尾張へ商談へ向かっていた蔦屋重三郎。
書物問屋の永楽堂東四郎から俳諧の楽しみを教えられています。
すっかり仲良しになったようで、コミュ強の蔦重はぬかりなく販路の拡大に成功したのでした。
招かれざるオロシャ船がやってきた
そのころ松平定信はオロシャ船来航の報告を聞いています。
江戸ではないだろうか?と確認すると、蝦夷地のネモロ(根室)とのこと。
定信の懸念も理解できます。
ロシア人が日本に初めて来訪した記録は元文4年(1739年)、シパンベルクでした。
上陸箇所は陸奥国(現宮城県石巻市)にある網地島と、安房国(現千葉県)の天津。
つまりロシア船が江戸まで来る可能性がないわけじゃない。
定信への報告によると、オロシャ船には漂流していた日本人も乗せられているとか。大黒屋光太夫たちのことです。

大黒屋光太夫と磯吉/wikipediaより引用
松前藩の場所請負制は、金にめざとく野心と先を読む商人を呼び寄せており、かれらの商売の過程でこうしたこともあった。
外国船が日本に渡航する際「漂流民を送り届ける」という名目が加わったことも重大でしょう。
善意で相手の国民を送り届けるのですから、それを拒否する幕府の対応はあまりに理不尽。
そうした行動への抗議は、相手国のみならず海外事情に詳しい日本人からもあがり、紛糾と弾圧に繋がってゆきます。
今回は「漂流民だけ受け渡せばいい」と思いきや、そうでもないようでして……なんと国交を開き、通商を目指したいというエカチェリーナ2世から親書を持参しているとのこと。

エカチェリーナ2世/wikipediaより引用
このエカチェリーナ2世という女帝の噂は封じ込められず、工藤平助の娘であり、江戸時代を代表するフェミニスト文人と言える只野真葛は、大いに感銘を受けております。
定信の前に居並ぶ幕僚たちはこう考えます。
この際、国交と通商を認めてもよいのではないか? 半ば公然と行われている松前の抜け荷よりもマシともいえる。
すでに幕府はアイヌの窮状を救うべく江戸版フェアトレードと言える「御救交易」も行っており、その拡大だとみなすこともできます。金銭だけでなく政治的な意図も含めた交易ということですね。
しかし……。
「ならぬ!」
定信はロシア船を江戸に入れることを断固として拒絶するのです。
定信には定信なりの理論はある。彼は艦砲射撃を警戒しているのかもしれません。当時の大型戦艦の定番戦術であり、木造建築が集中している江戸は火災が発生し、これだけでも滅びかねません。
さらに「通詞は誰か?」と定信は疑います。
大黒屋光太夫だとの回答を得ると、「ロシアと内通しているのではないか?」と訴えます。
松前藩とロシアの同盟関係も気にしている。実際、当時もこうした噂も流れていたようです。
定信は皆を退け、御公儀がネモロで対処すると宣言。
松前の立場がないと訴えられても、松前の当主を隠居させると言い切ります。松前道廣は問題行動ばかりなので仕方ないとも思えなくもありませんが……。
さらに尊号一件の知らせが届きます。
結局、帝は尊号を許すつもりとの報告を受け、苛立ちをたぎらせた定信は、武家伝奏を呼び出すように伝えます。
「禁裏御料」という金を吊り下げ、脅すことにしたのでした。
定信は全部正しくて、全部まちがっている
ここでの松平定信は、大変勉強になる描かれ方をしております。
彼の言うことは全部当たっています。艦砲射撃の威力は凄まじい。それに対し海上から見た江戸の防衛はあまりに脆弱であり、定信の懸念は正しいのです。
実際、幕末に起きた生麦事件では、幕府と江戸近辺が大騒動になりました。
幕閣は、江戸の防衛があまりに甘いことをよくわかっているので、対策に追われたわけです。

艦砲射撃の様子/wikipediaより引用
ならばさっさと国交と通商を認めればよいのでは?断固として拒否するのは不条理なように見える……ようでいて、理屈は通っています。
世界史的に見ると、当時は西洋と東洋の経済的優位性が逆転してゆくターニングポイントです。
劇中の時代より少し前に崩御したのが清の乾隆帝となります。
彼はイギリスからの交易要求をあしらいました。イギリス側に理不尽なほどに儀礼を押し付けたと言ったことが取り沙汰されますが、理由はもっと単純です。
イギリスにとっては垂涎ものの宝が中国にはたっぷりとある。
一方、中国から見ればイギリスから買いたいものはありません。
この東洋の方が豊かな状況が、西洋の工業化と植民地獲得により逆転してゆくのです。
イギリスを例にとってみましょう。
植民地インドで綿花を育てる
↓
イギリスで機械織の綿布を生産する
↓
綿布を輸出する
かくして西洋諸国は世界史の中で急激に存在感を増してゆき、他の地域から交易を通して富を吸い上げるようになってゆきます。
ただでさえ、江戸幕府は貿易赤字が悩みの種でした。ここで西洋と交易を始めたら、富を吸い尽くされてしまう危険性はあります。

ウィリアム・ホガースの版画『勤労と怠惰』/wikipediaより引用
通詞とロシアが通じる可能性も、疑心暗鬼とも言い切れない。
実は日本の歴史を探ってゆくと、ヨーロッパ諸国で最もインテリジェンス戦が繰り広げられてきた相手国はロシアでした。
幕末に注目してみますと、吉田松陰のアメリカ密航失敗は有名ですよね。
そんな吉田松陰と同じく、体当たりでロシア密航を企て、成功したのが橘耕斎です。
そうした前例があるためか、文久遣欧使節が滞在したヨーロッパ諸国において、ロシアだけが堂々と「我が国で働かないか?」と幕臣たちにスカウトをかけてきたとか。
松前藩とロシアの同盟関係について、これも幕末のことでも。北の松前藩でなく、南の薩摩藩がイギリスと手を組み討幕を達成しました。
定信が抱いた懸念の答え合わせができるのは、2027年『逆賊の幕臣』です。
定信は、江戸防備計画も立てていましたが、実現しないうちに失脚。
その後、定信ほど実行力のある幕臣は登場せず、対応を先延ばしにした結果と小栗忠順ら幕臣は向き合う羽目に陥る。
ロシア軍艦ポサドニック号事件に翻弄される小栗の姿は、その苦い結果といえるでしょう。
小栗は幕府崩壊の原因をこうまとめました。
「“どうにかなろう”。この一言が幕府を滅ぼしたのだ」
再来年、小栗が幕府崩壊に直面するとき、先延ばしだけは避けたかった定信の姿が思い出されることでしょう。
しかし、同時に定信は全部まちがっているともいえる。
それは独断専行です。

