源義明だとされました。
そのため義親の嫡子・源為義が義綱の一族郎党を攻め、義綱の子は自決。
義綱当人も佐渡へ流罪となり、かくして賀茂二朗義綱の系統は消え去ってしまいます。
しかし義家・義綱・義光の三兄弟からすれば、義光の流血が最小限におさまっていて、そのせいか『尊卑分脈』では「事件の黒幕は新羅三郎義光である」としています。
なかなかの歴史ミステリですが、真相は不明。
そして源義光は、大治2年(1127年)10月10日に亡くなりました。
享年82という驚異的な長寿であり、さらに甲斐源氏の祖として数多の血脈を歴史に残しており、前述の通りその影響力は絶大です。
最後に確認しておきましょう。
勢力を拡大させた子孫たち
武家の源氏と言えば源頼朝――そんな印象が強く、実際に源実朝までの系統は強力なラインナップとなります。
頼朝を中心に見て、以下のような関係です。
源義家(高祖父)
│
源義親(曽祖父)
│
源為義(祖父)
│
源義朝(父)
│
源頼朝
│
源頼家(子)
│
源実朝(子)
一方、源義光も、常陸や甲斐の豪族との間に数多の子孫を残しています。
とりわけ有名なのが武田信義から始まり、信玄も輩出した甲斐武田氏でしょう。
厳密に言うと、甲斐源氏の祖が源義光であり、数多ある流れのうち、その嫡流となったのが甲斐武田氏で、その祖が武田信義となります。
『鎌倉殿の13人』で八嶋智人さんが演じた武士ですね。
その子孫に信玄がいて、そこまでの流れを絞って見ますと以下の通り。
1代 源義光 1045-1127(甲斐源氏の始祖・甲斐守)
│
2代 源義清 1075-1149(常陸国“武田”郷の地から甲斐へ)
│
3代 源清光 1110-1168
│
4代 武田信義 1128-1186(甲斐武田氏の始祖・頼朝の挙兵に参戦)
│
5代 武田信光 1162-1248(源頼朝の挙兵に参戦)
│
6代 武田信政 1196-1265
│
7代 武田信時 1220-1289
│
8代 武田時綱 1245-1307
│
9代 武田信宗 1269-1330
│
10代 武田信武 1292-1359
│
11代 武田信成 不明-1394
│
12代 武田信春 不明-1413
│
13代 武田信満 不明-1417
│
14代 武田信重 1386-1450
│
15代 武田信守 不明-1418
│
16代 武田信昌 1447-1505
│
17代 武田信縄 1471-1507
│
18代 武田信虎 1494-1574
│
19代 武田信玄 1521-1573
│
20代 武田勝頼 1546-1582
脈々と受け継がれていく様が非常に壮観ですね。
むろん義光流は、武田氏だけではありません。
かなり早い段階で佐竹氏なども輩出され(義光の息子・源義業の子孫から)、
義光流を受け継ぐ家としては以下のような一族がいます。
武田氏
佐竹氏
平賀氏
小笠原氏
南部氏
簗瀬氏
ほか多数
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、武田信義だけでなく、平賀朝雅あるいは佐竹義政などが登場していましたね。
こうして義光流の河内源氏もまた大きく発展したのですが、それには坂東武者の存在も影響していました。
彼らにとって、貴種である源氏の血が歓迎すべきものだったのです。
かように蒔いた種は結実し、その血を引く源氏の子孫たちが名門武家として歴史に名を馳せる――それもまた新羅三郎義光の功績でしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
関幸彦『武士の誕生』(→amazon)
野口実『源氏と坂東武士』(→amazon)
安田元久『源義家』(→amazon)
他