岡田以蔵

幕末・維新

人斬り以蔵と呼ばれた岡田以蔵は実際どれだけ斬った?最後は捨て駒にされ

2025/01/19

「幕末の志士たちで最も熱いのは?」

そう尋ねたら、多くの方が西郷隆盛や勝海舟、坂本龍馬と答えるでしょう。

しかし、ここ数年、一部で大いに盛り上がってるのは彼等じゃありません。

天保9年(1838年)1月20日に生まれた岡田以蔵です。

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幕末の「人斬り」と言えば、薩摩藩の桐野利秋(中村半次郎)が知られる一方、龍馬作品に欠かせないキャラとして人斬り以蔵も昔から著名でした。

マンガ『お~い!竜馬(→amazon)』なんかでも際立った人物でしたね。

昨今の世相を反映してか、関連書籍の『正伝岡田以蔵(→amazon』も一時期はプレミア価格も着くほど売れたという経緯があります。

しかし、岡田以蔵とは一体どんな人物なのか?という疑問も強いようで……。

彼の生涯を振り返ってみましょう。

 


岡田以蔵と四大人斬りの確認から

岡田以蔵と言えば、やっぱり「人斬り」の看板が頭から離れません。

そして「幕末の四大人斬り」というキーワードが、頭に浮かんで来られる方もおりましょう。

そこをアヤフヤにしたまま進むのも気持ち悪いので、最初に四名の基礎データを確認しておきたいと思います。

 


人斬りFile no.1 田中新兵衛

◆田中新兵衛

1832年〜1863年

出身:薩摩藩

身分:船頭の子。商人から武士となった森山新蔵(寺田屋事件に連座し父子で切腹)の持ち船の船頭の子である、と考えられる

流派:薩摩の示現流の一派「薬丸自顕流」とされる

主な被害者:島田正辰、姉小路公知

死因:切腹による処刑、享年23

特徴:幕末前期、薩摩藩「精忠組」が過激な尊皇攘夷派であった頃に暗躍

西郷隆盛や大久保利通らが結成した精忠組(誠忠組)/wikipediaより引用

 

人斬りFile no.2 河上彦斎(かわかみ げんさい)

◆河上彦斎

1834年〜1872年

出身:肥後藩

身分:茶坊主

河上彦斎/wikipediaより引用

流派:片山伯耆流居合術

主な被害者:佐久間象山

死因:処刑、享年38

特徴:華奢な美青年で、『るろうに剣心』の主人公モデルとされる

吉田松陰と東北旅行に行き、【池田屋事件】で犠牲となった宮部鼎蔵に兵学を学び、尊皇攘夷主義者となった。明治時代になってから処刑された。

 


人斬りFile no.3 中村半次郎(桐野利秋)

中村半次郎(桐野利秋)

1838年〜1877年

出身:薩摩藩

身分:薩摩藩城下士の子。同じ上之園郷中には三島通庸(2019大河いだてん・三島弥彦の父)がいる

恋人・村田サト(京都)と映る桐野利秋/Wikipediaより引用

流派:薬丸自顕流

主な被害者:赤松小三郎

死因:西南戦争での戦死、享年38

特徴:殺人だけの男ではないが、あまりに気性が激しいため「人斬り」扱いされているフシがある。会津戦争では、会津藩側に同情し寛大な処置を願い出るほど、優しい一面も。「西南戦争」は、桐野の暴走が起こしたとされ「桐野の戦争」とすら呼ばれたりする。

 

人斬りFile no.4 岡田以蔵

◆岡田以蔵

1838年〜1865年

出身:土佐藩

身分:郷士、足軽

流派:鏡心明智流、小野派一刀流、直指流

主な被害者:井上佐市郎、本間精一郎、森孫六、大川原重蔵、渡辺金三、上田助之丞、長野主膳の愛人・村山たかとその子・多田帯刀

死因:打首獄門、享年28

特徴:おそらく四人のうちで最も「人斬り」の名にふさわしい

 

井伊直弼の元愛妾・村山たかを……

まずは実際に岡田以蔵が絡んだ有名な事件について少し触れておきたいと思います。

以蔵がターゲットとしたのは【安政の大獄】や【桜田門外の変】で知られる井伊直弼……ではなく、その懐刀として猛威を振るった長野主膳の愛人【村山たか】でした。

磔にされた村山たか/wikipediaより引用

彼女は確かに、井伊直弼の元愛妾であり、彼女自身も長野主膳のスパイとして活躍した形跡がありました。

しかし、ひっそりと暮らしてしていたところを晒しものにして、主膳の血を引いているわけではない子供まで斬首したのですから、相当凶悪な事件と言える。

その実行犯が岡田以蔵たちでした。

幕末の京都は、混沌が支配する町。

天誅を下された死体があちこちに転がり、切断した人体の一部が公家の屋敷にまで放り込まれる始末です。

まったくの勘違いで殺される人もおり、まさにテロルの時代でした。

岡田以蔵は、そんな時代の申し子とも呼べる存在です。

彼はなぜ、これほどまで血に飢えた男となってしまったのでしょうか。

 

