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【於万の方(長勝院)】
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全裸で縛られ 庭に置き去り
歴史的に、正妻が他の女性を追い出す例は他にもあります。
例えば北条政子は、源頼朝の子を管理しており、男児は出家させられ将軍職から遠ざけられました。
その反対に、管理外――頼朝が妻に隠れて密会などしてれば、【亀の前騒動】のような悲劇となることもあります(詳細は以下の記事へ)。
なぜ亀の前は北条政子に襲撃されたのか?後妻打ちを喰らった頼朝の浮気相手の素顔
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家康の子供・徳川秀忠にも、同様の例があります。
この時代は、まだ大奥が成立前であり、夫の子供は正室が管理。
そんな状況で、身分が高くないお静が妊娠したため、その存在は伏せられ、保科家で養育されました。
後に名君として知られる保科正之です。
いずれにせよ、家を預かる正室としては、時に非情な判断を下さねばならない。
いたずらに男児が増えても相続リスクが高まるばかりで、仕方のない面もありました。
しかし、時代が進むにつれ、こうした正室の権限と責任は忘れ去られ、北条政子も、お江も、そして築山殿らの行動は「嫉妬深い悪女」という印象で語られるようになりました。
築山殿には「妊娠した於万の方を折檻する」なんて伝説も残されているほど。
全裸にして縛り、庭に置き去りにしたというのです。
彼女の泣く声を聞きつけた者により救われ、命は取り留め……という話で、こうした毒々しいエピソードは半信半疑で捉えておいたほうがよいでしょう。
後世の創作あるいは盛りに盛った話という可能性があるからです。
愛より大義の家康
全裸の折檻は話半分――とはいえ、妊娠した於万の方を城から追い出したのは間違いない。
その後の家康も、冷淡そのものでした。
於万の方が産んだ男児を人任せとしたばかりでなく(子供は双子説も)、その後ようやく面会したときも、子供の顔を見て、こんなことを言ったという話があります。
「ギギ(ナマズ科の魚)に似ているのぅ……名は於義伊(おぎい)とせよ」
“素っ気ない”を通り越して、人格否定とも思える言葉でしょう。
これは何も秀康に対してだけでもなく、六男・松平忠輝に対しても酷い話が伝わっています。
「色が黒いし、目が吊り上がっていてなんともおそろしい顔だ。かわいくない。捨ててしまえ」
さらには7歳になった忠輝をしみじみと見て、嫌そうにこう語ったとも。
「恐ろしい面構えだな。幼い頃の三郎(長男・松平信康のこと)そっくりだ……」
いくらなんでも、これが我が子に投げかける言葉でしょうか。
しかもタイミングが最悪で、信康が非業の死を遂げた後に言い放つのですから、人間性すら疑わしくなってくる……と、これまた後世の誇張が大きいのでしょう。
かつて日本では「子は親の所有物」という価値観が強固であったことも考慮せねばなりません。
しかし……そうした状況を勘案しても、家康に酷薄な一面があったのは否定できないかもしれません。
例えば2020年『麒麟がくる』でも興味深いシーンがあります。
このドラマの家康は、織田信長が父・松平広忠を暗殺したという劇中の設定を知っていましたが、当時、竹千代と呼ばれていた少年家康は「あんな父は嫌いだからそれでよい」と語っていました。
あるいは信長が、築山殿と信康の殺害を命じたとき、明智光秀にことの是非を相談したときもそうです。
愛する妻子を殺す苦しみより、徳川家の内部事情に織田が口を出すことへの困惑と不快感のほうが大きいように思えた。
だからでしょうか。妻子の死後、武田に通じていたことが判明すると、サッパリした顔で納得していたものです。
SNS等では、あの家康の冷たさを「気持ち悪い」とみなす意見もありました。
しかし、公私混同をせず自分の家庭より大義を重んじる――これは天下人にふさわしい風格があるのでは?と私には思えました。
史実の彼女に話を戻しましょう。
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