松平定信/wikipediaより引用
定信の知識と判断力に周りの誰もが追いつけていない。そこを落ち着いてゆっくりと説明すればよいものの、定信としてはもうわかりきったことを語るのは無駄に思えてきてしまっています。
艦砲射撃の威力だとか。西洋の国力だとか。そういうものを説明するのがめんどくさい気持ちはわかるんですよ。
ええ、わかります。こんなもんちゃっちゃっと「定信は感じ悪い、空気読めない!」で済ませられますよね。
しかし問題の本質はそこではないはずです。
定信はそこを噛み砕いて説明し、自分は間違っていない、正しいんだと言いたい。それを省き、擦り合わせをせず、かつ態度が悪すぎるから損をしています。
説得してもどうせこいつらは聞いちゃいない。だったらすっとばして話を進めてしまったほうがいい。
そういう発想がまずい。
彼にはそうできる権限はあります。その保証となる老中首座という地位は彼にとってよかったのやら。
もしも彼が念願通り将軍になれていれば、アップデートした吉宗の再来として幕政立て直しを実現できたかもしれませんが、老中どまりではそれも難しい。
では、生まれた時代も早すぎたのか?
定信の目だけには来たる時代の変化が見えているのでしょう。だからこそ、こうも焦っている。しかし、他の人にはピンとこない。これも問題の一因ではあります。
では、もしも定信が幕末にいたらどうであったか?
あるいは定信の再来は幕末まで出てこなかったのか?
『逆賊の幕臣』がその答えになるのでしょう。
結論から申しますと、定信のあと、彼ほど強硬な態度を取れる幕僚はなかなか出てきません。
幕末になってやっと出てきたうちの一人が、小栗忠順ともいえる。

小栗忠順/wikipediaより引用
家柄が「三河以来」でかなりよい。文武両道。最高学府の昌平黌へ進んだエリートです。
言動に相当な問題があったため、平時ならば変人として埋もれていたかもしれません。
しかし時代は幕末です。
ズケズケと正論を繰り返す様が、かえって井伊直弼の目に留まるという展開になる。
正論ゆえに疎まれた定信とは違い、出世の糸口となるわけですね。
彼を引き立てた井伊直弼はテロにより亡くなってしまうものの、小栗は優秀なので辞職と復職を繰り返しました。
優秀な人物である……それだけに嫌いな相手にもちゃんと接することができれば……2027年の視聴者はそう歯痒く思うことでしょう。
一方でライバルとなる勝海舟は、コミュ力お化けです。
ゆえに現代に至るまで、小栗は無名で勝は有名という現象が残されました。
理論として正しい者より、陽キャでコミュ力お化けのほうが高い評価を得られるなんて、なんとも嘆かわしい話かもしれません。
しかしそれが悲しい現実なんですね。
松平定信をただの悪役としてではなく、正しくて、同時に間違っていて、気の毒な人物として描く。
政治家としての実力はあり、見解は正しかったと描くこのドラマは本当に素晴らしいと思います。
2027年『逆賊の幕臣』も、この調子でお願いします。
つよ亡きあとの耕書堂
さて、つよは蔦重が名古屋に行っている間に亡くなっていました。
実にこの時代らしい亡くなり方といえます。
江戸時代、来日外国人が驚愕したこととして病院がなかったことがあげられます。基本的に自宅療養のみだったんですね。
そのためか亡くなる時はあっさりと世を去ってしまうことが多いものでした。
そんなつよを偲ぶ会が開かれ、髪結の腕前など話しています。
あの滝沢瑣吉も「オババに髪を結わせてやった」などと言っている。
りつから「親の死に目には会えなかったのか?」と問われ、認める蔦重。「さらっと逝っちまった」と振り返っています。
そんな会話をしていると、背後で、唐来三和がしれっと飯を食べていました。
彼に気づいた滝沢はめざとく接近し、武家戯作者先進としての指導を頼み込む。蔦重も、タダ飯ついでにご教示を頼むとお願いする。
ていと歌麿は蔦重から休むよう言われるのですが、歌麿は戸惑っています。まだ自作がヒットしたことがピンときていないようです。
満足げな蔦重は、来年には畳を入れられるようで、ここからはビジネスの話を滔々と続けています。
もう歌麿を一流の絵師にすることよりも、自分の売り上げて頭がいっぱいなんですね。
駿河屋の親父に吉原の様子を聞くと、金を落とす客が減ってしまったと嘆かれてしまいます。
そこで蔦重は「看板娘」を持ってくるように依頼する。
あの市中美人シリーズでやんすね。りつに見せていると、次郎兵衛が「難波屋のおきたちゃんか!」とめざとい。絵との相乗効果を蔦重が説明すると、りつは女郎屋と同じようなもんかと即座に理解します。
次郎兵衛は、とよ雛あたりはどうか?と推薦。文句なく美人だってよ。りつも乗り気になってきました。
かくして商談が成立し、入銀の価格交渉へ。
首尾よく話がまとまると、歌麿は快諾し、ていはつよの位牌の前で祈りを捧げるのでした。皆もていのあとに続きます。
「来年はよくなりますように」
「紙山が山のように撒かれますように」
りつと次郎兵衛はそう祈るのでした。
歌麿の美人画が話題をさらう
餅つきが行われ、江戸に正月が来たことがわかります。
蔦重が耕書堂に畳を入れられた!と年始の挨拶。
身上半減の店は返上して、さらには書物問屋も始めると宣言しています。
と、そこへ大当開運が登場し、皆の人相を見ます。
「みんな笑っておるな。これは“笑う門には福来る”の相じゃ〜」
さらにはクールポコ。さんに「やっちまったなぁ〜」と声をかける。なんともめでてぇ年明けですな。
新作の黄表紙、狂歌本、書物まで並ぶ、めでたい耕書堂。
開運先生もいて、華やかな歌麿の錦絵が店に揃っています。
蔦重は今年も歌麿先生には評判の美人を描いてもらうと挨拶しています。
滝沢は「俺が目利きした美人だ!」と相変わらずのウザいアピール。
蔦重は歌麿の肩を叩きつつ、江戸中の美人を描き尽くすつもりだと言います。
しかし、蔦重は笑っていても、歌麿は顔がこわばっている。
どうやら歌麿はそんなことを聞かされていないらしく「そうなの?」と戸惑い、眉間に皺を寄せています。
ねちねちと理論をかざす政治家は嫌われる
二月、定信は武家伝奏など公家を江戸へ呼び出しました。
そのうえでしつこく、尊号一件を問い詰めていると九郎助稲荷が説明します。
この「しつこく」というのがポイントですぜ。こういう理詰め野郎はしつこいんですよね。思った理論を全部語らないと止まらないんですよ。
しかも、扇子を持った手元を写し、苛立っていることがわかるのも実によい。
正親町公明はうんざりして、尊号は贈らないことにしたし、もうやめて欲しいと、京都風にはんなりと訴えております。
そして本質を突くようにこう言い添えます。
「もう済んだことをネチネチと……なあ? おまんまの腐ったような……オホホホホ」
これに定信は激怒し、お役御免の上での閉門を決めたのだとか。
松平信明はこのことを知らされ愕然としております。
尊号は断念したのだというものの、定信はそうとは思っていない。朝廷と公儀を結ぶはずが、かえって不和を招いた職務怠慢に怒り心頭なのです。
ただ、武家による公家の処断は前代未聞のこと。あくまで将軍家は帝から政を預かっているという理論が出てきます。
定信は「朝廷に諮るべきだ」という意見にこう返します。
「非常の時であるぞ! オロシャが我が国を狙っておるこの時、御公儀と朝廷の不和なぞ、漏れればどうつけ込まれるかわからぬ!」
ここに、どうにも定信と他の者たちとの間に齟齬がある。
政を任されている以上、武家も公家も上様の臣下だというのが彼の倫理です。
定信はこの理論を本音と建前で使い分けしています。将軍である家斉に対しては「だから真面目に政治をしましょう」と使う一方で、こうしたことをいうわけです。
ただ、これはなにも定信だけの屁理屈ではなく、神君家康公以来の詭弁ともいえる。
幕府の根底にある理論を定信以外が理解できていないということが危険性なのでしょう。
幕末に向かうにつれ、この理論はますます崩れてゆき、御三家水戸の徳川斉昭と徳川慶喜の親子が決定的なまでに破壊します。

