天正2年(1574年)3月に蘭奢待を切り取った信長。
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「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の香木を切り取る|信長公記第108話
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光秀は、そんな信長のことが理解できないと三淵藤英に打ち明けます。
藤英は家臣の器を説くのですが……。
光秀の娘と生花に興じる藤英
季節が巡り、夏になった近江坂本城で、光秀は信長からの書状を読んでいます。
使者に確認しつつ、信長の下した判断に戸惑いを隠せない、というのも……。
一両日中に藤英を成敗するよう、見届けよ――。
殿よりそう承っていると使者が伝えます。光秀は苦悩を隠せず「あい、わかった!」と返すしかありません。
さて、その藤英は?
光秀の愛娘・二女のたまと百合を生けています。藤英から生け方を助言され、たまは従っています。
百合というのが伏線にも思えます。たまはキャストビジュアルでは百合……ではなく、明智の家紋である竜胆手にしておりますが。しかし、彼女を描いた作品で最も多い花は白百合です。白百合は聖母マリアの象徴です。
そうそう、キャストビジュアルといえば。
「光秀の愛娘 のちの細川ガラシャ」というキャッチコピーに「史実としては誤り」と突っこむ意見を見かけました。
確かにそうです。この呼び方は、結婚後に夫の姓を名乗ることを慣習としていた宣教師が、洗礼名とあわせてつけた名前ということ。そのほうが通りがよいから使っているのですね。
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藤英の助言に沿って百合を生け直したたまは、母上に見せる許可を得て、百合を手にして立ち上がります。
と、入れ違いで光秀がやって来ました。
こんな、花を生ける美意識のある命を、信長は奪おうとしている。教養に満ち溢れた細川藤孝の兄。その死が、どれほどの損失となることか。
一度は咲いてみせたという藤英の誇り
光秀はそんな藤英の隣に座ります。
藤英は悟り切ったようにこう言うのです。
「岐阜城から使者が参ったと聞きました。信長殿は、私を斬れと仰せられたかな?」
光秀は苦しげに絞り出すしかない。
藤英は、紀州・由良に逃げた足利義昭と文を交わし、信長を討つ企てをしている。その証拠を、信長が手に入れてしまった。何故それほど信長様を敵視なさる? そう問いかけるしかないのです。
「十兵衛殿が信長殿を選んだように、私は公方様を選んだ。それだけのことだ」
藤英の家は代々幕府に仕えてきた。そこから一歩外に出る勇気もなかった。良くも悪くもそれだけだ。
弟の藤孝はとうに幕府を見限った。その勇気が私にはない。ここに参ってから覚悟はしていた。己の身は処断できる。ご案じめされるな。
そう、静かに語ります。
光秀は、初対面の思い出を語り始めます――。
初めて堺へ行き、鉄砲を買うために入った店にいた藤英。見事な立ち居振る舞いに感嘆し、これが将軍家の奉公衆かと目が洗われる思いがした。
第1回のことですね。私も同じような感慨を抱きました。ただの川に鶴か何かが舞い降りたような、見事な美しさが確かにあったものです。
光秀は、その方に死ねとは言えないのです。死減一等できないかと信長に直訴すると伝えます。
しかし、藤英は断る。
生ある限り、信長につくことはない。謂れなき情けをお掛けいただくことこそ、武士の恥。そこはお汲み取りのうえ、しかと処断していただきたい。
そう言い切り、落ちた百合の花と己を重ね合わせます。
「負け惜しみかもしれぬが、捨てられる花にも、一度は咲いてみせたという誇りがあるように見える。気のせいかな?」
百合のように白い幕が、風に揺れる夜。坂本城の庭で、藤英は腹を切ります。
涙が目に光るところまで映され、あとは風の音が聞こえます。
花が落ちるような、静かなその最期でした。
兄弟の差とは
藤英と藤孝の兄弟は、賢愚や先見の明の有無が運命を分けたとされがちです。
本作は、それ以外の要素を突きつけてきます。
藤孝は、快刀乱麻です。
面倒だからわざわざ聡明さを見せつけることもなく、物事をズバリと処断する。そういうところが賢いとわかる。
彼なりに最善の道を模索し、将軍家に仕えて来たという情をきっぱりと捨て切ったのでしょう。
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そうできなかった藤英は愚かなのか?
余計なことを考えすぎたのか?
