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【比叡山延暦寺】
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足利将軍だけでなく有力武家の細川も凸!
こうして延暦寺は八坂神社や北野天満宮などの著名な神社、さらには鴨川の西岸までをシマを拡大。
朝廷に対する不入権(使者の立ち入りを拒否する権利)まで得て、まるで外国の大使館のような状態になっていきました。
平家政権時代にも、延暦寺が絡んでいたと思しき事件はちらほらあります。
しかし、武家でさえ(一応)はばかる「朝廷すら屁の河童♪」という態度の延暦寺ですから、彼等と真っ向から戦おうとする人は長らく現れません。
そんな中で、延暦寺と戦った人が意外にも室町幕府から現れました。
六代将軍の足利義教です。

足利義教/wikipediaより引用
義教は「くじ引き将軍」という不名誉な二つ名で有名ですが、失われつつあった幕府の威光を取り戻すため、いろいろなことをやっていました。
その一環として、延暦寺を何とかしようとしたのです。
元は延暦寺のトップだった義教だけに勝算はあったのか?
実は、義教自身が将軍になる以前は、延暦寺のトップ(天台座主)だったので、
「元上司の言うことなら、さすがに素直に従うだろう」
と考えたのかもしれません。
が、そう簡単にはいきませんでした。
武力対決になった上に山ごと焼くわ、主要人物の首をはねるわ、その抗議のために延暦寺で焼身自殺をする僧侶が二十四人も出るわ……。
そんなこんなで、さらに延暦寺の武装化が進んでしまい、勢力を削ぐことはできなかったのですね。
天下争乱の「応仁の乱」が起きたときも、攻め込んだ武将がいます。
管領家の一人・細川政元です。

細川政元/wikipediaより引用
結局、政元も抜本的解決を図ることはできず、延暦寺もさらなる防備という名の武装化を進めたことでしょう。
そしてその次に対決したのが、皆さんご存知の織田信長です。
一体どんな顛末だったのでしょうか。
武装解除を事前に3回の信長はむしろ優しい?
「信長+延暦寺=全山焼き討ち・老若男女皆殺し」
そんなイメージがあると思います。
しかし、義教や政元の手口を知ると、むしろ事前に三回も武装解除を勧めていた信長が優しく見えてきますね。
信長の比叡山攻めについては以前も取り上げているので、よろしければこちらもどうぞ。

織田信長/wikipediaより引用
信長の焼き討ちについては、
「京都からでも比叡山が焼かれるのが見えた」
という記録があることから、残虐なイメージがより際立っているのでしょう。
しかし、延暦寺と御所を中心とした市内って、むしろ「何かあったときに見えないほうがおかしい」距離なんですよね。
現代なら車で一時間もかかりませんし、直線距離なら10kmくらい。
しかも比叡山のほうが高い位置にあるので、延暦寺である程度の炎になれば、京の街中から見えるのは当然という気もします。
おそらく義教のときも政元のときも見えていたでしょう。
皮肉なことに戊辰戦争では寛永寺が焼かれ
ともかくこの事件で徹底的にやられた延暦寺は、本来の役目である学問と信仰に立ち返ります。
建物については豊臣秀吉や徳川家康、そして江戸時代に入ってからは三代将軍・徳川家光によって再建。
幕府が江戸に置かれたことや、天海によって上野に「東叡山」を称する寛永寺ができたことによって、しばらくの間、歴史の表舞台から遠ざかります。
そのおかげで戊辰戦争でも焼かれずに済みました。
寛永寺は上野戦争でほとんど焼けてしまっているので、皮肉なものです。
昭和三十一年(1956年)、重要文化財だった建物が全焼するという災難に見舞われながらも、近年では他宗教(仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・シーク教・儒教)とのサミットを行うなど、新たな役割を自認するようになりました。
また、平成六年(1994年)には「古都京都の文化財」として他の寺社などとまとめて世界遺産に認定され、文化的な存在感を強めています。
さすがにもう武装勢力化する可能性も必要性もないでしょう。
このまま最澄が思い描いていたであろう姿を保っていただきたいですね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
延暦寺/wikipedia