徳川斉昭(左)と徳川慶喜の親子/wikipediaより引用
定信のロシアへの警戒心は早すぎて理解されないものの、徳川斉昭は黒船来航後に御公儀の権威を持ち出して、我が子を将軍にしようとするのですから、全くもってどうしようもありません。
『逆賊の幕臣』を見て憤激する予習を今からしておきましょう。
国防を棚上げして内輪揉めをする日本史の病理が発揮される
松平定信の独断専行が止まらない――松平信明と本多忠籌が、一橋治済に密告しています。
孤立し、自分以外は信じられぬ人物となってしまった。定信のことをそう嘆く。このままではロシア使節と直談判すると言い出しかねないと危ぶんでいます。
治済はだらしなく身を投げ出して脇息に寄りかかりつつ、歌麿の美人画を眺めながら聞いております。そういえばお忍びで耕書堂近辺をうろついていましたね。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用
治済はのんびりと「ロシアは本気で日本を狙っているのか?」と尋ねます。
皆無とは言えないと返す本多忠籌。
外敵に備えることは大事だと言いつつ、定信のやり方では国の中に敵を作るばかりだと不満を漏らす。
顔に泥を塗られた朝廷。謀反を疑われた松前。さらには北国の大名にロシアに備えて御公儀の郡代を置くための領地を差し出すようにと言い出したのだとか。
大名らは不服だと本多忠籌は断言します。
しかし治済は無関心。
起き上がり、二人の前に歌麿美人画を突きつけました。
「これを知っておるか? この娘、大層美しいらしいぞ」
この一連の流れ、極めて秀逸な場面に思えます。
しょうもない内輪揉めの話になって、国防が棚上げにされた。これは日本史の悪癖とも言えるもので、対外危機そっちのけで内輪の権力闘争をやり出すのです。
『光る君へ』を思い出しましょう。
あの作品では道長よりもまひろの方が政治センスがありました。道長は己の家がいかにして権力を保つかばかりを気遣い、政治的課題をすぐ忘れてしまった。
刀伊の入寇のあと、武士台頭の機運を「嵐が来るわ」と感じていたのはまひろ。
道長は、まひろとの初恋で頭をいっぱいにした夢見るおじさんとして命を終えていました。
結果、藤原家をはじめとする貴族はその後どうなったか?
というと『平清盛』と『鎌倉殿の13人』の世界ですよね。なんで、あんなに呑気だったんだ、道長よ……。
そして今回の一橋治済は『逆賊の幕臣』の予習となりましょう。
幕末はただでさえ大変な時に、前述の通り、徳川斉昭が将軍継嗣で幕政をさんざん引っ掻き回します。
明治以降にしても、藩閥政治にはうんざりさせられますし、陸軍と海軍の対立やらなにやら、歴史を振り返ると大事な場面で内輪揉めばかりしていて疲弊させられます。
そういう嫌な宿痾を見させられている。一体どうしてこうなっちまうのか。
これは果たしてドラマ内だけの問題なのか?と、ここも考えたいところでして。
幕府の対ロシア警備という話に、日本人はどれだけ興味関心があったことでしょう。
歴史の本を読んでいると定番の理屈として、西南の雄藩大名――要するに、薩長ぐらいしか海外情勢を注視していなかったということが出てきます。
これは大きな誤りです。
定信由来の対ロシア北方警備策は実際に動員されています。樺太警備も実行に移されています。
日本という国家が国境を定め、形成されてゆくのはロシアとの外交交渉の結果にありました。
ロシアが日本支配を狙っていたかどうかはわかりません。彼らの植民地政策はうまくいっていない。
そのうえで日本を植民地にする意図はあったのかどうか。
本州以南は別としても、樺太や北方領土は問題として俎上にあがってきますね。
江戸時代はまだ日露両国とも支配において曖昧であり、それが定められてゆくのが近代です。
つまりは明治以降へ話は続き、日露戦争において最も死傷率の高い第七師団は北海道にありました。
構成員はアイヌ、そして屯田兵として送り込まれた東北をルーツにする兵士が多い。
そういう東日本の対ロシア関係史を、日本は意図的に無視していたのではないか?と私は考えてしまいます。
そういう話を無視して司馬遼太郎の近代史ものやらなにやらを振り翳し「やはり日本の近現代は西南雄藩あってのことだ!」だの言われたところで、こちらとしてはどうすればよいのやら。
「薩長史観」が根底にあると思える彼の認識は東日本軽視と表裏一体でしょう。徳川嫌い、そして近代における東日本軽視を、司馬は隠しきれていない。
大日本帝国という体制が、一世紀も持たずに敗戦、瓦解した根底には、明治維新があったのではないか。そういう視点はなく、日露戦争までの明治を過剰なまでに美化しているのが司馬です。
そんな歴史観を相手から振り翳されたとき、私の手元に扇子があったら、定信のようにパチパチしてしまうかもしれません。
でもまあ、しょうがない。
歴史の授業でもフィクションでも幕末はやるけれども、江戸中期以降は存在感が薄いんですね。
その認識が変わりつつあるのが、歴史総合が導入された現代です。
今に相応しい大河ドラマの放映に私は本当に毎週ありがた山だと感じ入る次第です。
そうして問題が描かれてきたのに、治済が美人画に持っていって放置されることも重要。
こうやって目の前の課題に向き合わなかった結果の積み重ねと、小栗忠順は向き合う羽目になるのです。
江戸はすっかり看板娘ブーム
江戸の町はすっかり看板娘ブームにわきかえっておりました。
歌麿の描いた美人のいる店に行きたい!
と、すっかり盛り上がっちゃっています。
そこへやってきた本多忠籌は、難波屋の看板娘おきたの茶が一杯四十八文だと知り、愕然としている。
繰り返しやすが、江戸物価の基準は蕎麦一杯、浮世絵一枚十六文がひとつの基準ですんで、確かにぼったくりと言えばそうですな。
「おきたの淹れた茶にございますから」
しかし店員はあっさりとそう答える。あの滝沢がおきたの茶をやたらと暑苦しく喜びつつ、飲んでおります。

