安永3年(1774年)、田安治察が急死――その弟・賢丸(まさまる)も、母の宝蓮院も、すっかり動揺しております。
追悼の意を示す松平武元(たけちか)は「このような老骨でよろしければ」と、謙遜しながら力になると宣言。
すると賢丸が
「では爺、早速だが頼みがある」
と言い出しました。いったい何でしょうか。
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松平武元は頭の堅い老害武士か『べらぼう』で石坂浩二が演じた幕府の重鎮
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大奥工作を行う武元
松平武元は、大奥の頂点に立つ高岳の前にやってきました。
「このような訴えがある」
武元が書状を差し出すと、長い打ち掛けを翻し、それを受け取って広げる――冨永愛さんの動きがまさに眼福ものです。
しかし、彼女もすんなりとは受け入れるわけでもないようで、渋い表情をしています。
と、武元が包みを開ける。
取り出したのは美しい翡翠の香炉でした。
一体どれほどの価値があるのか。これには高岳の目が、鰹節を見つけた猫のように光っております。
江戸時代の武士は、中国由来の品を持つことがステータスシンボルとなりました。
さらに遡って室町幕府のころは、武士のマナーとして中国輸入品をおもてなしに使うことが制定されておりました。
3代将軍・足利義満は「日本国王」として、日明貿易を支配しております。つまり中国渡来品を愛でることは、足利幕府への忠誠にも繋がったのです。
その慣習が武士、ひいては上流のマナーとステータスとして根付いてゆきました。そのため現在の博物館にも、大名家由来の中国製品が並んでいます。
江戸時代も中期ともなれば、武士以外の層でも中国風のモノが欲しくなってくる。その形跡も本作であれば見られることでしょう。
傀儡を抱きながら、ことの経緯を聞いているのが一橋治済(はるさだ)。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用
ニヤニヤとして一体なんなのでしょう。
「賢丸に睨まれ、意次には災難になるだろう」と余裕の笑みを浮かべています。
彼はなぜ、そんな確信を持って言えるのか?
忘八、猫を愛でる
『一目千本』で賑わいを取り戻した吉原では、忘八たちも「さらなる一手が欲しい」と考えているようです。
しかし、これは一体どうしたものか。
なぜか各人が、猫を抱いている……どうやら猫自慢大会のようで、猫の名前を書いた半紙を広げる者がいました。
大文字屋の猫は「蘭丸」、りつの猫は「半助」という名前のようです。
『光る君へ』の小麻呂と小毱も、それぞれ利休と半助と名を変えて再登場。
今年の大河ドラマは戦がないだのなんだの言われておりますが、江戸時代中期を扱うメリットをふんだんに取り入れていますね。
こんなに猫ちゃんが溢れ出すのは、この時代だからこそ!
戦国時代までじゃァ、こうはいかねえんです。
『光る君へ』の平安時代、猫はセレブだけが愛することのできる高級ペットでした。
この状況は戦国時代まで続きまして、戦国大名が「うちの猫こそ最高だ!」と自慢するのは、ステータスシンボルを誇る心理もあったことでしょう。
それが江戸時代初頭に「放し飼いにせよ」と命令が出されます。
すると猫はどんどん増え、人について日本全国へと急速に広がってゆきます。
かくして江戸のペットナンバーワンといえば、なんといっても猫となりました。

歌川国芳『猫飼好五十三疋』/wikipedia
遊郭と猫といえば、元禄時代にこんな伝説があります。
薄雲太夫という伝説の花魁は、猫を可愛がりすぎて、仕事中でも猫を手放さない。
あれは猫に取り憑かれたのではないか?
そう言われ、ついには猫接近禁止令が出されます。すると薄雲太夫は仕事ができないと引きこもってしまい忘八側が折れました。
かくして薄雲太夫は、猫と仕事を取り戻したのでした。
江戸時代となると儒教倫理も浸透しており、猫の逸話にも反映されています。
どういうことか?というと、猫の様子がおかしいと思ったら、主人を庇って蛇や妖怪の犠牲になるというものです。猫はすっかり江戸っ子のおなじみになったんですね。
国や文化によっては、男性が猫を愛することは異常とみなされることもあるとか。
アメリカのトランプ大統領周辺が猫を罵倒に混ぜるのは、そういう文化の名残です。
しかし、東アジア圏ではそんなことはねえ。
猫とおじさんの組み合わせは定番でぇ! 猫を愛するのはやめられねぇ! それが江戸っ子ってもんさ!
てなわけで、悪人ヅラの忘八どもが猫を愛しているこの場面には、江戸文化が凝縮されているのです。
ちなみにこの回放映中も、広島県立美術館では猫の浮世絵を集めた「もしも猫展」が開催中です。
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大江戸猫ミームと浮世絵|国芳一門の猫絵が止まらない
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女郎の錦絵を出してぇんだにゃ
忘八が猫をかわいがりつつ、考えた次の一手とは?
女郎の錦絵を出すことでした。
しかも重三郎にぶん投げるつもりだそうで……これを聞かされた重三郎は、苦い顔をします。
「錦絵は墨摺と違って金がかかりやす……」
多色刷りの錦絵を発明したのは、あの平賀源内とされており、当時はまだ新技術。
カラー印刷となりますので、制作費はばかになりません。
蔦重は、旦那たちに「金を出せるのか?」と確認すると、ふざけた答えが猫語でかえってきました。
「んにゃもんは任せておけ」
「大船に乗ったつもりでいにゃ」
「猫に二言は、にゃあ!」
駄目じゃねえか、こいつら……猫で誤魔化すつもりだろうがよ……。
重三郎は駿河屋にこの話を進めてよいかと念押しすると、こうかえってきます。
「俺を頼るのか? こんにゃ時だけ」