この最期を見ていたら、そんなことは到底言えません。
死を美化してはいけないとは思う。けれども、こうもスッキリと完結した人生には、ある種の美しさがあると思えてしまう。
ここで花と我が身を喩えるところも、池端さんらしいと思います。
本作は虫がよく出てくるとは言われますが、花と人の身を重ねることも出てきましたね。
東洋の伝統では、虫や鳥のような動物と人の身を重ねます。植物も然り。竹のようにまっすぐに、蘭のように芳しく、梅や菊のように寒い早春と晩秋にも咲き誇りたい。そういう喩えです。
落ちた白百合は、確かに藤英の運命のようでした。
そんな美しさに思いを馳せるとともに、チクリとする思いも。
織田信長という人物が、もっと人の和を重んじ、心を傷つけずに踏みにじらなかったら?
どれだけの人々の運命が、好転していたのでしょう。帝から託された天下静謐ですら、信長は、己の短気と残虐さで逃しているのではないのか? そう思えてくるのです。
室内で、花を前にして静かに佇む光秀にも、そんな思いがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。目が離せない最終章の幕開けです。
初期のまだ若い光秀と、信長のことを振り返る。そんな回帰の作りも感じさせます。
稲葉に追われた利三が
天正2年(1574年)秋、光秀は戦陣にいました。
佐久間盛信、細川藤孝と河内国に攻め込んだのです。
敵は三好一党と一向一揆の連合軍。城を落としても、三好康長を逃してしまう。泥沼です。
疲れて戻ってきた光秀に、藤田伝吾が出迎えます。
伝吾の話によると、長島一向一揆は信長がうまく抑えたようです。
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さらに、急ぎお耳に入れたきこととして、意外なことを伝えてきます。
「斎藤利三殿が奥でお待ちでございます」
なんでも、稲葉一鉄の下から逃げてきたとか。
光秀は、高笑いをしていた稲葉一鉄を思い出し、複雑な思いを抱いきます。
伝吾とともに迎えると、利三は平伏していました。面をあげた利三は、誠意のある顔。
光秀は、武名の噂を述べました。姉川での浅井との戦いでも立派な働きをした。長島一向一揆でも活躍をしている。
そのうえで、主君の稲葉一鉄と馬のことで争いになったとか……。
聞けば、利三の愛馬を1貫でよこせと言ってきたとか。100貫でも嫌だと断ったら、顔目掛けて草履を投げつけてきたのだそうで、くやしそうにそう語る利三です。
「それでご主君を捨てようと……」
光秀は困っている。
主君を見捨てぬ藤英。そして己の誇りを守るために、主君を捨てる利三。
藤英は、光秀の過去と因縁があり、利三ははるか彼方の未来に重要な役割を果たします。見事な交錯です。
利三は主君への不満を明かす。
土岐頼芸に仕えておきながら、斎藤道三に乗り換え、そしてその子・高政につく。高政の死後は龍興。信長が勝つとなれば、龍興を見捨てる。
確かに演じる村田雄浩さんが、「どこが一徹だ!」と突っ込んだとされるほど、次々に方向転換しています。
利三はそこが嫌でした。
侍たるもの、そんな己の主君に誇りがなければ、戦で命を投げ出すことはできない!
盾となり戦ってきたものの、草履を投げられもはやこれまでだと思った!
そう訴えるのです。
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光秀は理解し、困惑しつつ、なぜ自分を選んだのか尋ねます。
比叡山の戦の折、光秀のみが女子供を斬るという信長の命に従わなかった。そうできたのは明智様のみ、明智様がご主君ならば、いかなる戦に見を投げうつことができる。
そう思い、ご家来衆の末座に加えていただきたいと訴える利三です。
うーん……。と、光秀は悩む。一周回ってもはや片足突っ込んでいるようなところも感じるのですが、利光に褒め讃えられてもそうそう浮かれないところがある。
自分って、そんなに特別だろうか? そういう迷いがあるところが、光秀の謙虚でよいところだと思えます。
そしてそういう細やかなニュアンスまで演じきる、長谷川博己さんが今回も素晴らしいですね。
ご機嫌の信長と面会
京の妙覚寺に、明智光秀が向かっています。
廊下では宣教師とすれ違いました。受け狙いで目立つタレント外国人枠を使わない本作は素晴らしい。
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待ち受ける信長は、ニヤニヤしていました。
最終章に突入して、信長がありのまま、持ち前の子どものようなところを出していますね。
このニヤニヤ……爽やかなスマイルじゃない。
ハッキリ言えば、ちょっと気持ち悪い。心の底にある喜びが顔に出ている。
猫が喉を鳴らすような顔になる。そんな演技ができるからこそ、染谷将太さんの信長ですね。
カッコいい天下人ではない。なんだか、一々挙動不審でなければいけないのです。
光秀が「御免」と入っていくと、信長は嬉しくてたまらない様子。バテレンの土産として、世界地図を見せます。
あの者たちはここから参った。ルソンやゴアより向こうの地の果てから来た。己の信じる神の教えを広めるためじゃ!
