土曜日の再放送に合わせて、大河ドラマ『豊臣兄弟』をマンガで振り返る――第35回のテーマは小牧・長久手の戦い本戦でした。
柴田勝家との争いに勝利した秀吉は、織田体制の完全支配を狙って織田信雄と対立。
信雄は徳川家康と共に戦を始めるのですが、両軍ともに強固な拠点を構築したため、戦線は膠着してしまいます。
そこで三好信吉が大将となり三河中入り……ということでマンガ本編で見てまいりましょう!
宣言

◆この世界線の秀吉は今に限らず、基本的にずっと「ノリと勢い」のような気もしますが……。
池田親子

◆長久手の戦いは、池田恒興の発案により嫡男・池田元助と、さらには娘婿の森長可が前のめりになって進んだとされます。
しかし、その森長可がこちらの世界には存在せず……。
森可成の息子で猛将として知られる鬼武蔵が不在の長久手の戦いは、なんとも不思議な場面です。
大将

◆三好信吉のちの豊臣秀次が大将に立候補!
しかし彼らは、飯を食ってる最中、榊原康政の部隊に襲われ敗北してしまいます。
楽田城への帰還後、負けた信吉が秀吉の前では神妙に謝りながら、秀長に向かっては「徳川の出陣を見落とした見張り役が全部悪い」と言ってのけたのには驚きましたね。
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負け戦

◆三好信吉の本隊に襲いかかった榊原康政。
そして池田・森部隊には井伊直政を擁した徳川本隊が激突しました。
それぞれ1万規模の大部隊だったはずですが、劇中での合戦シーンがあっさりだったのは、いろいろな都合上しかたないっすね……。
投石

◆聚楽第で秀吉を批判する落書き事件が起きたときは、警備担当者が耳鼻を削がれ、犯人やその親族関係者60名ほどが処刑。
三好信吉こと豊臣秀次が後に自害事件を起こしたときは、ほとんど無関係だった駒姫(最上義光の娘)を含め、妻子30名ほどが処刑。
上月城、三木城、鳥取城など戦時も含めると、庶民に対する秀吉の厳しい処断は複数回の記録があり、ほかに表にでていないケースは多岐にわたるようにも思えますよね……。
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先に手が出るタイプ

◆劇中では、なんだか無理やり秀長がキレたような印象でしたが……。
信長をこき下ろしたのが許せなかったんですね。
ちなみに史実では「長秀」→「秀長」の改名タイミングも異なっておりまして、このときすでに「秀長」だった小一郎は、いわば信長に対して決別宣言をしています。
いっそのこと、信雄が「もう和睦はしない!」とぶちキレ、そこで小一郎がさらに激情して、信雄を斬ってしまったら?
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倦怠感

◆蟹江城を巡って織田・徳川連合軍に敗れていた滝川一益。
謀略と殺戮に疲れ果てた様子でしたが、本能寺の変後で荒れ狂う関東の死地から生還した武将が、今さらそんなことを言うのかどうか。だからこそ言うのか。
確かに秀長義兄の安藤定治も武田への裏切りで、疲れ果てたことを泣きながらに訴えていましたね。
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秀長

◆「長秀」から「秀長」へ。
前述のとおり、この改名は小牧・長久手の戦い最中の9月までには行っていました。
同月に出された書状に「秀長」と記されているのです。
ドラマの中では「家族会議で発表!」みたいな、ほんわかノリでしたが、実際は「信長」の「長」よりも「秀吉」の「秀」が先に来る!という織田家に対しての決別宣言でもあります。
相応の覚悟で改名したことでしょう。
なお、小牧・長久手の戦いにおいては200余の兵で1万の池田・森軍に立ち向かった16才の若武者・丹羽氏重がにわかに注目されています。よろしければ以下の関連記事をご覧ください。
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◆『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
参考文献
- 黒田基樹『羽柴秀長とその家臣たち ―秀吉兄弟の天下一統を支えた18人―』(2025年6月 KADOKAWA)
- 河内将芳 編『図説 豊臣秀長 ―秀吉政権を支えた天下の柱石―』(2025年3月 戎光祥出版)
文:五十嵐利休
【参考】
豊臣兄弟/公式サイト