あ、こりゃ駄目だ。
「分かりました、やらせてもらいにゃす!」
そう猫語で承知するしかない重三郎。
おいおい、大丈夫なのかよ……。
ちなみに駿河屋の白猫は金目銀目、オッドアイです。
こりゃてぇした上玉じゃねえか。カワイイなぁ! 名前は「かぐや」だそうですよ。
地獄のような女郎の金銭事情
蔦屋重三郎が外で女郎たちに問い詰められています。
また入銀させるつもりか!と怒りをぶつけられているのです。
どうやら新しく本の企画が立ち上がるたびに入銀させられると理解しているようで、重三郎はなんのことやらわからず、困惑するばかり。もうカモの長谷川平蔵もいないしね。
格子の中から見ていた花の井に、重三郎は話が見えないと訴えております。
聞けば、忘八の親父どもが女郎たちに5両出すよう通達したのだとか。
そんなにかからねぇ……。
重三郎がそうと困惑していると、中抜きする分も入っているんだろ、と花の井がつっこみます。
出たぜ、日本の悪しき伝統「中抜き」がよ!
松の井は凛然とこう言い放ちます。
「女郎たちは打ち出の小槌でありんせん。やるならやるで、わっちらにお鉢が回って来ないような工面の手を考えておくんなんし」
そりゃそうですわな。反論できるはずもない重三郎です。
半次郎の店の蕎麦をすすっているその横で、唐丸が、重三郎と次郎兵衛に女郎の金銭事情を尋ねています。
花魁は一日で十両以上は稼ぐのになぜお金を出せないんだ?と不思議そうな唐丸。
すると次郎兵衛が、そこから抜かれて花魁の手にはさして残らないというカラクリを語ります。
店に持っていかれるし、残った取り分は借金返済のために引かれる。さらには必要経費がかかる。
着物、小間物、布団、家具調度を旦那に頼めなかったら店に借金するしかない。
稼いでも稼いでも金が出ていくのが花魁、年期明けまで勤めても借金が残るなんてザラ――当事者だけに悪どい商売であることがよくわかっていますね。
「地獄のようだね、女郎屋の仕組みって」
そう唐丸がまとめる。確かにその通りですね。
搾取、中抜き……日本の国民性がもつ暗部
吉原の仕組みは、日本の宿痾ではないか?という気持ちにさせられます。
当人たちは、往々にしてそのことに気づいていないのかもしれない。
今でもこういう酷い労働の仕組みは見かけますし、私たちも後世、「どうしてこんな酷い仕組みを残していたの?」と思われるのでしょう。
江戸時代には、良くも悪くも、日本人と社会の仕組みができてきたのかと、今年の大河を見ていると思います。
このころの日本の隣国である清は、世界の総GDPの3割を占めております。
人口も増えてゆくけれど、日本から見れば景気が常に良いような状態であり、そういう豪快な経済状態を展開できる清に対し、江戸時代は半ばともなると停滞しました。
こうした分岐点での対応の仕方が、実は日本人と中国人の国民性の違いに関係するのではないか?と思うことがあります。
中国の伝統行事やモチーフを見ていくと、「元宝」という明清時代の貨幣をかたどったものが実に多い。死者の弔いにも紙で作った銭を燃やす。
お金にがめついようで、それだけ経済が活発であった歴史ゆえのこととも言えるでしょう。中国が貧しくなったのは西洋列強の進出後、長い歴史からすれば、せいぜい近代以降のことに過ぎないのです。
あの関羽も、商人が崇めることで広まったそうです。
華僑は街を作ったら真っ先に関帝廟を建てる。

横浜中華街の関帝廟
中国は共産党が支配するから金儲けを蔑むのかと思われるかもしれませんが、むしろ本質的に金の流れに聡いのではないか?と、歴史や伝統を見ていると思えてきます。
んじゃ、日本人の本質は何なのか?ってぇことですけど。
部屋ん中見回しても、そんなに小判モチーフはないですよね。
神棚や仏壇にせよ、露骨に財神をお祀りするわけでもない。このヒントは江戸時代にあると感じるのです。
余談ですが、江戸時代に関羽は神様として日本に取り入れられ、関帝のおみくじが寺社仏閣でも引けました。ただ、日本での捉え方はあくまで武神であり、財神の性格は薄かったようです。
そんな日本では、財政再建というと「倹約」という考えが染み付いていったのが江戸時代だと思えてきます。
①幕政初期は黒字だった。
②それが大火災やら何やらで、赤字になってゆく。
③そこで吉宗時代に質素倹約をしたら持ち直したように見えなくもなかった。
この「一見、持ち直したように見えたこと」が果たしてよかったのかどうか……。
倹約という名目で、我慢を強いる。儒教らしい上に逆らえない理屈を振り回し、立場の弱い者から搾取する。恩を着せつつ中抜きしたりする。
世の中に出回るお金の総量を増やすのではなく、なんだかよくわからない仕掛けで搾取するようになっていく――そういう日本人の宿痾は、実はこのあたりにあるのではないか?と。
田沼意次はそこを変えようとするも頓挫し、ケチくさいしみったれた金銭感覚は、日本人の骨髄にまで入り込んでしまったんじゃねえか?と。
今年の大河ドラマ、えれぇ苦い良薬かもしれませんぜ。こりゃてぇしたもんだ。回を追うごとに業が深くなる。
そう、そして、ここで食べている蕎麦です!
蕎麦はササッとかき込みます。蕎麦をつゆにたっぷりつけるのは江戸っ子らしくねえ!とも言われますね。ろくに噛まずに飲み込んでいるとかなんとか。
日本料理は実に変わったものでして、この蕎麦といい、寿司といい、天ぷらといい、鰻重といい、江戸っ子のファストフード由来です。

屋台の天ぷら屋/wikipediaより引用
江戸は男性比率が高く、ササッとかきこめる食物の需要が大きかったのですが、それが代表格となっているところが面白い。
繰り返しますが、江戸中期の武士は倹約がモットーであり「喰わねど高楊枝」になります。
貴族はとうの昔に贅沢とは無縁。
歴史の流れで権力者が贅沢な料理を楽しめなくなり、一方で庶民がグルメに舌鼓を打つ――庶民の味が代表格となっているのがいいですよね。
例えばフランスならば王侯貴族の味が有名です。韓国料理であれば『チャングムの誓い』のような宮廷料理。中国料理も満漢全席が最高峰とされる。沖縄料理も宮廷料理が最高ですね。
一方、日本料理は、池波正太郎の作品でお馴染み、江戸の市井の味が代表になる。
実におもしろい特徴なんですよ。
それにしても、蕎麦が実に美味しそうで……江戸っ子風にすすりながら、長い台詞をきっちり話す演技も実に素晴らしいではありませんか。
「ズズッ!」とすする音が出なきゃね。これぞ江戸の粋でしょう!
田沼意次の陰謀
田沼意次が、将軍・徳川家治に「田安賢丸の白河藩へ養子に出す話について、断るのか?」と確認しています。
なんでも家治は治察とそう約束していたのだとか、で……。
「思いもかけぬお言葉……おそれながら上様のご真意をお聞かせ願えれば!」
田沼意次は美丈夫で、誠意を感じさせ、所作も端正です。この姿でこう迫られたら上様も語るしかないでしょう。
家治はとても優しい。もしも何かのことがあれば田安が断絶すると不安に思ったままでは、白河に行けぬだろうと気遣っているのです。
意次は上様の優しさ由来と確信。
さらに家治は大奥からも申し出があったことを明かしてしまいます。
かくして松平武元は、養子の件が取りやめになったことを賢丸に報告。賢丸は安堵しています。
武元が「亡き治察のおかげだ」と礼を言うと、「当主となったあかつきには、兄や吉宗公のように武家の範となる」と賢丸が返します。