しかし信長はバテレンよりも、光秀のことで頭がいっぱいなのか。光秀と話した大きな国のことを持ち出します。
そういう大きな国を目指す自分たちのように、途方もない夢を見る。だからこそ、バテレンが気に入ったのかもしれない。
そう思わせるほど、信長の光秀への圧倒的な信愛すら感じるのです。
手を出させ、ポルトガルの味だと金平糖を差し出す信長。
実は三英傑(信長・秀吉・家康)は甘党です。
個人的な趣味というより、砂糖が権力そのものだったという側面もあります。
男は甘いものが嫌いだなんて、そんなものは後世の偏見なんですね。
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血糖値に気を配りつつ、甘いものを食べましょう。
武将一人の命と美濃の平定を天秤に
このあと、信長はジリジリと光秀に接近していく。
距離の取り方が独特です。
そして稲葉一鉄家臣・斎藤利三のことを持ち出しました。
利三が光秀のもとに逃げ込んだと聞いた。理由はいろいろあろうが、稲葉は腹を立てている。稲葉は美濃の国衆をよくまとめている。面倒は避けて、ここは和やかにおさめたいと。
利三が戻れば稲葉一鉄に斬られる。光秀はそう反対します。
対して信長は、それもやむを得まいと言う。一人の命と、美濃を無駄に騒がせることを天秤にかけるのです。
【トロッコ問題】ってありますよね。
ああいう問いかけは、歴史を紐解けばいくらでも顔を出します。
けれども、仮定やたとえ話ではなく、実際に血が流れた事例を見ていくと、不愉快になることもあるでしょう。ましてや目の前でやられたら、投げられただけでも不愉快になります。
そういう命を天秤にかけ、将棋の駒や碁石のようにポンポン決断を下す人間。迷いなくそう言い切る人間とは、反発を買うこともあるのでしょう。
光秀はむっとしつつ、殿が一人の命を大事にすれば、穏やかにおさまりましょうと言い出しました。
思わずムッとする信長。一人の命を大事にしている、それゆえ公方様も手に掛けず、丁重に若江城に送り届けたのだと。
「丁重に?」
光秀はますます怒りを募らせている。
木下藤吉郎が義昭を引き摺り出し、若江城まで着の身着のまま歩かせた――武家の棟梁とは思えぬ仕打ちであり、戦に勝ってもあれでは諸大名を心服させられないと反論します。
けれども、信長には通じない。いいから利三を返せと、イライラするばかり。
信長としては、バテレンの話で盛り上がって楽しい時間でも過ごしたかったのかもしれません。小さなことだと言っていたし、そういう気持ちはあったのでしょう。
しかし光秀は譲らない。その儀は受け兼かねると言います。
丹波を攻略せよ
光秀は、紙切れ一枚で三淵に死を命じたことへの恨みまで持ち出しました。
信長からすれば「関係ないだろ!」となりそうですが、光秀の中ではずっと燻っている。
一年後、二年後、我らの想いを伝えていれば、世を押さえられたかもしれぬのに、切った! 公方様が不在で武家の棟梁を早く決めねばならないのに! そう怒っております。
それもわかる。有職故実というものがあります。
行事のとき、ここはどうしたのかと確認するうえで、三淵藤英はものすごく役だったはず。それを殺してその損失がわかっているのか! そう言いたいのでしょう。
しかし信長にしてみれば、そもそも伝統とか行事とか、あるいはルールなんて、どうでもいいタイプです。
「もうよい、帰れ!」
遂には怒りを爆発させました。
信長は悲しい。せっかく金平糖を食べて、楽しくバテレンのお話ができるはずだったのに。何もかもぶち壊しだ!
「帰りまする!」
「捨ておけ、帰りたい者は帰らせろ!」
決裂しましたね。
しかし信長はここで「うーん……うーん」と悩んでいます。
「ぐずぐずするな、呼び戻せ!」
なんだか斎藤道三も似たようなことを光秀としていたっけ。
けれども、呼び戻すところが彼らのやり方。もしも斎藤高政のように見送るだけですと、切ないハートブレイクが待ち受けています。
信長は、またちょっと気持ち悪いニヤニヤを浮かべつつ、南蛮服を手にしています。
光秀がむっつりしながら戻ってくると、「わしには似合わぬからそなたにやろうと思って取っておいた。持って行け」と言い出します。
戸惑いつつ受け取る光秀ですが……一体何が起こっているのか?