喜多川歌麿『寛政三美人』/wikipediaより引用
高島屋のおひさも、煎餅を百文で売っていました。
芝全交先生も浮かれて買っていて、追加注文は並び直すよう言われるとおとなしく従っている。
そして芝先生が並んだ最後尾には、顔のやたらといい笠姿の武士が……一橋治済じゃねえか!
それにしても、こんなに煎餅を買ってどうすんのかね。道端に捨ててねえか? 景品つきハッピーセットみてえによ――そう思った方は鋭いと思います。
こういう口に入る飲食物の栄養そのものでなく、付加価値で食べるかどうか決めるのは人間のみが陥る文明の病といえやすぜ。
野生動物は自分の体が必要な栄養素を摂取する。それが人間だけが他の価値観を載せて狂わせてしまう。
推しの景品欲しさに毎日同じハンバーガーを食べたら体に悪い。でもやめられない。そんな悪の根源はこういうことにあるんですぜ。
かくいう蔦重にせよ、山東京伝にせよ、江戸っ子の特権である白米依存の食生活の結果、脚気で命を落とすことになりました。
さて、これは飲食店だけに止まりません。
富本とよ雛も連日指名を受けているようで、差配のりつは「ともかく一節だよ!」と念押し。たった一節で次に向かうたぁ、とんでもねえ人気だねえ。
この歌麿美人画の経済効果を、江戸っ子が見逃すわけもない。
蔦重のもとには看板娘を描いて欲しいと、入銀つきの依頼が飛ぶように舞い込んでいます。
歌麿の技量を切り売りする蔦重
大量に受注するだけ受注して、それを歌麿へ依頼する蔦重。
持ち込まれた歌麿はさすがに激怒しています。
「一月でこんなにできるわけねえだろ!」
「まあ、そうおっしゃらず」
「できっかよ、俺一人しかいねえんだぞ!」
ギスギスしたやりとりを一通り終えると、蔦重は、弟子に描かせることを提案します。
弟子があらかた描いて歌麿が名前を入れればよいと言うのです。
俺も嫌だし、弟子も嫌がる、入銀先や客も騙すことになると反論する歌麿。
直すところを直し、手を入れれば立派な歌麿作。直しを見りゃ弟子の腕もあがる。そう言う蔦重に対し、うんざりした様子の歌麿です。
歌麿は自分の絵師としての心情や信念を語りたい。これは彼自身の信頼の問題でもある。これが判明したら、歌麿は手抜き絵師だと蔑まれかねない話です。
それなのに蔦重は話を逸らす。要するに美人画による経済活況は重要なのだから、金が回すことを重視しろと言い出す。そんな時のちょっとした方便くらい許されるというのです。
まさか大河ドラマで「金を回せば無罪論」が出てくるとは思いませんでした。
蔦重は金の話しかしない。絵の話をしない。
蔦重は吉原から日本橋に出てきて、女郎の体と心ではなく、絵師の技量と心を売り捌く者となりました。
幼い捨吉の体に値をつけ、彼の母は売りに出しました。
その捨吉は歌麿となり、義兄から技量を売りに出されるようになったのです。
母も、義兄も、どちらも彼の心を見つめようとはしない。
歌麿は北尾重政と酒を飲んでいます。
重政のもとにも、看板娘を描かないか?という依頼が来たとか。
歌麿のところには来ない。というのも、蔦重がガッチリ囲い込んでいるからかだと重政は納得しています。
重政は、美人画の後追いが増えているといい、でかい波になると見通しを語ります。
すると歌麿が尋ねます。重政は自分名義で弟子に描かせているのか?
重政は、見込みのありそうな人には早いうちから自分の名で描かせていたと念押ししながら、遠い目をして、あのころは仕事が山のようにあったと返す。
それと比較すると今は地本そのものが減ってしまい、時代が変わったということでしょう。
だから弟子に手伝ってもらうことが増え、弟子も喜んでいると返します。
「俺は身勝手なんですよね、きっと……」
歌麿は己の違和感を打ち消すように呟きます。
「俺は一点一点、ちゃんと心を込めて描きてえし、蔦重……本屋にもちゃんと向き合ってもらいてえ。けどそうしたいのは俺だけなんですよねぇ……」
歌麿はそうこぼし、苦笑しつつ、己の盃に酒を注ぐのでした。
てい、蔦重の子を身籠る
蔦重はもう若くなく、疲れやすいのか、寝床でていに背中を揉まれています。
ていは、蔦重にとって絵は商品でも、歌さんにとっては我が子のようなものではないか?と助言しています。
蔦重はそれには同意しつつも、景気がよくなっているからにはじっくり作るのは後からでもよいと言い訳します。
こういうところが本当にいけない。
歌麿は真剣に絵に取り組む名声と誠意を守りたい。そういうものは一度壊れたらなかなか元には戻りません。
するとていがこめかみを押さえます。つよのことが頭にあるのでしょう。蔦重が医者にみせるよう強く勧めても、頑なに断るてい。恥をかくだけだと拒むのです。
恥とは何なのか……引っかかる蔦重。ていは観念したように言います。
「旦那様、決して騒がぬとお約束くださいますか。子ができたのでございます!」
妊娠のせいで起きる頭痛のようだと説明を続けるてい。蔦重は安堵しつつ「なんで言ってくれねえんだよ!」と喜びます。
仕事の気を散らしたくなかったのだとか。蔦重は気が散るどころか気合が入ると言います。
ていは少々恥ずかしいのもあった。孫ができるような歳での初産であることがそうなってしまったと。
当時は四十にもなれば孫がいても不思議ではない。かなりの高齢出産です。これは伏線のような気がしますが。
「ともかくお口巾着で!」
そのうちバレないか?と蔦重は言うものの、ていは夫婦揃ってお口巾着だと念押しします。
誰かに言わないと無理して危険ではないか、と気にする蔦重に対し、たかとみの吉には話しているとていが答えます。
みの吉ね。チラッとでも、実子がいなけりゃ二代目になれるかと期待していたかもしれませんが……。
蔦重が、何かていに言いかけてやめると、彼女がこう続けます。
「私も、この子は義母上様の生まれ変わりと信じております」
「おていさんも?」
そう言い合う夫妻。頭痛がその知らせではないかとていは考えています。
その上できっと義母上のような子が生まれると確信を抱いている。
蔦重は腹の子に「おいババアっ子」と呼びかけるのでした。
浮世絵のアシスタントシステム
彼なりに妥協したのでしょうか。歌麿が、弟子の菊麿に手入れ前提で下絵を頼んでいます。
ここで浮世絵師のアシスタントシステムでも。
弟子がある程度描いて、師匠が仕上げるシステムは、映画『おーい、応為』の主役である葛飾応為を考える上でも重要になってきます。
応為の場合、どこまでが彼女の絵か判別できないことがネックとなります。
父と同居し、助手のようなことをこなす。版元としても父の方が売れるので、絵のほとんどを応為が描いたような作品だろうと、北斎名義としてしまう。
北斎も応為もあまりこだわりがない性質なので、そこが通る状態であったと思われます。
それでもなんとしても応為名義だと彼女自身が残したい作品は、それとわかるように工夫がこらされているのです。

葛飾応為『月下砧打美人図』/wikipediaより引用
一体どこまでが北斎で、どこからが応為なのか?
これについては研究者でも意見が食い違います。
北斎は驚異的な長寿です。
晩年の作品は、さすがに年齢を考えると本人が描いたかどうか、特定しにくい作品が出てくる。
実際は応為の作品であるかそうでないか、特定ができていない状態となっているんですね。
歴史上、女性の芸術家は存在します。
その存在が隠されてきたのは性差ゆえとされることが多いものの、応為の場合は浮世絵のシステムそのものも、理由のひとつとしてあるわけです。
ちなみに応為以外にも女性絵師はおります。
しかし、どうしても埋もれがちです。
彼女らは助手業務や女性への絵の指導といった裏方をこなすことがどうしても多くなるので、そうなってしまいます。今後の再評価を期待しましょう。
さて話をドラマに戻します。
歌麿の場合、大首美人絵であることも重要です。
複数の人物がいる。背景がある。大判である。
こういう絵の場合、主要人物以外を弟子が手がけることはあります。現代の漫画でいうところのアシスタント作画ですね。
助手として弟子の存在を明示することもあるし、特に問題視されるわけでもありません。
しかし、美人大首絵は背景がないうえに一人しか描かれていない。
一体どこを弟子に任せろというのか――そう思ってしまっても無理はないところです。
蔦重はそこに気づかないものなのでしょうか。とことん鈍感ではありませんか。センスがありませんし、歌麿の絵の特性を理解していないと思います。
来客は西村屋与八が二人
そんな歌麿のもとに来客がありました。
西村屋与八です。
「雛形若菜」以来かと挨拶してくる彼の隣には、聡明そうな若者がいます。
二代目西村屋与八――鱗形屋孫兵衛の次男である万次郎でした。あの恋川春町について学んでいた賢い少年が立派な青年になりましたね。
まだ正式に跡は継いでいないけれど、初代の娘婿か、養子という形での相続になるのでしょう。
江戸時代はこの形式が最良とされることもしばしばあります。
ボンクラかもしれない実子より、聡明な若手を見込んで跡継ぎにした方がよいということですね。例えば耕書堂なら、みの吉が本命でしょうか。
歌麿が用件を尋ねると、西与は錦絵を依頼してきました。
劇中では出てこないかもしれませんので補足しておきますと、西与は鳥居清長や鳥文斎栄之による八頭身スレンダー美女絵を販売して、歌麿の美人大首絵に対抗していました。
歌麿が契機となって世は美人画ブームになったわけですね。

