ナポレオン3世から贈られた軍服をまとう徳川慶喜/wikipediaより引用

幕末・維新

原市之進も死なせてしまった慶喜の政治改革|幕末最終局面で何をした?

2021/07/18

幕末の関ヶ原――まさしく天下分け目というべき【鳥羽・伏見の戦い】。

フィクション作品をご覧になられた皆様は、こんなイメージがパッと頭に思い浮かびませんか?

錦旗が翻り、焦る幕府軍。

新兵器にしてやられて、土方歳三がくやしそうに「もう剣や槍の時代じゃねえ」と嘆く。

もし、そうしたイメージが刷り込まれたものだとしたら?

2021年の大河ドラマは『青天を衝け』。

前半部分は渋沢栄一と徳川慶喜の活躍にスポットを当てたものであり、また刷り込みが登場する気配はあります。

それは【徳川慶喜がキッパリと戦いを放棄したから日本は酷い内戦とならずに済み、明治以降の近代化へ臨めた】というもの。

時代の先を読む慶喜が政治にこだわらずサラリと身を翻した――ドラマでは既にそんな雰囲気を漂わせていますが、実際は違います。

史実の慶喜は、幕政改革に取り組んでいます。

要は、江戸幕府を存続させるため手を変え品を変え必死だった。

その結果、薩長に負け、上手く行かなかっただけのこと。

本稿では、そんな慶喜の政治手腕に注目し、幕末最終局面の動向をまとめてみたいと思います。

 


危うい根拠『徳川慶喜公伝』

大河ドラマの影響でしょう。

慶喜のことを誤解させるような記事はすでに出ています。

◆ 幕府に愛着も未練も無かった将軍・徳川慶喜 根源にあった尊皇思想(→link

端的に言えば慶喜を持ち上げている内容であり、問題がありそうな部分を以下に引用させていただきました。

仮に慶喜が江戸で挙兵していれば歴史は変わっていたに違いない。

実際の戊辰戦争以上の激しい内乱になった可能性があり、新政府軍は箱根を越えて進攻できず、箱根を挟んで旧幕軍と新政府軍が睨み合う状況になったかもしれない。東西分裂である。

内乱ないし膠着状態が長引けば、南北戦争を終えて外に向かう余裕の生まれていたアメリカの介入を招き、状況はさらに複雑になっていただろう。

そうした事態にならず、戊辰戦争は短期で終結し、日本は近代化の道を走り始めることができた。そう考えると、近代日本の運命を決めた「明治維新の最大の功労者」は慶喜なのである。

内戦を激化させないため、アメリカの介入を退けるため――まるで徳川慶喜が日本の近代化をお膳立てしたようなイメージです。

これの何が問題か?というと、その根拠が『徳川慶喜公伝』である可能性が高いことです。

『徳川慶喜公伝』は、渋沢栄一や徳川慶喜が関わって作られた伝記本。

第三者からの批判目線は入ってなく、自分たちに都合の良い書き方ができるものであり、実際、慶喜本人がいちいちチェックしてから出版されました。

著者が渋沢栄一ということも大きい。

彼は生まれながらの幕臣ではなく、平岡円四郎に救われ、慶喜という主君を選んだ経緯がある。

明治維新後、福沢諭吉や栗本鋤雲はじめ多くの幕臣が「二君に仕えぬ」と出仕を拒みましたが、渋沢だけは新政府に出仕した。

その際に用意されたのが「慶喜公の名誉回復」という大義名分です。

つまり渋沢栄一は、何が何でも徳川慶喜を名君としなければならない理由がありました。

そうして出版された『徳川慶喜公伝』ですから、他の資料や証言とつきあわせて判断しなければ、あくまで関係者たちの主張に過ぎない可能性が高いのです。

当時の人々は理解していました。

幕府崩壊の原因は、他ならぬ徳川斉昭・慶喜父子にあり、彼らこそ獅子心中の毒虫であったことを。

幕府を立て直そうとした松平春嶽。

松平容保について記録しようと誓った会津藩家老・山川浩

そして苦々しい顔で倒幕を受け入れるしかなかった多くの幕臣たち。

彼らは一様に、斉昭や慶喜に対し、怒りや虚しさを語り残しています。

記録を残せればマシなほうで、その前に落命してしまう人々も大勢いました。

いつしか、ほとぼりも冷める……そろそろ言い分を出しても風当たりは強くないだろう。そんな思惑のもと慶喜と渋沢栄一コンビが世に出したのが『徳川慶喜公』という書物です。

少し長くなりましたが、本稿では『徳川慶喜公』以外の目線から、慶喜の幕末政治について見ていきたいと思います。

 