信長がバテレンに好意的であった理由が、光秀と自分と似ているという感情由来に思えてくる。バテレン服を着るのも、信長でなくて光秀。信長の光秀への愛着がすごいことになってきました。新しい描き方だ……。
そのうえで光秀を座らせ、今度は大きな話だと持ち出します。
佐久間や細川と、河内国の三好の一党を平らげた。そのことを見事だと褒め、信長も伊勢長島一揆の息の根を止めた、南側の敵はほぼ抑え込んだと言い出します。
手付かずで残ったのは、西隣の丹波――ここは公方様の息がかかった国衆が多い難物。ここを光秀に任せると言います。与力には細川藤孝をつけるとも。
「そなたならやれる。何年かかってもよい、丹波を抑えこめ。利三の件は、わしから稲葉に話してみる」
かくして、一人の命を救うのと同時に、丹波攻略を任せられる光秀なのでした。
南蛮姿は奇妙か?
坂本城では、岸とたまの姉妹がいたずらっぽく笑っています。
母の煕子が「何がおかしいのです」と聞くと……。
なんでも父上が、随分と妙なお姿をしているのだとか。
姉妹は「たまにはああいうお姿もよいかもしれませぬ」なんて言い合い笑っています。左馬助まで思わず笑みが漏れてしまい、煕子が驚く。
ここで光秀が出てきます。
南蛮服で、ヒールのある靴まで履いてしまうばかりか、タイツまで着用!
服装というのもおもしろいもので、ヒール付きの靴にせよ、ストッキングにせよ、かつては男性も着用していました。
むしろ脚線美を求められたのは、ハッキリとそれがわかる男性であったものです。コッドピース(各自お調べください)がないだけ、この衣装はまともですね。
「成長した たま役が芦田愛菜さんだと伺って、うれしかったし頼もしく感じました。バテレンの装いで照れながらも堂々と立っている十兵衛様を見て、みんなは笑いをこらえていましたが、私はすてきだなと思ったので、どうしてみんな笑うのか、今も納得していません(笑)」(木村文乃)#麒麟がくる pic.twitter.com/xxhs1tfOYy
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) December 27, 2020
「どうだ? やはり奇妙か?」
そう真面目に尋ねる光秀。
煕子以外は笑ってしまいます。こんなに無邪気で明るい人々の行く末を思うと、感じるところはあります。
京都で見た南蛮人のようだと意見を言う煕子。
なんとも貴重かつ、問題提起でもあると思います。
みなさん南蛮服の信長を当然のもの、お約束、カッコいいものとして受け止めておりませんか?
けれども、それは妥当なのかどうか。後世のイメージもあるのかもしれませんよね。そこまで考えてみるとおもしろい。
ちなみに南蛮マントの信長といえば、Amazonプライムの『MAGI』における吉川晃司さんも素晴らしい。こういう従来の定番信長と、本作の信長の比較も興味深いものです。
そうそう、信長といえば。
染谷さんの演技のおかげでSNSやネットで“ノッブ”という愛称がついたとする、そんな記事もあるようです。しかし実際は、織田信長への愛称として、かなり以前から大手掲示板ユーザーを中心として使われていました。
彼の過去作品、配偶者のことを取り上げるニュースもあり、話題性や需要は理解できます。
ただ、それよりも目の前の演技を見て本質を考えてゆきたいとは思うところです。
蹴鞠に興じる宮中へ
アリ! アリ! オウ! アリ! ヤア! アリ!
そう叫びながら、鞠を蹴る公達の姿。京では、誠仁親王が蹴鞠に興じていました。
「クランクインの日の撮影だったので、ガチガチに緊張しました!サッカー経験はありますが、蹴鞠(けまり)は右脚しか使ってはいけないとか、掛け声にも細かいルールがあってかなり大変でした。でも、蹴鞠皇子としては大好きな信長さんに見守っていただき光栄でした!」(加藤清史郎)#麒麟がくる pic.twitter.com/p2cZjvAFlm
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) December 27, 2020
そんな彼を見守る中には信長もいます。
黒と赤の装束だろうと、一目で彼だけ異質とわかるのだから、やはりすごい。
「参議、そなたは蹴鞠はやらぬのか?」
そう問われ、信長は父・信秀より手解きは受けましたが、春宮(とうぐう)様のようにはできないと答えます。
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次に参った時は容赦はせぬぞ。腕前を披露せよ。春宮は無邪気にそう語りかけてくる。
信長は「その儀はひらに……」とかわすのでした。
ここで春宮は信長が献上した瓜が美味であったとも語ります。