鳥居清長『美南見十二候 三月 御殿山の花見』/wikipediaより引用

鳥文斎栄之『風流やつし源氏 松風』/wikipediaより引用
歌麿は今は手一杯で忙しいと断ろうとすると、西与はぬかりなく、蔦重との折り合いもあると返してきます。
そして万次郎が先生に描いて欲しい企画があるのだと持ちかけてきました。
歌麿が蔦重の抱えだと断ろうとするも、西与は「チラリと見るだけでも」となおも推してきます。
万次郎はすかさず案思を書いたものを取り出してきました。
真剣なまなざしの万次郎。
「先生とやってみたいことが多すぎまして……」
才知あふれる万次郎
万次郎が考えたアイデアは、実に素晴らしいものでした。
・当世美男揃え
美人画に対抗した美男画。
浮世絵研究者は男性優位時代が続いたためか、美人画とは異なりジャンルとして確立されず、かつ注目されにくかったもの。しかし、美男を描いた浮世絵はしっかりとあります。
江戸っ子にとってアイドルである火消し、鳶、魚売り、そうした美男が描かれているのです。
暦と組み合わせることもありとのこと。江戸時代から二次元美男を描いたファンさカレンダーや団扇のようなものはあったのですね。浮世絵美男探しはしっかりできますぜ。

月岡芳年『月百姿 忍岡月玉渕斎』/wikipediaより引用
・白黒錦絵
カラフルにすることで特徴を見出した錦絵を、あえてモノクロにするというもの。
これの応用路線、色の数を抑えた作品を二代目西与は手がけます。
それが『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』でした。
色数が抑えられていて、かつ当時は斬新なベロ藍を用いたグラデーションを使い、印象的な構成にしております。センスがありますよね。

葛飾北斎『富嶽三十六景神奈川沖浪裏』/wikipediaより引用
嗚呼、ここは実に残酷でして。
こと錦絵の傑作となると、二代目西与の方が初代蔦重よりセンスがよいのではないか?と思えることは確かです。
これはドラマにも反映されていて、ノリ重視で金勘定ばかりする蔦重と、熟考型で知性、知識、教養が上回る万次郎がきっちりと対比となっております。
蔦重の若い頃は、地本問屋とは異なる吉原者視点が強みとなりました。
それが歳をとって一周して、地本問屋であれば養えた教養の欠如が弱点となってきています。
そして、その上でそれを持つ後進が、蔦重に喰らいつく構図が見えてきました。
切磋琢磨といえばそう。しかし、残酷とも言えるのです。
事後諸葛亮だと思われたくねえんで書いておきやすが、あっしはここで繰り返し、万次郎を期待してきましたからね。
蔦重を仕留める者が颯爽と登場したわけですが、のっけからかなりきついことになっておりやす。
演じているのが歌舞伎役者である中村莟玉さんというのも、これまた適材適所でして。
伝統芸能の役者さんを大河に出して演出を工夫しますと、正統派の強みが加えられて、只者ではない重みがあります。
もう、この万次郎は出てきただけでも圧倒的です。
もう少し彼の話を続けます。
何せ二代目西与は重要なんですよ。活躍した時代も、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳と、浮世絵後期を彩る絵師が揃っております。
何度も指摘しておりますが、『べらぼう』は仕方中橋とはいえ、こうした絵師が揃う前に終わることが惜しまれるっちゃそうなんです。二代目西与でスピンオフを作ってもいいと思うぜ!
ちなみにこの二代目西与は『おーい、応為』では出番がないようですが、応為主役のNHKドラマである『眩〜北斎の娘〜』では西村まさ彦さんが演じておりました。
西村さんは西与の初代と二代目を演じているわけですね。
西村屋に心動かされてしまう歌麿
歌麿は、西村屋に教えられただけのことはあると弾んだ声で返しています。
迷いよりも興奮が声音に滲んでいる。
「……全て先生あってのことにございます。私、『虫撰』を見た時に胸が震える思いが致しました。いずれ先生とやりたいことをこうして書き留めておったのでございます」
緊張しながらそう返す万次郎。念押しするように、初代西与は「こいつの初めて出すものとなります」と言い出しました。
錦絵に強い西村屋の教えだけでなく、万次郎の溢れ出す敬愛あっての案思だということに、歌麿は気づかされているのです。
「蔦屋さんとの向き合いもありましょうが、どうか!」
頭を下げる初代西与。歌麿は手をあげるようにと返します。
そのうえで万次郎に「二代目」と呼びかけ、筋のいい弟子ではどうかと返します。
「先生はこれからも、蔦屋さんのもとで描くだけでよろしいので? 私はそれが、先生の絵を狭めてしまうように思えてなりません……」
万次郎は曇りなき眼でそう返してきます。
さらに初代西与が看板娘の絵を押し出しつつ、こう続けます。
「私も気になっていることがひとつ。先生ほどの力があれば、先生の名が上。蔦屋の印が下に来るのが常。この扱い、先生はご納得されているので? 騙されているとは申しませんが、長いつきあいをいいことに、都合よく使われていることもあんじゃねえですかね? 西村屋は錦絵に打ち込んでまいりました。先生にとっても、決して悪い話じゃないと思いますよ」
これについては蔦重が鈍感なのか。俺を前面に出す悪癖が出ただけかもしれませんが、言われてみればそうなりますよね。
歌麿は沈んだような顔をしつつ笑い飛ばし、こう言います。
「今日の私があるのは、蔦重のおかげですよ」
そう言い微笑みつつも、歌麿の顔はまるで漣のように揺れているとわかります。染谷将太さん、圧巻の演技です。
けしからん看板娘シリーズ、江戸の物価上昇を煽る
蔦重はていを労りつつ、耕書堂で働いています。
すると開運先生がやってきました。相学仲間が会いたいのだとか。
「『婦人相学十躰』、いいですね!」
そう虫眼鏡で見つつ褒める人相学者です。
一方で定信は、幕閣の前にやってきて腰を下ろします。すると彼らはすかさず折り目正しく頭を下げます。
なんと美しい所作でしょう。圧巻です。そうして謝りつつ、上様に叱られたと明かします。国防を心より考えているのは越中守ばかりと言われたのだとか。
疑い深いようで騙されやすい定信は「なんとあの上様が!」と感動してしまう。
そのうえで正しき世を作るという宣言をされ、満足して微笑みまで浮かべてしまい、その上で皆に手伝ってくれるよう頼んでいます。
すると、すかさず本多忠籌が「早速でございますが」とあの看板娘シリーズを見せてきました。「恐ろしい」と言いながら、おきたの淹れる茶は一杯百文、おひさの売る煎餅は一枚百二十文、とよ雛会いたさに吉原では紙花が撒き散らされていると言い出すのです。
釣られて市中の物価は上昇中。田沼病の再来だと煽られる定信です。
定信は目を怒らせ、絵を手に取り、蔦屋の印を認め、さらに火に油を注ぐことになっています。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。対ロシア国防はどうなったんでぇ! すっかり治済の術中にはまってんじゃねえか!
小栗忠順以下、再来年の幕臣が見たら血の気が失せそうな場面ですぜ。
ここで予習でも。
幕末の浮世絵はどうなっていたか? これが再来年には重要となりますぜ。『べらぼう』のあと、凹凸はあっても版元絵師はやりたい放題になってゆきやす。それが今までの幕末大河では無視されてきたのは、江戸以外が舞台だったからでしょうね。
歌川国芳は好き放題に幕政批判したということで奉行所へ呼び出しまでされていましたが、そこまで重罰を受けてもいない。
それどころか、国芳没後、徳川家茂の上洛図には彼の弟子も含めて、歌川派絵師が起用されるほどです。
開港都市横浜のイメージアップに貢献する横浜絵を描かせていたのではないかともされています。