賢丸こと松平定信/wikipediaより引用
田沼に気をつけるように……。そもそも白河へ養子の話を持ち出したのは田沼である。思うがままに事を動かそうとしている。
武元は、そう釘を刺すのでした。
田沼意次が眉間を押さえて考え込んでいます。
さすがに今回の件は諦めになった方がよいのではないか?と三浦庄司が具申すると、意次は、意知に田安家の石高を確認します。
10万石でした。
「無駄だ……」
たかが将軍のスペアのために、養うだけ無駄ではないか。田安を潰すという意次の真意を確認して、三浦が驚いています。
既に御三家があるのに、御三卿は無駄と言えばその通り。
意知はここで、倹約をしている幕府にとって、御三卿を潰そうとする父は忠義者の極みといえるかもしれぬと言葉を続けます。
「意知……やるか」
そう声をかけると、意知はかすかに頷きます。
結果的に、幕末になると、一橋家からは「幕府は潰れるべきだった」と明治になってから言い出す渋沢栄一のような連中まで出てきます。
一橋慶喜のやらかしは倒幕につながりますので、そうした方がよかったかもしない――慶喜のことを「豚一」と呼んでいた幕臣ならそう思うところでしょう。
まぁ、御三卿どころか、御三家の水戸家からは、幕府を最も震撼させた大名と言える徳川斉昭を輩出しちゃっておりますけど……。

徳川斉昭/wikipediaより引用
田沼意次の野望
意次の野望も感じます。
彼は確かに正しい。御三卿は無駄です。どうして御三家もあるのに立てたのか?というと、御三家の紀州由来の吉宗が8代将軍になったことは関係があると思えてきます。
吉宗から見ると、御三家には家康の血は入っていても自分の血は入るわけではない。
己の血を引く将軍を確実に継いでゆくために作られた仕組みのように思えてきます。

徳川吉宗/wikipediaより引用
しかし、神君家康の再来ともされる吉宗、ましてや倹約を進めていた吉宗が、そんなエゴ剥き出しで無駄を生み出したとは批判できない。
ましてや彼を神格化する田安賢丸からすれば、とんでもない不敬に思えます。
田沼意次も紀州藩人脈であり、吉宗には大きな恩があります。
しかしだからこそ、気づいてしまったら許せないのか。吉宗のエゴである御三卿にナタを振るいたいように思えます。
それが意次の使命でもある。
金を使うことに罪悪感を覚え、何かといえば吉宗を持ち出されるとなっては、その偉大な吉宗のカリスマを破壊しながら前に進むしかないのです。
田沼意次は意欲的な改革者であり、悪辣な陰謀家でもある。なんとも魅力的ではないですか。
そしてここで思い出したいのは、一橋治済の笑みです。
御三卿でも、田安と違って一橋には田沼との縁があります。意次の弟が家老なのです。
意次が振るうナタは一橋には向かってはこない。ならば利用するだけ利用して、邪魔な連中を始末させればよろしいと。
鱗形屋に相談だ
重三郎は鱗形屋を訪れています。
孫兵衛は『一目千本』を褒めちぎっております。なんでも「見上げたもんだよ、屋根屋の褌!」だそうで。
これはちょっとわかりにくいかもしれません。
褌は下を向いて見るものなのに、屋根を葺いている屋根屋のものとなれば見上げねばならない――。
つまり、自分より本来下のヤツが、見上げるようなすごいことをしたという意味です。ほめてんだか貶してんだか、わかんねぇなおい。
重三郎は裏表がないので、吉原にもちっと客も戻ったと笑顔を浮かべます。
自分の功績にしないで、吉原のことばかり考えている。それにしても素直に思ったこと話しちまうんだね。
鱗形屋は話してくれても良かったとチクリ。重三郎は吉原内々の摺物だから、鱗の旦那様に相談するまでもなかっただろうと答えます。
はい、ここは重要ですね。
吉原の内と外では、流通ルートやルールが何やら違う様子。
狡猾な鱗形屋が「遠慮しねえで相談してくれ」と言うもんだから、重三郎は身を乗り出して、錦絵をタダで作る方法について尋ねます。
蔦重はご丁寧に、吉原で女郎の錦絵を作る話になっているとまで明かしてしまう。鱗形屋が、女郎に入銀させればいいというと、それは避けたいと重三郎が言葉を濁しています。
「……となると俺がおめえにやれるのは、てめえの金玉ぐれえだね」
そうふざける鱗形屋。江戸っ子は下ネタが好きだねぇ。
困惑する重三郎のもとに、手代の藤八が浄瑠璃本を持ってきました。
去り際、鱗形屋は何か不穏な目で重三郎を見ているのでした――。
何気ないようで情報量は豊かな場面です。
まず毎回見惚れてしまう鱗形屋の美しい着物。葡萄色と黒が混ざり合って、動くだけでその濃淡が揺れてなんとも優美です。
そして足袋。当たり前のようで、江戸時代にならないと民衆まで普及しません。
「浄瑠璃本」――この頃は上方の浄瑠璃の脚本などが読み物の中心です。
『光る君へ』の時代からこれだけ時間が経っても、まだ上方上等という気風は残っていたんですね。
「下りもの」という言葉があります。上方から江戸まで降ってきた高級品という意味です。
最高級の酒は灘のもの。
女郎につける名前も『源氏物語』に由来するもの。
物語の類だって、このころはまだ上方の浄瑠璃のノベライズだったというわけで、何もかもが上方が上だという意識は根強い。
それが変わっていくのがまさしく『べらぼう』の時代でした。
様々なもののタイトルに「あずま」と入ることが増えてゆく、自分たちにも誇るべき文化がある――そう確信できるようになっていく時代ですね。
東国意識のあらわれは鎌倉時代をモチーフとしたフィクションにも関わっております。
例えば歌舞伎では、鎌倉時代に関する人物のものが多い。