これもややこしい、東洋らしい伝統といえばそうなのですが。皇帝なり、王なり、その一族は、みだりに食べ物の好みを言えません。
なぜなら産地があるものですから。
特定の物ばかりを食べると、偏りがあると思われかねない。名君は、どの地方のものも平等に食べ、かつ褒めることが求められます。
今回のように、わざわざ献上品を褒めるということは、信任の情を感じていると言うようなもの。
極めて重要です。
ちなみにこれは現在の皇族でもそれはあるようです。
昭和天皇が好きなテレビ番組は何か? そういう質問があっても、ストレートには語られません。
伝わる逸話は、お付きのものが「あの番組を楽しみにしておられました……」とリークしたからなのですね。上に立つものは本来、個人の好みすら大っぴらにそうそうできない。大変なものです。
「帝の御意思です」とは
ここで二条晴良が奥に信長を呼びます。
そして信長に、誠仁親王は信任が高まっていると語るのです。
が、この二条がそんなに素直なわけもない。
帝が春宮に譲位し、鳥羽上皇の御世の如き朝廷にしたい旨を告げてくる。しかも帝の意思だのなんだの言いますが、果たしてどうだか。
これは日本史の重要なポイントですが「帝の御意思です」という触れ込みは疑った方がよろしい。
平安時代の摂関政治にせよ。幕末の【偽勅】にせよ。
周囲が勝手にそう言っているだけであることがあまりに多く、力関係を見ていくと、別のものが浮かび上がってきます。
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隣の三条西実澄もムッとしているようでもある。
信長は、それが帝の叡慮ならばその儀は進めても異論はないと言います。
ただし、そのための御所の造営、儀式にはざっと1万貫(現在の15億円)かかると言います。今日明日にはご用意できないと釘を刺す。
晴良は今や足利将軍に替わって世を治めんとする織田殿に、1万貫などものの数でもないはずだと言うものの、信長は乗ってこない。実澄は、信長様にはまだ敵がおり、戦にかかる金が馬鹿にはなるまいと理解を示します。
晴良は善は急げと言う。それに信長殿に聞いていると言う。
ご譲位は時を移さず行うべきだと述べる信長。実澄はこの言葉に何かを悟っているようです。
先のない天下が朧気に見えてきた……
本作はなかなか難しい。
このあと、帝との会話で真意が見えてきます。
帝が見るに、関白には焦りがある。実澄も「御意」と同意します。
二条関白家は足利家とつながりがある。それが今、足利家の敵である信長につかざるを得ない。信長を引き寄せたい思惑が見抜かれています。
帝が信長側の意向を尋ねると、実澄は蘭奢待切り取り以降、二条家と接近していると告げます。
帝は、信長には公卿の暮らしを助けるために様々な手を打ってもらい、感謝はしていると言う。
けれども関白と近づき過ぎれば、足利家と同じ道を辿ることになりかねぬと懸念しています。
最終章に突入し、信長の天下はそもそも先がないという誘導もうっすらと見えてきた気がする。信長は、結局、敬愛する帝も心服させられてはいません。
帝はここで、万葉好みの鳥はどうしているのか実澄に聞きます。
信長のことを最も知っている方じゃと、女官たちが噂しているとか。実澄に、かの者と話したいと告げるのでした。
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さて、存在感を見せる正親町天皇。彼が本能寺黒幕説も出ているようですが、私はそれはないと思います。
というよりも、黒幕説は採用しないと思うのです。
どうして本能寺黒幕説は尽きないのか? 問題はそこなのです。
願望ではありませんか? あれほど賢い信長が、あんなノーガードで宿泊するとは思いたくない。あれほど素晴らしい光秀が、短絡的な行動はしないだろう……陰謀論の根底には、願望があるものです。
その願望をどう否定するか?
人間は完璧ではないということ。
要するに、本能寺に嫡男と泊まってしまった際、信長は自信過剰、慢心があった――そう思うのです。
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人間の能力値は常に100発揮されるものと思いたいものですが、そうではありません。
どんな猛者だろうが、体調不良であれば敗北するかもしれない。どんな知恵者だろうが、何らかの要因で間違えることはある。
そういう心の隙間を本作は描いてきました。
織田信秀、斎藤高政、今川義元……こうした人物は、気の緩みから危うい目にあってきましたよね。信長も、光秀も、結局のところ人間なのです。
本能寺の変がなまじ前代未聞の出来事であったから、そういうことも起こる。
その先例から学んだ家康は、嫡男・秀忠と同時行動しないようになったのだと。
ではどうして正親町天皇がこうも目立ち、不穏なのか?