フランス人と花魁が描かれた歌川芳虎の横浜絵/wikipediaより引用
一方で歌川広景のように、政治風刺画のせいで「志士」から命を狙われていたと推察される絵師もいる。
幕末まで来ると、浮世絵はジャーナリズムの側面も強まったというわけで、再来年の考証担当である岩下哲典先生の本で今から予習をしておきやしょう。
ちなみにこの版元や絵師の動向は、様々な要素のせいで追いかけにくくなってしまいました。
明治維新を契機に商売がうまくいかなくなり、店じまいが増え、浮世絵関連は海外に流出。
大英博物館はじめ大きなコレクションが海外にあることも多いのはそうした理由からです。
関東大震災や東京大空襲で焼けた史料も多い。
そして、幕末明治の絵は過小評価されがちという状況も影響しています。
「赤絵」(明治以降安価となり用いられたアニリン紅多用により、赤と紫が目立つ絵を指す)は下品とみなされ、海外では注目されているのに、国内ではそうでない絵師もいるものです。
NHKは受信料でこの状況をなんとかしてくれませんかね。
期待はしておりやす。朝ドラの『ばけばけ』は明治錦絵を意識した美術効果に思えますし、『逆賊の幕臣』もありますから。
明治以降の浮世絵が評価されないのは、日本人自身がその評価をできていないこともあるはず。
NHKがこれを変えてくれるんではないか? 埋もれた史料も出てきてくれないか?と、私は期待しているところであります。その予感はあるんでさ!
そのひとつが、忘れられた浮世絵師とされてきた落合芳幾の再評価ですかね。
最近は彼の展覧会が増えておりやす。『逆賊の幕臣』にも出ないか期待しているところでやんす。願いが叶えばありがた山ですぜ。
明治の絵師はなまじ過小評価もあってか、あるいは流出を阻止する意識に目覚めた反映か。国内、特に関東地方ではまとまったコレクションが残されています。ゆえに展示機会も多いので、皆さんもぜひ、ご覧ください。
神奈川県藤沢市藤澤浮世絵館で今月から始まる「黒船来航」は、再来年大河予習にぴったりですぜ!

落合芳幾『真寫月華之姿繪』/wikipediaより引用
看板娘シリーズ、規制がかかる
さて、人相見の先生たちは何しにきたのか。
彼らが戻ると、蔦重は板の作り直しをすると言っています。
なんでも人相学業界から「相学」を使うなとクレームがつきまして、『婦女人相十品』にシリーズ名を変えることにしたのだとか。
いい加減につけた絵を見た客と、人相見の間でトラブルが起きているようです。
蔦重が甘ったるい顔でこう言います。
「ついてねぇな」
この一言で、こいつに倫理観ってもんがねえとわかって厳しいものがあります。
てめえのいい加減な商売っけで業界に迷惑かけたのに、反省するどころか「ついてねぇな」だとぉ?
これは出版やドラマ製作者にも通じる倫理問題なんですよ。
ものを作るうえでの最低限の倫理観はあります。
大河ドラマが始まった当初、特徴として際立っていたのが時代考証をつけて、なるべく史実に近づけようとしたことがあげられます。
民放時代劇は江戸時代からの流れを汲む講談をベースとした作品が大半で、娯楽重視でそのあたりはおざなりでした。
そういうNHKドラマならではの矜持がどうにも緩んでいないか?
近年はそう問題視されることも増えてきて、今年はNHKドラマ『シミュレーション 昭和16年夏の敗戦』でも、倫理面での問題視があったものです。
そこを自覚しているのか、いないのか。蔦重があまりにいい加減なので、自覚あった上での描写だと思いたい。
「楽しくなければテレビじゃない」というノリは、せいぜい民放だけにしましょう。
するとそこへ険しい顔をした鶴屋喜右衛門が来ました。
なんでも一枚絵には、女郎以外の名前を入れることは禁止となったとか。
ちなみに史実では、「判じ絵」を用いてしばらく蔦重と歌麿は粘ります。
判じ絵とは、名前は入れずとも個人を特定できる紋や、謎かけを用いること。
蔦が十本ある絵は蔦重と読み解くようなものです。それをドラマでは端折って先に進めるようです。