隼の如き太刀筋

天保9年(1838年)、以蔵は土佐国香美郡岩村にて誕生しました。

年齢的には坂本龍馬の二才下にあたります。

はじめ、以蔵は、麻田勘七直養の門下生として、小野派一刀流を学びました。

卓越した剣筋は入門当初からであり、太刀の早さは「隼(はやぶさ)」と喩えられたほどです。

大男で、動きは素早く、切れ味の鋭い太刀筋。

メキメキと頭角を現す以蔵ですが、郷士の足軽身分となれば周囲からは軽視されてしまいます。

当時は致し方ないことですが、そんな彼を分け隔て無く接してくれたのが、これまた龍馬作品ではおなじみの武市半平太(武市瑞山)です。

武市半平太(武市瑞山)/wikipediaより引用

万延元年(1860年)に以蔵は、武市と二人で九州諸藩を歴遊し、剣客として名をあげてゆきます。

剣に懸けたひたむきな青春がそこにはありました。

志士としてのたゆまぬ向上心も持ち合わせておりました。

文久3年(1863年)には、江戸の桃井春蔵のもとで剣術を学び、以蔵はさらにメキメキと腕前をあげてゆくのです。

 

土佐勤王党の一員として

以蔵が、ただの強い剣客ではなく、人斬りとして名を成したのはなぜか。

やはり幕末という時代のせいでしょう。

文久元年(1861年)、武市が土佐勤王党を結成すると、門下生であった以蔵は一も二もなく参加しています。

武市は身の丈六尺(180センチ)を越える色白の美男であり、滅多なことで感情を顔にあらわすことすらない人物でした。

高潔で愛妻家としても知られていました。寒梅が早春にほのかな香りを放つような、そんな素晴らしい人格者とされていたのです。

以蔵はじめ、門下生が彼に心酔する理由も理解できようというもの。

しかし武市は、その高潔な美男いう顔とは裏腹に、激情と陰謀、そして暴力に手を染める傾向もその身に潜ませていました。

黒船来航以来の混乱の最中、武市は「挙藩勤王」を掲げ、土佐勤王党を結成、政治改革を目指しました。

しかし、当時藩政を担っていたのは、吉田東洋率いる佐幕開国派です。

吉田東洋/wikipediaより引用

ここで武市は門下生に命じて吉田を殺害。

城下に首を晒すという凶行に及ぶのでした

坂本龍馬も土佐勤王党に加盟していた時期がありますが、この血腥いやり方についていけず間もなく袂を分かっています。

武市はこの暗殺でタガか外れたのではないか、とすら思えるほどです。

吉田の死ひとつで、流れが変わったかのようにすら思えました。

というのも、ここから先、土佐勤王党にとって「天誅」は、まるで麻薬のようなものとなるのです。

テロルひとつで時代を動かせる――そう誤解した者たちは、幕末という時代において血腥い行動に手を染めてゆきました。

それは「奉勅攘夷」を掲げた長州藩の過激派たちも同様で……言い方はきついかもしれませんが、彼らは暴力依存症ともいうべき事態に陥ってしまいます。

結果的に勝ち組に属しているため、その罪を問われることはありません。

彼らの時代から、既に150年が経過したわけです。

ここは冷静に認めたいところ。現代でいうところの過激派テロ組織が、勝ち組側に残ったようなものです。

例えば、組織として見ますと、松下村塾も土佐勤王党も、実質的には壊滅に追い込まれています。

やはりヤリ過ぎが原因でした。

 

天誅の季節

では、ここで土佐勤王党が関与したとされる主な暗殺事件を振り返ってみましょう。

いずれも文久2~3年(1862~1863年)の数ヶ月間における凶行です。

【文久2年(1862年)】

◆関白九条尚忠の青侍・島田左近が【安政の大獄】で辣腕を振るった長野主膳と懇意であったとして、田中新兵衛が斬殺

◆本間精一郎が、以蔵と田中によって斬殺される

◆関白九条尚忠の諸太夫・宇郷玄蕃頭重国が、島田左近の同類として以蔵により斬殺

◆島田左近の部下であった奉行所の目明し文吉(猿の文吉)が、「刀を使うまでもない」と以蔵によって絞殺

【文久3年(1863年)】

◆儒学者・池内大学が、山内容堂の招きで講義を終えたあと、待ち伏せた以蔵によって斬殺。

池内は尊皇攘夷思想の持ち主でしたが、「安政の大獄」で処断されなかったのは井伊直弼と通じてたたからと誤解されての殺害でした。完全に濡れ衣です。

池内の耳はそぎ落とされ、中山家、正親町家に「安政の大獄で裏切っただろう」という内容の脅迫状とともに投げ込まれました

◆山城・葛野郡唐橋村の庄屋・宗助が佐幕派であるとして斬首され、土佐藩邸に生首が投げ込まれました。

容堂は「酒の肴にもならぬ、無益の殺生憐れむべし」と松平春嶽相手に嘆いています。そりゃ容堂も、怒りますわ

◆京都商人・平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛を貪欲だという理由で生き晒し

井伊直弼長野主膳の愛人であった村山たかを生き晒し

村山たかの子・多田帯刀は以蔵が殺害

この他にも、井上佐市郎(土佐藩士)や【安政の大獄】に関与した四人の与力、賀川肇(千種有文の家臣)の殺害にも以蔵は関与したとされています。

いかがでしょう?