それは朝廷を心服させられない信長の限界を見せるためだとも思えてきます。
一方で正親町天皇が光秀に関心を寄せることで、それを対比として見せる。
信長は心服させることができない。光秀はそれができる。そのことが積もり積もって、信長の限界と破滅につながってゆくのでしょう。
前久が丹波にいる
鼓と笛の音が流れ、女たちが舞う京都の裏町に、光秀がやってきます。
そこへすっと姿を見せるのは伊呂波太夫。
彼女は、一番のお偉方が御家来衆も連れず、お危のうございません?と問いかけてきます。
光秀は鼓が聞きたい、鼓上手の近衛様が戻ってきていないかと答えます。
近衛前久が戻るのならば、二条関白が放っておかない――つまり丹波にいる。近衛は、丹波の赤井直正に妹を嫁がせているから、そこにいると見抜いています。
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そのうえで、もう一度お会いしたいと訴える。
太夫には頼み事ばかりして申し訳ないが、そこを頼みたい。丹波国を見てみたい。
敵ばかりですよ……そうそっけない伊呂波太夫。
むろん礼はすると光秀が伝えると、そんな礼など不要だから近衛前久が京都へ戻れるよう、信長に頼んで欲しいと彼女は訴えます。
最終章で、光秀と信長の結束はますます強まっている。光秀は、そのことは前久様にあって相談しようと持ち掛けます。
かくして伊呂波太夫は光秀の願いを受け入れ、丹波においでくださるようにすればお目通りできるようにする、前久には話を通しておくと言いました。
道に詳しいものがいるかと尋ねられると、お駒ちゃんのもとにいると伊呂波太夫は返します。
場面変わって、東庵の診療所には菊丸がおりました。
秀吉の母・なかが飲みたかった物をさっと出す菊丸。なかは驚き、うちにもこういう人が一人欲しいのよ、どこで見つけてきたのかと問いかけます。
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東庵は笑いとばし、見つけたわけではなくブンブンのように勝手に飛んできたと言います。
「はい、私はブンブンでございます」と飛ぶ真似をする菊丸。
そこへ光秀がやってきます。
まさかここにいるとは思わなかった、太夫に聞いて驚いたと喜びを見せる光秀に対して、菊丸はご挨拶に伺いたかったものの偉い方なので畏れ多くて……と言葉を濁します。
「何を申しておる、私は十兵衛だぞ!」
明るくそう言い切る光秀。何気ないようで、揺るぎない何かが見えてきます。
十兵衛は十兵衛。
最終章にはいり、光秀も彼自身の本質へ回帰してゆく。揺るぎないものがあればこそ、十兵衛は十兵衛だからこそ、本能寺へ向かってゆくのか?
菊丸の正体は
太夫から丹波の園部まで向かうと聞いた菊丸は、向こうにおいでの駒さんに会うかと聞いてきます。
駒の待つ場所へ向かう光秀。
部屋に入ると、駒が一礼してきました。光秀が、商いは繁盛していると聞いていると前置きすると、駒は何も変わらないものの、菊丸さんが来てくれてよろず捗りましたと言います。
そのうえで、先日、枇杷庄(びわのしょう)で公方様に会ったことを振り返ります。
とても寂しいところで、お会いした時、涙が流れて、私も泣いてしまった。
必ずまた京へ戻ると、諸大名と信長様を倒すと戦の話ばかりをしていたと。
先週は感動的であった場面ですが、今回は別の意味も見えてきます。そうやって抗戦しようとするから、三淵藤英は命を落としたともいえます。一体、何が正しいのか……。
ここで菊丸が、丹波に行ってくる芳三が寺の名を確かめたいと告げてきます。
寺の名を駒から聞き、書き写している菊丸の筆跡を見て、光秀の目の色が変わります。
以前、道ゆく父子連れから渡された、信玄の死を告げる手紙と同じ筆跡ではないか!
そこまで記憶し、咄嗟に引き出せる光秀の記憶術です。ただ、菊丸の正体を悟り、光秀は思うところがあるようです。それは悪感情ではないのです。
後日、一行は丹波に着きました。
反信長国衆の多いところで園部はその中心。別れようとする菊丸に、丹波で会うべき人物は誰か?と光秀は尋ねます。
丹波は難しい国だが小畠永明様なら……そう返す菊丸。光秀は納得しています。
「やはりそうか。流石に詳しいのう、菊丸。わかった、かたじけない」
光秀らしい会話とも言える。ストレートに菊丸の正体を尋ねないで、その見識を確認しました。
一に戦、二に戦~丹波で話し合いは不可能だ
光秀は伊呂波太夫の介添えを受け、近衛前久に面会します。
鼓の音を聞かれると、光秀は見事だと返す。なんでも丹波では退屈な暮らしで、鼓くらいしか楽しみもないとか。
前久は、信長が攻めてくることを確認します。
言葉を濁しつつ、聞きたき儀があると尋ねる光秀。
近衛様は二条様に追われ、一向衆の本願寺に助けを求めた。その一向宗が信長と戦になり、その流れでここにきた。そう確認します。そのうえで、どちらに着くのかと尋ねる。
前久はバツが悪そうに、そもそも信長のような武将が好きだと言います。
それが、なんの因果か、信長が二条と手を組んだゆえにかかる仕儀。二条と信長の結びつきに苦労しているのです。
光秀は、これからはそんな前久を手伝う所存と告げつつ、地図を押し出します。
宍人城の小畠永明に会わせていただきたいこと。
丹波国の民が望むこと。
年貢はどう納めるのか?