貧乏くじを引かされた毒虫の子

慶喜は、本当はそもそも将軍になりたくなかった――それは史実とみてよいかと思います。

ただ、いくら本人が嫌がっていようが、それで周囲が納得するとは思えません。

慶喜を将軍にしようと色気を出し、ワクワクしていたのは父・斉昭です。

そのせいで幕末の大変な時期に【将軍継嗣問題】が発生し、大混乱となるのですが。

慶喜は結果的に将軍とならず、徳川家茂が第14代将軍となります。

その家茂が夭折した結果、慶喜が最後の将軍となるのです。

この時点で幕府が詰んでいたことはその通り。

しかし、周囲からすれば「斉昭と慶喜のせいだろ!」と言いたくなる要素が揃っています。

まずは、その辺の事情を押さえておきましょう。

 

斉昭の失敗

まず徳川斉昭について。

彼は幕府にとって多くの爆弾を落としていきました。ザッと挙げていきますと……。

・水戸学由来の【尊王】思想

御三家でありながら大事にされていない。

そんな劣等感を埋め合わせるために、天皇という権威を持ち出したことは否定できません。

斉昭は政局を引っ掻き回すために【戊午の密勅】で朝廷を幕末の政治に引き摺り込みました。

・水戸学由来の【攘夷】思想

外国船を打ち払うなんてあまりに非現実的。しかし斉昭のパフォーマンスに利用されました。

幕閣は諸外国との交易を目的として対応していました。

ひとまず開国して国力増強を目指していたのに、斉昭がことごとく妨害したのです。

・【将軍継嗣問題】

親バカ丸出しの我が子プッシュで、一番大変な時期に政局を混乱させました。

他ならぬ松平春嶽は、後に「ただの親バカに騙された」と苦々しく振り返っています。

将軍継嗣問題
将軍継嗣問題が幕末を大きく動かした|まんが日本史ブギウギ211話

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・水戸学由来、悪夢のような【心即理】と【知行合一】

水戸学は本来、朱子学由来でした。

それがだんだんと広がる過程で、勝手な陽明学解釈とも結びついてゆきます。

陽明学の【知行合一】や【心即理】を「思い立ったらテロもありだ!」と思い込んだ水戸藩士らが【桜田門外の変】を起こし、幕末はテロの血飛沫に沈んでゆくのです。

晩年の斉昭自身すら、手に負えないほどの暴発がそこにはありました。

 


慶喜の失敗

一方、息子の徳川慶喜にも多くの失敗がありました。

それが以下の通り。

・【参預会議】崩壊

【将軍継嗣問題】で失脚していた薩摩と福井の力を借り、合議制の政治を目指した。それが先見の明がある【参預会議】です。

それなのに、慶喜は孝明天皇の信頼を受けていた薩摩・島津久光の追い落としを画策。

泥酔の上に彼らを侮辱し【参預会議】崩壊へ導くという愚行をやらかします。

・孝明天皇ありきの【一会桑政権】

島津久光を追い出した慶喜は、孝明天皇の信任があつい会津藩主・松平容保と手を組むことにします。

容保とその弟であり桑名藩主の松平定敬は、政治力はあまりなく、御しやすかったのです。

・天狗党切り捨て

水戸藩の天狗党を、自己保身のため切り捨てています。

結果、慶喜への信頼性は下落しました。

大久保利通はこの時点で「幕府は滅びる」と書き残しています。

・【薩長同盟】

慶喜に政権から追いやられた島津久光の薩摩藩は、窮地にあった長州藩と手を組み、勢力拡大を目指します。

・孝明天皇に押し切られて【長州征討】をするも、失敗

禁門の変】を許せなかった孝明天皇は、幕府に対して強く【長州征討】を迫ります。

孝明天皇を利用して政治を動かしていた慶喜ですが、いざとなると出陣すらしません。

一方で薩摩と手を組んでいた長州は、電撃的に幕府軍を蹴散らしてしまいます。

福沢諭吉が苦々しく「あのとき何をしてでも長州を潰していれば!」と悔しがった引き返せない地点がここにあります。

 

慶喜の不運

もちろん親子の失敗だけではありません。

天運に見放されたかのような不運なこともありました。

・家茂の夭折

長州征討】の最中、家茂は若くして病死してしまいます。

家茂は慶喜の身勝手さ、朝廷からの干渉に疲れ果て、江戸に戻ろうとしたことすらありました。

暗殺説はないとはいえ、ストレスが寿命を縮めた部分はあったかもしれません。

なお、家茂の妻であった和宮は、あまりに優柔不断な慶喜を嫌っていました。

・孝明天皇崩御

孝明天皇の崩御はあまりにタイミングがよく、かつ不審な点があり、暗殺説もあります。

その死については今後も明かされることはないでしょう。

確かであるのは、孝明天皇の信任ありきだった慶喜が詰んでしまったということです。

いかがでしょうか?

ここまでたどってきて、今まで見てきたもう一度慶喜の弁明なり、擁護を振り返ってみてください。

信じられるものでしょうか?

慶喜は諦めてなどいません。

彼なりに幕政の立て直しに尽力していたのです。

 

ナポレオン3世のようにやればよい

幕府はフランスの支援を受けておりました。

そしてロッシュは、慶喜にナポレオン3世を目指すよう助言したのです。

幕府を立て直し、国力を蓄え、長州藩を潰す――それそのものはよいとして、肝心の中身は?

