板垣退助

いずれも板垣退助(左から44歳・60歳・70歳の頃)/wikipediaより引用

幕末・維新

喧嘩っ早いで有名だった板垣退助の生涯~実は龍馬と同世代の土佐藩士

いきなり問題です。

日本史で「板垣」と言えば?

「板垣死すとも自由は死せず!」

と、多くの方が答えるであろう、この一節。

ご存知、板垣退助が暴漢に襲われたときに言い放ったとされ、彼が携わった【自由民権運動】の代名詞と言ってもよい言葉でしょう。

そんなイメージから、てっきり明治維新後に頭角を現した偉人かと思いきや、実はこの板垣、江戸時代に生まれて青年期に幕末を迎え、土佐藩士として戊辰戦争でも活躍しています。

おまけに「喧嘩っ早い」ことで知られ、なんだか歴史の授業で聞いた人物像と違うぞ……という魅力があったりします。

板垣退助とは如何なる人物で、どんな功績を残してきたか。

その生涯を振り返ってみましょう。

 

実は坂本龍馬と同世代

板垣退助については自由民権運動のイメージが強いため、幕末でも後期に生まれた印象があるかもしれません。

しかし、実際は坂本龍馬徳川慶喜などと同世代。

主な人物と関係者の生年と比較してみますと、以下のようになります。

文政10年(1827年・10才上)山内容堂(本稿では“容堂”で統一)西郷隆盛

文政12年(1829年・8才上)武市半平太

文政13年(1830年・7才上)吉田東洋 吉田松陰 大久保利通

天保2年(1831年・6才上)孝明天皇

天保6年(1835年・2才上)坂本龍馬

天保8年(1837年)板垣退助 徳川慶喜

天保9年(1838年・1才下)後藤象二郎 岡田以蔵 中岡慎太郎

天保10年(1839年・2才下)高杉晋作

天保11年(1840年・3才下)渋沢栄一

天保12年(1841年・4才下)伊藤博文

幕末に活躍した世代であり、戊辰戦争でも戦功を立てています。

もしも龍馬が生きていたら……そんな思いは歴史ファンによくあるものです。板垣の生き方からそのヒントが掴めるかもしれません。

 

高知に生まれ後藤象二郎の親友に

天保8年(1837年)、土佐藩上士・乾正成の嫡男として生まれました。

母は林氏の幸。

猪之助12歳のときに、この幸は亡くなってしまい、15歳のときには、父が再婚した継母も失ってしまう、不幸に遭遇(呼び名はしばらく「退助」で統一)。

一方で退助には、兄弟のように親しい土佐藩士がいました。1才年下の後藤象二郎です。

後藤象二郎/wikipediaより引用

互いを幼名の「いのす」「やす」と呼び合う間柄だった二人は、退助が象二郎の嫌いな蛇を投げつければ、逆に象二郎が犬の糞を投げつけて返し、潔癖症の退助が降参してしまう。

そんなやんちゃな少年時代であり、喧嘩をすれば必ず勝つように鍛えていたとされます。

これは何も退助一人の個性ではなく、武家に生まれた男子であれば同じような傾向がありました。

文武両道の武士となるべく、自己鍛錬を怠らないよう勤めていたのです。

しかし退助には、何事も度を過ぎる傾向もありました。

幼い頃は遊泳で耳に水が入って聴力が落ちてしまい、しまいには喧嘩に明け暮れすぎて廃嫡されてしまうのです。

後に廃嫡は解かれ、万延元年(1860年)、父の死後は家督を継いだものの、一悶着はありました。

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