義経千本桜(江戸市村座・初代歌川豊国画)/wikipediaより引用
歌舞伎ならまだしも、平賀源内も手がけていた春本、要するにエロパロの類でも鎌倉の人物はお馴染み。
江戸のカカアを彷彿とさせる北条政子は大人気でした。
実にしょうもないエロ話のネタにされるようになってゆきます。
江戸っ子の「推し活」需要を狙え!
「何かねえかなぁ」
そうぼやきつつ重三郎が歩いていくと、平賀源内に出会します。

平賀源内/wikipediaより引用
派手な羽織に刀をさして、見るからに源内先生だと重三郎が声をかける。
「あらそう? ハハハハハハ!」
女形のように動きつつ、笑い飛ばす源内。なんでも本屋に用事があったそうで、二人は両国までやってきます。
力士と大道芸人の屋台が目を惹きます。火吹き芸人までおりますね。
最近の源内は“山”に出張することばかりで、新之助のところに転がり込んでいるのだとか。源内は立て続けに、自身の新作『放屁論』(へっぴりろん)を読んだか?と聞いてきました。
重三郎によると、貸本でも奪い合いで、みな、花咲男の屁っこき芸が見たいと盛り上がっているそうです。
この屁っこき男は実在しているとのことで、重三郎は興味津々。臭いけれども大人気だとかで、源内は少し遠い目になって、町娘を見ています。
路考髷(ろこうまげ)の女でした。
源内最愛の人である2代目・瀬川菊之丞が舞台で結った髪型で、若い娘が真似るようになったのだとか。
どうやら瀬川菊之丞のやることはたちまちトレンド入りをしていたようです。
路考髷。
路考結。
路考茶色の着物。
その流行は他にまだあるようで、呉服屋は大儲けしたそうです。
すると、熊吉と八五郎という娘が、花魁の着ている着物を錦絵で見て、「どこの店の何て柄なの?」と欲しがる光景が重三郎の脳裏に浮かびます。
「どこの店の何て柄なの?」
その言葉を胸の内で繰り返し「これだ!」と帯をポンポンと叩く重三郎。そして去り際にこういうのでした。
「先生、あなた、やっぱ天下一の才です!」
「ハハハハ! まぁねぇ」
こうして別れる二人。重三郎は裾をからげて走ってゆきます。
推し活に励む現代人は『こんなヤバいことをするのは自分たちだけだ』と思っているかもしれませんが、さにあらず。推し活は江戸時代に既にあり、推しと同じものを身につけることは定番でした。
『べらぼう』より時代が降ってからにはなりますが、カラフルな錦絵を団扇に使うことも定番。推しの絵を貼り付けて使っていた。
痛グッズ販売は江戸時代には確立していたんですね。
この後、源内が椅子に腰を下ろしていると、笠を被った武士が隣に腰掛けてきました。なんと田沼意知ではないですか。源内も驚いています。
「この手のことは知る者が少なければ少ないほどよいと、父が申しておりました」
そうして風呂敷の中身を託してゆく意知。何か陰謀のにおいがしますぞ……。
新之助の家に戻った源内は、何かの冊子を分解し、何種類もの墨を用いて細工を始めます。
天下一の才人が、その才を悪いことに使っているようです。
ファッションカタログ兼グラビア錦絵を作るぜ!
蔦重重三郎が、忘八たちに策を語っています。
入銀させる相手を呉服屋にしてはどうか?
呉服屋が売り込みたい着物を女郎に着せることにして、吉原はビタ一文も払わねぇ。
広告とクラファンを組み合わせたような戦略を思いついたわけです。
忘八は集まってこのことを話し合います。
大文字屋が錦絵一枚あたりの価格を尋ねてきました。絵師、彫、摺込みで、絵柄一枚あたり1〜2両で200枚刷れる。
と、忘八たちは納得したようで、重三郎が呉服屋の座敷で営業をかけることになります。
どこまで重三郎を酷使すんだよ!
それでも引き受けてしまう素直な重三郎。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
制作チームが同じ『麒麟がくる』の主人公である明智光秀は、主君の酷使に不満を見せておりました。
しかし根っからの陽キャでパリピ、ノリのいい重三郎は引き受けちまうんだよなァ。
宴席営業は基本的に明るくコミュ力を発揮すればいいし、近代到来と経済発展により、外向的な人間がもてはやされる理由がよくわかるってなもんだ。
この重三郎が歌って踊る宴会も面白いですね。
素朴だった『光る君へ』のころと比べて格段にエンタメ度があがっている。鎌倉時代や戦国時代のような殺し合いもない。
重三郎にもてなされる呉服屋たちも実にセンスがよく、典型的なおぼっちゃま顔をしておりますね。
といっても、彼らも商売人です。
元を取れるか算盤を弾いていて、色良い返事はそうそう聞けません。
重三郎は駿河屋に愚痴をこぼします。
大店からすれば三両なんて屁みてえなもんなのになぜ出してくれない!
それを聞かされ、駿河屋は知名度を持ち出します。
名物女郎がいない。江戸で名前の通った者がいない。どこの誰かわかんねぇ女郎が着ても宣伝効果は薄いだろ。江戸のインフルエンサービジネス指南ですな。
納得する重三郎に対し、駿河屋は、おめぇ自身も名前がないと指摘します。いやぁ、痛いところを突くねぇ。
「吉原のケチな摺物屋がまともな錦絵をあげてくるなんて思うか?」
そう言われ、己の甘さを痛感する重三郎でした。
西村屋与八が助けに来て、礒田湖龍斎が絵師となる
するとそこへ、提灯を持った西村屋与八が「もし!」と声をかけてきます。
タイミングが良すぎてむしろ怪しいぞ……。
しかし重三郎は貸本屋として西村屋の顔はよく知っていいます。しかも素直な性格なので、その名前にコロッと騙されちまうんですよ。
手代の忠七にも世話になっているとか。こんなドクターマシリト(往年の少年漫画『Dr.スランプ』の悪役)みてぇな悪人ヅラに騙されちまうなんてよ。
西村屋といえば錦絵で有名であり、吉原でも取り扱っていました。なんでも大文字屋で錦絵の話を耳にして、一枚噛みたくてやってきたそうです。
ここで西村屋は、渡りに船とばかりに、親切すぎることを言ってくる。
錦絵の流通ルートをどうするつもりか?と聞いてくるのです。
吉原と呉服屋の店先だと答える重三郎に、西村屋の流通ルートも使ってみてはどうかと言い出しました。
そうすれば他の本屋でも売ることができる。そう笑顔を見せる西村屋……確かに、これならうまくいきそうだ。
実際、西村屋の効果は抜群で、呉服屋たちもザクザクと入銀をしてくれることになりました。
おまけに西村屋のはからいで、美人絵を得意とする礒田湖龍斎を絵師に頼むこともできた。
当時の美人絵は絶大な人気を誇り、平賀源内のご近所さんでもあった鈴木春信の後釜を模索する時代で、礒田湖龍斎で当てればこの売れ筋で手綱を握れます。
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礒田湖龍斎はどんな絵師で得意ジャンルの「柱絵」とは?『べらぼう』鉄拳
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鉄拳さんが演じる礒田湖龍斎が粋な着物を身につけ登場します。
伸びやかな美女の絵を見つめる重三郎に、西村屋は「板元印」を考えてみたらどうかと提案。これだけの錦絵を出せば立派な板元だと褒めちぎるのです。
「そっか……俺、板元か」
そう微笑んでしまう重三郎が辛い。
こういう純真無垢な若者にクリエイターとしての夢を吊り下げて騙す汚いこの世界が憎い。
これはもう、罠にかかった目ですよ!
板元になる夢と、堂号と
こうして礒田湖龍斎の下絵が完成。
下絵を渡された唐丸は、これに色や模様がつくのか?とじっと覗き込んでいます。
重三郎は唐丸に店番を頼み、源内の元へ向かいました。
唐丸のことを聞いた源内は、絵でも教えてみたらどうかと言います。なんなら源内も描けるんだとか。
しかしこの源内はどこか挙動不審で、戸口の前に立って新之助の作業を見られないよう、重三郎を阻んでおります。何を企んでいるのですかね。
そして源内が出してきたのが『解体新書』でした。