喜多川歌麿『合わせ鏡のおひさ』/wikipediaより引用
蔦重、歌麿に無断で契約を進める
蔦重が吉原に来ています。
報告を受け、個人名が入れられないのでは意味がないと嘆くりつ。
蔦重は便乗商法で儲けることと、素人娘を女郎のように扱うことが問題視されたのだろうと推察しております。
転売ヤー問題やら、素人美女図鑑問題やら、そうした現代に通じるものを感じさせますね。
蔦重は無反省で、逆手にとれば素人じゃなきゃいいと言い出しました。
そこで女郎大首絵の揃いものを提案します。
判じ絵の攻防がカットされたせいで、蔦重は同じところを回っているように思えてきましたぜ。
女郎絵でなく素人を出そう。で、それもダメならまた戻ろうってかい。
皮肉なことに、これは蔦重自身にも言える。
吉原から日本橋に乗り込んでおいて、また結局吉原頼りに戻ってきています。
しかし扇屋は、入銀なしならよいと条件をつけてきます。経営が厳しい状態は変わっていないのだそうです。
大文字屋がここで「誰かさんの借金もここんとこ返済が止まっちまってるしねえ」と言います。
身上半減のせいで蔦重が返さなくなったんですな。
蔦重は博打打ちの発想に陥っているので、美人大首絵を当てればそれも返せると言い出しました
駿河屋が「入銀なし、借金をそのぶん返す形式」を提案します。
歌麿の絵五十枚で、百両分帳消しにするという例を挙げると……顔を輝かせる蔦重。
これは本当に残酷ですね。なんせ当事者である歌麿がいない。
蔦重は商談の際、妻であるていはしばしば同席させます。歌麿もかつては同席させ売り込んでいた。
それがなくなり、彼の頭越しに話を進めるようになりました。
信頼関係が失われるのは当然の帰結でしょう。
「いい話」って、お前にとってだけだろうが!
蔦重は歌麿の元を訪ね、武勇伝のようにこのことを聞かせています。
蔦重がウキウキした口調なのが不快極まりない。
歌麿は困惑し、やるなんて言っていないと返します。
「もうやると言っちまった」と返す蔦重に、呆れ果てる歌麿。
そのうえで歌麿のことなぞ放置して自分の都合を語り出します。
身上半減で吉原への借金を止めてもらっていて辛い。吉原もいま苦しい。そのうえで、歌麿五十枚、借金百両返済の話を進めます。
歌麿の大首絵なら売れるから賄える。儲けも張れると言います。
歌麿の作品を金のことだけで語っている。
蔦重は鈍感なので「お前の絵が売れるって褒めているんだから喜ぶよな」あたりで思考停止しているのかもしれませんぜ。
そのうえで、歌麿がどこまで気張れるかと、相手に責任転嫁してきます。そのうえで、吉原が持ち出しなく女郎を売り込めると話をまとめ、いい話だと締めくくります。
だからその「いい話」ってぇなぁ、テメエにとっての「いい話」だろ!
「それ、借金のかたに、俺を売ったってこと?」
そうやっと返す歌麿。そうです、蔦重は女郎屋に娘を売り渡すものと同じことをしました。
「いや、売ってねえ! 今まで通り、お前への礼金はちゃんと払うから」
「けどそんな話聞いてねえってありえねえだろ!」
そう歌麿に言われ、頭を下げる蔦重。そのうえでこう言います。
「けど……いい話だろ? うちも吉原も助かる。お前の名だって売れ続けるわけだ」
さらに蔦重は手をついて頭を下げてこう付け加えます。
「頼む、ガキも生まれんだ! もうんなことねえと思ってたが、ありがてえことに授かってよ。いろいろ出すには出したが、大きく跳ねたのは『十躰』と『看板娘』だけだ。正直なとこ、新たな売れ筋が欲しい。頼む、お前だけが頼りなんだ! 身重のおていさんには苦労かけたくねえんだ、頼む、頼むよ!」
うわあ……思うようにヒットしていないとか、クリエイターに向かって堂々と言いますかね?
じっと俯き、考え込む歌麿。軽く笑ってこう言います。
「……仕方中橋。やってやるよ」
「ほんとか?」
「義兄(にい)さんの言うこと聞かねえと、俺は義弟(おとうと)だし」
「恩に切る。恩に切るぜ!」
蔦重は歌麿の手を執り、軽く叩いてから頭を下げるのでした。
この場面はあまりにひどい。
蔦重がていの妊娠を告げたことが決定打になるということがわかります。しかも、その子は蔦重と歌麿の間を取り持ってきたつよの生まれ変わりだと信じられているのです。
今回のサブタイトル「招かれざる客」とは、ロシア船だけではなく、歌麿にとってのこの子のようにも思えてきます。
歌麿はなぜ絶望したのか?
蔦重への愛が、自分から子に移るからか?
あるいは別の理由なのか?
あっしとしちゃ、蔦重の付け込みぶりが腹立たしい。
歌麿がもっと冷酷であれば、蔦重も、吉原も、そんな都合なんざ俺の知ったこっちゃねぇ、テメエの都合だと蹴っ飛ばすこともできると思うんですよ。
でも、なまじ歌麿は優しいので、それができず、聞いているしかできない。
そこに蔦重はますます付け込んできて、責めようがない妻子まで巻き込んできたと思えます。
もう徹頭徹尾、卑劣なんですな。
ここで蔦重が、少しでも歌麿の気持ちを確かめるのであればまだマシではあります。
彼だって辛い人生を送ってきています。その幼少期はおぼろげにしか知らずとも、身を売っていたことと、愛妻のきよを亡くした姿は見ているわけです。
歌麿が美人画を描けるようになったのは、妻との別れという悲しい体験があったということも知っているはずなのです。
しかし、蔦重がそのことを持ち出しましたか?
していませんよね。これは彼の徹底したところでもあり、同じく身上半減で苦しんでいた須原屋のことも忘れたかのよう。
恋川春町も、田沼意次も、田沼意知と誰袖も、平賀源内も、新之助とおふくも、瀬川も、近頃じゃ、とんと思い出しもしない。
自分の半径数尺範囲だけを見て、その都合だけべらべらべらべら喋り散らす。
つよはそのことを警戒していました。
彼女は気配りができ、聞かされずとも歌麿が辛い人生を送ってきたと理解していました。
そのことを全く思い出しもしない蔦重。そのくせ歌麿の優しさつけ込む。恩着せがましさだけは存分に発揮する。
もののみごとに最低の存在に成り下がりました。
しかし当人は痛い目に遭うまでそのことに気づきもしないでしょう。
自分とその周りだけ見て、上機嫌でいるのでしょう
こんな奴、どうなろうとこっちの知ったことではない。
畳の上で死ねるだけ御の字だと思ってください。どれだけ人の恨みをかっているか少しは考えましょう。
歌麿、別れを決断する
その夜、蔦重は寝室でていといます。ていは腹の子が動いたようだと言います。
「もう動き出しやがったか、このべらぼうめ!」
そう笑う蔦重です。
そのあと、歌麿が険しい顔をして手鏡を覗き込む場面となります。
歌麿の顔の画風が変わっちまった……前は歌麿美人だったのに、これじゃ愛しさ余って相手を殺しに向かう、月岡芳年の清姫じゃねえか!