争いの元は金か、領地か?
どうすれば争いが収まるのか?
前久は苦い顔をします。その志は結構なれど、丹波は京都に接している。朝廷や大名が並び、話し合いどころではない。
そう言われても光秀は、小畠との話し合いを望みます。
前久は小畠も自分と同じ意見だろうとぼやくばかり。一に戦、二に戦で話し合いは成立しない。この国に一年もいればそれがわかる。そう諦めています。
そして天正3年(1575年)3月。
次なる戦が始まりました。
丹波の国衆は信長に従わず、丹波攻略に乗り出す光秀。
長い戦の始まりでした。
MVP:二羽の窮鳥、三淵藤英と斎藤利三
今回は、三淵藤英と斎藤利三という者を使い、光秀の本質を描き出す――そんな技巧が見て取れます。
窮鳥の懐に入るは、仁人の憫れむ所なり。況(いわん)や死士、我に帰す。当にこれを棄つべけんや。
逃げ場を失った鳥が懐に飛び込んでくれば、猟師であろうとも、憐れんで殺せない。
ましてや、死を覚悟している武士が助けを求めてきたら、どうして見捨てられましょう?
そんな鳥を憐れむ光秀と、そうすることすら思いつかない猫のような信長。
最終章、この二人がすれ違ってゆきます。
のみならず、この鳥のような二人は、光秀の過去と未来、武士、幕府のことも描いていると言える。
室町幕府を支えた幕臣は、気高い最期を迎えました。
一方で斎藤利三には大きな未来があります。
彼自身は、本能寺の後で光秀と運命を共にします。今回の言葉通り、光秀に殉じたのです。
けれども、その利三には福という娘がいました。
この娘は育ち、徳川家康の孫・竹千代の乳母となるのです。
乳母として、竹千代を守り抜いた福。春日局の名で知られるようになった彼女は、その忠誠心や意志の強さが賞賛を浴び、大河ドラマにも描かれることとなります。
そう考えると、まるで光秀が呼び寄せた麒麟の声が、斎藤利三とその娘・福を通して徳川という新たな幕府の安定化を図ったように思えなくもない――歴史ロマンってこういうことかと、痺れます。
最終章に入って、本作は未来をも見据えるようになりました。
徳川の忍びである菊丸を見逃す光秀。そしてこの斎藤利三。そもそも光秀は、幼い家康に干し柿と希望を与えておりました。
ちなみに公式サイトで松永久秀の波乱が見られるようになっています。
そんな松永久秀に、大和の未来を夢見て、尽くしてきた一族がいます。
剣術に秀でた柳生家です。
柳生一族の出である宗矩は、春日局、松平信綱とともに、家光を支えた鼎となるのです。
この感動を『柳生一族の陰謀』でも見て粉砕されてください。
NHKリメイク版は吉田鋼太郎さんが宗矩なので、より混乱が増してお薦めできます。あ、そういえば朝廷からも強い麿が頑張ってましたね。
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すみません、話が前のめりになりましたが。
谷原章介さんは、白い百合に自らを例えてもまったく違和感のない、清浄な美しさがあって怖いほどでした。
人間の自死であり、過剰な美化はよろしくないのではないか?
そんな思いすら風に紛れて飛んでゆくようで、ただただ引き込まれました。
そして須賀貴匡さんですか。『八重の桜』の久坂玄瑞って素晴らしかったな、そう思っていた方です。
こういう年代の役者さんが、和服の所作をこなし、語彙が豊富で難しい長いセリフをきっちりと読み、堂々たる演技をしていること。それを見ることが、こうも愉快で楽しいとは。
こういう須賀さんのような人がいてこそ、日本の時代劇は受け継がれていくのであり、大事なことだとしみじみと思えるのです。
斎藤利三には未来がありますが、それは須賀さんにせよ同じこと。時代劇の未来は続くと思わせる、立派な演技でした。
うまいとか、下手とか、そういうことを超えて、希望や未来そのものです。
最近のNHKは、時代劇のレベルがあがっています。
近代ものの『おちょやん』、『新十郎探偵帖』も上出来。正月時代劇の『ライジング若冲』もおもしろそう。
『麒麟がくる』からも門脇麦さんと石橋蓮司さんが出ております。時代劇復活の狼煙がNHKからあがることが、こんなに嬉しいとは思ってもいないことです。
総評
真っ直ぐに飛んでいくようで、螺旋を描いて登っていくような、独特の味わいが出てきた本作。
そんな圧巻の最終章です。
人間は、生まれて育ち成長し、大人になって変わるものだと思われてきた。
けれどもそれは誤解や願望かもしれない。
折れて、妥協して、世間の要望や空気を読んで振る舞うことを覚えるけれども、幼いからと自由を味わえたころのように、なまじ地位が上がると戻れるようになる。
自分の本質を出しても、許されるようになってしまう。
そのためなのか?
