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【将軍になるまでの慶喜】
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だがしかし幕末の熱血は止まらない
水戸藩士はそこまで達観できません。
むしろ慶喜のやりすぎ感漂う謹慎にヒートアップしたのでしょう。
安政7年(1860年)3月3日――雪が降りしきる中、【桜田門外の変】により井伊直弼を殺害します。
実行犯の中には薩摩藩士もいて、同藩国父(藩主の父)の島津久光は素早く処断しましたが、一方で斉昭はさすがに気力も尽きたのか、暴走する藩士が抑えられないと嘆くばかり。
そして同年の万延元年(1860年)8月15日、月見の宴にて厠へ立つと、そこで倒れて急死したのです。
享年61。心疾患とされますが、当時は彦根藩士による暗殺説すら流れました。
時代はますます不穏な方向へ。
【桜田門外の変】を受け、井伊直弼による【安政の大獄】がやりすぎだったのではないか?として、処分が解かれてゆくのですが幕府にとっては判断ミスと言えました。
テロは世を変える――こんな危険思想が蔓延してゆくのです。
とりわけ水戸学や陽明学に心酔する志士たちに衝撃を与えました。
前述の通り、大塩平八郎は陽明学を学んでいます。幕末の志士たちも、大勢がこの思想に染まっていて、大まかにまとめると次のような内容となります。
◆心即理
それまでの朱子学では「性即理」、性(仁・義・礼・知・信)と、情(感情)を分け、性こそ理であると定義。
行動する前にワンクッションおいて、仁・義・礼・知・信に照らし合わせるという教えでした。
これに対し陽明学の「心即理」とは、くだけた言い方をすればこうなる。
「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっているんだッ!(『ジョジョの奇妙な冒険』第5部より)
心に浮かんだことを実行に移す――尊王攘夷志士は、異人を見かけたら即座に惨殺し、それを自慢した。
最悪の形で実行に移してしまったと言えるわけです。
◆知行合一
知識と行動を一致させること。
知識で学んだことを行うのは一見良いことのようで、その知識がヘイトやレイシズムであったらどうなるか?
「あの異人どものせいで日本は悪くなった! もう殺すことが正義!」
そんな過激思想を実行に移したら、ただのヘイトクライムですが、実際のところ維新の志士たちはそうした凶行に奔りがちでした。
『水滸伝』の冒頭さながらに、魔星が飛び散ってしまったのが、このころの日本だったと言えましょう。
水戸学やら陽明学を掲げた幕末の志士は、とにかく危ない。
居酒屋や遊郭でどんちゃん騒ぎをして、憂国談義をする程度ならまだマシ。
リアルな暴力殺人にまで発展するため、青春熱血トークでは片付けられず、日本にとっての実害も出ています。
外国人の殺傷賠償金は明治時代にまで続き、その後は国内の政治家暗殺も続発しました。
国難に直結する間違った熱血ぶりだったのです。
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幕末のヤレヤレ系の主人公・慶喜
そんな幕末熱血志士たちと比較すると、徳川慶喜はキャラ立ちしている人物と言えるかもしれません。
2000年代から流行したライトノベルやアニメの主人公一定義として「ヤレヤレ系」があります。
常に斜に構えていて、どこか消極的、熱くならず、周囲が盛り上がっていてもクール。うんざりした様子でヤレヤレと呆れることが特徴です。
日本史上において「ヤレヤレ系」を探したら、徳川慶喜こそ最有力候補でしょう。
父・斉昭は「オラオラ系」でした。
異人対策として「船に乗り込んで皆殺しにすれば解決でござる!」と阿部正弘に提案するような性格です。その斉昭のせいで、慶喜はこうささやかれていました。
「聡明だし、みどころもあるけど、あの人はオンブオバケだからなぁ(背中に妖怪である父がついているということ)」
青年期になってからはオラオラ系の尻拭いばかりさせられた慶喜。
一歩引いて達観して、ヤレヤレとため息ばかりついていても不思議はないのかもしれません。
実際、慶喜の言動は、逃げてばかりのものが非常に目立つのです。
「天下を取るなんて、気苦労ばかりで嫌。骨が折れるから嫌というわけでもないけれど、天下をとって失敗するより、天下なんて取らない方がよほどいいよね」
「一橋家ですら荷が重いのに、私が天下なんか取ったら滅亡するよ……」
「私は不肖の息子だよ。大任になんて応えられないし。ましてやこんな屋台骨がガタガタの徳川家を継いだところで、天下回復なんてありえないでしょ」
やるからには完璧に。それができないならはなからやらない。
そうした完璧主義のあらわれか。ただ単に、本当にやる気がなかったのか。
江戸幕府最後の将軍が、もっと熱い性格であれば、その後の歴史はどうなっていたか。
斜に構えていて「やれやれだぜ」が口癖でありながら、熱い心を秘めていた――そんな『ジョジョの奇妙な冒険』第3部および第6部主人公である、空条承太郎や空条徐倫のような性格ならば、別の道もあったかもしれません。
幕末を見届けた勝海舟は、14代将軍・徳川家茂の話となると、目元に涙を滲ませました。
明治になってから油絵で描かれた肖像画を見ると、感慨深げに「よく描けている」と……。
もっとよい時代に生まれていたら。もっと長生きできていたら。きっと名君になれただろうに……そう語る目から涙が落ちたのです。
勝は、幕臣であった福沢諭吉から腰抜けで恥知らずであると『痩我慢の説』で罵倒されました。福沢は、戦いもせず幕府がおめおめと降伏した責任者として、勝を許せなかったのです。
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それでも勝は反論しませんでした。その気持ちはわかる気がします。
あの将軍のもとでは、どうしようもあるめぇよ。しかしよ、それを言ったところで仕方ねぇよ。
そんな達観に至ってもやむを得ない状況だったと思うのです。
慶喜は明治になってもヤレヤレ系でした。
慶喜の命を救うために奔走した勝のもとへ向かったのは、勝が衰え、歩けなくなってからのこと。
主君に足を運ばせるとはけしからんという批判が勝に及びますが、そもそも勝が出歩けなくなるまで、慶喜は顔を見ようともしなかったのです。
ここでもう一度、2023年秋放送のドラマ10男女逆転SF版『大奥』での、家定による慶喜評を思い出しましょう。
「慶喜には心が無いのだ 国の民や家臣を思う心が無い者はどんなに聡くても将軍にはふさわしい器の者ではない!」
慶喜の心の無さは、残念ながら、彼が政治の表舞台に立つことで存分に発揮されてしまいます。
オラオラ系全盛期の幕末政局において、ヤレヤレ系主人公が将軍に立つとどうなってしまうのか?
逆に、慶喜はどう振る舞うのが正解だったのか?
そこに思いを馳せてみることもまた歴史の醍醐味かもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
家近良樹『徳川慶喜 (人物叢書)』(→amazon)
久住真也『幕末の将軍』(→amazon)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(→amazon)
半藤一利『幕末史』(→amazon)
泉秀樹『幕末維新人物事典』(→amazon)
他