・六局制採用:陸軍・海軍・外務・会計(貿易と物産)・内務・司法の六部局を採用し、諸侯あるいは賢い旗本幕臣から選ぶ

おおよそ実現されたものの、幕府内からの反発はあって、難航しました。

・軍役令:軍事の増強と銃隊の組織化をすすめ、近代戦に合わせた銃隊組織を作る。

こうした改革はおおよそうまくいきました。

幕府軍はフランスから提供されたシャスポー銃を採用し、幕末最強装備として活躍するのです。

シャスポー銃/photo by Rama wikipediaより引用

『青天を衝け』においても、商才あふれる反幕府の諸藩が高性能の銃を買ったと説明されていますが、正確とは言えません。

戊辰戦争で東軍の藩が、装備面で西軍を圧倒していた局面はしばしばあります。

北越戦争の長岡藩や庄内藩が有名ですね。

【鳥羽・伏見の戦い】の敗因を装備の性能のみに求めることには、無理があるのです。

 

四侯をあしらい【兵庫開港問題】を解決

長州藩は討伐対象だが、薩摩藩はさにあらず――慶喜がそうした認識を持っていたことは重要でしょう。

大河ドラマ『青天を衝け』では長州藩の影が薄く、慶喜は薩摩藩・島津久光をことごとく小馬鹿にしていますが、ことはそう単純でもありません。

そもそも薩摩藩は【将軍継嗣問題】の時点で斉昭らと行動を共にしていました。

しかし【参預会議】で暴発した慶喜が自らその関係性を崩壊させてしまっていた。

薩摩は強力です。彼らを取り込み、歩調を合わせようと慶喜は考えます。

このころ政治の大きな焦点としては、次の2点がありました。

・長州藩の朝敵を取り消し、寛大な処置を行うこと

【薩長同盟】本来の目的ですね。

・兵庫開港問題

もはや開国しかないと決意を固めた慶喜は、孝明天皇が断固反対していた兵庫開港の承認を目指します。

しかし、ここで慶喜の暴走癖が出てしまった。

大坂城でイギリス、フランス、オランダ、アメリカ代表と会談し、兵庫開港すると勝手に確約してしまったのです。

朝廷の意向は無視。

と、この慶喜を止めるべく、薩摩が手を打ちます。大久保利通と西郷隆盛らが久光を上洛させ、歯止めをかけようと画策するのです。

西郷隆盛あたりは『兵庫開港を腰砕けにして、慶喜の権威を失墜させれば、国際的にも見切りをつけられる』と目論んでいました。

というのも、イギリスのパークスは大坂城で出会って以来、慶喜を気に入っていた。その信頼を失墜させれば幕府は一気に苦しくなる。

久光のみならず、四侯全員(島津久光・伊達宗城松平春嶽・山内容堂)も上洛しました。

彼らを二条城に招き、慶喜はお得意のパフォーマンスを発揮。

兵庫開港問題に口を挟み、連名の建議書を提出してきた相手に対し、お得意の弁舌で言い抜けました。

さらには宴席酒を飲ませた上、写真撮影をしてお開きにしてしまったのです。

そしてもう一つのミラクル!

しつこく粘り腰で朝廷相手に交渉し、兵庫開港の勅許を得てしまいました。

しかし交渉は30時間、夜まで及び、相手が疲れ切ったところを強引に押し切ったもの。

まるでマルチ商法の洗脳であり、案の定、周辺は不満を募らせます。

結果、流血となりました。

兵庫開港を吹き込んだのは、側近の原市之進である――そんな名目を掲げた刺客により、原が殺されたのです。

原市之進/wikipediaより引用

中根長十郎や平岡円四郎と同じく、原は、慶喜の身代わりになるようにして討たれたのでした。

 

そして誤算の倒幕へ

確かに、慶喜は優れた人物であるとは思えます。

テキパキとロッシュの進言を聞き入れ、軍を改革し、島津久光らを言いくるめてしまう。

しかし暴走傾向があり、周辺の気持ちをあまりに考えておりませんでした。

手のひら返しがあまりに激しく、相手が抱く不信感や不快感を軽んじている。そんな傾向があまりに強いのです。

多少遠回りになろうと、誠意をもって周辺と強調していたら?

別の形での歴史があったかもしれない。そう考えさせられるのが幕末なのです。

このあと、慶喜は【大政奉還】に向かいます。

もう一度、思い直してみましょう。

ここまで策を練っていた。

大勢の優秀な幕臣も抱えていた。

装備も金も兵もある。

そんな将軍が、幕府に未練も愛着もなかったのか?

そこをふまえ【大政奉還】と【鳥羽・伏見の戦い】を振り返ることも大事でしょう。

 


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【参考文献】
野口武彦『慶喜のカリスマ』(→amazon
野口武彦『鳥羽伏見の戦い』(→amazon
一坂太郎『明治維新とは何だったのか』(→amazon
半藤一利『幕末史』(→amazon
片山杜秀『尊王攘夷:水戸学の四百年』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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