解体新書/wikipediaより引用
この挿絵担当者に教えたのも自分だと言います。
絵師とは小田野直武のことで、秋田藩士である小野田は源内から西洋画技法である「蘭画」を学び、「秋田蘭画」という画風が成立しました。
浮世絵は、中国画の技法を取り入れていたものの、時代がくだるにつれ、こうした西洋画の技法は浮世絵にも取り入れられるようになります。
得意とした代表が葛飾北斎です。
源内は重三郎に今日来た用件を尋ねると、板元としての名前が欲しいのだとか。
「堂号」と言います。
源内は羽織をばさっと脱ぎ、早速思いついた名前を書きます。
文人名のことでも覚えていきましょう。「堂号」や「室号」というのは、その人が暮らす書斎のこと。この書斎で書いたという意味合いで、隠遁思想も感じさせます。草深い庵の中で芸術を手がけているというイメージです。
んなこと言ってもおめえさん、江戸の街中で手掛けてんじゃねえか。
そう思ってしまいますが、都市文化の発達とともに「市隠」という考え方が東アジアでは生まれておりまして。
都市部に暮らしていても心は隠者。気持ちだけでも隠棲して、俗世と縁を断ち切って文化に溺れるんだよォ! そういう気持ちが大事ですから、堂号をつけるわけです。
さて、重三郎は源内から素晴らしい名前をもらってしまったようですが、果たして?
猫の粗相と、唐丸の覚醒
重三郎が駿河屋に戻ると、客足がひっきりなしのようで、休む間もなく、接客しています。
そして何か物音がして、部屋の奥へ行ってみると、かわいい白猫のかぐやが花瓶をひっくり返していました。
「こりゃいけねぇ。え!」
そう元に戻しながら、気づきます。猫が花瓶を倒した敷物の中身は、湖龍斎の下絵であることを……。
「あ、あ、あ、ああああ~!」
絶叫しています。
現代人は猫によりラップトップやキーボードに飲み物をぶちまけられる。テレビ会議に乱入される。
そして江戸時代はこうなる。時代を超越した猫による悲劇を感じさせます。
ちなみに猫道楽浮世絵師・歌川国芳の仕事場には常に5〜6匹は猫がいて、国芳は懐に猫を入れて作画をこなしていたとか。どれだけの作品が猫によって破壊されたことでしょう。

『枕辺深閏梅』下巻口絵における歌川国芳の自画像/wikipedia
そうはいっても、猫は無罪です。花瓶の下に、大事な下絵を置くんじゃない!
「おい……敷物にいいと思ったんだよ」
花瓶の下に下絵を置いた次郎兵衛が語っています。この馬鹿野郎が……。
重三郎が、無の境地で下絵を広げていると、唐丸が「直してもよいか」と尋ねてきました。いったい何のことかと戸惑う重三郎。
唐丸はおずおずと紙と筆を取り出すと、かぐやを抱いた次郎兵衛は「描けるわけない」と言います。
それでも唐丸は止められない。
真剣なまなざしで一本一本を線を描き、気がつけば本物そっくりの絵に仕上げてゆきます。
重三郎は放心状態で、その姿をじっと見るしかない。
それはまさに奇跡、元の絵にしか見えない!と重三郎は驚いています。なんでこんなことができんのか?と次郎兵衛も尋ねてきます。
「え、な、何でだろ?」
どうやら唐丸自身も驚いているようで。
「お前はとんでもねえ絵師になる! 間違いなく、なる! いや、俺が当代一の絵師にしてやる」
「お、お……おいら、絵師になるの?」
重三郎にそう言われ、戸惑う唐丸。無理やり押し付けられたくないか!と重三郎が謝ると、その逆で、唐丸は嬉しいのだと返します。
「おいら、そんなこと言われたの初めてだから」
そうして残りを仕上げてゆく唐丸です。
唐丸の正体は?
唐丸とは一体何者なのか?
正体論争がSNSなどでも盛り上がっていますが、答えはこの一択でしょう。
○ 喜多川歌麿
SNSやその投稿を取り上げたニュースでは、以下の名前も出ております。
× 葛飾北斎
× 東洲斎写楽
どうして北斎や写楽ではなく、歌麿だと言い切れるのか?
まず、北斎は勝川派出身です。重三郎プロデュースで売り出すのとは違うでしょう。

葛飾北斎82歳のときの自画像/wikipediaより引用
写楽は売り出し失敗枠ですし、年齢差的にも厳しい。
状況証拠としては、序盤に出番がない喜多川歌麿の本役である染谷将太さんが初期にキャスト発表されています。
「浮世絵ミステリー」の歌麿回のナビゲーターも染谷さん。もう、これは確定でしょう。
むしろ気になるのは、重三郎がこれからどう名を上げていくか?
大事な唐丸を大々的に売り出す。師匠にはついていない。そうなれば重三郎がいかにして盛り立てていくか、という戦略が大事になってきます。
そこまでして掌中の珠のように育て上げていく唐丸との関係がどうなっていくのか。
これが『べらぼう』の大きな見どころになるでしょう。
東京国立博物館で開催されるた特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」では、横浜流星さんと染谷将太さんがそれぞれ音声ガイドナビゲーターと、広報アンバサダーに就任するとか。
蔦屋重三郎と喜多川歌麿――もう、このコンビは重すぎる関係になることは確定でしょう! 期待大ですね。