月岡芳年『新形三十六怪撰 清姫日高川に蛇体と成る図』/wikipediaより引用
その背後から万次郎が、自分の顔でも描くつもりかと声を掛けます。
「いや……ちょいと恋心をね」
恋心の何をしていたのか? 己の思いを確かめたかったのでしょうか。
万次郎は優しく、蔦屋との次の仕事かと言い出します。
「西村屋さん、お受けしますよ。仕事」
「え?」
「この揃いものを描き終わったら……もう、蔦重とは終わりにします」
そう歌麿は言い切るのでした。
MVP:蔦屋重三郎VS万次郎
バブルの夢が忘れられない無神経発注主と、理解ある受注主――そう見えてなりませんぜ。
それに、このドラマはどこまで現代社会を風刺してしまうのか恐ろしくなってきました。
蔦重と万次郎の違いはどこにあるのか?
まず、蔦重は歌麿の絵を褒めるとき、売上のことばかりを言ってきます。
これは日本橋進出以降、一貫性があるかもしれない。目利きプロデューサーである俺が売れると言っているから喜べ。そういう発想があると思えます。
一方で万次郎は、作品そのものに魅力があると自分の言葉で語りました。
歌麿は同じようにしてくれた栃木の豪商にも、心を開いています。金の落ちる音よりも、心が震える音を知りたいのが歌麿という絵師なのです。
次に人生経験。
蔦重は吉原育ちです。客を騙してでもおだて、その場を盛り上げるパリピとしての才能は培われています。
しかしじっくりと考えることや、鑑賞することには向いていない。瞬発力型です。教養を磨く時間もありませんでした。
万次郎は、実父のおかげで恋川春町に勉学を習う機会がありました。
西村屋に入ってからは、錦絵についてじっくり学ぶ時間がある。
万次郎の抱負なアイデアは、蔦重の若い頃を彷彿とさせます。
しかしそれだけでなく、さらに磨きがかかっております。教養と思考の蓄積があるぶん、蔦重を上回っているのです。
この二人を見ていると、現実に引き寄せたくなってもくるのです。
テレビ、漫画、ゲーム。こういったものばかりを楽しんでいた子供たちは中身がなくなるとかつては言われてきました。
そうした議論がいつの間にか消えていくと、あれは嘘だったと片付けられることが多い。
それはどうか? 確かに荒唐無稽な理論はありました。
しかし、科学的に根拠なしとみなされたわけではなく、ただ単にその業界が経済的に重視されるようになるとか、楽しむ層が十分に増えると議論が下火になることもあります。
「私は漫画とアニメ、ゲームを楽しんで育って大人になったよ! でもまっとうな大人になったよ」
今、かつての子供達はそう言えるのだろうか。蔦重を見ているとそんなことを考えてしまいます。
こういうことを語り出す友人や知人の中に、何でもかんでも漫画やアニメの世界観の延長で語り出し、話が通じない人が出てきます。
教養や勉強はやはり大事だったのではないか。
その結果を今、こうして目撃しているのではないか。
そう考え込んでしまう状態を、今の蔦重を見ていると思い出してしまいます。
そして倫理観。
蔦重は、結局のところ「忘八」じゃないかと思えてきました。
道徳心が全くないとは言い切れない。しかし、倫理観の底が抜けているんじゃないかと思うことは確かです。
思えば彼は吉原では客を騙して利益を得ていました。騙したことが相手にバレても「もう二度としない」ではなく、「今回はついてねぇな」と思って忘れる。あるいは「騙される方だって悪いんだぜ」と笑い飛ばす。それが彼の周りにある掟でした。
日本橋に出て、おていさんという才女を妻にしたからには、それこそ『論語』でも熟読し、倫理を身につけていればよかったでしょうに。それもないようです。
今回の場合、蔦重は人相見に迷惑をかけたことをどこまで悪いと思っているのかわかりません。
遡ってみればおていさんのおかげでどうにかなかった入獄の件でも、反省があまり見られません。
さらに遡れば恋川春町を死に追い詰めたと思えなくもない点もどう思っているのやら。
蔦重はよく言えばポジティブということになるのでしょうが、なんでも自分にとって都合の良い方へ解釈しすぎです。
厳しいことを言えば、他責思考、無責任、無反省、三歩歩けば自分の過ちを忘れる。ったく、べらぼうな野郎ですよ。
万次郎はまだ出てきたばかりとはいえ、義理があります。
歌麿には何度も蔦重との仕事があるのかときっちり断っています。生真面目に見えています。
さて、そんな二人の過去を振り返ってみましょう。
鱗形屋と蔦重は和解したといえばそうです。
しかし、長男の長兵衛はそのことを見ていても、次男の万次郎はそうではありません。その顛末を見届けぬまま、西村屋に奉公することになっております。
それどころか『吉原細見』を蔦重が掻っ攫っていったと恨みの目で彼を見ていました。
西村屋と蔦重も色々と因縁があります。劇中では出てきませんが、美人画対決では西村屋が押されています。
こうしたことを踏まえますと、万次郎は恨みがましい思いを蔦重に抱いていてもおかしくはないのです。
さて、そこをどう出していくのでしょうか。
そしてここから先はネタバレですんで、嫌な方は飛ばしてくだせえ。
この先、二人はどうなるのか?
万次郎こと二代目西与は、蔦重を打ち負かすことになると予測できます。
役者絵で蔦重の東洲斎写楽に対し、歌川豊国をぶつけてくるわけです。
写楽はなまじ知名度が高いだけに、盛り上がると言えばそうですが、史実では豊国の完全勝利です。
蔦重がどう負けるのか。楽しみに待ちましょう。
これは西与だけのことでもなく、豊国は和泉屋市兵衛が推しておりますが、ドラマとしては西与のみが目立ってもおかしくないと思います。

歌川豊国/wikipediaより引用
最終盤となると史実の取捨選択が大胆になってきまして、鳥居清長と鳥文斎栄之は出るかわかりません。判じ絵攻防も飛ばされそうです。そういう意味でもますます気になる展開ですぜ。
それにしてもよ。
「親なし、金なし、画才なし……ないない尽くしの生まれから“江戸のメディア王”として時代の寵児になった蔦屋重三郎」
というキャッチフレーズが、こうなっちまうとはよ。
「センスなし、配慮なし、倫理観なし……ないない尽くしで愛想を尽かされる蔦屋重三郎」
なんてこったい!
蔦重は本当に何もない。歌麿のような画才もない。春町のような文才もない。ていのような教養もない。つよ譲りの愛嬌は消えた。駿河屋から引き継いだはずの度胸は歪んだ。
田沼意次のように経済を回すことを語るものの、理論は知らないで所詮は猿真似。
平賀源内と須原屋のように書を以て世を耕すと掲げるものの、理解がどこかでおかしくなった。
どうしてこうも空虚なんでしょう?
総評
蔦重と歌麿という義兄弟が、川沿いの道を二人で駆け抜けていたあの場面。
青春の煌めきそのもののあの場面を、苦い気持ちで思い出すことになるだろうとは思っておりました。
『麒麟がくる』における、明智光秀と織田信長が「大きな国を作るのだ」と語り合った場面と同じ役割を果たすのだろうと思っておりました。
その予想がバッチリ当たっています。
次回予告はこれまた強烈。
歌麿は蔦重への思いが憎しみへと変わっていることがわかります。
同時に蔦重にとっては、青天の霹靂であることも……。
歌麿はこれまでも何度も警告を発しています。これまた『麒麟がくる』でも、光秀が信長相手に路線変更をするよう促していたものでした。
それが通じないから強硬的な手段に出たところ、突如キレたかのように思われてしまう。なんとも悲しい現象ですね。
その決裂する様をじっくり描いているので、もうこちらとしては蔦重は吉原にいた方がよかったんじゃないかと思いますよ。
己で作り出す画才や文才がないだけならまだしも、見抜く目すらあやしい。
前述した通り、錦絵の一部を弟子に描かせることは大いにありなんです。
でも、それを背景のない大首絵でやるというのはあまりにセンスがない。
結局こいつはわかったフリをしているだけなんじゃないか。何もかもそうじゃないか。そう思わせてしまったのは実に痛々しいことです。
わからないならわからないって、素直に言えばまだマシなのに。
そしてこれがなんとも不気味なことに、現在の社会状況を反映しているようにも思えます。
インターネットの隆盛は、蔦重タイプが注目を集めやすくしました。
中身がなくともキラキラしてはしゃいでいる人間が目立ちやすい。
歌麿のように誠意を持って心を込めて向き合いたい人間には、不利な状況が形成されています。
その弊害があるのではないか?とようやく検証される流れがきているように私には思えます。
なんておそろしいドラマでしょう。
今週は見ていて辛かったけれども、蔦重に苛立つ反響を見ていて安堵しました。
やっぱりああいう陽キャ鈍感パリピに迷惑を被ったり、苛立っている人間は少なからずいるのだと再確認できたのです。
そりゃそうでしょうね。あっしの抱えるモヤモヤ感が、このドラマのおかげで少し整理がついて気分爽快でさ。今週もありがた山でした。
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【参考】
べらぼう公式サイト




