光秀や勝家との権力争いには武力で勝利し、家康相手には政治力・外交力をもって中央を制した豊臣秀吉。
その勢いのままに四国、九州を押さえ、迎えた最後の強敵が北条氏(後北条氏)でした。
北条早雲
北条氏綱
北条氏康
北条氏政
北条氏直
信玄や謙信を相手に関東エリアを制した、東国きっての切れ者大名たちは、秀吉なんぞに屈しない――。
そこで始まったのが「豊臣vs北条」の【小田原征伐】です。
小田原征伐で秀吉相手に退かず!北条家の小田原城はどんだけ強いのか
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結果的に天下統一事業の仕上げとなったこの戦い。いかなる展開で進んでいったのか?
伊達家の思惑も絡んでカオスとなった……マンガ「日本史ブギウギ」第175話スタート!
第107代天皇
◆自身が関白になって公家を押さえるばかりか、皇室にも影響力を行使する秀吉さん。
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か~検証しながら振り返る生涯62年
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もはや天下の趨勢は確定しており、残るは東国――小田原城と東北となりました。
足利終了
◆【槇島城の戦い】で織田信長に京都を追放され、西国毛利へ落ち延びていた足利義昭。
実質、室町幕府は滅亡となり、以降も長く織田政権に対抗していましたが、ようやく重い任から解放されたと見るべきかもしれません。
なぜ足利義昭は信長と共に上洛しながら一人京を追い出されたのか 流浪の生涯を辿る
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信長と義昭が直接対決した槇島城の戦い! 敗北するも意外と緻密だった将軍の戦略
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織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
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嫡男誕生
◆長らく子供のできなかった秀吉、待望の嫡男!
豊臣鶴松――幼名は捨(棄・すて)となります。
「秀吉の実子ではないのでは?」
とは根強く囁かれることですが、家を守るのが第一の当時は“跡継ぎ”ができたということが非常に重要であり、ようやく秀吉もホッと一安心?
かと思いきや、当時は乳幼児の死亡率が非常に高く、鶴松さんも……。
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