ライバル・鳥文斎栄之の描いた喜多川歌麿/wikipediaより引用
こうして唐丸の覚醒により下絵を板木に彫り、試し摺りまで進みました。
湖龍斎本人にもバレていないようで、仕上がりに満足しています。
安堵する重三郎に、西村屋が「板元印は決まったか?」と声をかけてきます。
恭しく差し出す重三郎でした。
目的のためならば公文書偽造をする田沼意次
重三郎が板元印を差し出すタイミングで、源内が何やらあやしげな成果物を田沼意次に提出していました。
「覚 両家処置之事」
頁をめくりながら、「はなからここに書かれてあったようだ!」と満足する意次。
なんでも源内による匠の技だそうで、使う文字を文書から拾い出し、墨の色を合わせ、紙に圧を掛け、抑え、馴染むようにする。
そこには吉宗の署名と花押がありました。
花押とは偽造防止のようで、実は細工次第でできるのでは?と思えてきます。
この時代は印章文化への切り替わりでもあります。花押ではなく、篆刻で作られた印鑑を押すことが文人のトレンドとなっていった。
中国明代後期に生まれた篆刻文化が日本でも花開くのです。
印章文化は古代からあり、日本にも中国から伝わり、その象徴が「漢委奴国王印」ですね。

漢委奴国王印/wikipediaより引用
『光る君へ』でも朝廷からの文書に大きな印が押されていました。
それがいったんは廃れながら、再浮上するのがこの時代。板元印は押すのではなく彫りますが、印章文化のあらわれとも言えます。
さて、この偽造文書を前に、三浦庄司が懸念を表明します。
もしも賢丸がこの文書を先に読んでいたら気づかれるのでは?というわけですね。
しかし意次は自信たっぷりに、書庫から取り出してきた吉宗公文書は分厚く埃を被っていたと返します。つまり、誰も読んでいない。
「吉宗公、吉宗公と崇め奉るが、お手ずからの文書にすら目を通しておらぬということよ、皆も、あの小僧もな」
こう語る意次からの口ぶりには軽蔑も滲んでいますね。
血筋を盾に取り、吉宗を掲げてくるものの、実はその志も何も理解していないではないか――そうした軽蔑が含まれているように思えます。
田安賢丸、田沼意次を深く恨む
田沼意次に差し出された源内の偽造文書――賢丸が該当箇所を読んでいます。
田安、一橋両家の後継者がいなければ、当主を置かずお家断絶にする。御三卿のうち清水家は家重の子なので、吉宗の時代にはまだありません。
・吉宗は家重の体がすぐれないことを危惧して家を設けた
・それを面白くないと家重が機嫌を損ねた
・そこで吉宗自らが一時の措置と家重に弁明した
吉宗はそういう意向であったと田沼意次が説明すると、吉宗の代から仕える松平武元は「記憶にない」と反論します。
本丸での出来事だったため、西の丸にいた武元の耳には届かなかった。
そうしらを切り、立て板に水で偽造文書を示し、さらに賢丸に「これを手に取ったことがあるか?」と尋ねる意次。
「近々見ねばと思っておった……」
そう返すしかない賢丸です。
上様もご存じなかったとフォローのようでそうでないことを言う意次。そのうえで「知らぬは己の落ち度」と認め、賢丸が田安に戻るのであれば、約束は戻ると言います。
しかし意次はわかっている。何事も原理原則と言いたいこの手合いは、そうしない、できないと。
「あとは賢丸様次第」
「私、次第……」
意次は賢丸様が敬服してやまない吉宗公のお定めを蔑ろにしてまでも、田安に戻りたいのかと問いかけます。
項垂れるしかない賢丸。
意次はその側で「お返事は急ぎません、今一度、お考えください」と促し、立ち去るのでした。
武元は、意次の言葉など気にせず、上様もお構いないと仰られるのだから、堂々とお戻りになればよいと促します。
「然様なことをすれば後ろ指をさされよう! なぜ足軽上がりにあそこまで愚弄されねばならぬ!」
そう怒り狂います。
「今に見ておれ、田沼……」
そう悔しげに声を絞るのでした。
いよっ、耕書堂!
できあがった錦絵をみて、重三郎はうれしそうに「耕書堂」の印に触れています。
唐丸がその意味を尋ねると――書を以て世を耕す――板元として、日の本を豊かにして欲しいという、源内の壮大な意図が込められた名前でした。
それだけでなく「唐様」でもあるのです。
江戸時代にはこんな川柳がありまして。
売り家と 唐様で 書く三代目
日本風のお手本である御家流ではなく、あえて中国風の文徴明や董其昌といった唐様で書く。
日本語の語順なら「家を売る」となるのに、漢文の順序である「売家」とする。
つまりは中国風の文化にかまけて本業をしなかったせいで、家を潰したボンボンを皮肉った川柳です。
そういう外国風の学問ど真ん中にいて風を吹かしているのが、平賀源内でした。
蘭学もやるし、漢学も得意というのが最新トレンドの源内先生。
彼の思いつきがなければ、こんな洒落た名前にはおさまりませんぜ。いいものをもらいましたね。
次郎兵衛も唐丸も、感心して「耕書堂!」と呼び、重三郎を送り出します。
「よっしゃ〜!」
そう気合を入れながら重三郎が向かう先は……。
「定」:部外者として排除される耕書堂
呉服屋の旦那様の前で、出来上がった錦絵をお披露目します。
すると、どういうわけか、西村屋だけでなく、鱗形屋と鶴屋という商人も来ているとか。
他のドラマからのキャストネタはあまり書きたくないですが、この並びは『麒麟がくる』の今川義元と徳川家康であることは指摘せずにはいられません。
つまり、倒すには、織田信長になる必要があるってコト……桶狭間はいつ実現しますかねぇ。
とりあえず、この地本問屋が並ぶ中、改が始まります。
花魁も美しい。着物も鮮やかだ。錦絵らしい極彩色の絵が目を惹く。
こうして『雛形若菜初模様』として、シリーズ化が進められることになると宣言され、西村屋とともに進めていくと重三郎の口から宣言されます。
しかしここで西村屋が、こうきたぜ。
「あの……今後はこの『雛形若菜』、手前の一人の板元とさせていただけませんでしょうか!」
なんだってェ!
重三郎が困惑していると、西村屋は「定」を軽く見ていたと言います。西村屋さえ入っていれば、耕書堂も板元に入れられるかと思っていた。
困惑する重三郎に、鱗形屋はこうきた。
「市中では、地本問屋の仲間のうちで認められた者しか、“板元”はやってはならぬと“定”になっておってな」