本作の人物でも、ほぼ同時に命を終える二人が本質へ戻っていくような不思議な作りになってきます。
信長はすねる。怒る。帰れと光秀に怒鳴ってしまう。大好きな相手に喜んで欲しくて、金平糖や南蛮服を渡す。
蘭奢待で満足したのか、かえって帝への依存が薄くなり、原点である光秀に認められたいところへ戻ってきたように思える。
やはり、染谷さんでよかった。
童顔だのなんだの言われましたが、この信長はずっとピュアで、子どものような感性と瞳を持ち続けるのでしょう。無邪気であるのに、権力と武力があるからこそ、ちょっと動くだけで周囲が傷つけられてしまうのです。
人のようではない純粋さでも、鋭い爪牙を持つ獣と同じものがある。なんと悲しい人なのか……。
光秀も、十兵衛は変わらぬと言い切る。
若い頃の思い出を持ち出す。斎藤道三相手に怒り、帰ると言い切った若侍時代とそっくりな行動を取ってしまう。
理想主義も錆び付いておらず、まずは話し合いたいと持ちかけるのです。とことん不器用で、十兵衛は十兵衛じゃと言いたくもなる。
彼も悲しい人なのかもしれない。
あるいは、このうえなく幸せなところもある人なのか?
人のようではない純粋さでも、真っ直ぐに飛ぶ鳥のようなものがあります。
そんな光秀が言うことは綺麗事?
お花畑の平和主義?
大河にありがちな善人描写をしたいから、戦をスルーするという記事がここのところよく見られます。
それは雑な決めつけであるとも思えるのです。
確かに過去の大河には、そういうものはあります。
けれども今年は、かなりこれまでの作品から変えてきた理論やテーマ、焦点の当て方があるのでそこをもっと見ていきたい。
今回、前久にしつこく光秀は話し合いを持ちかけました。しかし結局は丹波攻略になってしまう。ならばあの申し出は無意味だったのか?
そうではないでしょう。本作で光秀が取り戻しつつある本質を描くために、必要だと思うのです。
『三国志』に出てくる馬謖の言葉として、こんなものがあります。
心を攻めるを上と為し、城を攻めるを下と為す。心戦を上と為し、兵戦を下と為す。
諸葛亮はこうした助言を受けて、南征では心服を目指したとされています。
光秀は大名を心服させられぬ信長に、憤りすら感じている。そんな信長と己はちがう。もっと上を為すために、心戦を挑みたいのだと思います。
百戦百勝は善の善なる者に非ず。
たとえ勝利しても、敵だけでなく味方も消耗するからには、戦いを避けることがセオリーなのです。
別に綺麗事でも、お花畑でもない。それが当然のこと。だからこそ、光秀は人の心を知り、動かし、戦を避ける道を通らねば前へ進めない。
この心戦、心の戦いこそが本作の重要な点であり、かつ最終章の焦点かと思います。
この作品は明確に、人間描写といいますか、心理描写を重視していると言えましょう。また、そういう観点で見た方が、楽しめるのではないでしょうか。
同時に、本作は古びることがないとも言える。斎藤道三も引用していた『孫子』は、あれほど古いにも関わらず、いまだに現役の軍事学として通用します。
それはなぜか?
【軍事心理学】の書物だからでしょう。
人の心を動かす様を分析しているからこそ、兵器や技術が進歩しようと使える。人の心は普遍的でありながら、解析は不十分である、未知の領域といえます。
その深淵に本作は踏み込んでゆくのです。
人はどうして花のように芳しく咲けないのか?
鳥のように目標へ向かい飛んでゆけないのか?
それは無心になれないからかもしれない。心はいつも人を縛り付け、支配し続けます。
あの台湾の唐鳳(オードリー・タン)は『詩経』と『老子』から大きな影響を受けているそうですけれども、古典から読み解けるものもあります。
東洋の思想書は、心の動きを解析したものが多い。だから古びない。
また、このドラマはコロナ禍に重なることも多いとされます。
コロナ禍だけではなく、現代人が直面するいろいろな事情を掬い取ることができる――そんな作品だと思います。
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト



