だんだんと凶行がエスカレートし、死体損壊、武士以外も手に掛け、池内大学のようにどう考えても濡れ衣のような被害者まで出るようになっております。

公家の家に耳、土佐藩邸に生首を投げ込むのは、完全にやり過ぎ。

しかも問題なのは、大義があるとも思えないところでした。

安政の大獄」の意趣晴らしのようなことばかりで、とても【国のため】とは思えない。

吉田東洋の場合、まだ政治的実権を奪うという名目がありました。

しかし、文久2年以降の天誅は「我々に逆らえば殺す」というアピールのための、ただのパフォーマンスに堕してゆくのです。

そして以蔵は、大抵のケースで凶行の先頭に立っていました。

もっとも以蔵は、ただの暗殺者ではありません。坂本龍馬の依頼で、勝海舟を護衛したこともあります。

勝海舟/wikipediaより引用

血腥い切った張ったが大嫌いな勝は、以蔵が刺客を斬り捨てると思わずこう言いました。

「おめえさん、人をやたら斬るのは感心しないねえ」

「俺がいなけりゃ、先生の首こそ、そこに転がっちょったやろう」

さすがにこれには勝も「その通りだ」と認めざるを得なかったとか。

 

「無宿鉄蔵」の死

土佐勤王党は、さすがにヤリ過ぎました。

山内容堂が怒りをため込んでいたうえ、「八月十八日の政変」で尊皇攘夷派が失脚すると、彼らにも弾圧の手が及びます。

中岡慎太郎のように長州藩に保護された者もおりますし、とっくに袂を分かっているため弾圧されなかった坂本龍馬のような者もいます。

坂本龍馬/wikipediaより引用

しかし、その坂本もこの大弾圧には心を痛めています。

以蔵はどうなったか?

はじめは長州藩に匿われていたものの、やけになって酒色に溺れ、借金を繰り返し、仲間から見放されてしまうのです。

所司代を通して土佐藩邸に保護を求めた以蔵に対して、藩の監察役人である小笠原直吉は「こんな男は当藩の者じゃない」と否定。

実は、以蔵は文久3年(1863年)、脱藩していました。

そして所司代によって、額に「無宿鉄蔵」と入れ墨をされてしまいます。

かといって土佐に戻ることもできず、「土佐生まれの土井鉄蔵」という博奕打ちのフリして、強盗といった犯罪的手段を行いながら、京都に潜伏を続けていました。

そんなある日、三条通を歩いていると、土佐藩士が彼を捕縛。

さしもの剣客も、為す術もなく捕らわれてしまったのです。

「俺は無宿鉄蔵や!」

そう抵抗するも虚しく、土佐に送還された以蔵。

高知城下・南会所付の牢屋に入れられ、拷問が始まると、

高知城

他の土佐勤王党の仲間とは違い、なんと以蔵は口を割ってしまいます。

岡田が口を割ることを恐れた武市は、阿片入りの天祥丸という毒を混入した食物を食べさせようとしたとか。

これは流石に反対された、あるいは効果が無かったとされます。

ともかくも簡単な拷問に屈して、悲鳴を上げ、次から次へと土佐勤王党の悪事をはき続ける以蔵。

武市は「以蔵は誠に日本一の泣きみそだと思う」と漏らしています。

斬首直前、これから先は武市とその仲間が処刑されると聞くと、以蔵は嬉しそうに微笑んだ、と伝わります。

慶応元年(1865年)閏5月11日、斬首、獄門。

享年28。

辞世は「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空」でした。

あまりに手を血で汚したこと、自白により仲間に損害を与えたことから、今日に至るまで彼の顕彰はほとんど行われておりません。

しかし、以蔵だけが悪いのでしょうか。

彼を都合良く捨て駒にした武市らは正しかったのでしょうか。

土佐勤王党は、維新の功労者であり、人気がある坂本龍馬中岡慎太郎が所属していたことから、組織そのものの問題点はあまり語られません。

そのぶん以蔵に悪事の責任が集中しているように思えます。

確かに善人ではなかった。

されど根っからの悪人でもない。

以蔵は、組織に使い捨てられ、幕末に咲いた徒花の一つかもしれません。


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【参考文献】
安岡昭男『幕末維新大人名事典』(→amazon
歴史群像編集部『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
『国史大辞典』
ほか

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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