画像はイメージです(地本問屋の様子/国立国会図書館蔵)
りつがここで、蔦重は『細見』の改もしていると反論します。
あれは「改」だからよい。しかし「板元」となるとよろしくない。発行人となることはまかりならないんだそうで……ポカンとしている重三郎。
『一目千本』はどうなのか?
そう尋ねられると、鶴屋は吉原内部での配り物なのでよいと見解を示します。
しかし、この本は別。市中の本屋、絵草紙屋で売ることはできかねる。穏やかな口調できっぱりとそう言います。
重三郎はこれでやっと、自作本は市中で売り広めができないと理解しました。
鶴屋は丁寧に、板元をやる地本問屋は互いに作った本や絵を、互いの店で売り合い、広めることで利益を出していると。その仲間に入っていないこの絵は扱えないというのです。
西村屋は仲間だと重三郎が反論すると、西村屋は苦しそうに「手前一人なら売り広めができる」と言います。
つまりは、蔦重が、市中での売り広めを妨害している――呉服屋の旦那たちも、そう話を飲み込んでゆきます。着物を売るには市中が欠かせないと困惑し始めました。
重三郎はまだ粘り、仲間のうちに認められたいというものの、鶴屋は苦い顔で断ります。
風間俊介さんの怜悧な顔、その冷たさが効いてきますね。
さすがに重三郎は限界だ。
あとから来た奴はどうすりゃいいのか! 板元にはならねえのか!
そう問い詰めると、鶴屋は耕書堂が板元になることは今後まずないとまで言い切ります。
こうなると空気が、重三郎排除に動く。忘八の親父どもが「手を引け」と圧をかけるようなことを言い出す。
「ふざけんなよ……ふざけんじゃねえよ!やったの全部俺だろ、考えたのも、走り回ったのも全部!何で俺だけ外れなきゃいけねえんだよ!んなおかしな話あっかよ!」
たまりかねて叫ぶ重三郎。
駿河屋が重々しく言います。
「吉原のため。錦絵が広く出回ることが吉原のためだ……」
下を向き、涙を堪え、顔を上げて前を見るしかない重三郎。
「吉原のため、いいものに仕上げてくだせえ。では」
そして深々と頭を下げると、その場を去るしかありませんでした。
残された連中の笑い声を背後に聞きつつ、重三郎は吐き捨てます。
「何が吉原のためだよ……忘八が!」
重三郎は吉原で生まれ、そのために突っ走ってきました。
しかし、そこから江戸市中という外の世界と、本を作る可能性を見出してしまった。自分一人だけでない唐丸を絵師にする夢も見えてきた。背負うものは吉原だけでなくなってきました。
何かが変わりつつありました。
「手のひら返しやがって、寄ってたかって梯子外しやがって!ちくしょう、ふざけんなよ、べらぼうが!」
そう怒り狂う重三郎でした。
欲望にからめとられる悪人ども
そして西村屋と鱗形屋が……。
「うまくいきましたねぇ。おめえさん、いっそ中村座にでも入ったらどうだ?」
鱗形屋が冗談めかして西村屋にそう言います。
西村屋は「鱗形屋こそ芝居が上手」と笑っている。
そう、つまりは全部、仕組まれていたってことですね。
鱗形屋から「うめえ話だったろ?」と言われ、「ここまで大化けする話とは思わなかったよ」と応じる西村屋。
うめえ話というか、あまりにいいタイミングで西村屋が来たとは思ったぜ。やるせねぇ……。
西村屋は鱗形屋に、今後どうするか聞いてきます。
酒をくいっと飲み、口を拭ってからこう言う鱗形屋。
「俺はよ、あいつごと、この吉原を丸抱えにしてえのよ」
何を企んでいるんだ!
それにしても、この時点で打開策は見えてくる。ナントカとハサミは使いよう。
「定」もそう。これを利用して、どうにかギャフン!と言わせられねえもんでしょうか。
抱え込みたい、儲けたい――そう稲荷ナビが説明すると、燃えて苦しむ男の悲鳴が聞こえてきます。
秩父・中津川高山で事件が起きているようです。
このチームは本当に人を燃やすのが好きね。江戸時代中期なのにこれで二度目か。
その山で一儲けしたらしい源内は、新之助に小判を渡して、吉原のうつせみに会いにいくよう促しています。
そこへ平秩東作という、内藤新宿の煙草屋があわててやってきます。
なんでも山が大変なことになっているとか……。
MVP:蔦屋重三郎
なぜ、蔦屋重三郎が主役になったのか、腑に落ちました。
彼は善人なのです。
他の連中、忘八も鱗形屋も、女郎に入銀させて当然だと思っている。
しかし重三郎は違う。抗議が入ると反省し、それだけは避けようとする。
これがどれほど素晴らしいことか。
令和の日本だって、クレームを入れたり、搾取されたと訴える相手が女性というだけで、まともに取り合わない輩なんて掃いて捨てるほどおりますよね。
そして頼まれたら右へ左へ走り回り、目的を達成する。
営業としての接待から、成果物の管理、はたまた経理としての役割まで。彼こそ「全部やった」と言えるだけの働きをしているのです。
そういう彼の才能とやる気が、ジュルジュルと吸い上げられる様には胸が抉られました。
彼をうまく乗っけて利用するだけ利用した、地本問屋は地獄行き相応でしょう。
吉原のためだと大義名分を振りかざす忘八も同じ……と、なぜここまで怒るかというと、思い切り感情移入してしまったのです。
今回の重三郎の災難は身に覚えのあることであり、まさか大河主人公の災難にここまで感情移入する日が訪れるとは思いもよらないことで、のたうち回りたくなったほど辛い回でした。
そうなんだ。やる気を搾取されて、ほとんど自分が作り上げたようなものでも、名前と肩書きがもっと立派なヤツのものということにされ、ポイ捨てされて経歴にも残らない。
あるあるだ……なんて酷くて、世の中変わらないと思わせる話なんだろう……そう悔しさが目一杯こみあげてきまして。
でも、ここで終わらないからこそ、彼は主役になれた。
蔦屋重三郎のえらいところは、クリエイターにとって夢のような菩薩発注元になるところでして。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
彼は唐丸を見出し、プロデュースすると言い切りました。
これは有言実行で、彼は目をつけた相手は衣食住の面倒を見て、それはもう熱心に売り出します。
才能を搾取するのではなく、一緒に歩んでいこうとする。そういう立派な人なのです。
今回出てきた西村屋は、しつこいようですがドクターマシリトみてえなふてぇ野郎でして、悪徳編集者のはしりのようなことを言い残しています。
