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【井伊直弼】
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水戸の朝廷工作が最悪の結果に
さんざん朝廷に悩まされてきて、それでも公武合体して何とか歩んでいこうとしていた直弼。そんな彼にも、忍耐の限界はあります。
それは、水戸藩に【戊午の密勅(ぼごのみっちょく)】がくだされていたことでした。
公武合体して足並み揃えようというときに、水戸藩とそれに賛同した学者たち、そして公家がよりにもよって、正式な手続きも得ないまま、密勅を得ていたのです。
苦労してまとめた条約調印を批判し、攘夷を断行しろというものでして。もう、無茶苦茶理不尽です。
幕府は堀田らを派遣して、説明しようとしていました。
それなのに「ともかく異人嫌いはなんどす。攘夷しとくれやす」で押し切られるのです。
とにかくお話にならない。言う事聞いてアッチコッチで黒船を相手にドンパチやったら、それこそ列強の侵略を許しかねません。
正直この状況は、直弼でなくともキレてしまうのではないでしょうか。
直弼だって好きで調印したわけじゃない。ただ、攘夷を今やろうにも無理。だからの開国です。
直弼の中で、決定的な何かが弾け飛んだのでしょう。
その結果が【安政の大獄】でした。
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暴力、流血、天誅、粛清、テロルの時代
政敵を次々に処罰していった【安政の大獄】。その反動は、直弼自身の身にふりかかりました。
安政7年3月3日(1860年3月24日)。
牡丹雪の舞う朝、直弼は刺客の手にかかり、最期を遂げます。
享年46。
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井伊直弼の死は、残念ながら世の中を動かしました。しかも日本の政局を不気味な方向へ。
すなわち、天誅の時代です。
幕府の大老ですら、白昼堂々と斬首できたという事実は、タガを外してしまったようです。
相手を殺してでも自分の意見を押し通す――。
不都合な相手は殺してしまう――。
そんな行為が、大手を振ってしまうようになるのです。
幕臣の江間政発は、カオスに陥った状況を評して、こんな言葉を残しました。
「幕末の攘夷とは、反対派を叩き潰す看板である」
これが当時を生きた人の実感でなのです。
そこに思想なんかありません。
むろん真っ当に行動する者もおりましたが、反対派は剣で黙らせた方が手っ取り早い、と考える方が当たり前の時代になりました。
暴力による解決は、思想や立場は違えど、多くの者がとった手段であったのです。
明治新政府が成立してからも、大久保利通はまさにこのような理屈のもと、刺客の凶刃に斃れることになります。
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一本気な性格も何かと災いしてしまい
井伊直弼の外交政策ならびに将来的な方針。その構想自体は間違っていませんでした。
むしろあの時点では、最も正解に近い答えを出していたのかもしれません。
「天皇を中心とした国作り、開国政策」は明治政府も行った政策と一致しています。公武合体についても、当時としては正解とも言えるやり方でした。
彼自身も超人的な才能を発揮しており、部屋住み時代にはその優れた資質を磨き上げてもいます。
先に述べたように居合術、茶道、禅……様々な分野で一流の人物であったのが何よりの証左でありましょう。
ただ……それでもやっぱり【安政の大獄】&【桜田門外の変】がもたらした負の影響は大きかった。
後世の「勝者の歴史」によって最悪の印象で描かれるには仕方ないにしても、もう少し柔軟に対応できていれば……と思わざるを得ないのですが、実は一方で、一本気な直弼の性格というのもあるようで。
やはり
「将軍家の先鋒であれ」
という、井伊直政以来の思いが根底にあると感じるのです。
井伊直弼は不当な評価を受けています。
倒幕派からは忌み嫌われ、幕府からも会津藩の松平容保のような忠臣という評価を受けることはできません。
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コワモテの悪役。大河ドラマはじめ幕末もののエンタメにおいて、これからもこうした姿は上書きされていくことでしょう。
ただし、彼の実像はそんなに単純なものではありません。
将軍家の先鋒として生きたゆえの非業の死――それが赤鬼井伊直政もとい井伊直弼なのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
母利美和『井伊直弼』(→amazon)
別冊歴史読本『天璋院篤姫の生涯』(→amazon)
『国史大辞典』