「俺らが売り出してやるから名が売れる。なら、クリエイターに頭を下げることなんてないじゃない」
そういう性格の悪さ、蔦屋重三郎からは全く感じないでしょう。
クリエイターが理不尽な目に遭ったら、「蔦重を見習いましょうよ!」と言えることは貴重です。
自分の屈辱を重ねられる作品だって貴重です。
ありがてえ、今年の大河はありがてえよ。
彼の菩薩ぶりは、最終盤、労働者として性格最低ランクに入る曲亭馬琴を雇用する姿からもあらわになることでしょう。
その馬琴ですら「みんなを幸せにする」と評した彼は菩薩ですぜ。
どの雇用主もみんな蔦重みてえならいいのに。それが西村屋ばかりでは日の本はよくならねぇ。そう「耕書堂」の説明を聞きながら思いました。
そして、そういう江戸時代のように属人的なことばかりに頼っていてはよろしくないので、法律や労働組合はあるわけです。
そんなところまで色々考えさせられるドラマです。
総評
フジテレビが荒れに荒れている中、吉原を舞台にして美化する大河ドラマは打ち切りにすべきだという意見がSNSを流れてゆきます。
しっかり見ていないのだろう、と推察できます。
なぜなら、本作が吉原の「光」だけを描いているとすら言われているのです。
初回では「吉原に好き好んでくる女はいねえ」という台詞がありました。ところが批判側からすると「客寄せに全裸を使ったからいかん!」となる。
それは「光しか描いていない」とは別の理由ではないでしょうか。
2回では、飢えて放火する女郎も出てくる。
3回では、梅毒や肺結核に苦しむ女郎も出てくる。
そして4回では、噛んで含めるように女郎搾取の構造が説明され、それを唐丸が「地獄だね」とまとめておりました。
むしろ丁寧に説明していまして、劇中で説明していた内容を「本当の吉原はこんなに酷いのに!」と語っている投稿もあります。
お前さん、さては見てないね?
そう内心思うところではあるのですが、めんどくさいのでいちいち訂正するのもね。
それに毎回毎回、主人公は女郎の境遇改善のために奔走しているんですよ。
時に暴力制裁まで受けてもめげずに動いている。そういう目の前の困窮を救う義侠心があるるわけじゃないですか。
それなのに「主人公が吉原の構造を変えないから批判は当然ではないでしょうか?」とかなんとか小憎たらしい理屈を言われると、ああ、この人は、お利口だし、人権意識もあって、面接で正解を出せるタイプなのかもしれないけど、義侠心ってもんがねぇんだなと思ってしまいますよ。
困った人が目の前にいても、なんやかんやと理屈をつけて素通りしていくタイプなんだなと。
そういう義侠心がない相手とはこっちも付き合う気はないんで、別にいいんですけどね。
そもそもとして、歴史劇を見ていて現代人しか選択できない解決策を語り出すのは「定」違反です。基本的な話です。
搾取されているのは吉原だけではないと私は指摘してきました。
今回はラストの場面で炭鉱夫が事故で燃えていました。
重三郎も思い切り搾取される様が描かれました。
本質は、経済の発展と共に労働や人間への価値の付与が極端になっていくこと。それに伴う人権軽視だと私は思いますが、いかがでしょうか。
ここまで丁寧にじっくり女郎の搾取を説明しても、ともかく放映中止、美化だとSNSでずっと書いている人は、大河を燃やして注目を浴びたい、バズりたいのかな?としか思えません。
開き直るように「こんなものは見る価値がない!」といったことを書く人もいますが、それでどうして中身の判定ができるのでしょう。
私はたとえば2015年大河は、もう、おにぎり推しの時点で嫌な予感しかしませんでしたけど、完走した上で最低だとみなしたものです。
長い道になるから、そうおいそれと進めるわけにもいきませんけどね。
それとこれだけは言っておきたい。
今年の大河は考証や所作指導が近年でも上位に入ります。それなのに「全員が下品すぎて武士と町人の区別がつかない」といった批判も見かけて、びっくらこいております。
江戸中期ともなれば、武士でもべらんめぇ口調だとか、武士といっても上から下まで色々だとか。
プライベートでくだけた態度の田沼意次でも、上様の前では折り目正しくなるとか。
反論は山ほどありますが、とりあえず発言者があまり日本史にも時代劇にも興味がないことがわかりました。
これは同じスタッフの『麒麟がくる』の衣装批判でもありましたが、作り手が正しいのに、受け手の知識が追いついていないとミスだとみなされてしまうことがある。
今年の大河ドラマ周辺を見ていると、歴史知識は大丈夫だろうか、江戸文化を尊重したいという気概すらもう尽きつつあるのかと不安になることもあります。
ただし、悪いことばかりでもありません。
フジテレビがこうなっている今、むしろ時流に適していると思えるようになりました。
松の井は「打ち出の小槌でありんせん」と言い切りました。
他の女郎も重三郎に食ってかかりました。
そうきっぱりと意見を表明することで、事態は良い方向に動いています。
女がおとなしくしているべきだというのは、儒教規範を真面目に遵守した武家の女性には通じても、そうでない人も多い。
江戸の女は気が強く、自己主張するからこそできたこともあります。
彼女らの強さは見習うべきものがあります。
田沼意次の改革者としての取り組みは見事です。
しかし、その過程で卑劣な手段を用いたらよろしくない。
昨今はどうにも、目的のためならば手段を選ばないことを肯定する時勢があるように思えます。
それでは滅びる因果応報まで、このドラマでは描かれることでしょう。
贈収賄。
中抜き。
労働者搾取。
労働に対する対価でなく、格付けを重んじる。
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経済の底上げをするのではなく、自分さえよければいいと誰かを蹴落とし、それこそが賢いのだと思っている連中が本作では悪どい描かれ方をします。
これぞまさに、口に苦い良薬じゃねえですか。
期待を裏切られるどころか、毎回毎回、その斜め上をすっ飛んでいく、すごいものを見させてもらっておりやす。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





